凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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誰かの幸せのために少年はなんでもすることを誓った。
諦めと、諦めきれない想い、矛盾した想いを持って……


第三十八話 過去の柵

 

 

 

拠点、キャンプ、野営、野宿。

言い方は様々だが、新たに選んだ住処は丘の中腹辺り、美和さんと美空の家が見える場所。母親の趣味と思考で買われたキャンプセットを携え、テントを張った。本来は星を見るために買った品だが、その用途で使われる事はついになく、今は違う方法で役立っている。

まったく、いい趣味をしているものだ。こんな事に使うことになるとは誰も想像しないだろう。まして18にも満たない少年が一人で野宿など、笑えない。

 

「もう、朝か……」

 

日が昇ると、それは自動的に俺の目を覚まさせる。

小鳥達の歌がアラームだ。視覚は朝日を、聴覚は小鳥達の歌を、なんとも豪華な目覚まし時計である。

 

しかし、当然慣れない環境ながら眠れたのは……前日に美海の部屋で眠らされたせいだろう。正確には本当に寝ていないから、何徹したか、疲労は積み重なり身体は限界を迎えていた。

 

まずは朝食の調達、と行きたいところだが。

監視に徹するため、諦めて美空の家を見下ろした。朝食の調達をしている間に見逃すなど、御免こうむる。

――……。

そうして何分何時間か、経った時には日は段々と高く昇りはじめていた。民家はそろそろ起き出す頃で、通勤する人がチラホラと見える。

そんな中、美空の家に動きがあった。

チサキが早足に家から出てくる。そう言えば聞いてなかったが美空の所に住むと決めたのか。

昔、残した手紙。

こう考えればチサキに酷な経験をさせたのは俺で、加害者であるとも言える。罪悪感が頭を指す。取り敢えず、ことが終わったら謝ろうと決めた。

 

そうして時は進み、陽の昇りと日の出から計算して午前8時くらいに美空の家からまた人が出てきた。二人の女性が家の前で足早に逃げるように、去っていく。

一人は美海と同じ制服――美空。

もう一人は、清楚でふわふわした感じの私服を着る――美和さん。

こうして見れば、二人の性格が現れていると言える。休みだというのに制服を着る美空の真面目さ。性格がふわふわしている感じの美和さんの服は、なんとも近寄り難い感じはなく、清楚でありながら声をかけやすい。

性格は反対だと見えるが、やはり親子か。二人して近寄り難さなど一切無く、親しみすらある。

 

――と、不意に美和さんが“こちら”を見上げた。

気づいたのか、気づいていないのか、半信半疑か、首を傾げる仕草が愛らしい小動物のようで、伴う美空も同じくして母親の見る先を見た。

しかし、美和さんは鞄をごそごそと漁りだし、こちらから視線を外した。四角い何かを取り出す。おそらく、携帯電話であろうものに耳を当てると、優しげな表情を浮かべる。

 

その間に、違和感を感じた俺は木の裏へ。

――嫌な予感は当たる。

美和さんは急いで、また顔をこちらに上げた。さっきまでそこにいた何かを探すように、必死に視線を動かして。その間にも美空だけは俺を見ていた。隠れている俺の居場所を見据えて……やがて目を逸らす。

 

――気づかれたか?

いいや、そんなことはどうでもいい。

誰が俺を見つけようと、止まることはない。

俺は俺のやりたいことをやる。

たったそれだけなのだから。

 

 

 

□■□

 

 

 

美和さんと美空は仕事に行った。もちろん、美空はついて行っただけだが。

それを見送ったあと、俺は急いで山を駆け下りた。

目の前には立派な一軒家が建っており、ごく普通の家であることが伺える。

 

「……なんだろうな。どっかで見たような?」

 

――はて、何処でこの建造物に似たものを見たのか。

既視感が頭の中をぐるぐると廻る。頭の回転は早いほうだが、

――ッ!!

突然の痛みが頭を襲った。

記憶のどこかで思い出すな、そう警告しているようだ。

 

思考することをやめ、もう一度見上げる。外観は見慣れた家の形をしているから、親近感がわく。

ふぅ、と息を吐くと俺は当然のように玄関のドアに手をかけた。

 

ガ――チッ!!

 

まぁ、当然のように開かないわけで、ドアノブから手を離して仕方なく周囲を散策。窓を確認。

しかし、これまた当然のように戸締りはしっかりされていて開くはずもない。

 

だが、方法はもう一つある。

ここから見える2階の部屋の窓、その窓には鍵をかけた様子が見られない。もし2階に上がれれば、中に入ることが出来るわけで……しかし、海のようにいくかどうか。

ここは陸だ。海ならば泳いで2階まで上れたが、陸ではそうはいかない。

……まぁ、その問題も無きに等しいのだが。

 

ガスメーターに足をかける。2階から伸びた雨水の配水管に手を掛ける。そうして次々と手をかけて上り、軽々と登ると2階の窓にたどり着いた。

ピンクの壁紙、整理された教科書類、クローゼット、勉強用の机、さらには可愛らしいぬいぐるみ。

どうやら、この部屋は美空の部屋らしい。

案の定、開いていた窓から侵入する。確実に見つかれば警察沙汰だが、気にせずに靴を脱いだ。なんとも礼儀正しい泥棒だと自分でも思う。

 

「……ん?」

 

すぐさま他の部屋に移ろうとしたところで、机の上に倒れている写真立てを見つけた。

 

「あぁ……いつ撮ったっけか」

 

そこに写るのは――俺と笑顔の美空。

5年前、何時しか撮った写真、当然美空は小さく今ほど胸も大きくないわけで、しかし小学生としては少し発育が良すぎるくらいだ。

無邪気故か、その凶悪な兵器は少年――誠氏の腕に密着していた。写真の少年は意に介することなく、微笑ましそうにしていた。

 

懐かしさに浸り、部屋を出る。

事態は早急に解決しなければいけない。

遊んでいる暇など、ない――

 

廊下を歩き、僅か数秒でそれは見つかる。

『誠哉』ある扉に裏向けられたプレートを捲ると、ぎこちない文字でそう書かれていた。

躊躇なくその部屋のドアノブに手を掛ける。目的の部屋はここだと、わかっていた。

そうして開けた先には――案の定、手つかずの整理されていない、生活感のなくなっている部屋。誰かが住んでいたという事実しか残らない、寂しげの部屋。誰も入っていないのか埃は数年分溜まっている。

 

「まぁ、当然関わりたくないよな」

 

嘲笑うように、親父を非難するように、自嘲気味に呟いて足を踏み出す。

机、本棚、ベッド、その三つしかない簡素な部屋はまるで無趣味だという人格を表している。

しかし、本棚に並ぶのは思い出のアルバム。気にならないはずはないわけで、俺はその一つを取った。

 

「……馬鹿親父が」

 

漏れ出たその一言は誰を嗤う一言か。

開けたアルバム、パラパラと捲ると出てくるのは母さんの写真ばかりで他は一つもない。

美和さんも美空も、二人の写真は一つも――

俺の写真、成長記録はあるが、美空のはない。

……元から、父――誠哉は美和さんを美空を愛していなかったのか。未練たらたらで海を出たのか。身体目的で傷の舐め合いをしていたのか。

 

ふざけてやがる。

 

 

いや違う、もしも美和さんが“傷の舐め合い”ではなく一方的な癒しを与えていたのだとしたら……

 

美和さんはそういう性格の人だ。

自分より他人を思いやる。

そこに親父が甘えを獲たのだとしたら、美和さんに悩みなどなくそうなっていたら。

 

が、それは妄想だろう。

もしも――それは何通りもある。

美和さんに悩みなどない。そんな聖女みたいな存在ではなく、美和さんも優しければ人であるのだ。人間には悩みが付き物で、傷の舐め合いだって否定できない。

 

 

さて、冷静になろう。

そうして次のアルバムに手を伸ばし、手に取ると、それはするりと床に落ちた。

アルバムの隙間から落ちた紙――昔の癖は直っていないようで、簡単にも目的のものは見つかる。よもや見つかるなどと期待はしていなかったのだが。

 

――その時、この家に来客を知らせた音が響いた。

 

 

 

□■□

 

 

 

ヤクザ――とは、なんだろうか。

暴力行為、犯罪、それらをものともしない猛者。彼らは警察を相手にも屈しない、屈強な強者どもだ。その彼らは忌み嫌われ、犯罪で金を稼ぐという法律に楯突く者。すなわち、忌み嫌われる集団だ。

大事なことなので、二回言ったが。

 

――そんな彼らの巣窟に、一人囲まれながら紅茶を飲んでいる人物。アールグレイの茶葉の紅茶を啜る少年――こと、俺はやんちゃなお兄さん達を前にふんぞり返っていた。

 

「で、子供がなんのようや? 坊主」

 

意味が重複しているような気がする。

が、無視して、見下すように答えた。

 

「だから、お前らじゃ話にならないから頭を出せと言っているんだ」

 

尚も、強気で冷めた目つきで睨み返す。

それに少しビビるものもいれば、ガチでキレかけの怖いお兄さんまでいる。

 

さて、ここでフルボッコパターンは目に見えているが、なぜ彼らはそれをしないのか。答えは簡単だ。噂によると頭が変わってから

『子供には手を出さない』

という掟ができたらしく、正確には手が出せないのだ。これに反抗するやからもいるが基本は守るらしい。

あくまで、基本は――だけどな。

 

「ガキが調子にのってると――」

 

やはり、挑発は喧嘩を売っているのと同義で、一人の男が肩を掴んできた。

すごい強面おじさんである。

が、平然とスルーする。

 

「なっ!! このガキ――」

 

怒りのボルテージマックスになった男が拳を振りかぶった。しかし、やられてやる義務もないが。

ここは相手の陣地だ。

聞く耳を持たない相手も悪いが。

 

「っ――!!」

 

ボコンッ――頬を殴られて頭が揺れる。

白が視界を埋めるが、痛みなどどうでもいい。

脳は揺さぶられ、少しの間、真っ白な視界が広がったままだが時期に収まった。

 

「――で、覚悟は伝わったか?」

 

「……ふん、ただ殴られた程度で」

 

「じゃあ、こうすればいいだろ」

 

パーカーのポケットからナイフを取り出す。

刃渡り15cm、厚さ約1mm、幅3cm、バタフライナイフと呼ばれる携帯するのに便利なそれ。

獲物を見た瞬間、周りの男達が身構えた。この事務所に入れるまでこんな武器を持っていることを想定しなかった。故に驚き固まっている。

 

バタフライナイフを逆手に持ち替え、そこでようやく男達が事態の重さに気づいた。

捕えろ!!お頭に合わせるな!!と口々に叫び獲物を奪い取ろうとするが、逆手に持ち替えられたナイフが空を切る。

 

――ザスッ!!

 

小さな何かを刺した音が事務所に響く。赤い液体が机の上から流れ出し、小さな川を作る。

周りの男達は唖然とした表情で目の前の少年――否、理解のできない化物を見つめた。目には恐怖するかのような色を灯し、恐れおののくように近づけず後退る。

 

「何驚いてるの? 覚悟を見せた。君らの世界では日常茶飯事でしょ?」

 

手を刺したというのに、自分の左腕を刺したというのに、動じずにナイフを腕から引き抜く。

俺は血が沸き立つ沸騰する感覚とは逆に、心の底から冷たい感情と反応で腕を見た。

 

溢れ出す鮮血、新鮮な赤い血、肉はまるで綺麗に捌いたように傷は綺麗なものだった。

傷を最小限に、血管を避けるように、骨を避けるように意図的にやったのも成功を収めている。

 

「――なんの騒ぎだ? てめぇら、静かに……」

 

そこで事務所の扉を開きやってきた男。

白髪混じりの髪、風格漂う和服、五十代後半だろうその男は目の前の奇妙な光景に眉をひそめた。

 

 

 

□■□

 

 

 

「悪かったな坊主。うちのもんが手えかけさせて」

 

部下の消えた部屋で2人、俺は向かい合っていた。

俗に言う、組長、という男と。

その男はこちらを凄く気にしているような、そんな表情だ。しかし、その瞳には何処か悲しげな色を写している。

 

「それより本題に入っていいですか?」

 

だが、そんなことは関係ない。

 

「――長瀬誠哉の借金に関してです」

 

聞く耳を持たずして、話を進める。

何より、早めにここからは消えたいものだ。

組長は、口を開かない。

長瀬、と聞いた瞬間に眉が動いたが。

 

「長瀬誠哉が借りた金。連帯保証人は早瀬美和となっています。が、その連帯保証人は息子である俺に変えろ。明日払う、それで十分だろ。これから早瀬美和には嫌がらせも何もするな。関わるな」

 

気づかないふりをして話を進める。

相手がその条件を呑んでくれればいい。

と、そこでやっと男が口を開いた。

 

「金は払わなくていい」

 

「……は?」

 

耳を疑った。この男は今、何と言ったか。

約束を重んじるヤクザ、だというのに。返すべき金を返さないでいいと?

男はソファーから立ち上がると、俺の座るソファーの横に歩いてくる。そこで膝をつき、拳を地面につき、頭を床に擦り付けるようにしてつく。

 

「おめぇさんの新しい家族とは知らなかった。許してくれとは言わねぇ!」

 

――いったい、何のことだ?

何故、こいつは謝る?

男が見せた土下座は誠心誠意、俺に向けられたものだ。だが相手が対等にあるにも関わらず、こうして頭を下げている。

 

「おい、おっさん……あんたは……」

 

――何を言っている?

わからない。理解不能。今さら、借金を超消しにするなどどうして……と。

今一瞬、男の顔に見覚えを感じた。

 

 

ふと、蘇るのは母親との最後の日の記憶。叫ぶ親父が相手を罵り、冷めた表情で俺は見ていた。

面会している相手は防弾ガラスの向こうですまなさそうにこちらを見ている。向けられているのは、俺に向けられた悲しげな視線のみ。

 

――悪い。坊主

 

その男の表情は曇っていた。自分のやってしまったこと罪悪感を覚え、悔いている。

 

 

思い出した。

 

「ダメだ。金は払う」

 

「だが、坊主!お前は覚えてねぇかもしれねぇが」

 

今も尚、罪を償ってもなお、男は悔いていた。

ただ命を奪ったことを。少年の手から母親という大切な存在を奪ったことを。

 

馬鹿じゃないのか。出かけた言葉を飲み込み、冷たい視線で男を睨みつける。

 

「今思い出した」

 

「じゃあ――!!」

 

「うるせえよ。借金を超消しにするとかそんな方法で救われようとしてんじゃねえ!」

 

ビクリ、と男が肩を震わせた。

 

母さんの死因は事故死。歩道に突っ込んできたトラックが時速60kmで柔らかいその身を轢いた。トラックの運転手は飲酒運転をしていたらしい。

轢いた相手に親父が葬式後、会いに行った。手には母さんの写真を、持って……。

人間は脆い物だ。たったそれだけで死んでしまう。正確には轢かれた直後は生きているから、出血多量が原因だが。

 

恨んだことはない。

俺は無力で非力な自分を責めた。

警戒していれば、避けれたのに。

この人も、だだのトラックの運転手で、殺したくて殺したんじゃないとわかっていた。

 

「いい加減顔を上げろよ。あんたはちゃんと罪を償った。こうして出所した。罪を償ったんだから、もう償う必要はない」

 

「だが、俺は……お前から幸せを奪ったんだぞ。こうして新しい家族まで苦しめている。二度も幸せを奪おうとした」

 

今の今まで罪を忘れなかった、その時点で反省しているのではないか。

 

聞いていて、こちらの心の鍵まで開きそうになった。

美海に会いたくなってしまう。逢って美海の全てを奪い尽くしたいと、願ってしまう。

美海を自分のモノにできたらどれだけ幸せだろうか。誰にも触れさせず、独占することが。自分だけのモノとして手に置いておくことが。

 

……ここにいたら狂いそうだ。空気に毒されてしまったようで、支配欲は元からあったのか湧き出てくる。

どうやら血と空気の所為で脳は働かず、感情がコントロールできない。

 

 

……美海。

小さな声で、自分でも気づかずに呟いた。

――想い人の名を




誠、事務所に乗り込みました。
そして、過去、の因縁が少年を渦巻く運命に引き寄せる。
少年の人生は全て、過去も意味がなかった訳ではない。
書いてて思った。よく死ななかったな、と。

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