湖畔の草原に倒れる青い軍服の少女。そこへ
――今勇気を出さなければすべてが終わる!
「うわぁぁぁーーーーッ!!」
僕は天に向かってありったけの声量を使って叫んだ。それは自らを呪縛から解き放つため。恐怖という呪縛を。
「美波に手を――――ッッ」
地面に転がしておいた木刀をガッと拾い、無我夢中で大地を蹴る。
「出すなぁぁーーッ!!」
やはり召喚獣の力は凄い。ただ一度地面を蹴っただけの僕の跳躍は、10メートルはあろうかという魔人との距離を一瞬でほぼゼロにまで縮めてしまった。
《うォッ!?》
さすがの魔人もこれには驚いたようで、一瞬
「うぉらぁぁぁーーっ!」
だがこの一閃は惜しくも空を切ってしまった。切っ先が届くより早く、ヤツが体を屈ませて攻撃を避けていたのだ。そのままヤツは跳ねるように数歩下がり、距離を取る。
《フゥ……あぶねェあぶねェ。今のはなかなかいい不意打ちだッたぜェ?》
「く……は、外した……!」
当たれば大きなダメージを与えていただろう。だが外れたって構いやしない。なぜなら今のは当てようとして仕掛けた攻撃ではないからだ。こうしてヤツを美波から引き離せた今、僕の攻撃は成功だ。
「美波! 無事か!」
僕は美波を後ろに隠すようにして立ちはだかり、両手で木刀を構える。美波はポカンとした顔をして僕を見上げていた。良かった。なんとか間に合ったようだ。
「あ、アンタどこまでバカなの!? 狙われてるのはアンタなのよ!? そのアンタが出てきてどうするのよ!」
「あぁそうさ! 僕はバカさ! けどね! 女の子を盾にして逃げるくらいなら大バカと呼ばれた方が百万倍マシさ!!」
「アキ……」
美波をやらせはしない! 一緒に帰るんだ!
《やッとやる気なッたッてか? ヘッヘッヘッ……そう来なくちャいけねェよなァ!!》
牙を見せ、魔人がニタァと不気味な笑みを浮かべる。またあの笑いだ。戦いを楽しんでいるかのようなあの目。やはりコイツは異常だ。こんな奴の相手をする必要はない。ここは一旦引いて町に逃げ込むべきだ。
「美波、合図したら走――」
「まさかウチだけ逃げろなんて言うつもりじゃないでしょうね」
僕の言葉を遮るように美波が言う。後ろにいるので表情は分からないが、声の感じからすると少し怒っているようにも感じる。
「大丈夫。もちろん僕も逃げるさ」
もちろん美波が安全な場所に避難してからだけどね。それまでは僕がなんとかして奴を抑える!
《あァン? 逃げるだァ? ンなことさせるわけねェだろォ! 散々捜し回ッてようやッと見つけたンだからなァ!!》
「何なんだよお前! なんで僕をそんなにしつこく狙ってくるんだよ!」
《てめェが強ェからよ!》
「はぁ!? 前は
《最初は命令だッたさ。けどな! ンなこたァもうどうでもいい! てめェは俺が思ッていた以上に強ェ! だからてめェと戦いてェ! ただそれだけだァ!!》
ダメだこいつ。やはり話の通じる相手じゃない。もう話をするだけ無駄だろう。
幸いにして今は僕らの背後が魔障壁で守られている町。今なら美波を先に町に走らせて避難させることが可能だ。あとは僕がヤツの注意を引き付けていればいい。問題は美波が素直に先に逃げてくれるか。よし、それなら……。
「美波、頼みがあるんだ」
「何か作戦でもあるの?」
「作戦というか、僕のシャツと上着を取って来てほしいんだ」
「こ、こんな時に何言ってるのよ!」
「へへ……ちょっと寒くなってきちゃってね。僕が裸じゃ美波もやりにくいだろ?」
「もう……分かったわよ。取ってくればいいのね?」
「うん。頼むよ。それからもうひとつ。上着を拾ったら僕の言う通りにしてくれ」
「えっ? どういうことよ」
「いいから!」
「もう、何なのよ……あとでちゃんと説明しなさいよね」
美波はハァと一度溜め息を吐き、横向きにゆっくりと動き始めた。魔人から目を背けることなく、じりじりと歩を進める美波。向かう先は脇の草むらに転がしてある僕の上着の所だ。魔人はこの様子を怪訝な顔をして見ている。どうやら警戒しているようだ。
そう。これも作戦のうち。あと3メートルほど美波が僕から離れれば……僕は魔人の動きに警戒しながら美波の様子を見守る。そして――
「美波! 町に向かって走れ!」
僕は叫び、魔人に向かって猛然とダッシュする。
頭に描いた作戦はこうだ。ヤツの標的は僕。美波と僕が離れた場所にいれば当然ヤツは僕を狙うだろう。だから僕がヤツに隙を作り、まず美波を逃がす。そしてそれを追うようにして僕も町に逃げ込むのだ。大丈夫。ヤツが飛べることはもう学習した。今度こそ2人で逃げ切る!
ところがこの作戦は出だしから挫かれてしまった。
「そんなことだろうと思ったわ!」
「っ――!?」
魔人に向かって突進する僕の横には、髪をなびかせて併走する美波の姿があった。
《な、なんだァ!?》
僕も驚いたが、魔人も驚いていた。くそっ! こうなったら仕方がない! このまま攻撃するしかない!
「「りゃぁぁーーッ!」」
僕は”がむしゃら”になって木刀を振り下ろす。それに合せるかのように美波もまたサーベルを突き出す。僕と美波の同時攻撃。だがこの攻撃でもヤツには通用しなかった。攻撃が届く前にヤツは空へと舞い上がり、避けていたのだ。
「なっ……何やってんだよ美波! 町に向かって走れって言ったじゃないか!」
「アンタウチを騙そうとしたでしょ!」
「だってこうでもしないと逃げてくれないだろ!」
「当たり前でしょ! 1人で逃げろだなんて冗談じゃないわ! ウチはアンタを守るって決めたんだから!」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!? せっかくのチャンスを潰しちゃったじゃないか!」
《チャンスなんざ
美波と言い合っている所へ割り込むように魔人の爪が襲い掛かる。
「うわっ!」
「きゃっ!?」
僕らは咄嗟に左右に散開。これをかわした。
《逃がすかよォッ!!》
ヤツは着地するとすぐさま方向転換し、迷うこと無くこちらに向かってきた。やはり僕を狙ってきたか。思った通りだ。僕は腰を低くして身構え、魔人の攻撃に備える。
「はぁぁーーっ!」
すると横から美波が飛んできて、魔人に対して斬りかかった。ビュン! と音を立てて唸る美波のサーベル。
《チッ!》
これを見て魔人は舌打ちをしながら急停止。トンと地面を蹴り横っ飛びをして、再び間合いを取った。
息をもつかせぬ攻防。美波もあの魔人に対して
「アキ! やるわよ!」
美波は僕の隣に戻って来ると、サーベルを構えてキッと魔人を睨む。その瞬間、思い出した。そう。僕は重要なことを忘れていた。一度言いだしたら聞かないという、彼女の性格を。
「……やっぱり美波は美波だね」
「なによそれ。どういう意味よ」
「へへっ、なんでもない。忘れてよ」
「まさかウチをバカにしてるんじゃないでしょうね」
「その逆さ。美波はやっぱり僕の一番のパートナーってことさ」
「っ――!? な、何言ってるのよこんな時に!」
そうさ。僕たちが力を合わせれば負けることはない。たとえそれが魔人という異常な強さを持った奴が相手であろうとも! もう怖れはしない!!
「さぁ行くよ美波! 皆で元の世界に帰るんだ!」
「うんっ!」
「「はぁぁッ!!」」
僕と美波は同時に駆け出し、魔人に向かう。
《2人がかりたァいいねェ! ワクワクしてくるじャねェかァ!!》
ヤツはカッと目を見開き、狂乱に満ちた笑みを浮かべて僕たちを待ち受ける。正面からではダメだ。僕らの攻撃は見切られている! 僕はチラリと美波に目を向け、アイコンタクトを取る。すると彼女はそれに気付き、コクリと小さく頷いた。
「行くぞっ!!」
僕の合図と共に僕たちはそれぞれ向きを変え、左右に展開。ヤツに対して挟撃を仕掛けた。我ながら見事なタイミングだった。魔人の視線は明らかに僕に向いている。このタイミングなら僕の攻撃が止められても美波がやってくれる!
――ガ、ガギン!
周囲に激しく火花が散り、けたたましい金属音が鳴り響く。
《ヘッヘッヘッ……挟み撃ちか。いい攻撃だぜェ?》
ヤツがニタリと余裕の笑みを浮かべる。僕らの同時攻撃をヤツは爪で受け止めていたのだ。それも僕と美波それぞれの攻撃を片手ずつで。
「くっ!」
僕は強引に木刀を引き抜き、すかさず横一線に振り抜く。
「こんのぉっ!」
同時に美波は魔人の足を狙い、蹴りを放った。この同時攻撃に対し、ヤツは器用に身体をくねらせて巧みにかわす。い、今のをかわすのか!? コイツ、戦い慣れている!
「うぉぉぉーーっ!」
「やぁぁぁーーっ!」
僕と美波は全力で得物を振るった。いや、限界をも越えるつもりで振るった。
――守りたい。
互いに思い合うこの気持ちが僕たちの力を増幅させていたのかもしれない。
《ウッ! クッ! オォォッ! こ、こいつら……!》
すると次第にヤツの表情から余裕が消えていき、代わりに焦りの色が見え始めた。行ける! 美波と一緒ならヤツにも勝てる!
「「はぁぁーーっ!」」
僕は美波と力を合わせ、一気に攻め立てた。電光石火。まさにこの言葉が相応しいほどに攻撃に攻撃を重ねた。
《ッガァァーッ!!》
「ぁぐっ!」
堪え切れなくなった魔人が美波を殴り飛ばした。
《うッ! し、しまッた!》
その時、魔人の動きが止まった。
「美波!」
美波の身を案ずる僕。けれど魔人の脇越しに見えた彼女の目は苦痛を訴えていなかった。それどころか、「今がチャンスよ!」と言わんばかりに僕に鋭い視線を送っていた。美波……分かった!
「うぉらぁぁーーっ!!」
彼女の意思を感じ取った僕は、渾身の力を込めて木刀を振り回した。
《ッ――!?》
魔人が僕の攻撃に気付いて振り向く。だがその瞬間、
――バキィッ!
そんな音と共に木刀にヒビが入り、同時にヤツの残っていた右の
《ッ──ガァァァァーーーーッッ!!》
頭を押さえて苦痛の叫びをあげる魔人。よし、大きなダメージを与えた! 今のうちに一気に畳み掛ける! 僕は頭を抱えて苦しむヤツに向かって再び木刀を振り下ろした。
「うらぁぁぁーーっ!!」
《クゥッ!》
だが惜しくもこの追撃はかわされてしまった。ヤツが背中の翼を広げ、空中に逃れたのだ。
そうか、ヤツには空を飛ぶ能力がある。前回もそれを忘れて負けたのだった。召喚獣の力をもってしてもジャンプで届くのは10メートルが限界。さすがに5、60メートルの上空にまで飛び上がったヤツには届かない。くそっ、せっかくのチャンスだと言うのに!
「アキ! 飛びなさい! ――
その時、僕は下から突き上げられるような感覚に襲われた。いや、実際に突き上げられている? これは……美波の腕輪の力? そうか! この風に乗れって言うんだな!
ラドンの町で美波が腕輪の力を発動させた時、僕は空高く舞い上げられてしまった。あの時は風圧でまるで身動きが取れなかった。だが僕の身に召喚獣の力が宿っている今、この風も味方になる!
「よぉしっ!」
僕は吹き荒れる風に身を任せ、空を舞った。美波が風の操り方を覚えたということもあるのだろう。激しい竜巻は僕を傷付けることなく、ぐんぐん勢いを増していく。そして風は僕を魔人の頭上にまで押し上げると、フッと消えた。
《な、何だとォッ!?》
魔人は顔を歪ませ、心底驚いたという表情を見せた。だが僕が木刀を振りかぶると、ヤツは腕でガードする体勢をとった。ヤツの戦闘本能がそうさせたのだろう。
「うおぉぉぉーーッ!!」
僕は残る全ての力を込めて木刀を振り下ろす。防御をブチ破るつもりで。
――バキャァッ!
衝撃に耐え切れなかった木刀が粉微塵に砕け散った。
《ウガアァーーッ!!》
直後、ヤツが右腕を押さえて苦痛の叫びをあげた。手応えあり!
僕は体勢を整えて大地に降り立つ。そしてまだ空中にいるヤツをキッと睨みつけた。
《こッ……こンの……クソガキィィ!!》
ヤツの右腕はだらりと下がり、シュウシュウと黒い煙をあげている。かなりのダメージを与えたが、ヤツはまだ戦意を喪失していないようだ。
だが僕の左手にあるのは柄だけになってしまった木刀。まずい。今の一撃で武器を失ってしまった。これ以上は戦えない! そう思っていた時、美波がスッと僕を
「アキ、後はウチに任せて」
――チャキッ
空の魔人に向かってサーベルを構える美波。その姿は凛々しく、雄々しく、頼もしく見えた。
《クッ……! こ、ここまでかッ……!》
ギリッと剥き出した歯を食いしばり、魔人は向きを変えてフラフラと飛んでいく。諦めたのか? ……いや、もしかしたらフェイントかもしれない。引き上げたと見せて襲ってくるつもりなのかも! 念のため僕は身構えて警戒する。
「「…………」」
僕は瞬きすることも忘れて空を凝視する。もう僕に武器は無い。戦うのなら素手で戦うしかない。でも身長はヤツの方が圧倒的に上だし、ヤツには長い爪という武器がある。どう考えても僕の方が不利だ。
となれば、今戦えるのは美波だけ。かといって彼女1人に戦わせるわけにはいかない。ならば手はひとつ。今度こそ町に逃げ込むしかない。さぁ、ヤツはどう動く……?
「ねぇ、アキ?」
「シッ! 静かに!」
美波の言葉を遮り、僕は空をじっと見つめる。羽ばたき、空を飛んでいく魔人。ヤツはそのまま高度を上げ、みるみる小さくなっていく。……本当に諦めたのか……?
頼む! 諦めてくれ……! そう願いながら僕は空を見上げる。そうしているうちに魔人の姿は徐々に小さくなり、やがて黒い点となって空の彼方へと消えた。
「か……勝った……のか……?」
へたりとその場に座り込む。つ、疲れたぁ……。
「そうよアキ! ウチら勝ったのよ! やった! やったねっ!」
「へ、へへ……。ギリギリだったけどね……」
どうやら本当に諦めてくれたようだ。
トラウマにもなりかけた魔人との再戦。
結果は僕らの完全勝利だった。