翌朝。
目を覚ますとレンガ造りの家の中だった。
やっぱり元の世界には戻ってないか。まぁ世の中そんなに甘くないよね。……ハァ……これからどうしよう……。悩みながらベッドから降り、僕は重い足取りで隣のリビングへと向かう。
「あら。おはようヨシイ君。昨日はゆっくり眠れた?」
リビングの扉を開けると長い髪の女性が笑顔で迎えてくれた。……不思議だ。この笑顔を見ているとなぜか心が落ち着く。あんなに気分が落ち込んでいたのに、一瞬にして晴れやかな気分になってしまった。美波の笑顔は僕を元気にしてくれるけど、ルミナさんも同じ力を持っているのだろうか。
「おはようございますルミナさん。おかげさまでよく眠れました」
「それは良かったわ。お腹
確かにグゥと鳴るほどに腹は
「えっと、その……いいんですか?」
「えぇ、もちろんよ」
輝くような笑顔で答えるルミナさん。
「そ、それじゃあ、いただきます」
少しは遠慮しよう。頭の中ではそう考えていたのに、僕の口は意思に反した言葉を発していた。
こんな笑顔を向けられてしまったら抵抗する気はどこかへ飛んでいっちゃうよな……。ん? 待てよ? この世界の食べ物って僕にも食べられるんだろうか? あ、そういえば昨日の夜ホットミルクを貰ったっけ。全然違和感が無くて気にしなかったな。ということは食べ物も問題ないんだろうか?
「それじゃ座って待っててね。すぐにできるからね」
僕は言われた通り席に着く。テーブルには緑色の葉のサラダや黄色いスープ、それに丸いパンのようなものが並んでいた。ごく普通の朝食に見えるな……。
「これでできあがりよ。どうぞ召し上がれ」
芳ばしい香りを乗せた皿をテーブルに置き、ルミナさんは向かいの席に座る。
「いただきます」
まずはスプーンを手に取り、スープを掬って一口飲んでみる。……まろやかな風味のクリーム仕立て。具はトウモロコシだろうか。どうやらコーンスープのようだ。
続いてフォークでサラダを取り、口に入れる。……パリパリとした葉の食感。これも普通の野菜だ。
次に皿に盛られた芳ばしい香りを放つベーコンのようなものを口に運ぶ。……カリッとした歯応えに程よい塩味。それに口の中で広がる胡椒のような香辛料の味。見た目どおりベーコンのようだ。
なんだ、全部普通の食材じゃないか。味付けも僕が作るのとほとんど同じだ。これなら問題なく食べられそうだ。そう思ったら急に食欲が湧いてきてしまった。
「はぐ、はぐっ! もぐもぐもぐ……。はむっ、はぐっ!」
僕は次々に食べ物を口に放り込んでいく。それはもう”ガツガツ”という擬声音が相応しいくらいの勢いで。
「あらあら、そんなに慌てて食べなくても沢山あるから大丈夫よ?」
「ふ、ふんごふおいひいでふ!」 ←(訳:すんごく美味しいです)
「そう? ありがと。でも口の中に物を入れたまま喋るのはお行儀が悪いわよ?」
ルミナさんはそう言って微笑みながら僕が食べる様を楽しげに眺める。彼女の用意してくれた朝ご飯は本当に美味しかった。パンやスープ、ベーコンはもちろん、野菜に至るまで全てが美味しかった。それもそのはず。なにしろ昨日の昼以降、何も食べていなかったのだから。
空腹は何物にも勝る調味料って本当なんだな。そんなことを考えながら僕は夢中で食べ続ける。そして10分もすると、テーブルに乗っていた料理は綺麗に無くなってしまった。
「ふぅ~……。ごちそうさまでした」
腹を満たした僕はようやくいつもの調子を取り戻したような気がした。そうさ、くよくよしたって始まらない。とにかくできることをやっていくしかないんだ。
よし、これからの行動を考えないとな。今の僕の目標はただひとつ。元の世界に帰ることだ。それにはまずはこの世界について知るべきだろう。
「いい食べっぷりね。作ったこっちも嬉しくなっちゃうわ」
「あ……なんだかお世話になりっぱなしですみません」
「いいのよそんなこと気にしなくて。私たちは好きでやってるんだから」
「そ、そうなんですか……。あ、ところでマルコさんは?」
「あの人なら朝早くから工房に籠もってるわよ。今日中に全部仕上げるんだって息巻いてるわ」
そうか、マルコさんの仕事は鍛冶屋だっけ。昨日の夜も大量の剣を担いでいたな。きっとあれの再生加工をする仕事なんだろう。
「あの人に何か用があるの? 呼んで来ましょうか?」
「あ、いえ。ちょっとこの世界のことについて聞きたかっただけなので……仕事が終わってからでいいです」
うん、後にしておこう。仕事の邪魔をしちゃ悪いし。
「この世界のこと? 私で良ければ教えましょうか?」
「ルミナさんが? いいんですか?」
「えぇ、もちろんよ。ちょうど私も話し相手が欲しかったし。あの人って仕事に夢中になると夜まで出て来ないから、ちょっと寂しかったのよね」
「そうだったんですか。それじゃお願いします」
「何でも聞いてね。私の知ってることなら答えるわ」
僕はまず、自分がこの世界の住民ではないことを伝えた。だが突然こんなことを言ってもすぐには信じてもらえないだろう。そう思って”信じられないかもしれないけど”と付け加えたのだが、意外にもルミナさんは「ふ~ん、そうなのね」と素直に受け止めてくれた。思ったより理解力のある人のようだ。
次にこの町について聞いた。国の名前は”ハルニア王国”で、町の名前は”ラドン”。これは昨日マルコさんから聞いて知っている。ルミナさんはこれに加え、この町が最も南に位置する町であることを教えてくれた。
この時、僕は胸にズキッという痛みを感じた。”みなみ”という言葉に反応してしまったのだ。
僕がこの世界に飛ばされてから既に一夜が明けている。何の連絡もなく突然姿を消し、夜が明けても帰ってこない。普通に考えればこれは行方不明事件として扱われてもおかしくない。もう警察に捜索願いが出されているかもしれない。いや、その前に美波が僕を捜しているに違いない。
そう考えていたら、必死になって僕を呼んでいる美波の姿が脳裏に浮かんできてしまった。美波が心配している……! 一刻も早く帰らないと!
「すみません! やっぱり僕、自分の目で見てきます!」
いても立ってもいられなくなった僕は椅子を跳ね飛ばし、家を飛び出そうとする。
「お待ちなさい!」
だがルミナさんはそんな僕を強い口調で止める。いままでの温厚な雰囲気の彼女とはまるで別人のようだった。僕はその声に驚き、ドアノブに手を掛けたまま動きを止めた。
「落ち着きなさい。今のあなたは何も知らない赤ん坊も同然よ。行くのなら私の話を聞いてからにしなさい」
凜とした口調でゆっくりと話すルミナさん。確かに彼女の言うとおりだ。今はこの世界についてほとんど分かっていない。こんな状態で飛び出して行っても結局何もできず、無駄に時間を浪費するだけだ。僕はその言葉に説得力を感じ、テーブルの席に戻ることにした。
「慌てちゃダメよ。まずはしっかりと知識を得なさい。いいわね?」
「……はい」
「でも一気に覚えられないでしょうから……そうね。私の家事を手伝いながら勉強するっていうのはどうかしら?」
「家事、ですか?」
「そうよ。ここでの生活はあなたの住む世界とは違うんでしょう? それなら実際に生活しながら学ぶのが一番よ」
なるほど、留学制度とかで聞くホームステイってやつか。もしこの世界での生活が長引くようなら生活様式を学ぶのは大事なことだ。長引きたくはないけどさ……。
「分かりました。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね。私も話し相手ができて嬉しいわ。うふふ……」
こうして僕の異世界生活が始まった。
☆
僕はルミナさんに教わりながら、この世界での生活を学んでいく。
まずは食べ物。
昨晩に貰ったミルクは牛の乳だった。それから今朝のサラダの葉はサラダリーフという、サラダ用に作られた植物。スープの具はトウモロコシ。パンは小麦粉で作られ、ベーコンも豚肉であった。
やはり食べ物は僕の住む世界と違いは無いようだ。調理方法もほとんど同じみたいだし、食べ物に困ることは無さそうだ。”食材を調達できれば”の話だけど。
次に、水や火の扱いについて。
これは僕らの世界とは違っていた。まず火だが、調理にコンロのようなものを使うのは同じだった。ただし燃料にガスや電気を使わず、代りに”魔石”と呼ばれる石を使っていた。この石は魔獣が持っていて、人々は町周辺の魔獣を駆除するのと同時にこの石を得ているのだという。
つまり魔獣はこの世界に住む人にとって脅威でありながら、生活に欠かせない存在でもあるということになる。なんとも不思議な関係だ。
水は最近になって上水道が整備されたらしく、蛇口を捻れば出るようになっていた。上水道施設はこの町の中央にあり、魔石の力を利用して地下水を浄化しているという。この施設ができるまでは井戸水を汲み上げていたそうだ。
料理や洗濯、入浴など水を必要とする場面は多い。僕は水道のある生活しか知らないけど、井戸水を汲み上げる作業はかなりの重労働であったことは僕にも想像できる。
この日はここまでを学び、僕は食材と火および水についてを理解した。そしてこの時点で僕にできることがひとつ増えた。もちろん料理だ。と言っても、元の世界でも”できる”と言えるのはこれくらいしか無いのだけど。
そしてこの日は水回りの仕事ということでもうひとつ、衣類の洗濯についても教わった。
洗濯は水による手洗いと天日干しが基本らしい。洗濯機のような機械は無いのか? と尋ねたところ、一応そのような利器もあるらしい。だがそれは魔石を利用した非常に高価な物で、金額的に手が届かないのだとルミナさんは苦笑いする。
ここまでを学んだ僕はこの日、残りの時間をルミナさんの家事手伝いに当てることにした。