バカと仲間と異世界冒険記!   作:mos

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第三十話 追ってはるばるバルハトール

 馬車乗り場で時刻表を確認すると、次のバルハトール行きは午後だった。バルハトールへ向かう馬車は本数が少ないらしい。あと2時間もあるのか。こんなことなら急ぐ必要は無かったな。だが今それをどうこう言っても仕方がない。待つしかないのだから。そんなわけで俺たちはひとまずメランダの町で適当に時間を潰すことにした。

 

 

 ――2時間後。

 

 

 午後になり、乗り場で待っていると時間通りに馬車がやってきた。2頭の茶色い毛並みの馬が引く10人乗りの客車。今まで何度か乗った馬車と同じ型だ。と言っても、この世界でこの型以外の馬車など見たことはないのだが。

 

 俺たちはその馬車に乗り、バルハトールへと向かった。目的地までは約3時間半かかるらしい。オルタロードからメランダまでは5時間だったが、それより短いな。なら少しは楽か。走り出した馬車の中、俺はこんな風に楽観的に考えていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 メランダの町を出発してから1時間が経とうとしている。

 

「うぅっ……ぐふ……」

 

 馬車は険しい山道に入り、山脈の合間の細い道を縫うように走っている。道は複雑に曲がりくねり、客車は上下左右に大きく揺れる。オルタロード・メランダ間の馬車も酷い揺れだったが、こいつはその比ではない。まるで地震体験車の中にいるようだ。そのあまりに激しい揺れに、普段乗り物酔いなどしない俺もさすがに気分が悪くなっていた。

 

「……雄二。大丈夫?」

「こ……これが大丈夫に見えるのなら……が、眼科に行った方が……うっ……」

 

 こ、この俺が……乗り物酔いをするとは……うぅ……き、気持ち悪い……た、頼む。早く着いてくれ……。

 

「……遠くの景色を見ていれば良くなる」

「そ、そうだな……」

 

 馬車の客車は数本の木製の枠組みに厚手の布を被せた簡単な構造。窓は車体を覆っている布に40cmほどの四角い穴を開け、それを塞ぐように布を当てて上側を縫い付けただけの簡易的なものだ。翔子にその布をめくってもらい、俺は窓から身を乗り出して頭を外の風に晒してみた。

 

 ――ゴォッ

 

 頭を出した瞬間、氷のように冷たい風が頬を叩くように吹き抜ける。鼻水もツララとなって凍りつきそうなくらいの冷たさだ。このまま頭を出していたら顔面が凍傷になりそうだが、今は気持ち良い。座席でただ座っているだけより遥かにマシだ。

 

 俺は寒さを(こら)えながら、しばしの間、風に顔を晒す。そうしていると少しだけ気分が良くなってきた気がした。翔子が背中を(さす)ってくれているのも効果があるのかもしれない。

 

 それにしても翔子に介抱してもらうとは我ながら情けない。あと2時間以上もこの屈辱に耐えなければならないのか……。

 

「……雄二。あれを見て」

「すまん。そんな余裕は……ない……」

「……あんなところにお城がある」

「そ、そうか。こんな世界なんだ……城くらい……あるだろう……」

「……町の中じゃない所にひとつだけお城があるなんて変」

「俺たちの常識は……うぐっ……通用しねぇことも……お、多いんだよ……ち、ちょっと静かにしてて……くれねぇか……」

 

 翔子は俺の気を紛らせようと話し掛けているのだろう。でなければいつも無口なこいつがこの程度のことで話し掛けてくるとは思えない。この時の俺は余裕が無く、翔子の話をこの程度にしか思っていなかった。

 

 

 ――そして更に1時間後。

 

 

 俺はようやくこの苦しみから開放された。道がなだらかになったのだ。おかげで馬車の揺れは緩やかになり、体を揺すぶられることもなくなった。とはいえ、まだ頭がぼぅっとしているし、胸もムカムカする。結局、俺はバルハトールに着くまでの間、馬車の中でぐったりとしていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 メランダを出てから3時間半。馬車はついに町に到着した。

 

「うぅ……やっと着いたか……」

 

 ここは山岳奥地の町、バルハトール。この町に腕輪を持った赤い髪の女、リンナがいるはずだ。

 

 とにかく一刻も早く足を地に着けたい。俺は馬車の停止と共に立ち上がり、フラつく頭を支えながら出口へと向かった。やれやれ……地獄のような3時間半だった。まだ頭がフラフラするぜ……。

 

「……雄二」

「あァ? 何――どわぁっ!?」

 

 馬車から降りようと足を踏み出した途端、急にガクンと膝が抜け、俺はすっ転んでしまった。

 

「……まだ足場がないから気を付けてって言おうとした」

「そ、そういうことは早く言え!」

「……ごめんなさい」

「いっててて……」

 

 クソッ、顔面から転んじまった。俺としたことが、なんてみっともない真似を……馬車酔いのせいですっかり調子が狂っちまったぜ。

 

「と、とにかくリンナって女を捜すぞ」

「……うん」

 

 俺は立ち上がり、まずは町の様子に注目してみた。現在位置は頭に入れている。地図上ではこの町に繋がる道は東側からの1本のみ。つまり馬車が入ったのは町の最東端。今の俺たちはそこから西を見ていることになる。

 

 一番に目に入ってくるのは、やはり巨大な魔壁塔(まへきとう)だった。しかしずいぶん近くに見えるな。そう思い、ざっと左右を見渡してみてその理由が分かった。

 

「結構狭い町なんだな」

 

 東の端であるこの位置からでも、左右から正面奥にかけての外周壁がすべて見える。どうやらここはメランダよりも更に狭いようだ。見た感じではメランダの半分。直径1kmってところだろうか。

 

「……雄二。あっちの方が賑やか」

 

 翔子の指差す先には大きな柱が2本立っていて、その上には大きな看板が渡されていた。俺たちの世界でもよくある商店街の入り口を示すものだ。その看板には”バルハトールモール”と書かれている。なんとも語呂の悪い名前だ。まぁいい。この先が商店街ってことだな。

 

「よし、行ってみるか」

「……うん」

 

 俺たちは早速その商店街に入り、周囲の様子に目を配った。そして思った。

 

 ……酒場だらけじゃねぇか。

 

 それに町を歩いているのもガタイのいい男ばっかりだ。一応男以外もいるが、老人ばかりのメランダとはえらい違いだな。っと、いけねぇ。日が暮れ始めたようだ。さっさと捜さねぇと人がいなくなっちまう。まずはあの道のド真ん中で井戸端会議中のオバチャン3人にでも聞いてみるか。この規模の町ならば名前を出せばすぐに情報も出てくるだろう。

 

 俺は早速お喋りに夢中のオバチャンたちに近付き、声を掛けてみた。

 

「えーと。お楽しみのところ恐縮です。少しお話しを伺いたいのですが」

「うん? 何だいアンタら。見かけない顔だね。どこから来たんだい?」

 

 この台詞。「この町の人なら全員知ってるよ」とでも言わんばかりだ。まぁオバチャンとは元来そういう生き物だと聞く。言葉どおり、この町の大抵のことは把握しているのだろう。それは俺たちにとっては都合が良い。

 

「実はリンナという赤い髪の女性を捜してここまで来たんですが、どこにいるか知りませんかね?」

 

「「「……」」」

 

 俺が尋ねると3人のオバチャンは急に眉をひそめ、黙り込んでしまった。この疑いの眼差し。俺たちを怪しんでいるのだろうか。

 

「前にメランダの酒場で働いていた人なんです。もし知っていたら教えていただけませんか?」

 

 俺はできる限りの真面目な顔を作り、頼み込んでみた。するとオバチャンたちは顔を寄せ、ヒソヒソと内緒話を始めた。

 

 こちらの素性を言わずにいきなり聞いたのはマズかっただろうか。だが”俺たちが異世界の人間だ”なんて話をしてこのオバチャンたちが理解できるとも思えん。気が触れた頭のおかしい奴だと思われて何も答えてくれなくなるだろう。やはり必要最低限のことだけを聞くのが正解だ。

 

「アンタ、リンナちゃんに何の用だい?」

 

 オバチャンのうちの1人がこんなことを聞いてきた。こう聞いてくるということは間違いなくリンナという女のことを知っている。だが余所者には簡単に情報を漏らせない。つまりそういうことなのだろう。では怪しまれないように情報を聞き出すにはどんな返事が良いか? その答えはこうだ。

 

「実はメランダの酒場ですっかり彼女のファンになってしまいましてね。ぜひもう一度彼女の働く店に行ってみたいと思い、遥々この町までやってきた次第です」

 

 うむ。我ながら実に(もっと)もらしい理由だ。

 

「あぁそういうことかい。分かるよアンタの気持ち。リンナちゃんは美人だからねぇ」

「そうそう。アタシもあの子が越してきた時はどこのモデルさんかと思っちまったくらいだよ」

「えぇ、そうなんですよねぇ~。ハハハッ!」

 

 と話を合わせて笑ってみせる。ま、俺は顔も知らねぇんだけどな。

 

 ……ハッ!

 

「……雄二……やっぱり……(ゴゴゴゴ)」

 

 マズい! 翔子が俺の嘘を信じている!

 

(ちょ、ちょっと待て翔子! 今のは方便だ! 情報を聞き出すための嘘なんだよ!)

「……いつリンナさんに会いに行ったの」

(だから違うっつってんだろ! この世界に来てからずっとお前と一緒にいただろうが!)

「……目を離した時もある」

(嘘をつけ! いつ目を離したってんだ! 一時(いっとき)たりとも俺から離れなかったくせに!)

「……雄二がトイレに行ってる時」

(俺は瞬間移動の能力者か!? そんな一瞬で会いに行けるわけねぇだろ!)

「……本当に?」

(あぁ本当だ。というか俺にそんな能力があるとでも思ってんのか?)

「……」

(いいかよく聞け。今は腕輪を取り返すのが最優先だ。とにかくここは俺を信じて任せろ)

「……分かった。雄二を信じる」

 

 やれやれ、やっと信じてくれたか。本当に疑り深いな翔子は……。見ろ、翔子が余計なことを言ったせいでオバチャンたちが変な目で見てるじゃねぇか。仕方ねぇ。ここは一発芝居を打って信用させてやるか。

 

「失礼しました。今のは内輪話ですのでお気になさらず。それでリンナさんってこの町でも働いてるんですかね? あの子の注ぐ酒は最高に美味いんですよ。あぁ、もう一度会いたいなぁ」

 

 あぁ白々しい。自分で言っておいてナンだが、なんて臭い台詞だ。秀吉がいればもっとちっとマシな言い回しを考えさせるんだがな。けどオバチャンたちの硬い表情が少し柔らかくなったようだ。へへっ、俺の演技も結構イケてるのかもしれねぇな。

 

「残念だけどね……」

「ん? 何が残念なんだ?」

 

 オバチャンたちは深刻そうな表情で顔を見合わせる。この表情と「残念だけど」という台詞の組み合わせ。何か嫌な予感がした。

 

「実はリンナちゃんね、行方不明なんだよ」

 

 …………は?

 

「ゆ、行方不明だと!? そんなバカな! 1週間前に旦那と一緒にここに越してきたって聞いて来たんだぞ!? それが行方不明とは一体どういうことだ!!」

「どういうことって聞かれてもアタシは知らないよ」

「やっと居場所を突き止めてこんな山奥まで来たってのにそんなバカな話があるか!」

「アンタそんなにリンナちゃんに惚れ込んでるのかい? でも残念だったね。あの子には旦那と子供が1人いるんだよ」

「そんなことはどうでもいい! 俺の目的は腕輪だ! どういうことなのか説明してくれ!」

「……雄二、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか! こんなに苦労してようやくここまで来たんだぞ! 今までの俺の苦労は無駄だったってのか!!」

「……雄二!」

「くっ……」

 

 俺自身、このオバチャンに詰め寄ったところで意味がないことくらい分かっていた。オバチャンに罪はない。分かっていても俺には自分を止めることができなかった。

 

 へらへらと自らの演技に酔い()れていた自分が腹立たしかった。こんな事態になっているというのに、のん気なことを言っていた自分が恥ずかしかった。とにかくこの頭の中で渦巻くどうしようもない怒りを吐き出したかった。だから目の前にいた3人の中年女性に当たり散らしてしまったのだ。それがいけないことだと知りながらも。そしてそんな俺を翔子は止めてくれたのだった。

 

「フ~ン……ねぇアンタ、リンナちゃんに会うことがそんなに大事なのかい? まるで生死にかかわる問題みたいじゃないか」

「あぁ……俺たちの未来が掛かってるんだ……」

「未来だって? そんな大そうなもんかい?」

「すまねぇ。詳しくは言えないんだが事情があってな。どうしても会う必要があったんだ……」

 

 けどこうなっちまったらもうどうしようもねぇ。こんな狭い町で行方不明ってことは、既に町を出たかどこかに隠れているかどちらかだ。それも人目に付かないようにしている時点で探すのは困難を極める。こうなったらもう明久や姫路が白金の腕輪を持ち帰るのを期待するしかないのか……。

 

 俺は馬車酔いのダメージもあり、すっかり気力を失い、がっくりと項垂れてしまった。

 

「……おばさま。リンナさんの旦那さんのことは知ってますか」

「あぁ知ってるよ?」

「……どこに住んでいるか教えてもらえますか」

「そうだね。旦那のトーラスなら何か知ってるかもしれないね。あの人の家はこの道を真っ直ぐ行って3つめの角を左に曲がって――」

 

 俺が放心状態に陥っている中、翔子はオバチャンたちから何かを聞き出しているようだった。……あいつは俺よりも冷静だった。この時の翔子の気転が無かったら俺はここで燃え尽きていたかもしれない。

 

「……雄二。旦那さんに会いに行こう」

「あぁ……そうだな……」

 

 行くだけ行ってみるか。あまり期待はできないけどな……。

 

「……おばさま。ありがとうございます。行ってみます」

「そうかい。トーラスもそろそろ仕事から帰ってる頃だろうし、ちょうどいいかもね。あの人、リンナちゃんがいなくなってからずっと鬱ぎ込んでるんだよ。少し話し相手になってやっておくれ」

「……はい。お力になれるか分かりませんが、行ってみます。ありがとうございました」

 

 翔子が丁寧に頭を下げる。翔子がこうして礼を尽くしているというのに俺が突っ立っているわけにもいかない。リンナの旦那を慰める気など無いが、一応俺も頭を下げ礼をしておいた。

 

 こうして俺たちはリンナの旦那トーラスの家へと向かうことになった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 魔石灯の明かりが照らす繁華街。どの店からも楽しげな笑い声が聞こえてくる。酒に酔った男どもが騒いでいるのだろう。俺はそんな笑い声を耳障りに思いながら重い足を運び、薄暗い道を歩いていた。

 

「……賑やかな町」

 

 前を歩く翔子がポツリと呟く。

 

「この町は坑夫の多い町なんだろ。坑夫ってのは炭坑や鉱山で採掘する仕事をしている男の事だ。大方(おおかた)仕事帰りの男どもが呑んで騒いでるんだろ」

 

 面倒だったが何か答えるべきだと思った俺は、ぶっきらぼうにそんな答えを返した。坑夫という職の男どもの生態を知っているわけではないが、この回答は間違ってはいないと思う。そんなことより問題はリンナだ。まさか行方不明とは……まいったぜ……。

 

「……雄二」

「なんだよ」

「……元気を出して」

「ンなこと言ったってよォ」

「……まだ終わってない。希望を捨てちゃダメ」

 

 俺は翔子の後ろを歩いているから、あいつの表情は分からない。だがなんとなく想像が付く。きっといつものようにポーカーフェイスで言っているのだろう。こんなにもポジティブで熱のこもった台詞を口にしているというのに。

 

 ……

 

 フ……。まさか翔子に励まされるとはな。

 

「そうだな。まだ終わっちゃいねぇな」

 

 行方不明と聞いてすっかり諦めちまってたが、まだ希望はある。表向きは行方不明ということにしているだけかもしれない。本当は人に言えない理由で人前に出られないだけなのかもしれない。そう、例えば重い病で()せっているとか。それに腕輪だって家に保管されている可能性がある。もしリンナがいなくても腕輪さえ手に入れば俺たちの目標は達成できるのだ。

 

「……ここみたい」

 

 俺がちょうど意欲を取り戻したその時、トーラスの家に到着した。今まで見てきた家々と変わらず平屋の石造り。窓から明かりが漏れているということは、中に誰かがいるのだろう。旦那のトーラスだろうか。

 

「よし、俺が行く」

「……うん」

 

 ――トントン

 

「ごめんください。トーラスさんいらっしゃいますか」

 

 

 ……………………

 

 

 中から返事は無い。どういうことだ? 明かりが点いているということは誰かがいるはずだ。出られない理由でもあるのか? もしやリンナが寝込んでいるのか? そう思った瞬間、扉がガチャリと開き、中から1人の男の子が出てきた。

 

「……? 兄ちゃん……だぁれ?」

 

 あどけなさの残るおかっぱ頭の男の子。背丈からして4歳くらいだろうか。髪の色は茶色だが赤に近く、瞳の色はグレー。容姿からは日本人とは思えないのに日本語を話しているのはこの世界の人間共通だ。

 

「あー。俺たちは――」

 

 そうか、この子はリンナの子供か。なるほど。赤い髪は母親譲りってわけだな。

 

「リンナ――お母さん、いるかな?」

 

 俺は笑顔を作り、男の子に向けた。子供の扱いに慣れているわけではない。けれどこうして警戒心を解くのが大事であることは知っている。

 

「…………いない。遠くでお仕事」

 

 なんだと? 行方不明じゃないのか? こいつは何かありそうだ。やはり父親に話を聞く必要がありそうだな。

 

「じゃあ、お父さんはいるかな?」

 

 男の子は怯えたように扉の陰に半身を隠し、首をフルフルと横に振った。いないのか。それじゃ話ができないな。この子じゃ理解できないだろうしな。さて、どうするか……一旦出直した方がいいだろうか。

 

「お父さんはいつ頃帰ってくるかな?」

「……」

 

 できるだけ優しく聞いたつもりだが、男の子は心を開かないようだ。やはり母親の身に何かあったのだろうか。いや、見ず知らずの俺を警戒しているだけかもしれない。

 

『コラァーッ! 何だてめぇらぁーッ!』

 

 その時、後ろの方から男の声が響いてきた。声の感じからしてお友達になりたいようには聞こえない。悪い予感がして振り向いてみると、道の向こうからガタイのいい男がピッケルを振りかざしながらこちらに走って来るのが見えた。

 

「んげっ!?」

 

 やべぇ! 人さらいか強盗と間違えられてねぇかコレ!?

 

「とーちゃん!」

 

 慌てふためいていると男の子が向かってくる男に対してそう叫んだ。父ちゃんだと? あれがトーラスか! って、話ができる状況じゃなさそうだ!

 

「走れ翔子! 逃げるぞ!」

「……ダメ。話を聞く」

「バカ! 何言ってんだ! この状況が分かんねぇのか! 下手すりゃ怪我じゃ済まねぇぞ!」

「……絶対に逃げない」

 

 くっ……! こんな時になんて強情なやつだ! こうなりゃ抱えてでも逃げるか!?

 

 だがそう思った時には既に遅かった。向かってきた男はもう2、3メートルの所まで迫って来ていたのだ。

 

「今度は俺の息子を(さら)おうってのか! くたばりやがれェェッ!!」

 

 筋肉隆々の男がピッケルを大きく振り上げる。

 

「う、うわぁぁっ!! ま、待て待て勘違いするな! 俺たちは人さらいなんかじゃねぇ!!」

「問答無用!!!」

 

 男がまさにピッケルを振り下ろそうとしたその時、

 

「……待っておじさん! リンナさんの話を聞かせて!」

 

 俺と大男の間に翔子が立ちはだかり、大声でハッキリと訴えた。

 

「なっ、なんだ……てめぇは……」

 

 すると大男はピッケルを掲げたまま、その動きを止めた。だがまだ誤解が解けたわけではない。ここで説得できなければ翔子の身が危ない!

 

「……霧島翔子といいます。リンナさんのことについて聞きたくてお伺いしました」

 

 俺の目の前で両腕を横に広げ、凛とした声を発する翔子。

 

 ……意外だった。翔子がこれほど自発的に動いたことが。

 

 いつも無口で必要なこと以外はあまり喋らない。そんなあいつが、先程のオバチャンたちとの話でもこのトーラスの家を聞き出す行動を見せた。それほどまでにあいつは元の世界に帰りたいんだ。

 

 そう思うと、目の前に立ちはだかる小柄なあいつの姿はとても大きく映って見えた。

 

「大変申し訳ありません! ある事情で奥様にお会いしたく、()せ参じました! 坂本雄二と申します!」

 

 俺は翔子の横に並び、背筋を伸ばして腰を折り曲げ、頭を下げた。

 

 やはり翔子だけでも元の世界に返してやりたい。俺はこの世界でもなんとかやっていける。だがあいつの生きる世界はここじゃない。元の世界で真っ当な生活を送らせてやりたい。

 

「……どうやら俺の勘違いだったようだな」

 

 男が静かに言った。誤解は解けたと考えて良いのだろうか。頭を上げてみると、大男はピッケルを持った丸太のような腕を降ろし、静かに俺たち見つめていた。

 

 身長は俺と同じくらい。鍛え抜かれた逆三角形の体格をしていて、その筋肉は赤いツナギの上からでもよく分かる。それによく見れば服には沢山の白い粉のようなものが付着している。手に持っているピッケルと併せて考えるに、掘削作業の仕事帰りなのだろう。

 

「ルーファス。家の中で待っていなさい」

 

 男の視線は俺たちを通り越し、家の方に向かって注がれていた。その直後、背後でバタンと扉が閉まる音が聞こえた。ルーファスとはあの男の子の名前か。

 

「で、リンナに用ってのは何だ? 言ってみろ」

 

 男はギロリと俺たちを睨みつけ、威圧的な表情を見せる。やはりまだ信用してもらえないようだ。だがそんなことは承知の上。丁寧に説明するしかないのだ。

 

「翔子。ここは俺に任せてくれ」

「……うん」

 

 まずは正直に腕輪のことを聞くのが良いだろう。

 

「実は奥様がある腕輪をお持ちと伺いまして、サンジェスタより参りました」

「ほう……? そんなところからこんな辺境の地まで来るとは、何か事情がありそうだな」

「はい。奥様はご在宅でしょうか?」

「……いや。いない」

 

 やはりいないか。

 

「ここへ来る途中、奥様が行方不明との噂を耳にしました。それは本当なのですか?」

「……」

 

 男は答えなかった。両肩を落とし、俯く大男。その姿は心底悲しそうに見えた。

 

「あいつ……ルーファスを残して突然消えちまったんだ……」

 

 男は全身を小刻みに震わせ、悲しみに打ちひしがれる。こいつは困ったな……俺はこんな時になんと言葉を掛ければ良いのか分からない。

 

「……おじさん、その時の状況を詳しく聞かせていただけますか」

 

 俺が困っていると横から翔子が口を出してきた。正直この対応は助かった。

 

「……分かった。話そう。俺はトーラス。よろしく頼む」

「俺は坂本雄二。坂本と呼んでください」

「……霧島です」

「サカモトにキリシマだな。とりあえず家に上がってくれ。ここじゃ寒かろう」

 

 トーラスの言うように、吐く息が白くなるくらい気温は下がっている。もともと寒い国だが、山地ということもあり気温は更に低い。

 

 俺たちはトーラスの言葉に従い、家に上がらせてもらった。

 


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