峠町サントリアを出てから約2時間。僕らはハーミルの町に到着した。
「え~っと、次の便は1時間半後みたいね」
乗り場に掲示されている時刻表を見ながら美波が言う。彼女が言っているのは、ここからラドンに向かう馬車の便のことだ。1時間半か。だいぶ時間が空くな。
「それじゃ少し休憩しようか。ずっと揺られていてちょっと疲れたでしょ?」
「ん~。ウチはちょっと体を動かしたい気分かな」
「ん。そう?」
ふむ。体を動かす……か。美波の気持ちも分からないでもない。というのも、この後もラドンへの移動には馬車を使う。つまりまた数時間座りっぱなしになるということだ。長時間じっとしているのは、運動好きな美波にとっては辛いことだろう。僕だってこのままでは体が
しかしサッカーやマラソンのような激しい運動では今度は疲れてしまう。今は軽く歩く程度の運動がいいだろう。
「それじゃ少し散歩してみる?」
「いいわね。この町は初めて来るし、ちょっと見てみたいかも」
「決まりだね」
そんなわけで、僕たちはこのハーミルの町を散歩してみることにした。
馬車が到着したのは町の北側の隅。外周壁から入ってすぐの所だった。ここからは幅4、5メートルほどの道が真っ直ぐ南に向かって伸びている。レオンドバーグやミロードとは違い、石畳で舗装されていない土の道だ。その道に人影はほとんどなかった。遥か先の方で数人歩いているのが見える程度で、辺りはシンと静まり返っている。どうやらこの先は住宅街のようだ。
どうせなら商店街でウィンドウショッピングを楽しみたかったところだが、あまり歩き回ると帰り道が分からなくなってしまう。たまには住宅を見て歩くのも良いだろう。というわけで、僕たちはこの南に向かって伸びる道を歩いてみることにした。
「ふ~ん……結構緑が多いのね」
右や左に目を向けながら美波が呟くように言う。言われてみると確かにサントリアに比べて木が多いようだ。
道の両側に並ぶ家々はそれぞれ庭を持ち、沢山の庭木を植えている。背の低い木が多いので比較的視界は開けているが、どの家も生い茂る緑の中から白や
「なんだか高級住宅地って感じね」
「高級? どこらへんが?」
「大きな家で、広い庭があって、静かな環境。これって”閑静な住宅街”って言うんでしょ?」
「完成?? そりゃ確かに建築中には見えないけど?」
「……アンタに聞いたウチがバカだったわ」
「えぇっ!? なんでそうなるの!?」
「閑静っていうのは”静か”とか”落ち着いた”って意味でしょ!」
「へぇ~、そうなんだ」
「アンタもうちょっと覚えなさいよ。自分の国の言葉でしょ?」
「そう言われてもなぁ。馴染みのない言葉だし」
「ハァ……もういいわ。いつものことだし。でももうちょっと頑張りなさいよね。このままだとウチの方が日本語上手になっちゃうわよ?」
今でも十分上手いと思う。口論になると圧倒されてしまうし。けど確かに美波に日本語を教わるようじゃ17年間を日本で暮らしてきた僕の面目が丸潰れだ。
「そうだね。頑張ってみるよ」
それにしても日本語か。思えばたった2年弱でよくここまで話せるようになったものだ。そう考えた時、僕の頭の中には去年の色々な出来事が鮮明に甦ってきた。
僕が美波と知り合ったのは去年の春――いや、ついこの前、除夜の鐘を聞いたから一昨年になるのか。文月学園に入学して同じクラスになったのがきっかけだった。当初の美波は日本語がほとんど話せなかった。僕が”帰国子女”という言葉を初めて知ったのもこの時だった。
最初はクラスの皆も帰国子女が珍しいらしく、美波を取り囲んで質問責めにしていた。ところがしばらくすると、皆は蜘蛛の子を散らすように美波から離れていった。なぜ皆が離れたのかは知らない。ただ、それ以降誰一人として美波に近付く者はいなかった。
そして数日が経った。美波はその間、誰とも言葉を交わさず、クラスの中で完全に孤立していた。教室の席で独り俯くポニーテールの女の子。その寂しそうな姿を見て、僕はなんとかしてあげたいと思うようになった。
僕は無い知恵を絞って考えた。彼女に元気になってもらうにはどうしたらいいだろう? 何か自分にできることはないのか? それはすぐに見つかった。だがそれには彼女と話す必要がある。しかし何度話し掛けても上手く伝えることができない。僕の言葉を聞き取れないのか、理解してもらえないのだ。そこで僕は更に知恵を絞り、ひとつの手段を思いついた。
彼女の出身国の言葉なら通じるはず。たぶんこの理論に間違いは無かったと思う。ただ、決定的に間違っていたことがあった。
―― ちゅうぬ、ぶどれぱ、どぶにいるもなみ? ――
僕はドイツである美波の出身国を、”フランス”だと思い込んでいた。当時の僕はそれに気付かず、発音が悪いのかと勘違いして何度もこの言葉を投げ掛けていた。だが知らない国の言葉なのだから通じるはずもない。結局美波は怒ってしまい、早退してホームルームを欠席してしまった。
……どうして理解してもらえないんだろう。ホームルーム中、僕は先生の言葉を聞き流しながら、落ち込んだ。
ところがその翌日、不思議なことが起きた。突然彼女の方から「ウチと友達になってください」と言ってきたのだ。なぜ”ウチ”? という疑問はあったが、そんなことはすぐに忘れてしまった。彼女の笑顔が眩しいくらいに輝いていて、それが僕にとって最高に嬉しかったから。
――そして僕たちは友達になった。
それからというもの、美波は凄い勢いで日本語を覚えていった。徐々に言葉を交わせるようになり、秋ごろになると普通に会話ができるようになっていた。今の
「どうしたのアキ? 何か考え事?」
「ん。まぁね」
「もしかして閑静のこと? それならもう考えなくていいわよ?」
「あぁいや、そうじゃないんだけどね」
「じゃあ何を考えてたの?」
「もうすぐ2年になるんだなって思ってさ」
「はぁ? 何言ってるのよ。ウチら今2年生よ? アンタ今頃になってまだ1年生気分なの?」
「いや、そうじゃなくてさ、美波と知り合ってからもうすぐ2年経つんだなって思ってさ」
「なんだそういうこと? 紛らわしい言い方しないでよね」
「ご、ごめん」
「そうね。もう2年になるのね」
「うん」
「「……」」
会話が途切れ、しんみりとした空気が僕らを包む。
「……あっという間だったわね」
彼女はそう言って顔を上げた。目を細め、浮かぶ雲を眺めるように空を見上げる美波。その横顔は何かを懐かしんでいるようにも見えた。
「そうだね」
僕は美波の視線に合わせるように空を見上げた。
ハーミルの空は薄緑色の光の膜で覆われていた。遥か上空の太陽からは柔らかな春の日差しが降り注いでいる。土色の路面。緑あふれる町並み。耳を澄ませばどこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。
未だ見慣れぬ光景。
異世界の町。
けれど見慣れる必要は無い。今僕らがこうして行動しているのは元の世界に帰るためだ。腕輪の所在もラドンの町と判明し、夕方には到着する。いつもの日常に戻れる日も近いだろう。……美波との、いつもの日常に。
「ありがとね。アキ」
「ん? 何が?」
「色々と、かな」
「?」
美波が何を言いたいのか分からなかった。”ありがとう”とは感謝をあらわす言葉だ。でも僕には感謝される覚えがない。この世界に来てからというもの、助けられているのは僕ばかりだから。もしかして気付かないうちに何か感謝されるようなことをしたのだろうか? 少し考えてみたけど、やはり思い当たる節が無い。でも聞き返すのも野暮な気がする。
……ま、いいか。
僕は考えることをやめた。
そして再び周囲に意識を向けると、ある公園の前に差し掛かっていることに気付いた。この公園は覚えている。2人の子供から”文月学園の制服を見た”という話を聞いた場所だ。
今こうして美波と一緒に居られるのも偶然ここで情報を聞けたからだ。あの時も時間が余って、こんな具合に散歩をしているところだった。……あの子たちには感謝しなくちゃいけないな。そんなことを考えながら、僕は公園の前を通り過ぎようとしていた。
『ちょっ、ちょっと待ってくれ! 君たち!』
するとその時、突然後ろから男の声で呼び止められた。もしかしてウォーレンさんが話の続きをしに来たのか? と一瞬思ったが、声が違う。聞き覚えのない声だ。誰だろう?
立ち止まり、振り向く僕と美波。するとよく鍛えられた体つきをした1人の男が道に立っているのが見えた。だがこの人に見覚えはない。僕が知らないということは美波の知り合いだろうか? いや、それも違うようだ。美波もキョトンとしていて、知らなそうな顔をしている。
もしかして呼び止めたのは僕らじゃなくて他の誰かなのか? そう思って周りを見てみたが、付近には誰もいなかった。やはり僕か美波のどちらかのことを言っているようだ。
「えっと……僕たちのことですか?」
「そうだよ! 君、ヨシイ君だよね!」
「ほぇ? そうですけど……」
あの人は僕の名前を知っている。でも僕はあの人を知らない。一体誰なんだろう?
「アキ、知り合い?」
「うーん……」
見た感じ、年齢は40から50代くらいの男性。髪はこの国の人に多い茶色。瞳の色は青。オールバックにビシッと決めた髪型。服装もこの世界でよく見る地味なもので、どこにでも居そうなおじさんだった。
「ごめん、記憶にないや」
「そうなの? ウチの知り合いでもないわよ?」
僕も美波も知らないのに向こうはこっちを知っている。どういうことなんだろう? こうなったら聞いてみるしかないか。
「あの……どうして僕のことを知ってるんですか?」
思い切って尋ねてみると、彼はこちらに駆け寄ってきて嬉しそうに僕の手を握ってきた。
「やっぱりヨシイ君なんだね! いやぁこんなところで会えるなんて思わなかったよ!」
「えっ? いや、あの……」
彼は僕の手を両手で握ってブンブンと上下に振りまくる。はっきり言って男に手を握られても嬉しくない。
「あ、あの、すみません。どちらさまですか?」
「ん? あぁそうか、あの時は兜を
「兜?」
「君はライナス殿下とリオン殿下の戦いに乱入してきたヨシイ君だろう?」
「えっ? えぇ、まぁ……」
あの戦争のことを知っている? この人、一体何者だ?
「あの時は本当にすまなかった。どうしても殿下の命令に背くことはできなかったんだ」
「は、はぁ……」
「まだ分からないかい? あの時、君を押さえ込んでいたのは私だよ」
押さえ込んで……? あ!
「そうか! あの時の!」
やっと思い出した。大熊の魔獣を倒した後に僕は1人の兵士に押さえ付けられたんだった。あの時は全身を鎧や兜で覆っていたから顔なんか全然分からなかった。そうか、あの時の人だったのか。だから僕のことを知ってるのか。
「思い出してくれたかい?」
「はい、あれはおじさんだったんですね」
「ウチも思い出したわ。でもあの格好じゃ誰だか分からなくて当然ね」
「私もあそこで命を落とすわけにいかなかったからね。ありったけの装備を整えて行ったのさ」
そうかそうか。そういうことだったのか。
……で?
「それで僕に何か用でしょうか?」
「おぉそうだ! 実は君にお礼が言いたくてね」
「お礼?」
「そうさ、戦争を止めてくれた上に妻と娘までも救ってくれたんだからね」
「は?」
確かにあの時(王様が)戦争は阻止したけど、女性なんていなかったぞ? ましてや、娘なんかがあの場に居るわけがない。
「えっと……何かの勘違いじゃないですかね」
「いやいや、間違いなく君だよ。娘が君の大ファンになってしまったんだからね」
……話が見えない。
「すみません。どういうことか説明してもらえますか?」
「そうだね。じゃあまずは――」
『パパー? どうしたのー?』
男が話そうとした瞬間、公園から1人の女の子が出てきた。
「あーっ! ヨシイお兄ちゃん!!」
女の子は僕を見るなりそう叫び、タタッと駆け寄ってきた。小さな歩幅で両手を前にして走ってくる女の子。その姿は葉月ちゃんとダブって見えた。ハッ! ということはダイビングヘッドバットが来る!? ヤバイっ!! と僕は咄嗟に身構える。
「わぁい! ヨシイお兄ちゃんだぁ~っ!」
しかし女の子はその小さな手で僕の手を握り、嬉しそうに振るだけだった。良かった、
「こんにちはサーヤちゃん。久しぶりだね」
この子の名はサーヤちゃん。茶色い髪をお下げにした元気な女の子だ。歳は5、6歳だろうか。葉月ちゃんより少し幼いように見える。
ん? そういえば今あのおじさんを「パパ」と呼んでいたような? ということは、この子がおじさんの娘? えーと、それはつまり……。
サーヤちゃん ← 親子 → おじさん
こういうことか。なるほど……やっと話が繋がった。つまり戦争に連れて行かれたというサーヤちゃんのお父さんとはあの時、僕を組み伏せた兵士のおじさんだったんだ。それであの戦争が終わった後、家に帰ったおじさんはサーヤちゃんから僕の話を聞いたんだ。僕はサーヤちゃんの前でも、おじさんの前でも召喚獣を装着した姿を見せている。きっとその姿から同一人物だと分かったのだろう。
「アキ、その子は?」
「あぁ、前に話したよね。初めて魔獣と戦った時のこと」
「大猿の魔獣に襲われたっていうアレ?」
「うん。この子がその馬車に乗り合わせていた女の子なんだ」
「あ、そういうこと? こんな所で会うなんて凄い偶然ね」
まったくだ。さっきのウォーレンさんといい、どうして行く先々で知り合いに会うんだろう。
「お兄ちゃんお兄ちゃん! いつ戻ってきたの? サーヤずっと会いたかったんだよ!」
「ついさっきね。サーヤちゃんも元気そうだね」
「うんっ! あの時お兄ちゃんが守ってくれたからだよっ!」
サーヤちゃんが満面の笑みを浮かべ、僕の手をブンブンと横に振る。うんうん。いい笑顔だ。
「ホント、アンタって小さい子に慕われるのね」
「あははっ、なんでだろうね」
「ねぇねぇお兄ちゃん! サーヤのお
「へ? お家?」
「ヨシイ君。私からも頼むよ。妻もきっと喜ぶと思うんだ」
サーヤちゃんの肩に手を乗せ、おじさんも誘いかけてくる。むぅ。お誘いは嬉しいけど、あんまり時間は無いんだよね……。
(アキ、どうするの?)
(困ったね……そろそろ戻らないといけない時間なんだけど……)
(それじゃ断るの?)
(う~ん……それしかないよね……)
やっぱり断ろう。今日中にラドンまで移動したいし。
「ごめんねサーヤちゃん。お兄ちゃんたちは先を急がなくちゃいけないんだ」
僕はしゃがんでサーヤちゃんと目線の高さを合わせ、頭を撫でてやった。いつも葉月ちゃんにしていたように。
「そうなの……?」
「うん。ごめんね」
「ぅ~っ」
サーヤちゃんは寂しそうに目を潤ませる。そんな顔をされると辛いなぁ……。そう思っていたらサーヤちゃんは急にパッと笑顔を取り戻し、今度はこう言ってきた。
「じゃあじゃあ! お兄ちゃんはどこに住んでるの? この町? サーヤ遊びにいくよ!」
「う~ん……何ていうのかな。……とっても遠い所、かな?」
「遠いところ?」
「うん。とーっても遠い所さ」
異世界なんて言ってもこの子には理解できそうにないからね。こう言うのが最善だろう。
「サーヤにも行ける?」
「ちょっと無理かなぁ」
「行けないんだ……」
再びしょんぼりと落ち込んでしまうサーヤちゃん。望みは叶えてあげたいけど、今は使命がある。だから無理なんだ……。
「お兄ちゃん、ちょっとでいいからお家に来て? いいでしょ?」
「う~ん……」
「ねぇねえ、いいでしょ? お兄ちゃんっ! ねぇっ!」
目に涙を溜めてしがみついてくるサーヤちゃん。こ、困った……どうしよう……。
「サーヤ。無理を言っちゃいけないよ」
するとその様子を見かねたのか、サーヤちゃんのお父さんが止めに入ってくれた。
「う~っ……」
「すまないヨシイ君。娘が無理を言って」
「あ、いえ」
「う~っ! やだやだ~っ! サーヤお兄ちゃんと遊ぶ~っ!」
「こらサーヤ! いいかげんにしなさい!」
「いや~だぁ~っ!」
僕の足にしがみついて駄々をこねるサーヤちゃん。お父さんの言うことも聞かないようだ。まいったなこりゃ。
「アキ、この子はウチがなんとかするわ」
「ん? 美波が?」
「この子、葉月の小さい頃にそっくりなの。だから任せて」
なるほど。それは心強い。
「分かった。頼むよ」
「サーヤちゃん、少しだけお姉ちゃんとお話ししない?」
「う~っ……お姉ちゃんだぁれ?」
「ヨシイお兄ちゃんの……えっと……」
「?」
「…………お、お友達よ」
なぜそこで口篭る。
「どう? お姉ちゃんとじゃ嫌?」
「……ううん」
「いい子ね。パパとお兄ちゃんはお話しがあるみたいだからウチらは少し離れていましょうね」
「うん」
美波がサーヤちゃんの手を取り、公園の中に連れて行く。そしてベンチに座らせると目線の高さを合わせ、何かを言い聞かせていた。ここからはサーヤちゃんが頷く姿と、美波の黄色いリボンの頭だけが見える。
「重ね重ねすまない。ヨシイ君」
美波たちの様子を見守っているとサーヤちゃんのお父さんが頭を下げてきた。
「ん? あぁ気にしないでください」
「そういえば確か君は別の世界から飛ばされて来たと言っていたね。もしかして遠い所というのはそういうことなのかい?」
「その通りです。信じられないかもしれませんけど……」
「いや、信じるよ。君のあの力はとても常人とは思えないからね」
異世界から来たことを話して理解してくれた人は数少ない。けれどサーヤちゃんのお父さんもその数少ない人のうちの1人になってくれたようだ。
「じゃあ君たちはその別の世界に帰るために旅をしているのかい?」
「はい。これからその鍵を探しにラドンの町に行くところなんです」
「なるほど。そういうことだったのか。実は私もサーヤと同じで君たちに恩返しをしたかったのだけど……」
「恩返し?」
「妻や娘を魔獣から救ってくれた上に、殿下たちの無駄な争いも止めに来てくれた。そのお礼がしたいんだ。もし時間が許すなら我が家でおもてなしをさせてくれないか」
「おもてなし、ですか……」
でも今は馬車の出発時間待ち。もし次の馬車を逃せば、ラドンへの移動が明日になってしまう。できればそれは避けたい。
えぇと、こういう時に返す言葉は……うん。
「すみません。今は先を急ぎますので、お気持ちだけ頂戴します」
これでいいんだよね。確か前に姉さんが電話口で誰かにこんな感じのことを言ってたし。
「そうか……残念だ。でもそういう事情なら仕方ないね」
「すみません」
「いや、いいんだ。無理を言ってすまなかった。君たちの旅の無事を祈っているよ」
「ありがとうございます」
とりあえず話はついたな。そろそろ行かないと馬車が出てしまいそうだ。
「こっちは話がついたわよ」
ちょうどそこへ美波が戻ってきた。元気な笑顔を見せるサーヤちゃんと手を繋いで。
「お兄ちゃん! がんばってね! サーヤずっと応援してるよ!」
「ほぇ? う、うん」
わけも分からず”うん”と答えちゃったけど、何を頑張るんだろう? 美波は一体何を話したんだ?
「アキ、そろそろ馬車の時間よ。急ぎましょ」
「うん」
「行くのかい? それじゃ道中気を付けて」
「ばいばいお兄ちゃん! お姉ちゃん!」
「サーヤちゃんも元気でね」
「うんっ!」
手を振るサーヤちゃん親子に見守られ、僕たちは元来た道を歩き出した。サーヤちゃんはいつまでも手を振り続ける。それを無視するわけにもいかず、僕たちは度々振り向いては手を振り返した。
「ところで美波、さっきサーヤちゃんに何を話したの?」
「気になる?」
「だって頑張ってとか言われたし……」
「吉井お兄ちゃんは皆のヒーローだから一ヶ所に
「え……そんなこと言っちゃったの?」
「うん。いけなかった?」
「いや、いけなくはないんだけど……僕、ヒーローなんかじゃないよ?」
「そうかしら?」
「当たり前だよ。どこからどう見たって何の変哲もない、ただの高校生じゃないか」
「ん~……でも……」
「あ、もしかして変身ヒーローみたいに召喚獣で変身するから?」
「ううん。そうじゃなくてね」
「? じゃあ何なのさ」
「あのねアキ、確かにアンタは救いようがないくらいバカでおっちょこちょいのただの高校生よ」
いきなり酷い言われようだ。
「……でもね」
美波はそこで言葉を止めた。でも、なんだろう? と話の続きを待っていると、
「ウチにとってアキは最高のヒーローなの。……たとえ召喚獣がなくてもね」
美波はそう言って微笑んだ。その笑顔はとても優しく、彼女の言葉が嘘偽りのない本心であることを示していた。
「……そ、そっか……。あ、アリガト……」
「ふふ……どういたしまして」
美波は僕の左腕に両腕を絡ませながら幸せそうな笑顔を見せる。きゅっと絞められる腕から彼女の温もりが伝わってくる。その暖かさに僕の心臓は徐々にその鼓動を早くしていった。
「あ、あのさ美波、そんなにくっつかれると歩きにくいんだけど……」
「いいじゃない、ちょっとくらい。ほら急がないと馬車が出ちゃうわよ」
「う、うん」
美波は組んだ腕で引っ張るように歩みを早める。僕は顔を火照らせながら、ハーミルの閑静な住宅街を歩いた。