私たちは王都モンテマールに戻ってきた。ヒルデンさんは別の仕事が待っているそうなので町の西門で別れ、王妃様への報告にはニールさんが同行してくれることになった。町の中は安全。ニールさんの足取りも軽い。こうして私たちは元来た道を戻り、王宮正門前にまでやってきた。
「さぁ皆さん、早速王妃様へ報告を」
「んむ。そうじゃな。2人とも行くぞい」
そう言ってニールさんを先頭に木下君、土屋君が入っていく。それじゃ私も……と思ったら、
「待て待て。君はそのまま入れるわけにはいかん」
警備の兵士さんに止められてしまった。なぜか私だけが。
「どうしてですか? 王妃様に報告に行くだけなんですけど……」
この兵士さんには出がけに王妃様の指示でマトーヤ山に行くことを伝えている。だから報告に戻ってきたことも分かっているはず。それなのになぜ止められたのかしら。もしかしてさっきの戦闘で服が汚れているから?
「報告に行くのはかまわんが、その動物を連れて入られては困るのだよ」
「動物?」
あ……この仔山羊ちゃん? そういうことですか。
「その子を放置するわけにもいかぬな。やむを得んじゃろう。お主はここでその子と共に待っておれ。王妃殿への報告はワシとムッツリーニで行ってこよう」
「分かりました。すみませんがお願いします」
「んむ。では行くぞいムッツリーニ」
「…………了解」
木下君と土屋君はニールさんに連れられ、門の中へと入って行った。これで腕輪を譲ってもらえれば私たちの使命は終わる。もし3つの腕輪の中に白金の腕輪があれば皆で元の世界に帰れる。でも帰る前に――――
「ミィー!」
この仔山羊ちゃんを育ててくれる人を探さなくちゃ。
「どうしたの? 遊んでほしいの?」
「ミィィー!」
この仔山羊ちゃんの声、ホントに猫によく似ている。本来、山羊の鳴き声は「メェ」。でもこの子の声はトーンが高くて「ミィ」に聞こえてしまう。
「違うのかな? それじゃお腹が空いたの?」
「ミィー!」
仔山羊ちゃんはピコピコと短い尻尾を一生懸命に振り、つぶらな瞳で私を見上げている。でも困った。何を聞いてもミィとしか答えないから、この子が何を訴えているのか分からない。
「困りましたね……どうしたらいいんでしょう……」
しゃがんで仔山羊ちゃんの頭を撫でながら私は鳴き声の意味を考える。でもやっぱり私に思いつくのは遊んでほしいのか、お腹が空いたのか、のどちらか。他にどんなことが考えられるんだろう……?
「お腹が空いているみたいだね」
「えっ?」
突然背後から話しかけられ、びっくりして振り向いた。すると私の後ろでは槍を手にした甲冑姿の男の人が優しく微笑みかけていた。それは王宮の警備をしていたもう1人の兵士さんだった。
「分かるんですか? おじさま」
「実は私の知り合いが山羊の飼育をしていてね。色々と教えてもらったんだ。この仕草はたぶんお腹が空いてるんだと思うよ」
「そうなんですか?」
「たぶんそうだと思うよ」
「じゃあご飯をあげないといけませんね」
あ、もしかして知り合いって洞窟の前を通りかかったあの遊牧民みたいな格好の人かな? 名前は確か……ルイスさん、だったかな。
「ところでこの子の名前は?」
「えっ? 名前……ですか?」
そういえば名前をまだ決めていなかった。確かに”仔山羊ちゃん”じゃ可哀想。名前を付けてあげなくちゃ。でもどんな名前がいいのかしら?
「えっと……」
身体が白いからシロちゃん? なんだか犬みたい。ユキちゃん……だと私の昔のあだ名になっちゃうし。じゃあ、ミィと鳴くからミーちゃん? これじゃ今度は猫みたい……。ん~っと……他に何か可愛らしい名前は……。
……
可愛らしい? 愛らしい……アイちゃん!
「決めましたっ! この子はアイちゃんです!」
「へぇ、仔山羊のアイちゃんか。でもこの子は男の子だよ?」
「えぇっ!? そ、そうなんですか!?」
てっきり女の子だとばかり思ってた……。
「それじゃもっと男の子らしい名前がいいですね」
「どうだろう。別に男の子がアイちゃんでもいいんじゃないか?」
「そうですか?」
「別に名前に取り決めなんて無いからね。どんな名前を付けようが自由さ」
「そうですね! そうですよねっ!」
「ミィー!」
「はいはいっ。お腹が空いてるんですね」
えっと、確か山羊の食事は草や葉っぱだったはず。干し草とかがいいのかな? でも干し草ってどこに行けば買えるのかしら。
「この子は生後1週間くらいかな。だとしたらもう草が主食だね」
鎧の兵士さんはそう言って王宮の柵の中に手を伸ばし、庭木から数枚の葉を取ってアイちゃんの口元に差し出した。するとアイちゃんは美味しそうにパリパリとその葉を食べ始めた。
「こんな木の葉っぱでもいいんだけど、穀物類がいいかな。あと根菜類なんかもいいね。それと水はあまり飲まないから一日一回程度にね」
「お野菜でもいいんですね。それなら一緒に食事ができそうですね」
「そうだね。あぁそれと山羊は高い所が好きだから、しゃがんでいると背中に登ったりするから気を付けた方がいいよ」
「そうなんですか……勉強になります。ありがとうございます」
「いやぁ実は私も山羊を飼ってみたいと思っていてね。それで飼い方を勉強していたんだよ」
「それじゃあ、お
「いや、それが家内に反対されてしまってね。だから友人の所に遊びに行って我慢してるのさ」
「そうだったんですか」
「ニィー!」
「ははは、もっとご飯がほしいみたいだね」
「そうみたいですね。ふふ……」
でもご飯と言っても今は食べる物なんて持っていないし……買いに行くにしても木下君と土屋君を置いては行けない。2人とも早く戻って来ないかなぁ……。
そう思って王宮の敷地内に目を向けると、正面の扉から誰かが出てくるのが見えた。茶色いマントを身体に巻いた2人は中庭を歩き、こちらに向かってくる。あの姿は木下君と土屋君だ。
「チームメイトが戻ってきたみたいです。私、行きますね」
「あぁ、その子を大切にしてやってくれよな」
「はいっ! 色々とありがとうございました!」
ペコリと頭を下げ、私は木下君たちの元へと向かった。後ろからはアイちゃんがトコトコとスキップをするようについてくる。
「土屋君! 木下君! どうでしたか~っ?」
私は走りながら彼らに声を掛ける。けれど次第に見えてきた木下君の表情は期待していたような笑顔ではなかった。どうしたのかしら。もしかしてダメだった……? とにかく聞いてみよう。
「お帰りなさい木下君、土屋君」
「んむ。ただいまじゃ」
「…………ただいま」
腕組みをしながら難しい顔をしている木下君。それに対して土屋君の表情はいつもと変らないみたい。
「どうでした? 腕輪、貰えました?」
「……すまぬ」
「ダメだったんですか……」
「いや、完全に断られたわけではないのじゃ。実はな――――」
木下君は王宮内での王妃様との話について教えてくれた。
まず、洞窟から魔獣を排除したことについて、王妃様は信じてくれなかったらしい。もちろん木下君は猛反論。魔獣との戦いについて詳しく説明したそうなのだけど、それでも信じてくれなかったらしい。何を言っても「証拠を見せよ」と言うばかりの王妃様。けれど証拠となるものなんてなかったので木下君たちにはそれを証明することはできなかった。でもニールさんが口添えしてくれて、なんとか王妃様も納得してくれたという。
ただ、ここからが問題だった。「では保冷庫の中身は無事だったのだな?」と聞かれ、木下君は数個の木箱を壊してしまったことを正直に伝えたらしい。すると王妃様は怒りだし、それでは報酬はやれないと言い出したという。
それでは約束が違うと木下君と土屋君は猛抗議。けれど王妃様は「ならぬならぬ」の一点張り。そこで木下君は、ならばもうひとつ交換条件となる仕事を出してもらいたいと願い出た。すると王妃様は渋々了承。更なる交換条件を出してきたという。
その条件とは、カノーラという町に住む
つまり、台無しにした食料の代償として、このレスターという機織り職人をこの王宮に連れてくる。もうひとつの交換条件とは、つまりそういうことらしい。
「すまぬ。こうするほか手が無かったのじゃ」
「でもその職人さんをお連れするだけでいいんですよね? それなら簡単なんじゃないですか?」
「いや……それがな姫路よ。この御人、相当な頑固者のようでな。これまで百回を超える招致にも応えなかったそうじゃ」
「ひゃ、百回ですか……」
「んむ。恐らくワシらのような初対面の者が頼み込んだとしても聞いてはくれまい」
「…………力ずくで引っ張ってくるか」
「無理はいかん。あの様子からして王妃殿は特注のドレスを作らせるつもりなのじゃろう。強引に連れて来ても言うことは聞かぬぞい?」
「…………確かに」
「でもレスターさんをお連れすれば今度こそ腕輪を譲ってくれるんですよね?」
「んむ。それは約束してもらったぞい」
「それならもうやるしかないじゃないですか。行きましょう! なんとかお願いしてレスターさんに来てもらうんです!」
「そうじゃな。ここであれこれ悩んでいても始まらぬな」
「ミィ~?」
木下君たちと話していたら、足下から鳴き声が聞こえてきた。そうだ、アイちゃんにご飯をあげなくちゃ。
「木下君、土屋君、とりあえず今日は宿を取りませんか? アイちゃんにご飯をあげたいんです」
「「…………アイちゃん??」」
2人に思いっきり首を傾げられてしまった。そういえば名前のことをまだ言ってなかったっけ。
「”アイちゃん”っていうのは、この子の名前なんです。男の子らしいんですけど、アイちゃんって付けちゃいました。どうですか? やっぱりおかしいですか?」
「なるほどのう。良いのではないかの」
「…………異議なし」
「本当ですか!? ありがとうございます! 良かったねアイちゃん。皆賛成してくれたよ?」
「ミィー!」
「ふふ……」
「それにしても姫路よ、よくこの仔山羊が男の子と分かったのう。ワシには見分けがつかぬぞい」
私には木下君も男の子か女の子か見分けがつきません。そんな言葉が喉まで出掛かってしまった。
「そ、そこの警備のおじさんが教えてくれたんです。ご飯のこととかも教えていただいたんです」
「なるほど。そういうことであったか。さすればまずはペット可の宿を探さねばならぬな」
「そうですね。それじゃ早速町に戻って探しましょう」
☆
私たちは多様なお店の立ち並ぶ繁華街に戻り、ペット同伴が可能なホテルを探した。ホテル自体は沢山あった。けれども、どのホテルもペットは勘弁してくれと断られてしまった。そうして泊まれるホテルを探し続け、6軒目でようやく〔裏庭に繋いでおくこと〕を条件に泊めてくれるホテルを見つけることができた。その時、空には大きな満月が昇っていた。
ひとまず寝る場所を確保した私たちは夕食を取ることにした。とはいえ、町に出て飲食店へ……というわけにはいかない。アイちゃんがいるから。そこで私たちは3人で相談し、「すぐに食べられる物を買ってこよう」ということになった。
でも土屋君は腕に怪我をしているし、木下君もお腹に打撲傷がある。買い出しに行くのなら無傷である私が適任だと思っていた。ところが木下君は「自分が行く」と言い、お財布を手に慌てた様子で出て行ってしまった。どうしたんだろう? と土屋君に聞いてみても分からないと言う。変な木下君。でももう行ってしまったから仕方が無い。それなら私はアイちゃんの世話をしようかな。
「ちょっとアイちゃんの様子を見てきますね」
「…………俺も行く」
「ダメですよ。土屋君は怪我をしているんですから。安静にしていてください」
「…………この程度問題ない」
「いいえダメです。明日はカノーラに行くんですから今は少しでも傷を癒してください。これはリーダー命令ですよ」
「…………分かった」
少し不満そうな顔をしながら土屋君はベッドに入る。ひょっとして土屋君もアイちゃんと遊びたいのかな? でも今は怪我を治してほしい。
「ちゃんとベッドで寝ていてくださいね。それじゃ行ってきますね」
私は土屋君がベッドに横になるのを確認し、部屋を出た。
アイちゃんはホテルのオーナーに指示されたとおり、裏庭で待たせている。借りた部屋は2階。私は階段を降りて1階へ。そして宿舎の横の通路を抜け、裏庭に向かった。
裏庭に入って目に留まるのは一本の小さな木。高さ3メートルほどのその木の袂には、白い身体の仔山羊が足を折り曲げて座っていた。その子は私の姿を見るとすっくと立ち上がり、
「ミィー!」
と、鳴きながら駆け寄ってきた。こういった仕草はまるでワンちゃんみたい。
「ご飯はもうちょっと待ってね。今、木下君が買いに行ってますからね」
そう言葉を掛けながら私はそっと背中を撫でてやる。するとアイちゃんは理解してくれたのか、再び座り、大人しく待つ様子を見せた。なんて賢い子なんだろう。
そうだ、今のうちにお水を用意しておこう。きっと喉が渇いてるだろうし。
「お水を持ってくるから待っててね」
この裏庭はホテルの建物の裏側。広さは大体5メートル四方くらいで、そんなに広くない。地面は茶色い土。ほとんど草も生えていなくて、歩くと砂ぼこりが舞い上がるくらい。
既に空は真っ暗だけど、この庭は壁に取り付けられた魔石灯から橙色の光が降り注いでいて、とても明るい。その柔らかな光の効果か、その空間は幻想的な雰囲気で満たされていた。
辺りを見渡すと、庭の脇に水道と桶が設置されているのが見えた。きっと散水用だろう。アイちゃんに水を与えるのに丁度良さそうなので、私はそれを借りることにした。
早速桶に水を少量注いで持って行くと、アイちゃんは立ち上がり、口をつけて飲みはじめた。ピチャピチャと音をたてておいしそうに水を飲むアイちゃん。私はしゃがんでその様子をじっと見つめる。そうして眺めていると、どうしてもあの洞窟での出来事が思い浮かんできてしまう。
……あの魔獣は倒さなくてはいけなかったのかな。元に戻すことはできなかったのかな。そもそもなぜあんな姿になってしまったんだろう。それになぜ人を襲うんだろう。
明久君も魔獣に襲われて戦ったと言っていた。どうして戦わなくちゃいけないのかな……人と魔獣が共存することはできないのかな……。
『うわわっ!? なっ、なんじゃ!? これ! よさぬか!』
思い耽っていると、突然後ろの方から声が聞こえてきた。これは木下君の声?
『ま、待つのじゃアイ殿! それは袋じゃ! これ! 引っ張るでない!』
振り向くと、後ろ足立ちをして木下君に飛びついているアイちゃんの姿があった。
「あれっ? アイちゃん?」
アイちゃんなら目の前で水を飲んでいるはず。そう思って桶に目を向けると、そこにアイちゃんの姿は無かった。いつの間にあそこまで移動したのかしら……。
『ひ、姫路よ! 見ておらんでなんとかするのじゃ!』
アイちゃんは押し倒さんばかりの勢いで木下君に何度も飛びついている。どうも木下君の持っている紙袋を狙っているみたい。
「お帰りなさい木下君。その袋は何ですか?」
「野菜の類いじゃ。アイ殿にはこれが良かろうと思うてな。これ! 待たぬか! 袋ごと食うでない!」
「ふふ……さすが山羊の子ですね。木下君、その野菜をこっちの桶に入れてもらえますか?」
「承知した。じゃがその前にこの子をよけてくれぬかの」
「はいっ」
私が抱っこしてやるとアイちゃんはジタバタともがき、木下君の元へと向かおうとする。ふふ……本当に元気な子。
「この桶にそのまま入れてよいのか?」
「はい。そのまま入れちゃってください」
木下君がキュウリやキャベツのような葉っぱをゴロリと桶に入れる。それを確認した私はアイちゃんを放してやった。するとアイちゃんはタタッと桶に駆け寄り、凄い勢いで野菜を食べはじめた。それはもう”モリモリ”と音が聞こえてきそうなくらいの勢いで。
「
「きっとお腹が空いてたんですね」
「姫路よ、ワシらも食事にせぬか? 肉まんのような物があったので買ってきたのじゃ」
「あ、はいっ」
「ところでムッツリーニはどこじゃ? 部屋におるのか?」
「はい、ベッドで安静にして――」
「…………呼んだか」
!?
「つ、土屋君!?」
「…………そんなに驚くな」
「お、驚きますよ! いつ降りてきたんですか!」
「…………今だ」
「そ、そう……ですか……」
「ムッツリーニよ、動いて大丈夫なのか?」
「…………痛みはほとんど無い」
「そうか。それは何よりじゃ」
もう痛みが無い? あんなに血が出ていたのに、もう治ってしまったの?
「土屋君、本当に大丈夫なんですか?」
「…………このとおりだ」
土屋君はぐるぐると左腕を回してみせた。確かに彼の表情には余裕がある。嘘ではなさそう。
「ふむ……姫路よ、せっかくじゃからここで皆で食事をせぬか?」
「えっ? ここで、ですか?」
「んむ。アイ殿もおるでな」
そうか、ここならアイちゃんを含めて皆で食事ができる。
「私は構いませんけど……でもいいんですか? こんな埃っぽい所で」
「発案者のワシが断るわけがなかろう?」
「…………俺も構わない」
「分かりました。それじゃ皆でご飯にしましょう!」
「んむ」
そんなわけで今夜は私と木下君と土屋君、それにアイちゃんの4人で屋外での食事となった。私たちの食事は木下君の買ってきてくれた肉まん(のようなもの)。見た目は普通の肉まんだったけど、食べるとエスニックな香ばしさが口一杯に広がった。アイちゃんは変わらず野菜を美味しそうに食べている。
話は木下君が演劇の話で大盛り上がり。昼間の魔獣との戦いで”大立ち回り”ができたのが嬉しかったみたい。そんな嬉しそうな木下君の話を聞いていると、私もなんだか嬉しくなってきてしまい、知らず知らずのうちに笑顔になってしまう。
そうして楽しく会話しているうちに、少しずつ、私の自責の念も薄れていくのでした。