「おぅヨシイ! 話はルミナから聞いてるぜ! よく帰ってきたな!」
家の中では茶色い顎ヒゲをたくわえた男が僕たちを待っていた。ポロシャツ姿で鉄人風の体格のおじさん。髪型は僕とよく似ている。この人はマルコさん。この世界に迷い込んだ日の夜、リス型の魔獣に襲われた僕を助けてくれた人だ。
「お久しぶりです。マルコさん」
「おうっ! お前も元気そうで何よりだ! って……何だ? その赤い鼻は?」
「あ……こ、これはさっき鼻を打ってしまって……」
「なんだそうか。ハッハッ! お前もドジだなぁ!」
これは僕がドジだからなんだろうか。ただの不幸な事故だと思うんだけど……。
「まぁそんなところに突っ立ってないで入れ。ルミナ、こいつらにミルクを出してやってくれ」
「はい、ただいま」
「それじゃお邪魔します。美波も入って」
「お邪魔します」
僕らはリビングのテーブルに案内され、席に着いた。向かい側の席ではマルコさんが頬杖をついて嬉しそうに僕らを見つめている。
「しかし驚いたぜ。まさかお前が帰ってくるとはな」
「僕もまたここに来ることになるなんて思いませんでしたよ」
「けどまた会えて嬉しいぜ。それに少し見ないうちに
逞しい? どこが?
「別に何も変わってないと思いますけど……」
「なぁに、自分じゃ分からんもんさ。で、もしかしてその子がお前の言ってたミナミって子か?」
チラリと僕の隣に目を向けてマルコさんが尋ねる。
「そうなんです。美波、自己紹介を」
「はじめまして。島田美波といいます。その節はアキが大変お世話になりまして、ありがとうございました」
美波は座ったままペコリと頭を下げた。その挨拶はやめてほしいんだけどな。なんか親の挨拶みたいで僕が子供扱いされてるように感じるから……。
「アキ? あぁ、ヨシイのことか」
「あっ……そ、そうです。すみません」
「ヨシイアキヒサだからアキか。なるほどな。けど俺は世話なんざしてねぇぞ? 世話をしたのはルミナだ。礼ならルミナに言ってくんな。俺は通りすがりにたまたまコイツを拾っただけさ」
マルコさんは楽しげにガハハと笑う。相変わらず豪快な人だ。
「それにしてもなかなか可愛い子じゃねぇか。ヨシイ、お前さんも隅に置けないねぇ」
「えっ? いや、まぁその……あはは……」
まさかここでも言われるとは思わなかった。彼女を褒められるというのはこんなにも照れ臭いものなんだな……。
「で、
「あ……それなんですけど、扉に付いてる物について質問があるんです」
「ん? 扉に付いてる物? なんだ? 毛虫でも付いてたか?」「ひっ!? けっ毛虫!? ど、ど、どこどこっ!?」
美波が急に立ち上がり、青ざめた顔で辺りをキョロキョロと見渡す。何を驚いてるんだろう?
「落ち着いてよ美波。毛虫なんていないよ?」
「うぅ……ほ、ホント……?」
「ん? もしかして美波って毛虫が嫌いなの?」
「ふぇっ!? そ、そんなわけないじゃない! なに言ってんのよバカね! 刺されたら大変だと思ったからよ!」
なるほど。確かに毛虫に刺されると凄く腫れるって言うし。でも今の驚き方ってそういう驚きなんだろうか。
「あー。話の続きをいいか?」
「あっ、すみません……」
美波は恥ずかしそうに苦笑いをして席に座る。ちょうどその時、ルミナさんが4つのカップをお盆に乗せて戻ってきた。
「探していた腕輪が見つかったのよね。はい、ホットミルクよ。暖かいうちにどうぞ」
そう言ってルミナさんはひとつずつカップをテーブルに置いていく。
「ありがとうございます」
「いただきます」
僕と美波はカップを取り、口を付ける。熱すぎずぬるすぎず、程よい暖かさ。ルミナさんの出してくれるホットミルクは相変わらず美味しい。
「なんだもう見つかったのか。で、どこにあったんだ?」
「えっと、その扉に……」
「扉? ん~……? おぉ! そういえばそんなものを付けたような気がするな!」
ルミナさんもマルコさんも忘れていたのか。王家の宝物をそんな風にぞんざいに扱っていいんだろうか……。
「そうかそうか。お前の探し物はアレだったのか。しかしなんでそんなモン探してんだ?」
「実はですね――――」
僕はガルバランド王国での出来事を説明した。
雄二や姫路さんたちとの再会。アレックス王との出会い。腕輪に秘められた力。それに白金の腕輪があれば元の世界に帰れるかもしれないということを。
「なるほどな。それがあの腕輪ってわけか」
「そう決まったわけじゃないんですけど、可能性は高いと思うんです」
「そうか。しかしあの腕輪は……」
マルコさんはそこで言葉を止め、隣に座るルミナさんに視線を向けた。するとルミナさんはそれに応えるように黙って頷いた。そんな彼らの仕草は、心が通じ合っている者同士の無言の会話のように見えた。
「よし分かった! そんなに大事なモンなら譲らないわけにはいかねぇな! ちょっと待ってろ」
マルコさんはすっくと立ち上がり、玄関の方に向かって歩いて行く。そして玄関脇の棚の引き出しからバールのような金属を取り出すと、扉を開けて出て行った。あの棒で何をするつもりだ? まさか……。
――ガンッ! ガンッ! ガンッ!
すぐに金属を叩くような音が3回ほど響き、
――ガキンッ!
と何かが外れたような音がした。
「ね、ねぇアキ、壊したりしてないわよね……」
「た…たぶん大丈夫だと……思うけど……」
今のは金属同士がぶつかる音だ。一体扉の向こうでは何が行われているのだろう? 音とマルコさんが持ち出した金属の棒から想像すると、あのバールのような棒で白金の腕輪が叩かれている光景しか思い浮かばない。
「待たせたな。って……お前らなんでそんな泣きそうな
内心ヒヤヒヤしながら待っていると左手に腕輪を持ったマルコさんが戻ってきた。……右手にはバールを持って。
「あ、あの……今の音って……?」
恐る恐る尋ねてみると、マルコさんは笑いながら答えた。
「ハッハッハッ! 安心しな。腕輪を叩いたりしてねぇよ。壊したのは留め具の方だ」
「「ホッ……」」
「ほれ、こいつでいいんだろ?」
マルコさんが腕輪を僕に渡してきた。見たところ腕輪に傷は付いていないようだ。良かった……。
「ありがとうございます!」
うん、文月学園の校章がしっかりと刻まれている。間違い無い。探し求めていた腕輪だ。
「やったねアキ! これでウチら元の世界に帰れるのね!」
「まだだよ美波。まずはこれが白金の腕輪か確認しないと」
「そうだったわね。じゃあ早く試してみてよ」
「分かってる」
僕はテーブルを少し離れ、腕輪を右腕に装着してキーワードを口にする。
「――
…………
「あれ?」
「何も反応しないわね」
「う~ん……もう1回!
…………
やはり何も反応しない。ということはこれは白金の腕輪じゃないってことなんだろうか。いや待て、もしかして――
「こっちかな? ――
…………
ダメだ。まったく反応なしだ。
「おっかしいなぁ」
もしかして壊れてるのかな。やっぱりさっきの音って腕輪をガンガン叩いてた音なんじゃ……。
「なぁヨシイ、お前さっきから何をやってるんだ?」
何の反応も示さない腕輪を見つめていると、マルコさんが呆れたような顔をして尋ねてきた。冷静になって考えるとマルコさんの反応は当然だと思う。腕輪に向かって懸命にわけの分からない言葉を投げ掛けているのだ。バカじゃないのかと思われても仕方がない。
「僕らが探している腕輪なら、こうすると光って反応するはずなんです」
「俺には何も変わってないように見えるが?」
僕にも変わってないように見えます。
「探していた腕輪じゃなかったの?」
ルミナさんはミルクカップを口に付けながら、不思議そうにこちらを眺めている。やはりバカみたいだと思われてるんだろうか。弁解したいところだが、今はそれより腕輪だ。
「文月学園のマークが入ってるから間違いないと思うんですけど……」
「ねぇアキ、もしかしたら瑞希のみたいに別の力があるのかもしれないわよ?」
「なるほど。そうかもしれないね」
「ちょっとウチに貸して。試してみるわ」
「うん」
僕は腕輪を外して美波に手渡した。それを受け取った美波は右腕に装着する。すると腕輪はぼんやりと怪しげな青白い光を放ち始めた。
「あっ! 見て見てアキ! 腕輪が光ってる!」
「ほ、ホントだ……」
姫路さんが腕輪を装着した時と同じだ。だとしたらあの時と同じように腕輪に文字が浮かび上がってるんじゃないだろうか。
「もしかしてこれってウチならこの腕輪を使えるってこと?」
「そうかもしれない。美波、腕輪に何か文字が出てない?」
「ちょっと待って……あ、何か書いてあるわ」
「見せて見せて」
「ほら」
僕は美波が差し出す腕輪を覗き込む。
……細い手首だ。
って、そうじゃなくて。えーっと……。うん。やっぱり小さな字でアルファベットが書かれている。なんて書いてあるんだろう。文字が小さくてよく見えないな。
「美波、なんて書いてあるのか読める?」
「ん~……文字が
「やっぱり試獣装着したら読めるようになるのかな」
「そうね。やってみるわ」
「マルコさん、ルミナさん、ちょっと外に出てきます」
「あ? 待てよヨシイ、ここでやってみればいいじゃねぇか」
「いや、それがそうもいかないんです。もしかしたら家を壊しちゃうかもしれないので」
「フーン……よく分かんねぇけど、ンじゃまぁ行ってきな」
「はいっ」
僕は美波と共に玄関から外に出た。
空は既に真っ暗だった。道脇の魔石灯が橙色の光を放ち、家の前を明るく照らしている。見たところ道路には誰も歩いていない。道路の向かいや隣は草が生い茂る空き地だ。万が一熱線が放たれたとしても、被害は最小限に抑えられるだろう。
「よし美波、やってみよう」
「オッケー。アキはちょっと離れてて」
「おっと、そうか」
言われた通り僕は5メートルほど離れ、彼女の様子を見守る。
『じゃあ行くわよっ! ――
美波がキーワードを口にすると彼女の身体は眩い光の柱に包まれる。そして光はすぐに消え、その中から青い軍服に着替えたポニーテールの少女が現れた。いつ見ても美波の召喚獣スタイルはかっこいい。
「まぁ! ミナミさんどうしたのその格好!」
すぐ後ろからそんな声がした。振り向いてみると、扉から半身を乗り出したルミナさんが目を丸くして驚いていた。そうか、この姿を見せるのは初めてだっけ。
「これが試獣装着ってやつです」
「あっ、昨日話していたあれね? へぇ~、あれがそうなのね。凄いじゃない。ミナミさ~ん、格好良いわよ~っ、頑張って~っ」
ルミナさんが美波に声援を送っている。頑張ってって、何を頑張ればいいんだろう? ただキーワードを言って腕輪の力を発動させるだけなんだけど……。
『ありがとうございますっ! ウチ、ガンバリますっ!』
だから何を頑張るのさ……。
「どうしたルミナ。何が格好良いって?」
「あ、あなた。見て、ミナミさんがこれから腕輪の力を使うみたいなの」
「ほぅ? どれどれ」
ルミナさんの声援を聞いて気になったのか、後ろからマルコさんも身を乗り出してきた。なんだか見物客が増えてしまったな。
「美波、腕輪はどう?」
『文字は出てきたみたいなんだけど……暗くてよく見えないのよね』
「どれ? 僕にも見せて」
僕は美波の元に行き、腕輪を見せてもらった。確かに先程より文字は濃く出ているようだ。だが今度は明かりが弱くてよく見えない。
「ん~……っと、C、Y、C、L……」
「アンタよく見えるわね」
「こっち側からだと街灯の光でかろうじて見えるんだ。えぇと、CYCL……O、N、E、だね。……シクル……ワン? なんだこりゃ?」
「ちょっと待ってアキ。もう一回アルファベット言ってみて」
「うん。C、Y、C、L、O、N、Eだよ」
「……アンタねぇ……」
「えっ? 何? なんでそんな残念そうな顔をするのさ」
「サイクロンよ! サ・イ・ク・ロ・ン! どうしてこれが読めないのよ! 中学校で習うくらいの単語でしょ!」
美波がそう怒鳴った瞬間、腕輪が激しく光り輝き始めた。そして、
「「えっ?」」
――ドォン!!
もの凄い爆音と共に、僕の身体は空高く舞い上げられた。
「うわぁぁーーっ!? な、なんだこれぇーーっ!?」
地上から10メートル……いや20メートルはあっただろうか。
――僕は空を飛んでいた。
飛ぶというより、洗濯機で洗われる衣類のような感じに空中で回転していた。
「だ、誰か止めてぇ~っ! 目が、目が回るぅぅ~~っ!!」
身体が激しく回転し、景色がグルグルと回る。もはや上も下も分からない。何が起きているのかさっぱり分からないけど、このままでは危険だということだけは分かる。とにかく回転を止めなくちゃ。
「うぅっ、こ、このっ……!」
身体が回転しているのは周囲に巻き起こっている竜巻のような風のためだ。ならば風の抵抗を受けないように身を縮めれば良いはず。そう考えて手足に力を入れようとしたが、体の自由がきかない。身を縮めるどころか、両手両足が引っ張られ引き裂かれそうなくらいに痛い。加えて腕や足など全身に何かがビシビシと当たり、その度にムチで叩かれたような痛みが走る。
「う……くぅぅっ……!」
当たっているのは小枝の切れ端や小石だ。風で舞い上げられたそれらが弾丸のような勢いで僕に襲いかかっているのだ。小さな小枝でも勢いがつけば凶器になる。これは既に知っていたことだが、これほど痛いとは知らなかった……。
とにかく脱出しなくては。それだけを考え、もがく僕。ところが逃げようとしてもまったく身動きが取れなかった。僕の力より風の力の方が上回っているのだ。ゴウゴウという唸る暴風の中、成す術もなく僕は翻弄される。そんな中、
『アキぃぃーーーーっ!』
こんな美波の声に似た音が聞こえた気がした。激しい風の音が僕に幻聴を聞かせたのかと思った。だがそれは幻聴ではなかった。
「アキ! 大丈夫!? しっかりして!」
「う……くぅっ……み、みな……み……?」
気付くと僕はまだ空を飛んでいた。しかし今はもう風に翻弄されて宙を舞っているわけではない。青い軍服の女の子にお姫様抱っこされ、まるでグライダーのように滑空していたのだ。
「ごめんねアキ。今降りるからしっかり掴まってて」
耳元で美波の声が聞こえる。何が起こっているのか理解できなかった。なぜ突然空中に舞い上げられたのか。なぜ僕が美波に抱っこされているのか。分かっているのは僕が助かったということと、月夜に髪をなびかせて空を舞う美波の姿がとても神秘的で、最高に魅力的だということだけだった。
そうしてぼんやりと眺めているうちに、彼女は僕を抱えてふわりと地上に降り立った。まるで衝撃を感じなかった。
「大丈夫アキ? 怪我は無い?」
「……ふぇ?」
美波が僕を降ろし、心配そうな目で僕を見つめている。まるで夢でも見ているかのようだった。未だ信じられず、僕はただ呆然と彼女の目を見つめるだけだった。
「あ……制服、あちこち破けちゃってる……」
「ほぇ? あぁ、うん。そう……だね」
正直、制服のことなんてどうでもよかった。先程の美波の姿が目に焼き付いていて、僕の心を放さなかった。
「おいヨシイ! 大丈夫か!?」
「ヨシイ君! 一体何が起きたの!?」
そこへマルコさんとルミナさんが駆け寄ってきた。この時、ようやく僕は正常な思考ができるようになってきた。
自らの身体を見下ろしてみると、制服の上着やズボンのあちこちに切られたような跡があった。手の甲や頬にも僅かに痛みがある。試しに頬に触ってみる。するとドロリとした液体が手に付いた。
「あ……」
手の平にべっとりと赤い液体。血だ。どうやら頬が切れているらしい。けれどほとんど痛みを感じない。まるで鎌いたちに斬られたような感じだった。
そうだ、鎌いたちだ。あの時、美波がある言葉を口にした瞬間、腕輪が光り輝いた。その直後に凄まじい突風が巻き起こり、僕は空中に巻き上げられた。
つまりこれは美波の腕輪の力。キーワードは”サイクロン”。姫路さんの腕輪が熱線を放つのに対し、美波の腕輪は大きな風を発生させるんだ。
「アキ、とりあえず家の中に戻ろ? 傷の手当てをしなくちゃ……」
「……そうだね」
僕は立ち上がり、家に向かおうと足を踏み出す。しかしすぐに全身の力が抜けてしまい、思わず膝をついてしまった。思っている以上に身体にダメージがあるようだ。
「ウチの肩に掴まって。――
「ごめん。助かるよ」
「ううん。ウチが迂闊に腕輪の力を使っちゃったのが悪いの」
美波の肩を借り、僕は歩き出した。
「お、おいヨシイ……」
「あなた、話は後にしましょう。とにかく先に治療を」
「あ、あぁ、そうだな」