三日前には目覚めていた。しかし、目覚めた場所は俺にとって、ある意味全てが始まった場所。海の底にある村から少し離れた、人が行き着く先。
そう……墓だ。
海村の人間が死ねば大体はそこに埋葬され、海に骨がバラ撒かれることはない。その墓、母親の墓の前で俺は目を覚ました。
「……ここは」
何処だろうか、そう頭に浮かんだ瞬間、一瞬の頭痛が頭を襲う。
まず最初に思い出したのは、お船引を行っていたこと。その次にどうなったのか思い出していく。蘇る情景は今の場所にいることを驚かされた。
「そうか…あの時、あそこで眠らされて…」
眠らされたのは、お船引の見える社の前。
しかし、目覚めたのは……墓の前だった。この奇妙な状況に頭を整理させようとするが、上手く頭が働かない。
どうも頭が混乱しているようで、見渡しているうちに何かを探すが目に入ったのは…
「…母さん」
母親の墓だった。墓石に綺麗に文字が彫られている、それを見た瞬間に少しだけ気持ちが落ち着いた。
母さんが守ってくれたんだと、胸の中が熱く鼓動し、涙が流れそうになるが必死に堪える。
あの時、俺は決めたんだ。絶対に涙を流さないと、泣かないと決めた、強く生きて母さんの誇れる子供であり続けると―――。
「ありがとう……行ってきます」
母さんの墓に別れを告げて俺は立ち上がる。
行かなければ、美海のところに……
会いたい、合いたい、逢いたいと心が叫んでいる。
もう、俺の頭にはそれしかなかった。
心細い、不安、怖いというそんな感情に心の安定を求める俺は飛び出した。
まずは情報集めから。今が何年で、何世紀で、あれから何年の時を過ぎ去らせてしまったのか、知らなければいけない、俺は世界に小さな希望論を押し付けて、村から出るために向かったのは家。
そうして家に着くと、テレビを付ける。カレンダーは勿論のこと誰も触らないから時期がわからない。しかし、テレビをつけても同じく画面は黒と白が入り混じり、ザーザーと雑音を壊れたようにを発生させるだけで何も映らないし使えなかった。
多分、来るときに見た村を覆う水流の嵐が原因だろう。
あれが磁気を発生させ、村と外界を完全に隔離しているのだと、焦った俺にはそんなことも思いつかない。
「くっそ、なんでだよ!?」
力任せにテレビを殴りつけ、怒鳴りつけるが何も起こらなかった。画面の前に崩れ落ちる俺はズルズルと手をテレビから離さないで引き摺る。画面には真っ赤な血が痕を引きつけ、俺の手からは血が流れる。
画面を殴りつけた時に傷つけた、こともわからなかったのか血の跡が嘲笑っているようだった。
ようやく次の日に冷静さを取り戻した俺は、とある人物を探して歩き回った。
元凶である“海神の鱗”を探すために、まずは社に特攻をかけて、いたら一発殴ってやろうと意気込むが、社は意外なことにもぬけの殻。勿論のこと、村中を探したがウロコは何処にも見つからない。
そりゃそうだ。ウロコは何処か特別な場所にいて、宮司ですら知らないところにいるのだろう。
こういう異例の事態を観測し、見守る場所に……
この時、俺には光達を探すことなど頭になかった。
ウロコがいないとわかると俺は次の行動に移る。出れない村からの出る方法、最初に出ようとすると水流の嵐が出ようとする者を押し戻す為に、初日に抜けられずに我が家に仕方なく滞在していた。
美海や誰とも会えない日常に募る不安。
ちゃんと生きている人間はいない。
もしかしたら、このまま一生を出れずに過ごすんじゃないかと悲しくなる。美海と会えず、誰とも会えず、孤独を過ごすのだと思うと胸が張り裂けそうだ。
こんなにも俺は弱くなったのか……
孤独を昔は何とも思わなかったのに、今になってこんなにも会いたいと、寂しいと思うとは思わなかった。
その必死さに促され、次に考えることにしたのはこの海を調べて抜け穴を探す事。
海の水流の強さ、流れの向き、全部を調べれば何かわかるかもしれないと思い、調べたがよくわかったのは巴日の日に水流の嵐が弱くなり、流れも変わることだった。
巴日とは、ぬくみ雪が水中で一点に光を集め反射して輝き計3つの太陽のようなものを作り出すことだ。正体はぬくみ雪なのでその他の専門的な知識はいらない。要はぬくみ雪が光を反射させる、それが三角形を作ると覚えてくれればいい。
誰もが知るこの現象、実はこの日だけ水流が弱まる時間帯があるため、それを狙う。
そして、巴日の日がやってきた。
取り敢えず、長い間に出来なかった母さんの墓の掃除を終わらせて準備を終えた俺は水流の嵐を前に何も持たずに向かい合った。
確証はなかったけれど、今日中に抜け出すという思いから何回もチャレンジするつもりだった。
やがて、決心をつけると水流に飛び込む。
荒れ狂う波は確かに最初に突っ込んだよりは弱くなっており、流れも変わっている。
不要物を追い出すかのように、流れは押し戻すというより押し出す感じだった。
水圧に圧迫される心臓と身体、骨が悲鳴を上げて、やめてくれと叫ぶが心は外を求める。矛盾する自分に鞭をうち、最後の力を振り絞って泳ぎ、何分何時間にも感じる洗濯機の中のような掻き回しをくらい、気がつけば俺はなだらかな海の中を漂っていた。
「…氷?」
目の前に映る大きな氷の壁、思わず出られたことに安堵できると思えば、最初に映るのはそれ。
近寄り、叩いてみる。
コンコンと軽く叩くが、割れそうにない。仕方なく見回してみると遠くに小さな穴を見つけた。所々に幾つかの穴が空き、上に出られることに安堵する。
逸る気持ちを抑え、泳ぎ穴から出ると太陽の光が直接、顔を照らし出した。
久しぶりの太陽光が無茶苦茶痛い。
「ぷはっ、ようやく出られた!」
思わず叫び、我ながららしくない行動に苦笑しつつも、氷の上に上がろうと足をかけた時。
パリンッ、という音が響きわたった。
発生源に目を向けると、そこにいたのは見慣れないオジサンと……
「…お前、帰って……」
「ああ、お前やっぱり紡か」
見慣れた顔、しかし背丈も顔も違って見えるその人物は見間違えることもない、親友だった。
――――――
「もう5年か……」
歩きながら、ふと呟く。
紡に教えてもらった情報によれば、この世界は5年の月日が流れた時間らしい。
先程、会った紡は海洋学の研究中で海について調べていたらしい。その傍らで質問攻めにしてきたのは紡が通う大学の教授で、名を三橋悟。
質問攻めには頭が痛くなり、美海に会おうと逃げ道を探すが紡が『取り敢えず、戻ってきたのを知らせる』という言葉に落ち着いた。
サヤマートへの道を急ぐ中、すれ違う人にわざわざ呼び止められて質問攻めに合うのも面倒なため、フードを深く被り顔を隠す。
何より、美海に会いたかった。
チサキもアカリさんも、至さんも、生まれたという美海の弟の晃君も、心の準備は出来ていないが兎に角会いたい、その気持ちが鈍い身体を動かす。
サヤマートが見えてきた時、見慣れた車がサヤマートに入っていくのが見えた。運転席には狭山、助手席には同じく大学生になったであろうチサキ。
「若旦那、またパチンコ行ってたでしょ」
「リフレッシュですよ。リフレッシュ」
楽しそうな会話が聞こえてくる。狭山は相も変わらず、自由人なようでアカリさんに怒られていた。
「おおっと、ははっ!」
「あっ、こら晃!仕事の邪魔しないの!!」
「そぉれ!」
やっと、サヤマートが完全に目に入り、皆の姿がハッキリと見えてきた。
狭山が子供を背中に背負い、走り回って遊んであげている中でアカリさんとチサキがそれを見て和む姿。誰もが時が過ぎ去ったのを示すかのように、大人になっていた。
また、深くフードを被る。
狭山は晃君?を背中から下ろすと、小さく耳打ちしてチサキを指さし何かを言う。
この顔はろくでもない事を考えている顔だ。それがわかった俺は、呆れるように溜息をついた。
晃君はコソコソとチサキの背後に回ると、両手を合掌させて指を4本合わせて突き出した。
チサキはアカリさんと話しているため、気づくこともなく後ろに無防備になっている。
昔は光もよくやっていたものだ。アカリさんを困らせ、村の皆を困らせるやんちゃ坊主、だが俺だけは全部察知してよけるために一度も当たらなかったが。
「―――ひゃっ!?」
と、懐かしんでいる間に晃君が悪意もなく手を発射した瞬間にチサキのお尻に指が柔らかく刺さった。
艶めかしく、甘く可愛い声で嬌声を上げるチサキはお尻を抑えると顔を真っ赤にした。あんな声が出たことが恥ずかしいのか、少し涙目で晃君を見る。
……取り敢えず、狭山が気に食わない。笑ってニヤニヤとチサキの様子を見ているのが、なんとも。
アカリさんは可笑しな様子のチサキに違和感と覚えがあったのか、後ろを見た。
「あっ、こら、晃!」
見つかった瞬間、逃げる晃君。
「もう、美海の言うことしか聞かないんだから…チサキちゃん、大丈夫?」
見る限り大丈夫そうじゃない。
逃げ回る晃君は俺に近づき、パーカーを握ると後ろに回り込んで盾にした。
チサキは今でもお尻を気にしている。
もうダメだ、笑いを堪えきれない。
「…くっくく、ぷあっはっは! ダメだよ晃君、女の子にそんなことしてたら。あの齢は何かとデリケートで、あの部位はセクハラになるからね。ついでに、女の子に嫌われるよ?」
晃君の年齢でセクハラにはならないだろう。俺の歳ではアウトだが。
ついでに、晃君にはとあるミッションを与えることにした。内容は言わずもがな。
「晃君、飴あげるからあのお兄ちゃんにしておいで。あのお兄ちゃんは実は昔、結構なやんちゃしてたから。悪いオジサンをやっつけたら、お姉ちゃんも喜ぶよ」
「…?…行ってくる(知ってる匂い?)」
飴を受け取った不思議そうな顔の晃君はトテトテと走り、司令塔であった元上司に特攻を仕掛ける。裏切りにあった狭山は驚いた顔だ。
何かわからなくても、悪い、良いの判断は出来るらしくそしてカンチョウの連撃を始めた。
俺と話していた晃君、何処で知り合ったのか不思議に思ったのか、会話を聞いていたアカリさんが何時の間にか近寄っていた。
「えっと、君は晃の……?美海の……?」
フードをゆっくりととる。その顔を見た瞬間、チサキは大きな声で騒ぎ、耳を塞いで蹲ってしまった。
――――――
「み、見た……?」
聞いてくるチサキは顔を赤らめて恥ずかしそうにしている。
先程の騒ぎ、カンチョウがチサキにヒットしたことを言っているのか……そうだとしたら手遅れである。
艶めかしい声、チサキの甘美な声は脳内に焼き付いて、もう既に離れることはない。
「…その…うん、可愛かったよ」
「もうお嫁に行けない……」
精一杯の励ましも意味をなさない。
これが限界だ、いくらフォローしようともこれ以上はどうしようもない。知り合いに会えて俺はテンションが上がっているのか、誰でも良かったのか、知り合いと話せて嬉しいと感じた。
「そうだ。誠君、美海には会いにいかないの?」
アカリさんが晃君を抱っこしながら聞いてくる。
もう少し話していたいけど、それもそうだ。
早く会ってあげなよ、美海ってば、ずっと待ってたんだから。
そういうアカリさんのニヤニヤが止まらない。
思わず、逃げ出したかった。
「あっ、それと……会ったらお医者さん呼んでおくから、検査するんだよ」
「いえ、それは夜にしてください」
身体を心配してのことだろう。が、俺は断りを入れる。
「もうすぐ、あいつも目覚めるでしょうし」
◇◆◇◆◇◆
「……先にチサキさんと会ったんだ」
夕食のカレーが入った皿を片手に美海が零した言葉、何処か悲しげに俯く。
聞かれたのは、俺が目覚めてからのこと。
勿論、ちょっと恥ずかしいことは隠してある。チサキの恥ずかしいことと、俺の恥ずかしいことは、自然と隠してしまったのだ。
……美海を最初に見て、思ったのは“可愛い”と“綺麗”の二言だが、何故か気恥ずかしくて言えなかった。
美海を見てやっと安心を完全に手に入れた。チサキと話したいことは沢山あったけど、あちらもこちらもまだ心の準備が出来ていないし。
「ほんと……綺麗になったな」
言えないのは、あの時に得た感想だ。会って最初に思ったのが“可愛い”とか言えない。
「そう……かな?」
謙遜する彼女は恥ずかしそうに視線を逸らす。不機嫌さも何処かに吹き飛んだようで。
しかし、周りの視線が痛い……
何せ此処は見知らぬ生徒達――5年前の俺の通っていた中学校の後輩?――の中にいるのだ。巴日の日、これを観察に来ていた生徒達にぶち込まれたのが俺である。
「そう言えば、美空は何処に行ったんだ?」
「今日は……元から参加しない、って先生が言ってたよ。美空はお家の事情があるんだって」
美海との再開時、目に入ったのは美空だった。
美海と同じクラスの美空は成長していて、凄く美人になっていたのだが、この時間まで話していない。それどころか話しかけてくることもなく、遠ざけているようだった。
気になって美海に聞くが、この返答……美和さんなら飛びついてきそうな内容だが、不自然だ。
チサキとあった時もそう…無理しているようで、アカリさんも急かすように俺の背中を押した気がする。
まぁ、美空は最初と2度目の会った時の反応が違うから気づいていたんだろうが、俺が血の繋がりを持っていることを……
……それは置いといて、男子達、いや美海のクラスメイト全員の視線が痛い。
特に、男子…その中でも1人目立つ奴がいた。
周りの者ほど、こちらを凝視していないが、チラチラと明らかに心配そうな表情の男子生徒。周りの奴はそいつに向かって小さく話しかけている。その間も視線は外れない。
その人ごみを掻き分けて、やってくるのはサユちゃん。妙に大人っぽくなっている。
話している俺と美海に話しかけてきた。
「よう、タコ助二号。美海と何イチャついてんだよ」
「べ、別にイチャついてないよ!ただ話していただけで、そんなんじゃなくて……」
「へー、あんなにしっかり抱き着いて泣いてたのに?」
「そ、それは……!」
いきなり帰ってきた時の事を掘り返すサユちゃんに美海は顔を赤くして否定する。
サユちゃんはチラチラと後ろの男子共に視線を送り合図していた。どうやら、あの男の子のために人肌脱いでやっているのか……こちらとしては複雑である。
……美海の言葉に少し傷ついたのは内緒だ。
しかし、美海のこの反応は誤解とあらゆる考察を得ることができるために人の捉え方によって違う。女子は半分ガッカリして、片やガッツポーズ。
あの男子生徒は心の底から喜んでいる。
そんな中、女子生徒が数人前に出てきた。
「ねぇねぇ、えっと…昔のお船引してた人だよね?私、あのお船引見てました!」
「あ、ずるい私も! 私は――っていいます」
押し合う女子生徒が何故か群がる。わんさか集まってくる。
「もう、誠なんて知らない!!」
紳士的に対応しようと優しく接し、数々の女の子達に囲まれる中、美海は省かれ不機嫌そうに叫ぶと、1人でズンズンと歩いていく。
なんで怒ったのか……わからない。
その後を、例の少年がゆっくりと追ってくのを見て、胸がざわめきを覚える。
――まさか、な……?
さぁ、次回は誠のストーキングミッション。
美海をストーキングする峰岸君をストーキング、もとい見守ります。
……実は誠もちゃんとした人間だった。