《なァにがここにはいねェだ。嘘はいけねェなァ。女ァ》
ボディペイントでもしているかのような深い緑色の身体。金色の頭髪に真っ赤な瞳。ニタァと口の端を吊り上げたいやらしい笑み。そして頭の両脇から飛び出した2本の
「ギ、ギル……ベイ……」
《ヘッヘッヘッ……いよォヨシイ。久しぶりだなァ。ずいぶんと探したぜェ?》
ヤツは真っ赤な目を見開き、ニィッと牙を剥き出して笑みを深める。その無気味な笑みに僕は全身が凍りついた。
「逃げなさいアキ! ここはウチがなんとかするわ!」
《あァん? 俺はヨシイに用があんだよ。てめェはすッこんでろ。また痛い目を見てェのか?》
「面白くない冗談ね。アンタなんかに負けるもんですか! 今度こそ返り討ちにしてやるんだから!」
《ケッ。威勢のいいこッたな。けどてめェに用はねェ。そこをどけ》
「嫌よ。どうしてもどいてほしいというのなら力ずくでやってみせなさい!」
覇気に満ちた美波の声が周囲に
《チッ……面倒な女だ》
魔人はそう言うと徐々に表情を歪ませていき、
《あァァイラつくイラつくイラつくゥゥゥーーッ!! てめェはッ――》
――ドンッ!
《邪魔なんだよォォーーッッ!!》
凄まじい衝撃波と共に突進してきた。
「み、美波!!」
僕が叫ぶが早いか、美波はサッと飛び退き、魔人の拳を避けた。
――ドゴォッ!
魔人の拳は地面に突き刺さり、激しく土を撒き散らす。
「当たるもんですか!」
「や、やめろ美波!! 逃げるんだ!」
「いいからアンタこそ早く逃げなさい! ウチの苦労を無駄にする気!?」
「で、でも!」
「つべこべ言わずに行きなさい!」
だ、ダメだ美波……戦っちゃダメだ……ヤツは……ヤツは危険すぎる……!
《へェ。この前とはちッたァ違うようだな。だが……避ける方向を間違えてンぞ?》
地面に拳をめり込ませた魔人がゆっくりと顔を上げる。
《クックックッ……ほォら。守るべき相手がガラ空きだぜェ?》
顔を上げた魔人が赤い目でギロリとこちらを睨む。この世のものとは思えない。まさに悪魔のような形相だった。僕はその冷たい視線に背筋にゾクリと悪寒が走り、体中の筋肉が萎縮してしまった。
「ぁ……ぁ……」
ガクガクと膝が震え、逃げようにも身動きが取れない。そうしているうちに魔人はスッと立ち上がり、ズンズンと足音をたてながらこちらに向かって歩いてくる。ダメだ……こ、こいつには……勝てない……!
《待たせたな。なァに。すぐ終わるから心配すンな》
目の前に立ち塞がる魔人。2メートルはあろうかという巨体。その禍々しい姿は僕の恐怖心を一層掻き立てる。鉄人の威圧感など比べものにならない。ヤツの殺意は本物だった。
「う、うわぁぁーーーーっ!!」
思わず叫び、逃げようとする。しかし足が動かず、へたりとその場に座り込んでしまった。
――やられる!
そう思った瞬間、
「アキぃぃーーっ!」
ヤツの背後から飛びかかり、剣を振り下ろす美波の姿が見えた。
《邪魔だァ!》
「あうっ!」
振り向き様に鋭い爪で美波の剣を払う魔人。その衝撃で彼女は弾かれ、数メートル飛ばされる。しかしくるりと空中回転して着地すると、再び剣を構えて魔人に立ち向かって行く。
「やぁぁーーっ!!」
《しつけェなァ! てめェに用はねェッつッてんだろォがよォ!!》
「黙りなさい! アンタの相手はウチよ! アキに用があるのならまずウチをなんとかすることね!」
《あァァ!! ウざッてェなァ!! 何なんだてめェはよォ!》
「ウチは島田美波よ! 覚えておきなさい! それとこれも覚えておきなさい! アキはウチと一緒に元の世界に帰るの! だからアンタなんかにやらせはしない! 絶対に!!」
《何ワケの分かんねェことほざいてやがる! 俺が手ェ出せねェと思ッていい気になッてんじャねェぞォ!》
えっ……? 手を出せない? ど、どういうことだ? ヤツは美波に手を出せないのか? いやそんなはずは無い。現に今ヤツは美波と剣を交えているじゃないか。
「アキ! 何をやってるの! 早く逃げなさいって言ってるでしょ!」
《逃げンなヨシイ! てめェが逃げたらこの女を八つ裂きにしてやンぞ!!》
「ウチはこんなヤツにやられたりしないわ! だから行きなさい! 早く!!」
《ピーピーうッせェなァ! いいかげんにしやがれ! いつまでまとわり付いてきやがンだ!!》
「アンタが
火花を散らしながら剣を交える美波と魔人。魔人は美波を無視し、僕に向かって突進してくる。それを美波は素早く先回りして、剣を突きつける。「邪魔だ!」と爪を振り下ろす魔人。だが美波はパッと飛び退いてそれを避ける。そんな一進一退の攻防が幾度となく繰り返された。
《あァァ邪魔だ邪魔だ邪魔だァァァアアーーッッ!!!》
魔人は激しく苛立ち、攻撃がより乱暴になってくる。だが美波も負けてはいない。細身の剣を懸命に振るい、ヤツの鋭い爪の攻撃を受け流す。
力押しの魔人。これに対して美波は華麗な身のこなしで翻弄する。今のところ2人の力は拮抗しているように見える。でも、もし魔人の攻撃が当たれば美波の華奢な体では耐えきれないだろう。美波が攻撃を受けてしまう前になんとかしなくては……そう思いながらも僕には何もできなかった。く、くそっ! どうすれば……僕はどうすればいいんだ……!
美波と魔人の戦いを見つめながら僕は葛藤する。その時、
―― どうした明久ァ! お前の力はこんなもんか! ――
なぜか雄二の声が脳裏に響いた。
ゆ、雄二……? なんだよ! 今大変な時なんだからお前なんか出てくんなよ! と僕は頭の中で叫ぶ。けれど雄二の声は続いた。
―― なめてんのはテメェだ! お前は気持ちで既に負けてんだよ! ――
あれ? この台詞、前に聞いたような……?
―― いつまでもウジウジしやがって! ムカつくんだよ!! この臆病モンが!! ――
う、うるさい! そうさ! 僕は臆病者さ! 美波を失うのが怖くて子供みたいに震えてるだけの臆病者さ!
―― 俺が唯一認めたモンを無くしちまったお前はただムカつくだけの存在でしかねぇんだよ!! ――
雄二が認めたものって何だよ! そんなの僕には分かんないよ! そもそもお前に認めてもらったって嬉しくもなんともないよ! いいからあっちに行ってくれよ! 今はお前の声を聞いてる暇なんて無いんだから!
―― 美波ちゃんとは上手くいってますか? ――
えっ? 今度は姫路さん? 一体何なんだ? どうしてこんな時に皆の声ばかり思い出すんだ?
―― 美波ちゃんのこと、好きですか? ――
もちろんさ。今じゃ僕にとって一番大切な存在さ。だからこそ魔人と戦っている美波をどうしたら止められるか考えてるんじゃないか。姫路さん、教えてよ! 僕はどうしたらいいんだ!
―― 今のお前には信念がねぇんだよ! ――
!? な、何だよ! なんで急に雄二に戻るんだよ! 僕にだって信念くらいあるよ! 元の世界に帰るっていう信念が! でもこのままじゃその信念を貫き通せないんだよ! だから困ってるんじゃないか!
―― お前は困っていない。怯えているだけだ ――
あ、あれ? 雄二のこんな台詞、聞いたことないぞ? 僕が困ってない? 怯えているだけ? ……そうかもしれない。だって美波を失うのが怖いんだ……。
―― ならお前のやるべきことは1つだ ――
僕の……やるべきこと……。
―― 去年俺と殴り合った時のことを思い出せ ――
去年殴り合った時……?
確かこれは先日のクリスマスイブの時に雄二が言っていた言葉。だから『去年』とは、僕らが1年生だった頃のことを指していることになる。1年生の頃に雄二と本気で殴り合ったのは一度だけ。ボロボロになった美波の教科書を雄二が持っているのを見て、僕が勘違いして突っかかっていった時だけだ。あの時は美波の悲しむ姿を想像したら、頭がカッとなって体が動いてしまった。
……
そうだ。僕は美波の悲しむ姿を見たくないんだ。
《ハッハッハァーッ! 女ァ! おめェなかなか強ェじャねェか! 結構楽しめるぜェ!》
「くぅっ……」
僕が皆の声に惑わされている間にも魔人と美波の戦いは続いている。しかも美波が徐々に押され始め、防戦一方になりつつあった。
僕の……やるべきこと……。
そうか……そうだったね。
分かったよ。僕のやるべきこと。それはこうして震えていることじゃない。
―― 俺たち全員で元の世界に帰るぞ! ――
雄二……そうだね。帰ろう。皆で。
―― お主こそ島田を困らせるでないぞ ――
ごめん秀吉。もう困らせちゃったみたいだ。それから……たぶん今からもっと困らせてしまうと思う。
「きゃっ……!」
草に足を取られ、尻もちをつく美波。
《
そこへ魔人の丸太のような腕が振り下ろされる。
そうだ。僕は美波と一緒にいたい。
これからもずっと。
だから……だから今僕がやるべきことは、ただ1つ!
美波を守り、一緒にガルバランド王国に――元の世界に帰ることだ!!