「着きました。ここですよ」
姫路さんは宿の一室の前でそう言うと、トントンと扉を叩いた。
「私です。瑞希です」
彼女が名乗るとすぐにキィと音を立てて木製の扉が開き、
「おう、戻ったか」
赤い毛を逆立てたゴリラが出てきた。
……それもピンクのエプロン姿で。
「お? 明久じゃねぇか」
「すみません。変態ゴリラに知り合いはいないんですけど……」
「どうやら3枚に下ろしてもらいてぇらしいな」
ゴリラの右手にはバナナではなく、長さ20センチほどの出刃包丁が握られていた。
「うわわっ! じょ、冗談だよ冗談! 包丁は危ないからやめようよ! ね! 雄二!」
「チッ……いつかコロス」
さすがに包丁を持ってる時にからかうのは危険か……。
「騒々しいのう。一体どうしたというのじゃ?」
爺言葉と共にゴリラの後ろから現れたのはエプロン姿の可憐な少女。
「秀吉! 無事だったんだね!」
「おぉっ、明久ではないか! お主どこへ行っておったのじゃ!」
「それはこっちの台詞だよ! 心配したんだぞ!」
「坂本、木下、久しぶりね」
「んむ? おぉ島田もおったか。お主も無事で何よりじゃ!」
「えぇ、おかげさまでね」
「……雄二。皆を中に」
「あぁ、そうだな。お前らとりあえず中に入れ。積もる話は後だ」
僕たちは宿の部屋に上がらせてもらった。そこは意外に広く、自宅のリビングと同じくらいの広さがあった。部屋の中にはベッドが2つに大きな円卓テーブルが1つ。テーブルには白い皿が並べられていて、食事の準備中であったことが覗える。
そうか、だから雄二と秀吉がエプロンを付けていたのか。それにしても秀吉のエプロン姿は貴重だ。ぜひ写真に納めておきたいところだが、この世界にはカメラが存在しない。非常に残念だ。仕方ない。この光景は僕の脳にしっかりと刻み込んでおこう。
「ときに明久よ、お主昼食は終わっておるか?」
「いや、まだだよ」
「ふむ。雄二よ、2人前追加じゃ」
「あいよ」
「えっ? 坂本、ウチらもごちそうになっちゃっていいの?」
「あぁ、4人分も6人分も大して変わらねぇからな」
「なんか悪いわね。押しかけちゃったみたいで」
「明久の分はお前が作りたいってんなら4人分にしておくが?」
「ふぇっ!? な、何言ってんのよ! 誰もそんなこと言ってないでしょ!? いいから6人分作りなさいよ!」
「今更照れることでもないじゃろ」
「う、うるさいわね木下! 余計なこと言ったらぶん殴るわよ!」
うんうん。美波も楽しそうで何よりだ。しかしこうしていつもの仲間が集まると賑やかだな。美波との2人暮らしも楽しかったけど、ここには別の楽しさがあるな。
「雄二、僕も手伝うよ」
「おう。そいつは助かるぜ」
「キッチンはこっちじゃ」
へぇ。この宿にはキッチンがあるのか。宿というより賃貸の家に近いのかな? と思ったら、魔石コンロを借りて部屋の中で調理ができるようにしただけだった。食事を付けると宿代が高くなるかららしい。なるほど、そういう手もあったか。
(ところで雄二、姫路さんに味付けとかさせてないよね?)
(無論だ。だから翔子と一緒に行かせた。俺だってこんなところで命を散らせたくないからな)
(それを聞いて安心したよ)
(秀吉はずいぶん苦労したらしいがな)
(秀吉が? なんで?)
「あの、坂本君、私に何かお手伝いできることありませんか?」
ビクッ!?
「い、いや! 姫路は島田と話しでもしていてくれ!」
「そうだよ姫路さん! ようやく皆集まったんだからここは僕たち男子に任せてよ!」
「でも……」
「いいからワシらに任せい。ほれ行くのじゃ」
秀吉が姫路さんの背中を押してキッチンから遠ざける。ナイスだ秀吉。
「そうですか……分かりました」
すると姫路さんは少し寂しそうな顔をして戻って行った。ごめんよ姫路さん。気持ちは嬉しいけど必殺料理人に作らせるわけにいかないんだ。
「ふぅ。危なかったな」
「ホント、よく今まで無事だったね」
「あぁ。秀吉の苦労を称えてやってくれ」
「そういえばさっきもそんなこと言ってたね。何のこと?」
「まぁその話は後だ。とりあえず飯にするぞ」
「分かった。ところで秀吉、なんか嬉しそうだね」
「ふっふっふっ。ようやくワシもお主に男子と認められたのでな」
「認めた? 僕が?」
「先程お主が申したではないか。”男子”に任せよとな」
「うん。だから僕と雄二に任せてって話だけど?」
「……ワシは悲しいぞい……」
なぜか秀吉は背中を向け、しゃがみ込んで床に”の”の字を書き始めてしまった。なんだろ。僕、何か傷つけるようなこと言った?
「秀吉、すまんができあがったものからテーブルに運んでくれ」
「了解じゃ!」
雄二が頼むと秀吉は急に元気になり、嬉しそうにお皿を運びはじめた。いつもポーカーフェイスだったのに、なんだか感情表現が豊かになった気がする。
「よし、こいつで最後だ。秀吉、持って行ってくれ」
「んむ」
程なくして昼食の準備は完了。僕たちは久しぶりに6人での楽しいランチタイムを過ごした。
☆
昼食が終わり、後片づけを済ませた僕たちは円卓テーブルに集合した。雄二が作戦会議をすると言うからだ。
「よし、それじゃ1人ずつ順に、この世界に飛ばされてからここに来るまでの間に経験したことを残さず話してくれ。何か手掛かりがあるかもしれない」
「そうですね。3人寄れば文殊の知恵。きっと帰る方法も見つかりますよね」
「……6人なら効果は2倍」
「ん? ちょっと待ってよ雄二。それじゃ雄二も帰る方法知らないの?」
「知っていれば飯なんか作ってないで帰ってるだろが」
「そっか。雄二ならもう帰り方を見つけてると思ったんだけどなぁ……」
「この世界じゃ俺たちの常識が通用しねぇ。簡単には行かねぇよ」
「ではワシから話すとするかの」
秀吉はハキハキとした口調でここまでの経緯を話し始めた。
秀吉はこの国の北の町、ラミールという町の近くで目を覚ましたらしい。しかし僕と違ってすぐに町の中に入れてもらい、事なきを得たそうだ。そしてそこで姫路さんと再会したのだという。ところが姫路さんは完全に気が動転してしまっていて、話しかけても泣くばかり。落ち着いて話ができるようになったのは日が暮れはじめてからだったという。
「あの時はワシも犬のお巡りさんになった気分じゃったわい」
「すみません木下君。ご迷惑をお掛けしてしまって……」
姫路さんがしょんぼりと項垂れて謝る。やっぱり姫路さんには辛い状況だったんだな。でも秀吉がいてくれて良かった。
「なんの。困った時はお互い様じゃ。その代わりワシが困った時は助けてもらうぞい?」
「……はいっ」
「では話を続けるぞい」
落ち着いて話ができるようになってから2人は相談し、迷子になった時の常識に従い、動き回らずに助けを待つ事にした。しかし何時間待っても助けが来る気配がない。そうしているうちに日が暮れてしまい、お腹も減ってきた。そこでこのままでは
それにはまず食べ物と、次に寝る場所が必要だ。当然これらにはお金が要るが、迷い込んだばかりのこの世界の通貨など持っているはずがない。けれど幸いなことにこの世界の住民は言葉が通じる。そこで2人はお金を得るため働き口を探し、いくつかの店を巡り事情を説明したところ、ある飲食店で2人をウェイトレスとして雇ってくれたそうだ。
2人はその店で住み込みで働きながらこの世界について学んだ。そして数日が過ぎ、生活の知識を得た彼女らは元の世界に帰るために自ら行動することを決意。情報を求めて大都市であるこの王宮都市サンジェスタに来たところで雄二と霧島さんに偶然出会ったのだという。
「私、木下君がいなかったら今頃どうなっていたか分かりません」
「んむ? ワシは何もしておらんぞ? たまたま同じ町におったに過ぎぬ」
「いいえ。私ひとりでは何もできなかったんです。木下君がこの世界で働こうって言ってくれたからこうして皆に会えたんですよ」
「よ、よさぬか姫路よ。照れるではないか……」
仄かに頬を赤く染め、ポリポリと頭を掻く秀吉。あまり見ることのない”はにかむ”秀吉の姿はとても可愛いかった。
「ワ、ワシの話は終わりじゃ! 雄二よ! 次はお主の番じゃぞ!」
秀吉ってこんな風に照れるんだな。初めて見たかもしれない。
ん? そうか。秀吉は姫路さんと一緒だったから食事をどうするかが問題だったわけか。さっき雄二が”秀吉の苦労を称えろ”と言っていたのはそういうことだったんだね。秀吉、ホントに無事で良かったよ……。
「へへ、秀吉もやるじゃねぇか。見直したぜ」
「もう忘れるのじゃ! いいからお主の話を始めるのじゃ!」
「わーったよ」
雄二はコホンと一度咳払いをすると、ここまでの経緯を語り出した。
雄二が目を覚ましたのはこの国の西側にある町ルルセア。とある民家の屋根の上だったという。それも霧島さんに揺り起こされたらしい。さすがの雄二も周囲の様子に驚愕。どう見ても教科書で見た”中世ヨーロッパ”の光景だったからだ。この辺りの反応は僕と同じようだ。
屋根から降りた雄二と霧島さんは、まずはここがどこなのかを調べた。日本語が通じるが、町の様子からして明らかに日本ではない。西洋風のレンガ造りの家。石畳の道。交通機関は馬車。電気も無ければガスも無い。代わりに生活に深く浸透している”魔石”と呼ばれる不思議な鉱石。
これらを総合して判断した結果、2人はここを自分たちの住む次元とは別の”異世界”であると結論付けた。そして2人は元の世界に帰る術を探すため行動を開始。だが探すにしても何のヒントも無く、それが容易でないことは火を見るより明らか。そこで秀吉たちと同じように働き口を探したという。
「やはり考えることは同じじゃのう」
「生きて行くためには金がいるからな」
「僕はこの世界で働いたことはないよ?」
「なんだと? それじゃお前、今までどうやって生き延びて来たんだ?」
「えっとね――」
「ちょっと待ってアキ。坂本、とりあえずアンタの話を終わらせない?」
「そうだな。明久、お前の話は後だ」
「うん」
雄二は続きを話し始めた。
帰還が困難であることを悟った雄二はすぐに働き口を探し始めたという。2人は手当たり次第に店を当たり、仕事を求めた。そして数件目のある飲食店で雇ってもらえることになったそうだ。雄二は宿の酒場でウェイター。霧島さんは料理人の下働きとして働き、情報を集めながら数日間を過ごしたという。
だが西の町は人の出入りが少ない。宿に泊まる客も固定客が多く、あまり多くの情報が得られなかった。そこで数日前、より多くの情報を求めてこの町に移動して来たのだそうだ。
「んで、馬車を降りたら秀吉と姫路が目の前にいたってわけだ」
「……凄い偶然」
「本当にびっくりしました。この世界に来たのは木下君と私だけと思い込んでましたから」
「俺はなんとなく来てるような気はしてたがな。明久、もちろんお前もな」
「どうしてそう思ったのさ」
「そりゃお前、俺がこんな目にあってるのにお前が同じ目にあわないわけないだろ?」
この野郎、喧嘩を売ってるのか? けどまぁ結構大変な目にあったみたいだし、今日のところは許してやろう。もちろん腕っ節で敵わないからではない。
「それじゃ最後は明久だな。お前の話を聞かせろ」
「うん。でもちょっと待って」
「なんだ? 何か不満でもあるのか?」
「いや、不満は無いんだけどさ、ムッツリーニはどこに行ったのさ。あいつから僕たちのことを聞いたんだろ?」
「ムッツリーニなら朝から書物屋に行ってるぞ。1人で調べると言ってな」
「土屋君、凄く熱心ですよね」
「ホントね。あんなにアクティブな土屋、見た事無いわ」
ムッツリーニが珍しく好評価を貰っている。その行動原理が”エロの集大成であるパソコンの危機”ということは内緒にしておこう。
「ムッツリーニの話は僕から話すよ。途中で聞いたからね」
「そうか、頼むぞ」