僕たちは王宮裏の研究室を後にし、レオンドバーグの町を歩き始めた。行き先はもちろん馬車乗り場。目的地はラドンの町だ。
ラドンへはいくつかの町を経由して行く必要がある。まずはこの町を出て南へ進み、ミロードへ。そこから北東の峠町サントリアまで山道を登り、今度は南東へ下ってハーミルへ。更に南下して、ようやくラドンだ。
僕たちは手を繋ぎながらミロード行きの馬車乗り場へと向かった。場所は既に把握している。東地区の商店街の外れだ。王宮はレオンドバーグの中心からやや南東に位置する。東地区の馬車乗り場まで行くのにそう時間は掛からないだろう。
「いやぁ、まさかラドンの町に行くことになるとは思わなかったなぁ」
「アキにとってはふりだしに戻るって感じね」
「それを言わないでよ。悔しくなっちゃうじゃないか。まったく……最初から腕輪が必要だって知っていればラドンにいた時に探したのにさ」
「しょうがないじゃない。坂本の知恵があってこそ分かったことなんだから」
「まぁそうなんだけどね。しっかし、さっきの王様にはビックリしたなぁ。まさかあんなことになってるなんて思いもしなかったよ」
「ホントね。初めて会った時は凄く真面目な人だと思ったのに」
「んー。どうだろう。あれもある意味真面目なんじゃないかな。真面目に研究してるって感じで」
「でもクレアさん凄く苦労してるみたいじゃない。王様の趣味に文句をつける気はないけど、人に迷惑をかけるのは良くないわ」
「う~ん……確かにそうだなぁ」
「あ、見えてきたわよ」
話しているうちに馬車乗り場が見えてきたようだ。商店街の切れ目の所の道脇に、小さな茶色い三角屋根がポツリと建っているのが見える。僕らの世界で言うバス停のようなものだ。そこにはいくつかの人影があった。どうやら馬車の到着を待っている人たちのようだ。
「馬車はまだ来てないみたいだね」
「ウチらも並びましょ」
「うん」
早速列の後ろに加わる僕たち。前に並んでいる3人のお婆さんは友達のようで、楽しそうに談笑していた。そして待つこと数分。2頭の馬が引く馬車がやってきた。これがミロード行きの馬車だ。僕たちは運賃を支払い、前に並んでいたお婆さんたちと共に乗車した。
程なくして馬車は乗り場を出発。馬車はしばらく町中を走った後、やがて外周壁へと辿り着いた。ここからは町の外。魔獣の生息する危険なエリアだ。だが心配無用。当然この馬車も簡易魔障壁に守られているのだ。
外周壁に備えられた縦横10メートルほどの大きな扉がゆっくりと開く。そして扉が開ききると馬車は再び動き出し、そこから町の外へと繰り出した。ミロードへは馬車で約3時間。午後の大半はこの馬車の中で過ごすことになりそうだ。
☆
馬車の中でもお婆さんたちのお喋りは止まらなかった。なんともよく動く口だ。それによく話題が尽きないものだ。そう思ってそれとなくお婆さんたちの話を耳に入れていると、少し気になる話題があった。
レナード王の息子である2人の王子。ライナス王子とリオン王子の噂だ。お婆さんたちの話によると、先日魔獣討伐から戻ってからすっかり大人しくなり、兄弟で争わなくなったらしい。あれほど仲の悪かった2人がなぜ急に穏やかになったのか。お婆さんたちの推理が飛び交う。
殴り合いの喧嘩で決着が付いたのか。
争うことの虚しさに気付いたのか。
はたまた気になる女性でもできたか。
様々な意見が出たが、真相を言い当てる者はいなかった。どうやら戦争が始まろうとしていたことは公表されていないようだ。つまり、あの渓谷での出来事は一部の兵士と僕らしか知らないということだ。そう思うと、つい顔がニヤけてしまう。
(あのお婆さんたち、戦争のこと知らないのね)
(そうみたいだね。きっと知らされてないんだろうね)
(じゃあウチらだけの秘密ね。ふふ……)
(あの場にいた人たちは皆知ってると思うけど? 両軍合わせて200人はいたと思うし)
(ハァ……)
(なんで溜め息をつくのさ)
(アンタってホントに話を合わせるのが下手ね。2人だけの秘密ってことにしたほうが楽しいでしょ?)
(そんなもんかな)
(そんなもんよ)
(そっか。じゃあ次からは合わせてみるよ)
(期待しないでおくわ。ふふ……)
僕らが小声でそんな話をしている間もお婆さんたちのお喋りは止まらない。王子たちの話は既に終わり、次の話題に突入しているようだ。いったいどれだけの話題を持ち合わせているのだろう。もうかれこれ2時間以上、喋りっぱなしだ。
そうして半ば呆れ気味にお婆さんたちの話を聞きながら3時間が経過。結局、ミロードに到着するまでお婆さんたちはずっと喋りっぱなしだった。まぁおかげで退屈しなくて済んだのだけど。
「ん~っ……! 疲れたぁ~……。ずっと話を聞いてるのも結構疲れるものね」
ミロードの町に降り、両腕を上げて身体を伸ばす美波。細身の美波がこういうポーズをするとますます細く見える。
「でも色々な話を聞けたから退屈はしなかったね」
「そうね。そういう意味では感謝しなくちゃいけないわね。ふふ……それでこの後どうする? このまま次の町に行っちゃう?」
「ん。そうだなぁ……」
次の町は峠町のサントリア。道中は険しい山道だ。当然馬車での移動になるが、美波は疲れているようだ。それにそろそろ日も落ちるし、今からの移動は時間的に厳しいだろう。と、なれば。
「いや、今日はここで宿を取ろう」
今朝ノースロダンからずっと馬車に揺られていたので、正直言って僕も疲れた。早く寝っ転がって身体を休めたい気分だ。
「賛成。それじゃ泊まるところを探しましょ」
「えーっと、ホテルは……」
「あっちの方に人が沢山歩いてるわよ。行ってみましょ」
美波が指差したのは僕の後ろの方。振り向くと、確かに人通りの多い道があった。きっと繁華街だろう。僕たちは自然に手を繋ぎ合い、歩き出した。
ミロードは水の豊かな町。道の脇には必ずと言っていいほどに小川が流れ、心地よいせせらぎを聞かせる。更に町の居たる所に緑豊かな樹木が植えられ、清涼感を与えてくれる。それは繁華街に入っても変わらなかった。
「いい町ね」
町の様子に目を配りながら美波が呟くように言う。
「そうだね。緑も一杯あるし、町の雰囲気もいいね」
レオンドバーグは大都市に相応しく、窮屈と感じるほど建物がびっしりと並んでいた。町中を歩く人も多くて非常に賑やかな町であった。それに比べると、このミロードはとても静かな町だ。建物同士の間隔も広く、木々も多い。道を歩く人たちもどこか落ちついた印象を受ける。
――将来こんな町で美波と過ごせたらいいな。
僕は頭の片隅でそんなことを思いながら、小川の流れる町を歩いた。
☆
僕らは繁華街で手頃なホテルを見つけ、そこで一晩の休息をとることにした。夕食は先程の繁華街の飲食店で済ませている。早速チェックインして僕たちは部屋に入った。
「ふぅ……」
リュックを放り出し、備え付けのソファに腰掛けて大きく息をつく僕。やっぱり馬車での移動って疲れるものだなぁ……運動してるわけじゃないんだけどな。
それにしてもラドンの町か……。ルミナさん、元気にしてるかな。やっぱり一番に挨拶に行きたいな。あれだけお世話になったわけだし。
「この世界の移動ってやっぱり大変ね」
天井を眺めながら思い耽っていると、
「紅茶、飲むわよね?」
「あ、うん。入れてくれたんだ」
「一息つくにはやっぱり飲み物があった方がいいでしょ? はい」
そう言って美波が片方のカップを渡してくる。
「ありがとう。もらうよ」
早速カップに口をつけ、一口飲んでみる。うん、おいしい。少し
「瑞希たち、うまくやってるかしら」
すぐ隣に腰を下ろして美波が言う。姫路さんと秀吉、それにムッツリーニの3人とはサンジェスタで別れた。彼らはそこから北に向かい、ラミール港へ向かっているはず。目的地は海を越えた国、サラス王国。どれだけ距離があるのか分からないけど、もう到着している頃だろうか。
「姫路さんなら大丈夫さ」
「どうして断言できるのよ」
「だって秀吉やムッツリーニが一緒だし」
「ふ~ん……」
「なんでそんな意外そうな顔をするのさ」
「だって意外だもの。木下や土屋ってそんなに頼りになるの?」
「もちろんさ」
「例えばどんな風に?」
「……」
どうしよう。あいつらが頼りになる場面を考えてみたけど、何も思い浮かばない。
「アンタ、気休めを言ったわね?」
「そっ……そんなことないよ! あいつらだってやる時はやるんだ!」
「だから例えば? って聞いてるのよ」
「うっ……」
「どうしてそこで口篭るのよ」
「う、うまく言えないけどさ、とにかく頼りになる奴らなのは間違いないよ!」
「相変わらずアピールが下手ね。まぁいいわ。アキが信じてるのならウチも信じるわ」
ごめん秀吉、ムッツリーニ。君たちの良さをアピールできなかった僕を許してくれ。0.5秒ほどの間、僕は彼らに謝罪した。
「ところでラドンってこの国のどの辺りにあるの?」
「ん。えーと」
地図を使って説明した方が分かりやすいかな。確かルミナさんが書いてくれた地図がリュックに入っているはず。
「ちょっと待ってて」
僕はリュックの中を探り、1枚の紙を見つける。あった。これだ。
「これを見て」
テーブルの上に畳まれた紙を広げ、美波を呼ぶ。彼女はこれに応じ、僕の隣で紙を覗き込んだ。
「まず、船で到着したノースロダンがここ。それで今いるミロードがここ。で、ラドンはここ。大陸の右下にあるんだ」
「ふ~ん……結構遠いのね」
「ここからだと――ここと、ここ。サントリアとハーミルを経由して行くことになるね」
「どうしてサントリアを経由するの? ここを突っ切ってハーミルに行っちゃえば早いんじゃない?」
美波はミロードからハーミルまでを一直線に指でなぞり、尋ねる。詳しく聞いたわけじゃないけど、ルミナさんに聞いた話では確かこの辺りは……。
「ここはこんな具合に高い山があって馬車でも登れないんじゃなかったかな」
僕は地図にいくつかの三角を描き、山を表現してみせる。
こうして見るとハルニア王国が山脈で東西に分断されているのが良く分かる。だから王様も東西に分けて統治していたんだな。
「ふ~ん……それじゃ仕方ないわね。じゃあサントリアを経由するとして、どれくらいの時間がかかるの?」
「えーっと……」
前にミロードまで移動した時はどれくらい掛かったっけ? う~ん……あの時は途中で魔獣に襲われたりサントリアが閉鎖されたりしてたからなぁ……。
確かラドンからハーミルまでは午前中いっぱい掛かっていたはず。ハーミルからサントリアは魔獣の襲撃で止まっていた時間を考慮すると3時間くらいだろうか。サントリアからミロードに直接行ったことは無いけど、地図上の距離から想像すると、これも2時間くらいだろう。つまり午前と午後の両方を使ってようやく到着するってことか。
「たぶん丸一日って感じじゃないかな」
「まだそんなに掛かるの?」
「たぶんね」
「帰りも同じ道を通ると思うとうんざりするわね……」
ハァと溜め息をついて美波が肩を落とす。気持ちはとてもよく分かる。サンジェスタを出てからここまで船での移動を合わせて2日間掛かっている。ここからラドンまで更に1日。つまりサンジェスタとラドンの往復は6日間も掛かることになるのだ。それもほとんどが馬車となればウンザリもするだろう。
「ちょっとキツいけど頑張ろうよ。元の世界に帰るためだからさ」
「そうね。これくらいで
「姫路さんはそんなことで笑ったりしないと思うけどね」
「そうかしらね。ふふ……。ところでアキ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「ん。何?」
「えっとね、ここからガラムバーグまでってどれくらい掛かるの?」
「ガラムバーグ?」
ガラムバーグはここから西の町。リオン王子が王宮を構える町だ。でもなぜこんなことを聞くんだろう? あの町はラドンとは逆方向だから行く予定は無いけど……とりあえず美波の質問には答えるべきか。
「確か3時間くらいだよ」
「往復で6時間も掛かるのね……」
僕の返事を聞くと美波は少し視線を落として目を細めた。そして俯いたまま、膝の上でティーカップの縁を指でゆっくりとなぞっていた。その仕草はどこか寂しさのようなものを感じさせる。
美波がこんなことを聞いたのには何か理由があるはず。僕はそう思い、考えてみた。
ガラムバーグに何があるのか。真っ先に思いつくのは、やはりリオン王子の王宮だ。あの王宮はこの世界での出来事の中でも最も思い出深い場所だ。なにしろ美波と奇跡の再会を果たした場所なのだから。
あの時は本当にビックリしたな。まさかあんな所に美波がいるなんて思いもしなかったよ。あの時、もしあのままリオン王子に追い出されていたらと思うとゾッとする。ジェシカさんに引き留めてもらえて本当に良かった。そうでなかったら美波と再会することもできなかった。美波が元の世界で僕の帰りを待っていると勘違いして、自分だけ帰ってしまったかもしれないんだ。本当にジェシカさんには感謝しても感謝しきれ――――ん?
待てよ? もしかして……。
「ねぇ美波」
「うん」
「もしかしてジェシカさんに会いたいの?」
「っ――! そ、そんなことないわよ!? 何言ってんのよバカ!」
美波はビクンと一度体を震わせたかと思うと、苦笑いをして両手をブンブンと振って否定した。こんな反応をされたらさすがに僕にだって嘘だと見抜ける。
そうだ。ジェシカさんだ。美波はメイド長のジェシカおばさんに会いたいんだ。この世界に飛ばされて途方に暮れていた美波を救ってくれたのはジェシカさんだ。右も左も分からない状態の美波をメイドとして雇ってくれて、しかも僕と引き合わせてくれた。それなのに戦争のゴタゴタの中で別れてしまい、ちゃんとお礼も言えていない。きっとそれが心残りなんじゃないだろうか。
けれど今の目的は白金の腕輪の獲得。目的地はラドンだ。10日間という期限が切られている以上、目的以外のことに時間を費やしている余裕は無い。
……
でも……。
「腕輪の在り処はもう分かってるし、1日くらい寄り道してもいいかもしれないね」
「えっ……?」
「気分転換にって感じでさ」
「……ううん。そんなのダメよ」
「どうしてさ。時間があるならいいじゃんか」
「瑞希や翔子が待ってるかもしれないのよ? 寄り道なんかしないでまっすぐ行くべきだわ」
先程の杞憂に満ちた表情から打って変わり、凛とした表情を見せる美波。その目の輝きに嘘や偽りは無かった。自分の想いよりも仲間の気持ちを優先する。これが美波の優しいところだ。
けど……僕は……。
そんな美波の想いを……優先したい。
「でもそれじゃ美波が――」
「いいからっ!」
美波は目を吊り上げて僕を睨みつける。こうなってしまうと僕の意見など聞いてくれない。どうやら反論の余地は無さそうだ。ひとまずここは引き下がるしかない。
「分かったよ……」
美波はああ言うけど、ジェシカさんに会いたがっているのは間違いない。自分の気持ちを押し殺しているんだ。なんとか願いを叶えてあげたい。でもどうしたらいいだろう……。
「それじゃ今日はもう寝ましょ。明日はまた座りっぱなしの1日になりそうだから、少しでも長くベッドで横になっていたいし」
でも美波はガラムバーグに寄ることを望んでいないようだ。もしここで僕が強引にガラムバーグに行くことを決めたとしても美波は怒るだろう。ならば今は本来の目的である腕輪の入手を優先すべきだ。仮にガラムバーグに寄るにしても腕輪を手に入れた後にした方がいいだろう。
「そうだね。そうしようか」
僕たちは紅茶の後片付けをし、寝る準備を始めた。
借りたこの宿の部屋にはベッドが2つ。こういう部屋のことを”ツイン”と呼ぶらしい。美波が受付で「ダブルをひと部屋」と言った時、嫌な予感がして受付の人に聞いたのだ。案の定、ダブルとは2人が寝られるほどの大きなベッドが1つある部屋だった。そこで僕が慌てて変えさせたのだ。
「値段のわりにふかふかで良いベッドね」
ポニーテールを解いた美波がベッドに両手をついて弾力を確かめている。僕も彼女の真似をしてベッドを両手で押してみた。なるほど。確かにふかふかしていてほどよく押し返してくる。寝心地が良さそうだ。
「ホントだ。これならよく眠れそうだね」
「旅の疲れを癒すのにちょうどいいわね」
「うん。そうだね。それじゃおやすみ美波」
僕は照明を消してベッドに入り、目を閉じる。あぁ、これは落ち着いて眠れそうだ。昨日の夜は船の中だったから、ずっと揺られていて落ち着かなかったんだよね。
……ん?
その時、顔の横に何かの気配を感じ、僕は目を開けてみた。すると左目の辺りにふわりと何かが乗るのを感じた。見えたのは赤みがかった髪。こんなにしなやかで綺麗な髪が僕のものであるはずがない。ということはこの髪は……。
「美波? ――っ」
頬に柔らかくて暖かい感触。こ、これは……。
「おやすみ、アキっ」
そう言って身を
「う、うん。おやすみ……」
彼女の笑顔は暗がりの中にもかかわらず、キラキラと輝いて見えた。いつかこうした挨拶が当たり前になる日が訪れるんだろうか。そんな疑問を抱きつつ、僕は眠りについた。