翌朝。
この世界に来てから今日で3日目。僕はルミナさんに教わりながらキッチンで朝食の準備をしていた。するとガチャリと玄関の扉が開き、
「ふぁ……あぁ~……。ただいま~……」
眠そうな声と共にマルコさんが帰ってきた。彼は大あくびをしながらボリボリと頭を掻きつつ、こちらへと歩いてくる。見るからに疲労困憊といった感じだ。昨日は工房から帰って来なかったし、きっと徹夜したのだろう。
「おかえりなさい。お仕事は終わったの?」
「あぁ、なんとかね」
「お疲れさま。さ、席について。朝食にしましょう」
テーブルには既にパンにジャム、ソーセージが並べられている。そこへニンジンやジャガイモ、キャベツを使った野菜スープを出し、準備完了だ。
実はこのスープは僕がルミナさんに教わって作ったものだ。僕はこういったスープを作るのは初めてではない。ただ、コンロの火加減が分からなくて、少し火が強すぎたような気がする。少しジャガイモが崩れてしまったが、果たしてマルコさんの口に合うだろうか。
「うん。やっぱりルミナのスープは美味いな」
スープを一口飲んだマルコさんが誉める。良かった。問題ないみたいだ。というかルミナさんが作ったものだと思ってる?
「そう? ありがとっ。でも今日はちょっと手を変えてみたの。あなたに分かるかしら?」
「ん? 手を変えた? 調味料を変えたのか?」
「さぁ? どうかしらね」
「おいおい、意地悪しないでくれよ。俺に料理の知識が無いのは知ってるだろ?」
「ふふ……知ってるわよ。でもあなたも少しくらいお料理ができるようになってほしいわ」
「いいじゃないか。俺にとってはルミナの手料理が一番なんだからよ」
「まぁ、あなたったらお上手ね。でもヨシイ君だってお料理できるのよ? あなただってやろうと思えばできるんじゃないの?」
「うん? 本当か? ヨシイ」
「……」
「ヨシイ? どうした?」
……ハッ!
「あ……えっと、何でしょう?」
しまった、何も聞いてなかった。2人の会話に入っていけなくてボーっとしちゃってた……。
「ヨシイ君がお料理上手って話よ」
「えっ? いや、上手ってほどじゃないですよ? ただ必要だから覚えただけで……」
「ふふ……謙虚なのね。少なくともこの人の舌じゃ分からないくらいの腕はあるわよ?」
「なんだよ。俺にだってそれくらい区別――――ん? ……なるほど、そういうことか。つまり今日のスープはヨシイが作ったってことだな?」
「ようやく分かったようね。その通りよ」
「そうかそうか。すげぇじゃねぇかヨシイ。ルミナの手料理と変わらねぇぜ?」
「あ、ありがとうございます……」
なんだかこの2人、凄く仲が良くて見ているこっちが恥ずかしくなってくる。いたたまれない気持ちでいっぱいなのに、こうして話を振られたら余計に恥ずかしくなってしまうじゃないか。
もしかして美波と2人でお弁当を食べている時も周りにはこんな風に見えているんだろうか。だとしたら須川君たちが僕らの邪魔をしてくる気持ちも分からなくもないな……。
☆
食事を済ませるとマルコさんは「昼前に起こしてくれ」と言って寝室へ入ってしまった。ルミナさんが言うには、午後に精錬した剣を届けに隣町へ行くらしい。徹夜で剣の加工をしていたというのに仮眠を取るだけで大丈夫なんだろうか。
そう思っているとルミナさんは「様子を見てくるわ」と言ってリビングを出ていった。僕も少し心配になり、彼女の後を追って寝室へと向かった。そして寝室の扉をそっと開けて覗き込むと、
「ぐぉぉ~……ぐぉぉ~……」
マルコさんは既にいびきをかいて寝ていた。
「もう寝ちゃってるわ」
「早いですね」
「徹夜明けだもの。しょうがないわ。でもあんまり無理はしないでほしいわ……」
寝室の扉を閉めながらルミナさんは心配そうに表情を曇らせる。そんな彼女の気持ちは僕にも分かる。彼女は既に愛する息子を失っている。愛する人を失うということがどれだけ悲しいことなのか、今の僕にはよく分かる。だからこれ以上悲しい思いをしてほしくないのだけど……。
「ごめんねヨシイ君。そんな顔をしないで。さぁ戻って今日の勉強を始めましょう」
「……はい」
リビングに戻った僕らは今日の勉強をはじめることにした。今日はこの国についての勉強だ。
この国の統治者は”レナード王”。温厚で平和を愛する良き王であるというが、変わった趣味を持っているとも噂されている。王には2人の息子がいて、兄を”ライナス”、弟を”リオン”というそうだ。王はこの大陸を東西に分け、それぞれを2人の王子に統治させている。しかし最近この2人の仲が思わしくなく、目下のところ兄弟喧嘩の真っ最中で東西の行き来が制限されているらしい。このことは王の悩みの種であるともいう。
この国で最も大きな町は西側の北にある王宮都市”レオンドバーグ”。そこには各地からの情報が集まり、国内最大規模の魔石研究機関も存在するという。
「魔石研究?」
「えぇそうよ。ここで国中から集まった学者さんたちが魔石の使い方を研究しているの」
確かに昨日教わったコンロにも魔石が使われていた。つまりこういった魔石の使い方はその研究機関が編み出したということだろうか。
ここで再びあの疑問が湧いてきた。
その魔石は魔獣が持っているという話は昨日聞いた。だがそもそも魔獣とは一体何なのだろう? なぜ人間を襲うのだろう? あれは動物が突然変異したものなのだろうか? ルミナさんにそれを尋ねてみたら、彼女も詳しいことは知らないという。彼女が生まれた時には既に存在していて、魔石も生活に広く浸透していたそうだ。
ルミナさんは「魔獣の話は後でする」と言い、町の説明に戻った。この町から一番近い町はハーミル。マルコさんが午後に行く予定の町だ。ハーミルからは峠町サントリアと、第一王子が拠点とするドルムバーグに道が分かれる。この国の中央付近は山脈が連なり、東西の行き来にはそれを越える必要があるらしい。その峠のど真ん中にあるのがサントリアという町。この峠町を越えて山を西側に降りればミロード。更に西側には第二王子の拠点であるガラムバーグがあるという。
ルミナさんはこうして一気に町の構成を教えてくれたのだが、残念ながら僕の頭は完全に飽和状態に陥っていた。
「ハーミルにサントリアに……えぇと、えぇと……」
そんなに一度に町の名前を言われても覚え切れないよ……。頭を抱えて悶える僕。するとルミナさんは僕が困っているのを察してか、「ちょっと待ってて」と言って暖炉の横の棚から紙と筆のような物を取り出した。そしてその紙をテーブルに広げると、すらすらと絵を描き始めた。
「いい? ここが今いるラドンの町よ。ここから北に行くとハーミル。その先にはサントリアとドルムバーグがあって――――」
彼女は巧みに筆を操りながら紙に地図を描いていく。なるほど、これは分かりやすい。
「それでこの辺りにあるのがこの国で一番大きな町、レオンドバーグ。……レナード陛下がお住まいの王宮都市よ」
ルミナさんはそう言って、ぐるぐると一際強く強調して地図に印を付ける。
なぜこんなに強調するんだろう? 一番大きな町だからだろうか? その疑問に彼女はすぐに答えてくれた。
「私はあなたの言う”元の世界”への帰り方を知らないの。でもこの町、レオンドバーグなら何か手掛かりがあるかもしれないわ」
「手掛かり!? ほんとですか!?」
「あるとは言いきれないわ。でも可能性があるとすればここの王宮情報局だと思うの」
そうか、国中の情報が集まる町と言ってたっけ。確かに闇雲に探すより、こういった所で情報を集めた方が遥かに効率的だ。つまりその王宮情報局に調べてもらえばいいってことだな。よし、決めた! レオンドバーグへ行こう!
「ルミナさん! 僕、この町に行きます! どうやって行けばいいか教えてください!」
「そう言うと思っていたわ。でも今はまだ行かせられないわ」
「ど、どうしてですか!? 僕は一刻も早く美波の元に帰りたいんです!」
「ミナミ?」
「はい、僕の大切な……一番大切な人です。きっと僕の帰りを待ってると思うんです」
「そう……。それなら尚の事行かせるわけにはいかないわね」
「なっ!? ど、どうしてですか!!」
僕はすっかり興奮してしまい、バンとテーブルを叩きながら立ち上がる。そんな僕にルミナさんは冷静に理由を告げた。
「いいヨシイ君、よく聞きなさい。確かにレオンドバーグは素晴らしい情報機関を持っているけど、すぐに帰る方法が見つかるとは限らないわ」
「それは……そうですけど……」
「その方法が見つかるまで何ヶ月も掛かるかもしれない。そうなったらその間、あなたはこの世界で生活しなければならないのよ? でもこの世界にあなたの両親はいないし、養ってくれる人もいないでしょう?」
「……」
「だからまずこの世界で生活するための最低限の知識は身につけるべきなの。分かるわね?」
ルミナさんの言う通りだ……。僕は帰りたいと望むだけで、そのために必要なことを考えようとしていなかった。
「……すみません」
昨日も彼女は飛び出そうとした僕を引き止めてくれた。見ず知らずの僕のことをこんなにも親身になって考えてくれる彼女に感謝しなければならない。でもどうしてこんなに親切にしてくれるんだろう?
「あの……ひとつ聞いていいですか?」
「何かしら?」
「どうして僕のことをそこまで考えてくれるんですか?」
「そうね、どうしてかしらね。ふふ……」
彼女は手を口に当ててクスクスと笑う。
「私にもよく分からないの。……でも」
「?」
「私にできることがあるのなら何でもしてあげたいって、思うから……かな」
そう言って顔を上げたルミナさんは遠くを見つめるような目をしていた。その悲しそうな目を見た僕はなんとなく彼女の気持ちを察した。ルミナさんの子は幼くして命を落としている。きっと我が子の命を救えなかったことを悔いているのだと思う。
「ルミナさん! 僕にありったけの知恵をください! きっと元の世界に戻ってみせます!」
彼女の思いを無駄にしちゃいけない。僕はこんなところで終わっちゃいけないんだ! 美波のためにも!
「ありがとう、ヨシイ君」
「いえ。感謝するのは僕の方です」
「ふふ……それじゃ残りの授業を始めましょうか」
「はいっ!」
僕はルミナさんの講義を真剣になって聞いた。このあと彼女が教えてくれたのは、この世界での仕事。それと魔獣のことだった。
まず仕事だが、これは僕らの住む世界と大差無かった。穀物などの植物を栽培する農業に、家畜を育てる畜産業。これらを売る小売業。飲食店や宿泊施設を経営するサービス業もあるという。ただ、僕らの世界に無い職もいくつか存在していた。
そのひとつがマルコさんのように武具を作る鍛冶屋の存在。僕らの世界では武器なんて売っていない。そんな物を売れば銃刀法違反で逮捕されてしまう。だがこの世界では魔獣という脅威が存在するため、自分の身は自分で守らなければならない。だからマルコさんのような職は必須とも言えるだろう。
次に魔石加工商。これは魔石研究の成果を活用し、人々に魔石を提供する仕事だという。魔獣が落としたばかりの魔石は濁った色をしていて、そのままでは使えないらしい。これを細かく砕いて特殊な精練を施すことで、火をおこしたり水を浄化したりする力を発揮するのだという。それを行なうのが魔石加工商というわけだ。ただ、この職には専門的な知識が必要であり、国が認めた者に許される職らしい。つまり国家公務員のようなものだろうか。
次に教わったのは町と町の間の移動と通貨について。
町と町の間の移動手段として利用されているのは駅馬車。駅馬車は大体10人ほどが乗れる客車を引いていて、定期的に決められた区間を走っている。いわゆる市営バスのようなものだろう。運賃は区間によって違うらしいが、およそ1000ジンだという。
ここで初めて通貨の話を聞いたが、単位を”ジン”と言い、紙幣のみが存在するそうだ。少々かさばるが硬貨と違って重くないのが良い所とも言える。
そしてこの日最後に教わったのが魔獣について。
魔獣は人間を襲う。これはこの2日間で何度か聞いた。だが奴らが人間を襲うのは捕食するためではなく、ただ殺すだけだという。その理由は王宮情報局でも分かっていないらしい。
魔獣は動物と同じ姿をしていて、町の外に生息している。もちろん通常の動物も町の外に生息しているのだが、違いはそのサイズ。奴ら魔獣は通常の動物の何倍もの大きさの身体を持っているそうだ。一昨日僕が遭遇したリス型の魔獣もその例に
しかし魔獣は人間を襲うというのに、町は大丈夫なのだろうか? 襲われたりしないのだろうか? この疑問にルミナさんは現物を見せて説明してくれた。
「あれを見て」
窓のカーテンを開けると彼女はそう言い、外を指差した。
「あそこに大きな塔が見えるでしょ? あれは
彼女が指差す先には大きな塔が
「あの光は何ですか?」
「魔障壁よ。あの光は魔獣を寄せつけない力を持っているの」
「へぇ……」
「でも小さい魔獣は干渉を受けにくくて魔障壁の近くまで寄ってくるの。だから油断しちゃダメよ」
「分かりました」
「あれにも魔石の力が使われているのよ」
「ほへぇ~……」
魔石の力って凄いんだな……。
「でも町はあれで守られているとして、馬車はどうなんですか? マルコさんも馬車を使っていたけど危ないんじゃないんですか?」
「大丈夫よ。馬車はあの魔障壁の装置を小型化したものを搭載することを義務付けられているから」
「なるほど……」
ここまで魔獣を避ける仕組みができているなんて、人間の知恵って凄いんだな。でも言い替えれば魔獣は人間にとってこれほど危険な存在ということだ。あの時マルコさんが通りかかって本当に良かった……。
魔獣について知識を深めたところで、今日の授業はここまで。この日の残りの時間はルミナさんの家事を手伝って過ごした。
ルミナさんは「今日1日で大体のことは教えた。明日は今までのおさらいをする」と言う。明後日はいよいよレオンドバーグへ向けて出発だ。
世界の説明は今回でおしまい。次回から物語が動き出します。
それと、今回初めて挿し絵機能を使ってみました。大陸地図を描いたものですが、ちゃんと表示されていますでしょうか? もし表示されていなかったら感想やメッセージでご連絡ください。