ラドンの町に朝が来た。
僕が目覚めたのはこの町のとある家の中。ふかふかのベッドの上だった。上半身を起こした僕は握った両拳を上げてぐっと身体を伸ばす。
「ん~~っ………………くはぁ~……」
そして大きく息を吐いて力を抜く。こうすると身体がすぐに目覚めるのだ。うん。疲れも取れてスッキリいい気分だ。
ここはマルコさんの部屋。昨晩、僕は寝室としてこの部屋を借りたのだ。部屋の中には本棚や机、それに衣装戸棚など、ごく一般的なものが置かれている。
それと昨日の夜は気付かなかったけれど、部屋の隅には巨大な横長の箱がひとつドンと置かれていた。木製のその箱は幅が2メートルほどあり、
さて、今日から腕輪探しだ。でもその前に着替えて腹ごしらえかな。僕はいつもの文月学園の制服に手早く着替え、リビングへと向かった。
「あ、アキ。おはよ」
そこでは制服に着替えた美波が輝くような笑顔で迎えてくれた。赤いスカートに真っ白のワイシャツ。それに橙色のラインの入った黄色いリボンで結い上げたポニーテール。彼女は見慣れたいつものスタイルをしていた。
あのリボンは以前レオンドバーグで暮らし始めた時に僕が買ったものだ。失くしてしまったリボンの代わりにと思ってプレゼントしたのだが、気に入ってくれたのか、あれからずっと使ってくれている。
「おはよう美波。早いね」
「そうかしら。ウチよりルミナさんの方が早かったわよ?」
彼女はそう言いながら手にした白い布をテーブルにふわりと掛ける。テーブルクロスだ。朝食の準備をしているようだ。
「やっぱりこの世界の人たちは皆早起きだね。昨夜はよく眠れた?」
「えぇ、とってもよく眠れたわ。でも変なのよね」
「ん? 何が変?」
「ウチね、気付いたらベッドで寝てたのよ。どうやってあの部屋まで行ったのかしら」
「食事の後に眠そうにしてたから僕が案内したんだけど……覚えてない?」
「……ぜんぜん覚えてないわ」
やはり昨晩のあれは既に寝ていたのか。
「なんか無意識に歩いてたみたいだし、覚えてなくてもしょうがないかもね」
「なんだか恥ずかしいところを見られちゃったわね……」
「ん。そう?」
美波を抱っこしたのはこれが初めてではないし、寝顔を見るのだって何度目かも分からない。確かに僕はドキドキしたけど、眠っていた美波は僕が抱っこした事を知らないはず。どこが恥ずかしいんだろう?
「今度はアンタの恥ずかしいところを見せなさいよね」
「はぁっ!? な、なんで!?」
「だってこれじゃ不公平だもの」
「いや、昨日僕、滅茶苦茶恥ずかしい思いをしたんだけど……」
「何言ってるのよ。あんなの全然恥ずかしいうちに入らないわよ」
「えぇぇ~……」
あんなに恥ずかしい思いをしたというのに、まだ足りないというのか? これ以上どうしろというのだ……。
「ふふっ、冗談よ。アンタってホントに人を疑わないのね」
「うぅっ……」
以前、雄二にも同じことを言われた。「お前は無駄に人を信じ過ぎる。もっと疑え」と。そんなことを言われても、真顔で言われたら嘘を言っているかどうかなんて区別できないよ。それが美波の言うことなら尚更さ。
「さ、ウチは朝食の準備に戻るわ。アキは座って待ってて。すぐに目玉焼きができるからね」
「あ……」
「? どうかした?」
「……ううん。やっぱいいや。大人しく待ってる」
一瞬、「手伝うよ」と言おうかと思った。でも目玉焼きメニューならもう手伝うことも残っていないだろう。そう思って僕は素直に従うことにした。
☆
美味しいハムと目玉焼きの朝食をいただいた後、僕たちはすぐに町に出ることにした。目的はもちろん”白金の腕輪”の捜索。しっかり休息を取ったので気力は十分。体力も全快だ。
「それじゃ行ってきます」
「気を付けてね」
「「は~い」」
ルミナさんに見送られ、僕たちは出発した。
「美波、腕輪の絵は持ってるね?」
「えぇ、もちろんよ」
昨夜、ルミナさんは腕輪の絵を見て「見たことがある」と言った。具体的な場所などは覚えていなかったが、彼女が見間違いや勘違いをするとは思えない。それにレナード王も腕輪がこのラドンにあると言っていた。ならばこの町の住民に絵を見せて尋ねれば、きっとなんらかの手掛かりを得られるはずだ。
「よしっ、じゃあ片っ端から聞いて回ろう!」
「ちょっと待ってアキ」
「ん? 何か忘れ物?」
「ううん。そうじゃなくて、確か王様は”行けば分かる”って言ってたわよね」
「うん。それがどうかした?」
「行けば分かるってことは見ればすぐ分かるってことじゃない?」
「確かにそうとも言えるね」
「だとしたら町のどこかに飾ってあったりしないかしら」
「なるほど……それは考えなかったな。でもどこに?」
「そんなことウチが知るわけないじゃない。知ってたらとっくに取りに行ってるわよ」
「そりゃそうだね」
「だから聞いて回るのと同時に辺りを注意して見た方がいいと思うの」
ふむ。美波の意見も一理ある。
「分かった。それじゃ気を付けて見て行こう。美波も頼んだよ」
「任せてっ」
こうして僕たちは商店街に繰り出し、腕輪の捜索を始めた。
ラドンの町はそれほど大きくはない。峠町サントリアよりは大きいが、恐らく他のどの町よりも小さいだろう。商店街はこの西側のひとつのみ。以前マルコさんやルミナさんに連れられて歩いたので、町並みは大体把握している。
僕は美波と共に商店街を歩き、一軒ずつ店に入って腕輪のことを尋ねた。しかし誰もが「知らない」「見た事がない」「ついでに買っていけ」と言うばかり。いや、ついでに買っている余裕なんか無いのだけど。
移動中は先程の美波の意見の通り、どこかに飾られていないかと店先や街燈などに目を配り歩く。けれど目に入るのは木製の看板や、石やレンガの建物ばかり。町行く人々の腕にも注意して見ていたが、それらしいものは見当たらなかった。
こんな具合に捜し回っていると、いつの間にか太陽は真上に来ていた。もう昼の時間のようだ。ここまで何の手掛かりも無い。僕たちはひとまず軽く昼食を取ることにした。
そして飲食店で昼食を終え、午後も引き続き聞き込みを続ける。しかしやはり誰に尋ねても何一つ手掛かりを得られない。王様の「行けば分かる」とは何だったのだろうか。見ても聞いてもさっぱり分からないではないか。この頃、僕の胸の内にはそんな不満の気持ちが
それでも諦めず、手当たり次第に尋ねて回る僕たち。今日はもう8時間ほど歩きっぱなしだ。にもかかわらず未だ何の情報も得られない。こうなってくるとさすがに心身ともに疲れてくる。
「見つからないね」
「そうね……」
聞き回ることに疲れてしまった僕たちは、揃って「ハァ」と溜め息をついた。太陽は頭上を越え、だいぶ傾いてきている。辺りを歩く人たちも少しずつ減ってきているようだ。何より美波の表情に疲労の色が濃くなってきている。これ以上はやめておいた方がいいだろう。
「ここまでにしよう美波。あまり頑張りすぎると体をこわしてしまうし」
「そうね。続きは明日にしましょ」
僕たちは手を繋ぎ、徐々に橙色に染まっていく空を眺めながら帰路に就いた。
それにしても一日探し回っても見つからないなんて、どういうことなんだろう。腕輪は王家に贈られた物だっていうし、王家に関係する所にあるのかな。
でもこの町にそんな場所なんてあっただろうか。もしかして王様は研究の邪魔をしてほしくなくて適当なことを言ったのかな。だとしたら僕たちがここまで来たのは無駄足だったということになる。
それにあの時、王様は腕輪の絵を見た瞬間、明らかに不機嫌な顔を見せていた。腕輪に何か嫌な思い出でもあったんだろうか。だから僕らを追い払いたくて嘘をついた? でも王様がそんなことで嘘をつくだろうか。う~ん……分からない……。
「どうしたのアキ? 黙り込んで」
「いや……もしかしたら腕輪はもうこの町には無いんじゃないかなって思ってさ」
「今日探し始めたばっかりよ? そんなに早く諦めてどうするのよ」
「そうなんだけどさ……なんかこの世界に来てから探し物ばっかりだからさ」
「気持ちは分かるけど、こういうのは根気が大事よ。まだ期限には日数があるんだし、明日も頑張って探しましょ」
「そうだね。ごめん」
とにかく今日はルミナさんの所に戻ろう。それで明日、まだ聞いていない家を回ろう。今日で商店街の大部分を回ったから、明日は南側の住宅街や東の農地に住む人たちが対象だ。それでも見つからなかったら一旦王様の所に戻った方がいいかもしれない。そんなことを考えながら僕は元来た道を引き返した。
しかしまたルミナさんの家でお世話になっていいのだろうか。彼女は「ここがあなたたちの帰るべき家よ」と言ってくれたけど、少し甘え過ぎな気がする。
「ねぇアキ、何か食材を買っていかない?」
「食材?」
「うん。それで今度はウチらがルミナさんにご馳走するの。昨晩お世話になったからそのお礼。ね? いいでしょ?」
「なるほど。いいね、そうしようか」
「それじゃ決まりね。メニューは何がいいかしら?」
「うーん……売ってるものを見て考えようか」
「そうね」
そんなわけで僕たちは商店街で夕食の買い物をすることにした。メニューは付近の店を見て即決。すき焼きとなった。理由は簡単。この世界では珍しい”お米”が売られていたからだ。これを見た美波が和食がいいと言い、隣の店で牛肉を売っているのを見た僕がすき焼きを提案。即合意に至ったというわけだ。
「4人分でいいのよね?」
「うん。マルコさんも帰ってきてるだろうからね」
「マルコさんって男の人よね?」
「そりゃルミナさんの旦那さんだからね。鍛冶屋をやってる体の大きな人だよ」
「お肉これで足りるかしら」
「十分じゃないかな。1人200グラムあるし」
「アキがそう言うのなら大丈夫ね。それじゃ帰りましょ」
「いや……でも勘だから足りるか分かんないよ? すき焼きなんて高級品作ったことないし……」
「すき焼きのどこが高級品なのよ」
「だって材料揃えると結構お金掛かるし……」
「アンタがゲームにお金を費やすからお金が足りなくなるんでしょ!」
「まぁそうなんだけどさ」
「いいことアキ。これからは絶対に無駄遣いなんてしちゃダメよ? そんなことしたらウチが許さないんだから」
「……ハイ」
僕はなんで叱られながら買い物をしているんだろう……。
「ほら、帰るわよ」
「うん」
そんな話をしながら商店街を歩くこと約20分。見慣れた赤いレンガの家が見えてきた。窓からは明かりが漏れ、家の中に人がいることを示している。僕らは買い物袋を両手に、その家へと向かった。
「美波、ちょっとこれ持ってて」
「うん」
扉を叩くため、僕は買物袋をひとつ美波に預けた。この家の扉にはノックするための金属、”ドアノッカー”が取り付けられている。以前テレビでやっていた洋画でこれを使っているのを見た事があるので使い方は知っている。僕はその金属に手を伸ばし、ぐっと握った。
「あーーーーっ!」
その時、突然美波が大声を張り上げた。
「なっ、何!? どうしたの!?」
「それよそれ! 前見て! 前!」
「ぇ? 前?」
木でできた扉があるだけだけど……。
「扉? これがどうかした?」
「違うわよ! 扉じゃなくてその扉に付いている物よ!」
「付いている物?」
言われて改めて扉を見てみる。焦げ茶色をした木の扉。覗き窓などは無く、高さは約2メートル。幅は1メートル弱といったところだろうか。腰の高さ辺りには金属製の黒い帯が取りつけられ、そこに銀色ドアノブが取りつけられている。そしてその下の方には小さな鍵穴があり、鍵が掛けられるようになっている。では美波が何を指しているのかというと……。
「えーと……ドアノブ?」
「違うってば! どこを見てるのよ! それよそれ! その輪っか!」
「ワッカ?」
美波が興奮した様子で扉を指差す。輪っかって、このドアノッカー?
「あーーーーーーっ!!」
思わず僕も叫んでしまった。なぜなら、そこにはずっと探し求めていた物がぶら下がっていたから。そう、扉に取りつけられていたドアノッカー。これこそが僕たちが探していた腕輪だったのだ。
「な、なんでこんなところに……」
「灯台元暗しもいいところね」
「いや~、確かにドアノッカーにしては輪っかが太いなって思ってたんだよね」
「アンタね……もっと早く気付きなさいよ」
「美波だって気付かなかったじゃないか」
「うっ……そ、それはアンタが全然気にしてなかったから違うのかなって思ってただけよ!」
……絶対嘘だ。
でもなんでこんな所でドアノッカーにされてるんだろう。王家の物じゃなかったのか? まぁいい。この扉に付いているということは今はマルコさんかルミナさんの物なのだろう。
「とにかくルミナさんにこのことを話そう」
「そうね」
「それじゃ気を取り直して――」
と僕は再びドアノッカーにされている腕輪に手を伸ばす。すると、
バンッ!!
「思い出したわ!!」
突然扉が勢いよく開き、僕は鼻を強打してしまった。
「っ――――――!!」
言葉にならない叫びをあげ、顔面を押さえて悶絶する僕。
「あらヨシイ君。どうしたの?」
「くぅっ……! ど、どうしたのじゃなくて……ふおぉっ……!」
「何やってんのよアンタ……」
「だ、だっていきなり扉が開いたら反応なんて……くうぅ~っ……」
「ミナミさん、何があったの?」
「あ、ルミナさん。なんか急に扉が開いたからアキが顔を強く打っちゃったみたいで……」
「まぁ大変! すぐに手当てしなくちゃ! 痛いのはどこ? おでこ?」
「は、鼻です……けど……だ、大丈夫……です……」
鼻血は出ていないようだし、たぶん大丈夫だと思う。でも痛かったぁ……。
「ごめんなさいヨシイ君。まさかあなたがいるなんて思わなかったのよ」
「いえ、こちらも油断していたので……」
いてて……まだジンジンするよ。こういう局所的な攻撃は美波の関節技より効くなぁ……。
「ところでルミナさん、何を思い出したんですか?」
「あっ! そうそう! 思い出したのよヨシイ君! 腕輪のこと!」
「いやまぁ……僕らも今見つけたんですけどね」
「そうなのよ! あの人がドアノッカーの代わりに付けたのをすっかり忘れてたのよ!」
……酷い扱いだ。
「と、とりあえず話を聞かせてもらえますか?」
「そうね。それじゃ中で話しましょう。2人とも入って」
「「お邪魔しま~す」」
やれやれ、ようやく目的の物を見つけたぞ。1日無駄に歩き回ったような気もするけど、まぁ結果オーライ。とにかく腕輪を見つけたのだ。あとは交渉してこれを譲ってもらうだけだ。快く譲ってくれれば良いのだけど……。