この旅の目的である2つの腕輪は手に入れた。これで僕らの使命は果たされた。あとはサンジェスタへ帰るだけだ。
ガルバランド王国へはここレオンドバーグから馬車で北に向かい、ノースロダン港から船に乗って行くことになる。乗り継ぎの時間さえ合えば1日半ほどの旅になるだろう。
しかし空は既に橙色から藍色に変わりつつある。この時間ではもう馬車も出ていない。そこで今夜はこの町で宿を取り、翌朝移動することにした。今、僕は美波と共に今夜の宿を探しながら賑やかな夜の町を歩いている。
「王様、あの様子だと明日にでも行きそうな感じね」
「そうだね。でも良かったよ。やっぱり家族が縁を切るとか寂しいし」
「そういえばアキもお父さんやお母さんと離れて暮らしてるのよね。やっぱり寂しい?」
「んー。そうでもないかな。勘当されたわけじゃないし」
「カンドウ?」
「あ、親子の縁を切ることを勘当って言うんだ」
「そうなのね」
「まぁ話そうと思えばいつでも電話で話はできるし、寂しいって思ったことはないかな」
「ふ~ん……アキはそうなのね」
「美波は違うの?」
「そうね。前は葉月と2人っきりでお留守番とかしていて、ちょっと寂しいなって感じたことはあるわ」
「前はってことは今は違うの?」
「うん。だって今はアキがいてくれるから」
「っ……!?」
「なによ。そんなに驚くこと?」
「い、いや、驚いたというか…………は、恥ずかしい……というか……」
こういう話をされると、どうしても手に意識が集中してしまう。繋いだ手から伝わってくる、暖かくてしなやかな美波の手の感触に。そして急に恥ずかしくて顔が熱くなってきてしまう。
「もう。これくらいで赤くなったりしないでよ」
「うぅっ……だ、だってさ……」
「アンタって変わらないわね。そういうところ。ふふ……あっ、あのホテルなんてどう?」
「ふぇ?」
「ほら行くわよっ!」
「うわわっ!」
美波に腕を引っ張られ、僕は振り回されるように歩いた。なんだか美波がとっても楽しそうだ。この世界に飛ばされてから今日で22日。もうすぐ帰れるという気持ちが彼女を笑顔にさせているのだろうか。
「えっ? いっぱいなんですか?」
「すまんねぇ。今日は予約で全部屋埋まってるんだ」
「そうですか……分かりました。次行きましょアキ」
「うん」
一軒目のホテルは満室だった。仕方なく別のホテルを探しに町を歩く僕たち。レオンドバーグはこの国で最も大きな町だ。繁華街の規模も半端なくでかい。
既に日は落ち、空は闇に包まれている。けれど僕らの歩く道にはまだ沢山の人が歩いていた。もう通行人もまばらになり始める時刻だというのに、一向に減る気配は無い。
それと……気のせいだろうか。なんだか町を歩く人たちがやけに浮かれているような気がする。
「ねぇアキ、ずいぶん人が多いと思わない?」
「うん。ちょうど僕もそう思ってたんだ。前にこの町に来た時はここまで多くなかったよね」
「そうよね。何かあるのかしら。お祭りとか」
「お祭りかぁ。いいなぁ」
「あっ、あそこにもホテルがあるわよ。行ってみましょ」
こんな具合に宿泊先を探して町を歩く僕たち。ところが、どれだけ探してもどこもホテルは満室。ことごとく断られてしまった。
「う~ん……これってピンチだよね……」
「どうしようアキ……このままじゃ今夜の寝床が無いわ」
「こうなったら王宮に泊めてもらう?」
「そうね……それじゃあのホテルでダメだったらそうしましょ」
美波がそう言って道の先の看板を指差す。そこには”Hotel Sandlock”の文字があった。はて? サンドロック? どこかで聞いたような……?
記憶の糸をたぐりながら建物に入る僕。う~ん……思い出せない。
「ごめんくださ~い」
僕が考え込んでいる間に美波が受付にて声を掛ける。
『は~い、ただいま参りま~す』
すると受付奥の扉の中から声が聞こえてきた。その数秒後、ガチャリと扉が開いて1人のおじさんが姿を現した。
「いらっしゃい。お客さん、悪いんだけど今日は――」
受付に出てきたのは顎髭を生やした丸顔のおじさん。その顔を見た瞬間、思い出した。
「あぁーーっ! きっ、君たちは!?」
丸顔のおじさんも目を丸くして驚く。体つきも丸いし、すべてがまん丸だからまるで髭を生やした雪だるまみたいになっている。どうやら向こうも僕らのことを覚えていたようだ。
「こんばんはおじさん。お久しぶりです」
美波がペコリとお辞儀をして挨拶をする。この丸顔のおじさんの名は確か”ニコラス”だったかな。以前もこうして美波と一緒に宿を探していてお世話になった人だ。
「久しぶりっていうか1週間ぶりだね。でもサンジェスタに行ったんじゃなかったのかい?」
「えっと、その……色々と事情がありまして……ね、アキ?」
「う、うん」
そうか、まだ1週間しか経っていなかったのか。あれからもうずいぶん経っているように感じるな。
「込み入った事情がありそうだね。まぁ話さなくてもいいよ。それで今日はどういったご用件で?」
「実はウチら今夜泊まる場所を探してるんです。部屋、空いてませんか?」
「そうか、部屋か……それが今夜は予約でいっぱいでねぇ」
「そうですか……」
おじさんの返事を聞いて美波がしょんぼりと項垂れた。心なしか自慢のポニーテールもしおれたように見える。
「たぶん今夜はどこのホテルもいっぱいだと思うよ? なにしろ明日はハルニア
「「ハルニア祭?」」
「知らないのかい? 3年に1度行われるレオンドバーグ全体をあげてのお祭りさ」
「アキ知ってる?」
「ううん。美波は?」
「知ってたら聞くわけないじゃない」
「それもそうだね」
「なんだ知らないのか。変わってるねぇ君たち。それじゃ教えてあげよう」
おじさんは得意げにお祭りの詳細を語り始めた。
ハルニア祭は3年に1度、このレオンドバーグの町全体を使って開催される祭らしい。祭りの趣旨は町の誕生を祝うという、ごく一般的なもの。特に主催者がいるわけではなく、自然発生的にはじまったものだという。
祭りは3日間に渡って様々なイベントが催され、昼夜を通して行われる。しかも今回は300年目という節目の年。世界中から人が集まり、かつてない規模で開かれるらしい。
「それで町に人が溢れてるのね」
「そりゃホテルもいっぱいになるよねぇ……」
でも困った。これでは泊まる場所がない。もう王様に頼るしか……。
……まてよ?
とにかく寝食の場所が確保できればいいわけだから……。
「アキ」
「うん」
「アンタ、ウチと同じこと考えてるでしょ」
「たぶん」
肩を並べる美波と目を見合わせ、僕は頷く。彼女もまた同時に頷いていた。そう、僕らの考えていることは同じなのだ。
「おじさん、僕らが前に借りたあの家ってまだありますか?」
「もちろん。処分する予定は無いよ」
「それじゃあ……もし良かったら今夜一晩だけ、もう一度僕らに貸してもらえませんか?」
「構わないよ。今夜と言わず祭りの期間中ずっと使っててもいいんだよ?」
「あ、いえ。今夜だけでいいです。またサンジェスタに戻らなくちゃいけないので」
「そんなに急ぐのかい? せっかくの祭りなんだから楽しんで行けばいいのに」
「すみませんおじさん。僕らの仲間が待っているので、ゆっくりもしていられないんです」
「そうかい。それは残念だね。それじゃ――――これを」
おじさんはそう言ってカウンターの引き出しから金属製の鍵を取り出した。それは1週間ほど前に返却した、あの家の鍵だった。
「ありがとうございます。お借りします。明日の朝に返しに来ますね」
「使った寝具とかはそのままにしておいていいよ。後で片付けに行くから」
「はい、ありがとうございます!」
僕は鍵を受け取り、ホテルを後にした。それにしてもまたあの家で暮らすことになるなんて思わなかったな。一晩だけだけどね。
☆
ホテルを出て30分。僕たちはあの家の前までやってきた。
「変わってないわね」
「そりゃ1週間しか経ってないからね」
「それもそうね」
「鍵、開けるよ」
僕は借りた鍵を使い、家の扉を開ける。木製の扉がキィと音をたてて開き、まっすぐな廊下が目に入ってくる。その廊下の突き当たりには扉がひとつ。
「さ、入ろう」
「えぇ」
僕たちはリビングで荷物を降ろし、家の中の様子を見回してみた。
リビング。
キッチン。
洋室が2つにトイレにお風呂。
すべてが僕たちが出た時のままだった。たった1週間しか経っていないのに、なんだかとても懐かしい気分だ。
「少し埃っぽいわね」
「そうかな?」
「アンタ感じないの? ほら、テーブルもザラっとしてるわよ?」
そう言って美波がテーブルに指を這わせる。ふむ。確かに言われてみれば少し埃っぽいかもしれない。
「少し拭き掃除しましょ」
「えぇ~……いいじゃんこのままで」
「ダメよ。ここで食事したりするんだから、清潔にしておかないと」
……あ。そういえば。
「ねぇ美波」
「なによ。掃除が嫌だなんて言うんじゃないでしょうね。ダメよ」
「いやそうじゃなくてさ」
「じゃあ何よ」
「ここで食事をするといってもさ、食材も何も買ってきてないよね」
「……忘れてたわ」
まぁ僕も忘れてたんだけどね。
「それじゃアキ、何か食べるもの買ってきてくれない?」
「うん。いいけど、掃除は?」
「ウチがやっておくわ」
「いいの?」
「どうせアンタにやらせてもいい加減にやるだけだもの。ウチがきっちりやっておくからアンタは買い出しに行ってきて」
「反論したい気分だけど……まぁいいや。それじゃ何か買ってくるよ」
「お財布落としてきたりするんじゃないわよ」
「分かってるよ子供じゃないんだから。それじゃ行ってくる」
「ふふ……行ってらっしゃい」
僕は家を出て、商店街に向かって歩き出した。さて。まずは今夜の食事と、それと明日の朝の食事かな。片付けが楽になるものがいいね。明日の朝には出発することになるし。よし、それじゃ……。
――――30分後。
僕は出来合いのサンドイッチや惣菜パンの類を買って帰って来た。これならキッチンを汚さないで済むからだ。
「美波、ただいま」
「あ、お帰りなさいアキ」
リビングに入って帰宅の挨拶をすると、美波がスリッパをパタパタと鳴らしながら駆け寄ってきた。この光景も1週間ぶりだ。
「食べるもの買ってきたよ」
「惣菜パンね。ありがとアキ」
「うん。それより聞いてよ美波」
「なぁに?」
「例のお祭りなんだけどさ、明日1日だけ見て行かない?」
「えっ? どうしたのよ急に」
「さっき町で催し物の一覧を見てきたんだけどさ、凄く面白そうなんだ」
「アンタもそういうの好きね」
「へへっ、まぁね。どう? 帰るのは明後日にしてさ、明日はお祭りを見て回ろうよ」
「う~ん……でも坂本たちが待ってるんじゃないかしら……」
「大丈夫だよ。約束の期限まではまだ4日あるしさ、サンジェスタまでの移動時間を入れても余裕はあるじゃん?」
「そうなんだけど……でもこの家は今夜だけって約束だし……」
「そこは大丈夫。さっき僕がおじさんに許可をもらってきたから」
「ずいぶん手際がいいのね。でもいいのかしら。ウチらだけ遊んでいたら皆に悪いような気がするんだけど」
「もし皆に怒られたら僕のせいにしていいからさ」
「……アキ?」
「ん? 何?」
「まさかアンタ、何か企んでるんじゃないでしょうね」
ギクッ!
「い、いや別に? 何も?」
「怪しいわね。目が泳いでるわよ」
「そ、そんなことはないよ!? 単純にお祭りを見たいなって思っただけさ! 美波と一緒に!」
「えっ? そ、そうなの?」
「うんうん! お祭りは好きだけど、美波と一緒ならもっと楽しくなると思うんだ!」
「……しょ、しょーがないわねっ! そ、そんなに言うのなら行ってあげても……いいわよ?」
「ホント!?」
「その代わり!」
ビッと右手で僕の眉間を指差し、美波は目を吊り上がらせる。ヤバイ。何か交換条件を要求する気だ。無理難題を吹っ掛けられたらどうしよう……。
「う、うん。その代わり……?」
恐る恐る訪ねてみると、それは僕が思っていたような要求ではなかった。
「皆には絶対に言わないこと!」
「へ? なんで?」
「なんで? じゃないわよ。皆が必死に腕輪を探してるのにウチらは遊んでました、なんて言えるわけないじゃない」
「あ……う、うん。そう……だね」
「なによその顔は。まさかアンタ皆にペラペラ話すつもりだったんじゃないでしょうね!」
「いや! そ、そんなことないよ!? ただ、ちょっと意外だったからさ!」
「意外? 何がよ」
「なんというかこう……もっと難しい条件を言ってくるのかと思って……」
「難しい条件を言ってほしかったの?」
「いやいやいや! そうじゃなくて!」
あぁもうっ! 僕のバカぁっ! 余計なこと言わなきゃよかった!
「まぁいいわ。でもホントに皆には内緒だからね?」
「分かってるよ。もちろん秘密さ。僕と美波、2人だけのね」
「そうね。2人だけのヒミツね。ふふ……それじゃ夕食にしましょ」
「うん!」
やれやれ。一時はどうなることかと思った。でもこれでお膳立てはできたな。あとは時間を間違えないように約束の場所に行くだけだ。きっと美波驚くぞ。ふっふっふっ……。