バカと仲間と異世界冒険記!   作:mos

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第四話 強さ

「ん……」

 

 目を開けると無数の升目が見えた。赤茶色の四角形が隙間なく敷き詰められた壁のようなもの。それは大きくアーチを描いたレンガの天井だった。

 

「あっ、アキ? 気がついた?」

 

 スッと美波の顔が視界に入ってくる。彼女は大きな目を潤ませ、僕の目を見つめる。

 

「美波……」

 

 体を起こして周囲に目を向ける。どこかの部屋の中のようだった。

 

「ここは……?」

「隣の部屋よ。坂本がベッドに運んでくれたの。大丈夫?」

「僕は……一体……」

 

 雄二が運んだ? そうか。僕は気を失っていたのか。でもなんで気を失ったんだっけ? 確かさっきまで雄二と言い争っていて……秀吉に魔人のことを聞かれて……それで…………。

 

「う……く……」

 

 胸が……苦しい……。

 

「どうしたのアキ? どこか痛いの? 痛い所があるのなら言って?」

「はぁっ……はぁっ……うっ……はぁっ……」

 

 うまく呼吸ができない。それに酷い目眩と手足のしびれ。こんな状況で答えられるわけがなかった。

 

「げほっ! げほっ! げほっ! う……くっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

 

 魔人の顔を思い出すと全身の筋肉が硬直する。心臓がものすごい勢いで脈打ち、呼吸すらできなくなってしまう。

 

「落ち着いてアキ。大丈夫よ。ゆっくり息をして」

 

 美波が背中をさすってくれる。すると次第に身体の緊張がほぐれ、息が整ってきた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「どう? 少し落ち着いた?」

 

 手足のしびれも治まり、思考力も戻ってきた。けれど頭の中は未だ恐怖が支配している。

 

「う……うぅ…………あ、ぅ…………」

 

 怖かった。あの魔人が堪らなく怖かった。何の躊躇(ためら)いもなく命を奪おうとする悪魔。その存在を思うと勝手に手足が震えてしまい、どうにもならなかった。

 

「ひょっとして……あの魔人が怖いの?」

 

 僕の背中をさすりながら美波が尋ねる。僕は震えながら数回頷いた。

 

「やっぱりそうなのね……大丈夫よ。町に居る限りあいつは襲って来ないわ」

「ぼ、僕は……! ま、守れなくて……! だっ、だから……! 怖くて……! あいつが……あいつが……美波を……!」

 

 理不尽に命を狙われたことが怖かった。それ以上に美波を失いそうになったことが怖かった。美波の命が奪われようとした時、何もできなかったことが何よりも怖ろしかった。

 

「いっ、嫌だ……! みなみが……! みなみが……! 嫌だぁぁぁぁっ!」

「アキ……」

 

 僕はベッドから身を乗り出し、美波に抱きついた。彼女の袖に必死にしがみつき、子供のように震えた。

 

「しっかりしなさい!!」

 

 美波はそんな僕を引き剥がし、怒鳴りつけた。

 

「アンタ船の上で自分がなんて言ったか覚えてないの!? 絶対にウチを守るって言ったでしょ! そんなに弱気になってどうするの! いつものアンタはどこに行ったの!!」

 

 ガクガクと両手で僕の肩を強く揺らし、大きな吊り目を更に吊り上げて美波が怒鳴る。

 

「で……でも、ぼ、僕は……あいつに……負け……」

「一度負けたのがなんだって言うの!」

「だ、だってあいつは……とっても強くて――」

 

 ――パチン

 

 左の頬に衝撃を受けた。

 

「いつまでもくよくよしない!」

 

 何が起こったのかすぐには分からなかった。けれどこのヒリヒリと痛みだす頬が今起こったことを教えてくれた。この衝撃は身に覚えがある。あれは忘れもしない、クリスマスの数日前のこと。美波と喧嘩をしてしまった時に受けたビンタ。あの時ほど強く殴られたわけではなかったが、それでもこの時の僕にとっては衝撃的だった。

 

「いいことアキ、よく聞きなさい。アンタはもう二度と負けたりしない。相手が誰であろうと! 絶対に! だってウチがついてるんだから!」

 

 真正面からキッと睨みつけ、美波が大声で怒鳴る。僕は左の頬を押さえながら呆然とその様子を見つめていた。

 

「あの時はウチも相手の力が分かってなかった。だから油断して簡単にやられちゃったけど、もうあんな失敗はしない。もしまた出会ったとしても今度は負けない! ウチらが力を合わせたら絶対に負けたりしない!!」

 

 美波の向ける眼差しから強い意思が伝わってくる。彼女の言葉には何の根拠も無い。ヤツに勝つための強力な武器や新たな戦法が示されたわけではないのだ。いや、2人掛かりというのも戦法のひとつだろうか。けれどそれだけでヤツに勝てるとは思えない。

 

 ただ、その言葉には不思議な説得力があった。そしてこれもまた不思議なことに、今まであれだけ怖れていた気持ちがスゥッと消えていった。身体の震えが止まり、不安でぐちゃぐちゃにかき回されていた頭も急にクリアになってきた。まるで一陣の風が雲を吹き飛ばしたかのようだった。

 

「……ごめん」

 

 ――この時、僕は自分の弱さを知った。

 

「ううん。アキの怖い気持ち、ウチにもよく分かる。ウチだって絶対にアキを失いたくないもの」

 

 そう言う彼女の表情は優しく、温かな微笑みへと変わっていた。

 

「でも大丈夫。ウチはアキと一緒ならどんな困難だって乗り越えられる。もちろん元の世界に帰ることだってできるって信じてる」

 

 美波は強かった。腕っぷしとか試召戦争とかそういったことではなく、精神的に強かった。

 

「だから――」

 

 彼女はそこで一旦言葉を区切り、

 

「一緒に帰ろ? ね?」

 

 僕の唇に軽くキスをし、にっこりと微笑んだ。

 

 美波は最も強い心の力――”勇気”をくれた。

 

「……ありがとう……もう、大丈夫」

 

 そうだ。怖れていても前には進めない。ヤツが魔障壁を苦手にしていることは分かっている。ならば対処方法はある。魔障壁から離れなければいいんだ。それにこうして雄二たちとも合流できた。帰る方法だってすぐ見つかるだろう。そうさ。僕らは元の生活に戻れるんだ。

 

「ホントにもう平気?」

「うん。本当だよ」

「ホントにホント?」

「うん。本当に本当」

「……嘘じゃないみたいね。良かった……」

「ゴメン。心配かけて」

「そうね、この貸しはいつか倍にして返してもらおうかしらね」

「倍は勘弁してほしいなぁ」

「ふふっ冗談よ。……皆の所に戻る?」

「うん」

 

 どうやら僕が寝かされていた部屋は宿の別室だったようだ。隣の部屋に行くには一旦廊下に出なければならない。僕はベッドから降り、美波と共に隣の部屋へと向かった。

 

「こっちよ」

 

 美波の案内に従い、僕は皆の待つ隣の部屋に向かった。

 

「皆、アキが目を覚ましたわ」

 

 扉を開けて美波が言うと、姫路さんと秀吉が駆け寄ってきた。

 

「明久君! もう大丈夫なんですか!?」

「うん。ごめんね姫路さん。迷惑かけちゃったみたいで」

「いいえ、そんなことありませんよ。でも良かった……」

「明久よ、どうやらワシは余計なことを言ったようじゃ。すまぬ。この通りじゃ」

 

 秀吉が深々と頭を下げる。こんな風に秀吉に謝られるなんて初めてのことだ。

 

「や、やめてよ秀吉、これは僕の問題であって秀吉のせいなんかじゃないよ?」

「じゃがきっかけを作ったのはワシじゃ」

「いいから気にしないでってば。もう大丈夫だか――」

「明久、ちょっと来い」

 

 秀吉と話していると雄二がマジな顔をして割り込んできた。

 

「何? 雄二」

「いいからちょっと来い」

「? うん」

 

 なんだろう? と雄二について廊下に出てみると、こいつは変なことを言い出した。

 

「魔人のことは島田から聞いた。大変な目にあったようだな。普段ならざまぁみろと言うところだが、今回ばかりはそうもいかねぇようだ」

「……うん。でももう大丈夫さ。それで何の用?」

「散歩してこい」

「は? 散歩? なんで?」

「気分転換だ。少し風に当たってこい」

「いや、いいよ。今は散歩なんて気分じゃないし」

「いいから島田を連れて行ってこい!」

「な、何なんだよいきなり。わけ分かんないよ」

「ぐだぐだ言ってねぇで行ってこいって言ってんだよ!!」

「わ、分かったよ。そんなに怒鳴るなよ。行けばいいんだろ? 行けば……」

 

 ホントにもう……なんなんだよ……。

 

「島田、明久が散歩に行きたいそうだ」

 

 部屋に戻ると雄二は美波に向かってそんなことを言った。何を言ってるんだコイツ。強引に行かせたのはそっちじゃないか。

 

「散歩? そうね。この国に来てからまだ何も見てないし、いいかもしれないわね」

「だ、そうだ。行ってこい明久」

 

 なんだってそんなに散歩に行かせたがるんだろう。美波のおかげで気分は晴れてきたけど、まだ完全な調子とは言えないんだけどな……。

 

「行こ。アキ」

 

 でも美波がその気になってるし、行ってくるか。

 

「うん。じゃあちょっと行ってくるよ」

「あの……明久君、本当に大丈夫なんですか?」

 

 姫路さんが両手を合わせ、祈るような仕草を見せながら言う。そんなに心配してくれるのか。本当に優しい子だな。

 

「心配いらないよ。ちょっと散歩してくるだけだからさ。すぐ戻るよ」

「でもでも! さっき倒れたばかりなのに!」

 

 う~ん……心配してくれるのは嬉しいけど美波が待ってるんだよね。どう言えば納得してくれるだろう。

 

「……瑞希」

「翔子ちゃん……」

「……瑞希。吉井を信じてあげて」

 

 僕が困っていると、霧島さんは姫路さんの肩にそっと手を添え、(なだ)めてくれた。霧島さんは姫路さんとは対照的に冷静に見てくれているんだな。

 

「分かりました……すぐ戻ってきてくださいね、明久君」

 

 どうやら納得してくれたようだ。なるほど。こうやって言えばいいのか。今後の参考にしよう。

 

「うん、分かってる。それじゃ行ってくるよ」

「明久よ、この宿の場所を忘れるでないぞ」

「それは大丈夫よ木下。ウチが覚えてるから」

「んむ。ならば心配無用じゃな」

「はいはい、どうせ僕は物覚えが悪いですよ」

「すねてないで行くわよアキ」

「おわっ!? ちょっと引っ張んないでよ美波! まだ靴履いてないんだよ!」

「早くしなさいよ、ほらっ」

「あぁっ! だから靴ぅぅっ!」

 

 こうして僕は美波に引きずられるように散歩に出た。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「それにしても雄二よ。ずいぶんと強引に行かせたのう」

「あぁ。あいつには気分転換が必要だと思ったからな」

「ふむ……して、そのココロは?」

「俺は中学の頃に散々喧嘩して命のやり取りなんざいくらでもしてきた。本気でナイフを振り回すバカもいたからな。だがあいつは違う。能天気なあいつのことだ。今まで争い事とは無縁で、本気で殺しにかかる相手に出会うのは初めてだろう」

「そうじゃろうな」

「……あいつはどうしようもないバカだが、信念を持っている。けどな、ああいうヤツはその信念が打ち砕かれると弱いもんだ」

「ふ……なんだかんだと言うても、あやつのことを心配しておるのじゃな」

「心配してるわけじゃねぇよ。ただ落ち込んでいられると話ができねぇってだけだ」

「親心というやつじゃな」

「冗談でもやめろ。あいつの親代わりなんてまっぴら御免だ」

「お主も素直ではないのう」

「ほっとけ。とりあえずあいつらが戻ってくるまで俺たちで状況を整理するぞ」

「んむ。了解じゃ」

 


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