朝食を食べ終えた俺と美海、アカリさん、至さんはちゃぶ台の前に座っていた。テレビは消されており、静かな、そして少し重い空気が流れている。
「そういえば、なんで昨日は帰ってこなかったんだい?」
「うろこ様に言われてですよ」
至さんはまるで俺が帰ってくるのが普通だとでも言うのか、当然のようにそう言うと、俺の答えに疑問を浮かべる。陸の人間にとってはうろこ様と言っても、想像がつかないだろう。
事実を言うと、ちょっと嬉しかった。至さんがそう言ってくれて・・・・・・まあ、此処に住まわせてもらうつもりで海を出てきたのだけど、幸いにも一応、金はある。断られたとしてもどこかで家を借りて、暮らすことも出来たがそれは高校までで金が足りなくなるだろう予想は出来ている。
それに、なんで陸で暮らすと言ったんだか・・・・・・その時は宛も何も考えてなかったのだが。
「・・・・・・なんで言うことを聞くの? 誠、帰ってこれたもん」
「確かに、僕はうろこ様がどれだけ凄いか知らない。誠君なりに、理由があったんだろう? だから、美海もふてくされてないで『ふてくされてないもん!』・・・・・・ごめんなさい」
不機嫌な美海は俺から目を逸らしていた。至さんも美海の機嫌を取ろうとするが、逆に謝るという可笑しな立場になっている。
「・・・・・・アカリさん、話しますよ?」
「うん・・・・・・本当なら年上の私が話すべきだろうけど、お願い」
一応、俺はアカリさんに確認を取った。目の前の不機嫌な美海と至さんに納得してもらうには、この家に置いてもらうには話すしかない。隠し通すことも出来ただろう。知らないという幸せもあっただろう。だけど、知っている幸せもあるから話さないでいられない、寧ろ協力をして欲しい位なのだ。
アカリさんはまだ信じられないのか、もしくは信じたくないのか、話せない自分を責めているかのように、その握られた手には力が入っている。
「・・・・・・実は、昨日は帰ってこれなかった理由・・・・・・冬眠するんです」
「・・・・・・? 誠君、冬眠って人間がかい?」
「はい」
「・・・・・・それはなんでか、教えてくれるかな?」
至さんの反応は予想通りだった。でも、"冬眠"という言葉以外には説明できない。寒さを凌いで、寒い時をやり過ごすというのは生物が行う冬眠そのものだからだ。医学的にも、エナは海の中で呼吸できるという事しか知らなかった。
───いや、正確には知らなかったというべきだろう
実際にその行動を、現象を、見たわけではない。それを知るのはうろこ様ただ1人、宮司の灯さんだって見たことがないだろう。
「まずは、この言い伝えからです───」
オジョシサマのお話、昔話、うろこ様から聞いた神話のような話。
───訪れる氷河期のようなもの
───世界の終わり
───1人の女性の海神様への謁見
「───という昔話があるらしいです」
「・・・・・・悲しい物語だね」
聞き終えた至さんは半信半疑といった感じで、腕を組んで考え始めた。
「だから、金曜日は食べ物を詰め込んで、後は絶食して眠ろうという話だったんです。エナがいずれ熱くなり、俺達を眠らせてそれが通り過ぎたら目を覚まさせてくれる・・・・・・」
「だから、帰ってこなかったわけか・・・・・・」
半信半疑ながらも帰ってこなかった理由には納得してくれたようだ。至さんは頭をかいて、必死に整理して頭を落ち着かせようとする。
俺は一番心配な美海の方をみた。子供には理解しがたい話で、今の美海には人間が死ぬという現実くらいしか理解できていないだろう。
その美海は凄く寂しそうな、悲しいような、そんな視線を俺に向けている。さっきまでの不機嫌もこの話の何処かに消えて、凄くつらそうだ。
「美海、大丈夫か?」
「・・・・・・誠も・・・・・・アカちゃんも眠っちゃうの・・・・・・?」
返ってきた言葉は、寂しがる子供のような震えた声で弱々しく発せられた。今にも泣きだしそうな美海は、俺の服の袖をギュッと握り締める。
───いかないで
───もう、消えて欲しくない
───一緒にいたい
───眠らないで
───死んじゃうのも嫌・・・・・・!!
子供の我が儘みたいだと思うだろう、そんな感情で美海は声にしたくても出来ない。それを行動だけで示して、自分の意思を表そうとしている。服を掴んでいる手は弱々しく震えて、その小さな肩もその所為か我慢出来ずに揺れている。
「私はいなくならないよ。美海と一緒に起きてる」
「アカちゃん・・・・・・」
今まで黙っていたアカリさんが、美海に語りかけるようにそう言った。美海も少しだけ安心できたのか、それで少しだけ震えが小さくなる。
「・・・・・・誠君は、どうするんだい?」
「俺も同じです。陸で起きてますよ。美海と約束しましたし」
聞いてきた至さんに答えながら、俺は美海の頭の上に手を置いた。そして、ゆっくりと優しく撫でていく。髪が柔らかくて、さらさらしてて、凄く綺麗な髪・・・・・・美海の顔は涙でもうクシャクシャになっている。
「ほら、おいで。約束しただろ?」
「っ・・・・・・誠」
俺が美海に優しく言うと同時に、美海は小さな体で抱きついてくる。俺は何も言わずに抱き締めた。その小さな体を優しく壊さないように、頭と背中を撫でながら。
美海から啜り泣く声が聞こえる。必死に抑えようとしている声が漏れて。
至さんはただその光景を見守り・・・・・・
アカリさんは微笑んでいた。
十分くらい経っただろうか・・・・・・美海の啜り泣く声も聞こえなくなり、やがてそれは小さな寝息へと変わった頃。俺は美海をゆっくりと少し離してから、左手を美海の膝裏に、右手を美海の肩を抱くようにして持ち上げた。側から見たらお姫様抱っこにしか見えないそれ。美海が起きていたら、慌てていただろう。
「寝ちゃいましたんで、布団にでも寝かせときましょうか」
「そう・・・・・・なら、私の布団が出しっぱなしだからそれに寝かせてあげて」
アカリさんが隣の部屋への扉を開き、美海を抱えた俺はそのまま入っていく。そこには出しっぱなしの布団が綺麗な状態で置いてあり、そこにゆっくりと美海を降ろして寝かせる。そして、布団をかけると音を立てないように忍び足で部屋から出て扉を閉めた。
アカリさんと至さんは出てきた俺を見て、キョロキョロと辺りを見回し、その視線の先には俺が海から持ってきたリュックが一つおいてあった。玄関先に、結構大きめな黒のリュックは、二人にとっては気になる対象のようだ。誰だって中身は気になるだろうし、隠す必要もない。
そのリュックを俺は掴むと、元座っていた場所に持って行き座る。
「結構、量多いね」
「まあ、アカリさんの時よりはですけどね」
「中には何が入ってるんだい?」
「えっと・・・・・・着替え、財布、預金通帳、教科書、ノート、筆記用具、寝袋、テント、調理器具と調味料。これぐらいしか思いつかなかったので、これだけですが他にも何か足りないものってありましたっけ?」
そう言いながら、リュックから色々と部屋の中に広げていく。それをみたアカリさんと至さんは、『なんでテントに寝袋に調理器具?』と言いたそうな顔で、視線を順番に移していた。
「うん、もうこれ半分サバイバルする気だったよね」
「僕としては、それには反対かな・・・・・・」
当然のように俺には拒否権など存在しないわけで。───かと言って、俺に当てがあるわけでもないので反論できなかった。父さんからのお金は今も途絶えずに届いてる。でも、陸で暮らす時点で俺が何処に住んでいるか、こっちから教える気もない。さらに言うと、聞かれても教えない訳だが。
「すみません、泊めて下さい・・・・・・」
「うん、誠君なら美海も大歓迎だよ」
兎に角、俺は頭を下げてお願いした。帰ってきた言葉は『美海』が大歓迎という何故か美海の主軸な話なのだが、此処で俺は何故かアカリさんからの好機の視線を浴びることになった。
「そう言えば、誠君が頭を大人に下げるって初めてかも・・・・・・」
「そうなのかい?」
「うん、何時も村の大人達全員、誠君に口喧嘩が始まる前に負けてたから」
「それは凄いね・・・・・・」
確かに俺は大人相手に頭を下げるのは初めてだった。今までそんなこと意識した覚えなんてないが、一度も頭を下げた覚えはない。
「あっ、それにアルバムもないよね? 家には幾つかあったのに」
「どうしてだい? 一つぐらい、写真を持っていてもいいだろう?」
唐突な質問が飛んできた。でも、俺にとっては昔決めたことで、今も守り続けている・・・・・・いや、縛り続けている掟のような自分への言い聞かせ───
─────────今の俺に、過去を思い出す資格はありません
そう躊躇いもなく答えた。
区切りがよかったので、何時もより短めに・・・・・・
この先に行くと、サブタイトルに困る!
って、理由で短めですが。