side《美海》
お船引が海の荒れによって中断された。アカちゃんは意識を失って海の上に流れていたけど、
「くそ、誠達は見つからねえのか!?」
「皆で探してみたが何処にも見つからねえ!」
誠達、チサキさんを除いた海の人が見つからない。帰って来るはずだったのにどうして……約束をしたのに、帰って来るって言ったのに……
しかし、さっきまで荒れていた海には誰も潜れない。夜の海は危険で漁師でさえ無理だと言われている。
それでも、私は必死にお願いした。
「……お願いなんでもするから、誠を見つけてよ」
「でもなぁ、美海ちゃん。潜りたいのはやまやまだが、夜の海は危険でしかも荒れたあととなると……すまねえが探すことは出来ねえ」
「でも、誠は……!!」
もし、怪我をしていたら戻ってこれない。それに死んじゃう可能性だってある。
私の頬には……涙が溢れていた。
嘘つき、帰ってくるって言ったのにどうしてこんな事になってしまったんだろう。責めるのは誠じゃない筈なのに、流れてくる涙の悲しみは誠に向けられる。
そんな時、扉が大きな音を立てて開かれた。漁協の事務室にバンッという音と共に大声で叫ぶ声が響く。
「誠君は、誠君は無事なんですか!?」
揺らす茶色の髪がふわりと舞う。しかし、急いできたのか顔には汗が見えた。
確か、病院で働いている看護師の美和さん、という人。その人が血相を変えて凄く泣きそうな顔で漁協のオジサンに入ってくるなり問い詰める。
何を聞いてきたのか、その服は着替えておらず、看護師の制服のままだった。
「そ、それがよ……まだ見つかってねえんだ」
漁協の中で誠達の安否が確認できていない事を伝える。それが済むと、すまねえと言って顔を逸らす。
その瞬間、美和さんは床に力なく座り込んだ。制服が汚れることも厭わず、ただペタリと座り込むと目の端から涙を流した。
「そんな…なんで…」
「えっと……心配するのはみんな同じなんだけどよ。お前さん、誠の知り合いってのはわかるが、いったいどういう知り合いなんだよ?」
確かにここまで心配するのは可笑しかった。疑問に思うも無粋で聞けなかったことを、オジサン一人が聞くけど答えたのは聞きなれた声。
「その人は…美和さんは…誠君の母親です」
目を覚ましたアカちゃんの声が、騒ぐ漁協の事務室を静かにさせる。
そして、私の心に小さなトゲが突き刺さるのを感じた。
アカちゃんが起きたことよりも、私にはその事実だけがどうしても気になって頭から離れなくなった。
ガチャりという音を立てて開く扉、そこから一人の見たことのない人が現れる。……いや、確か一度だけ見たことがある。
と、思い出すと同時にその影から顔を俯かせながら一人の同じ齢くらいの女の子が入ってきた。その姿を見たサユが大きな声をあげる。
「美空がどうしてここに!?」
「……はい、こんばんはサユちゃん。
そして……美海ちゃんも」
そう…男の人は授業参観の時に一度だけ見た、美空のお父さんだった。何故か服は濡れていて、床にポタポタと雫を垂らしている。
「さて、人も揃ったし話そうかな」
「ちょっと待って、アカリは休んでないと――」
「ううん、そんな場合じゃないの。これは私の責任だし私が話さなくちゃ聞けないことだから」
アカちゃんは椅子に座り込んで泣いている美和さんに目を向ける。しかも、さっきまで落ち込んでいたはずのチサキさんは男の人を見ていた。懐かしそうな目で、それでいて悲しいものを見る目付きで。
その見られている男の人も、チサキさんを見つめ返していた。
「まず最初に言っておきます。この人は……誠君の実の父親です」
苦笑いしながら頭を下げる男の人、誠哉という男の人はしかしまたチサキさんに視線を戻す。泣いている美和さんを放置していったいどうしてか、その美和さんは美空に寄り添われている。
「久しぶりだね、チサキちゃん」
「……今更、何をしに来たんですか」
いったいどういう意味か、嫌悪の視線を送るチサキさん。その意味がわからない私は一瞬で思い出した。
確か誠のお母さんは事故でなくなって、お父さんはその後に何処へ消えたか――
そうだ、誠を置いて陸に消えた。
まだ小さいはずの誠をたった一人、海に残して陸に上がるとと新しい幸せを掴んだ。今では奥さんが一人、子供が一人で幸せらしい。
オジサン達もざわめき始めた。誠が一人暮らしなのを知っていて、その理由を一部だけ知っている人達は途端に厳しい目を誠のお父さんに向ける。
「テメエ、何しにきやがった!!」
「あの坊主を一人にさせて今更、なんのようだ!!」
よく考えれば、美空は……あんなに親しいけど、誠の幸せを奪った人の子供。じゃあ、誠は知っていて美空と接していたのか、美和さんと馴れ合っていたのか。
そう言えば、美空が『兄さん』と呼び始めたのも、出逢ったのも偶然だったのか。
男の人に掴みかかるオジサン達をしり目に、美空を見るけど、そちらにもオジサン達が群がる。
誠のことを思ってかその目は睨みつけるようだった。
「あんたも何しにきたんだ?」
「確かその嬢ちゃんも来てたよな。最近になって誠に引っ付いて、お船引の手伝いをしてた」
「もしかして会いに行けないから子供を利用してたのか?」
「今更、アンタまで何のようだよ?」
辛辣な言葉は二人に突き刺さる。それもそうだ、今まで何もせずに見て来たなんて許されない。あれから何年たったのか誰でも予想はつく。
縮こまった二人はオジサン達の様子に萎縮するけど、その時、私が美空のところに行こうとした時に胸から何かが落下する。
カツン、という音にみんなは振り向いた。
「おい、確かそれって誠の大切なペンダントじゃないか。見慣れねえロケットまでついてるぞ」
落ちたペンダントを拾う。しかし、そのペンダントには見慣れないロケットがくっついている。それも最近買ったような真新しいロケット。鎖が古くなっているのか壊れている。
私は気になってロケットを自然と開けようと手をかけてしまう。誰もが見守る中、震える手で手を掛けるが、一向に開かない。
「確かそれって、あの人が誠に渡した……その時にロケットなんてついてなかったけど、御免だけど貸してくれないか?」
「ダメ…これは私が渡されたの!」
この人だけには渡したくない、けど…
「美海、それはわかったからちょっとだけ貸して。少し気になることがあるから」
仕方なく私はペンダントを手渡す。この人は信用できないから、アカちゃんに渡すと、アカちゃんも開けようとロケットに手をかけた。
そして開いた先には写真ではなく、一つの小さな手紙が折り畳まれていた。それを慎重に開けるアカちゃんは無言で手紙を見つめる。
ゆっくりと読み出すアカちゃん、しかしその声は震えていた。
『この手紙を読む頃には多分、何かが起こってお船引が中断されたことでしょう。もし起こっていない場合はこの手紙を消去します。そして、この手紙を見る人には一つだけお願いがあります。もし此処に家族が来た場合はその人達は優しいですから責めないで下さい。昔、家族といることを捨てたのは俺自身です』
最初は重要な注意書き。訪ねてくるであろう家族を思った手紙だ。もし冬眠すればその噂は地上にも知れ渡る。そんなことですら誠には考えついたのだ。では、その先は?
――と、これも誠はちゃんと考えていた。
内容はまだ続く。誰もが見守る中、耳を傾けた。
『そして、御免なさい。俺はこんなことになるだろうと予想は出来ていました。貴方達を利用した形で御免なさい、それでも俺は……皆で生きる道を探したかった』
この言葉に唖然とする人達。
それでも十分、誠の想いは伝わった。
何かが起こらない可能性も期待した、けれどそれすらも叶わない。
誠は……お船引が計画されてからずっと苦しんでいたんだ。
そして、最初のお願いがアカちゃんの口から代弁される。
『美和さんと美空へ。やっぱり気になって調べさせてもらいました。あの今になっても律儀に生活費を送ってくる馬鹿親父のことだし、それに二人は優しく今も気にしてくれているから悲しむでしょう。でも、悪いのは俺ですから自分を責めないでください。俺は親を奪われた訳じゃない、貴方達を遠ざけたのも貴方達の所為じゃない、ただ怖くて逃げてたんです御免なさい。アカリさんが裏で何かをしていてくれたのも知っています、ありがとう』
誠哉という男の人はアハハ、と乾いた笑いを発した。
美空はただ泣き笑いのような表情を見せる。でも、何処か嬉しそうで切なそうだ。
美和さんは『ゴメンネ』と泣きながら繰り返している。こんなことも今まで過ごしてきただけで理解したのだろう。美空がどんな子か、美和さんがどんな人か、見てきた中でどう思うかなんて誠には簡単にわかったから、こんな手紙になったんだろう。
次の言葉にも驚くことになる。
『それから、もし光達の誰かが地上に残っていたら独りぼっちになるでしょう。特にマナカ、チサキ、二人は女の子です。アカリさんならきっと引き取る。でも、アカリさんの家は手狭だと思います。何時か限界が来る。もし親父がそこにいるのなら預けてください。美空と美和さんとなら少しは安心出来る筈です。親父は信頼出来ないでしょうけど、二人なら信頼出来ます。でも、決めるのはその人自身に決めさせてあげてください。お金ならアカリさんに預けたバックに銀行でお金を卸すのに必要なものが入ってます。そのお金を使ってください。もし必要のない場合は、美和さん達に渡して下さい』
もしも――可能性の話ですら考えていた誠には、誰もが頭が上がらない。確かにその話はしたけど、これじゃあまるでこの手紙は……
「誠君……これじゃあまるでこの手紙は……」
――遺言だよ……
泣きながら、美和さんは呟いた。
誠の実の父親とその家族
私とアカちゃんにパパ
そして、海に帰れなかったチサキさんが漁協の二階で集まっていた。
今はもう夜も遅く、皆は帰った。その中で私達はもう一度誠から送られた手紙を見詰める。
「それで、どうするチサキちゃん?誠君の言う通り私は誠君のお父さん、誠哉さんを信用できない。でも、誠君の言う通り美和さんと美空ちゃんはちゃんと信頼出来ると思う。私も出来れば引き取ってあげたい。でもね、これも誠君の言う通りチサキちゃんが後悔しないように決めて」
私もチサキさんが一緒に住むのは大歓迎、でもチサキさんには選ぶ余裕なんて無いはずだけど選ぶことができる。
元から誠は家に住む予定だったのを入れ替わったくらいで負担が増えるわけではないのだ。けれど、誠は過去に決着をつける覚悟で陸に残る予定だった。
美空の家もそう。元からお船引が終わったら家に誠を呼んで真実を話すつもりだった。誠の部屋も用意してある。だから結局は変わらない。
チサキさんは静かな表情で皆を見回し、そしてまた誠のお父さんに視線を戻した。
「私は……正直、選べる立場じゃありません。それに今だって怖いです。でも、私は……誠の作ってくれたせめてものチャンスを使うことを許されるなら。今まで苦しんできた誠の為に美和さん達と住んでみたいです」
少し攻撃的なのは起きた時の誠を思って、自分で誠の家族を見極めようとしている。チサキさんは同じだった。
誠の言葉を聞いて、迷いながらも自分のできることを見つけてやろうとしている。
誠の負担を軽くして、支えてあげたいから、こんな言葉になってしまったのだろう。
美和さんは目を赤く腫らしてチサキさんを見上げる。
「私のことを許せるわけないよね。でも、ありがとうチサキちゃん。私に……私の知らない誠君を教えてね」
そして手を取ると、お互いに笑いあった。
この状況で精一杯の笑みを見せるのは似合っていなく、笑い方も無理をしているようだ。
それでも、確かに……美和さんは心から受け入れていた。
「じゃあ、チサキちゃんの住むのは決まったね。でも、ゴメンネ美和さん。私が先伸ばしにしたから……」
「ううん。信じてる。私は誠君が絶対に帰ってくるって」
本当に子供みたいに泣く美和さん、そのセリフは涙で頬を濡らしている為に台無しだった。たけど、確かな強さが込められている。
……本当に誠ならひょっこり帰ってきそう。
私は気になっていた美空に近づく。今だけは誠に知っていてくっついていたのかはどうでもいい。あんなに沸き上がった感情もどうでも良くなった。
「ねえ美空、美空はどう思ってるの?」
「兄さん、のことですか?」
そうだ、あんなにくっついていたから悲しくない訳が無いと当たり前のことを聞く。
美空は少し考えると、小さく呟き(聞こえなかったけど)…元気に答えた。
「私は兄さんが大好きです!だから私は何があっても待ち続けます。兄さんは私の大切な人ですから」
――そして、二年と約半年――
海は凍りつき、海村は水流に隔離され誰もが近づくことが出来なくなった。あの日からお船引は傷跡となり、誰もが少年少女達をその日になると思い出す。
私と美空、サユは大きくなって誠の通っていた始まりの学校に入学する。
チサキさんは誠の後を追うために、辿り着くために、看護師の勉強を。どうやら美空とは姉妹みたいに仲良くなったらしい。
入学式の日、私は誠が来ていなかった正規の学校の女子用制服を着て門の前に立つ。
「ほら、撮るよー」
門の前に並び、サユは笑顔でピース。
美空は少し疲れた表情で遠慮気味にカメラを見詰める。
そして、私は……
海を見ていた。
そして、今だに第二部じゃなくて御免なさい。
誠がハイスペックなのは後悔してない。
なんか、この先内容がドロドロしそうです。