翌朝。チュンチュンという小鳥の歌声で僕は目を覚ました。
「ん~っ……。朝かぁ……」
僕はベッドの上で上半身を起こし、ぐーっと背を伸ばす。ここで気付いた。
昨日は身体を起こすだけであれだけの痛みを伴ったのに、今は全然痛くない。試しに右と左の肩をそれぞれぐるぐると回してみる。多少ギクシャクする感じはあるが、痛みは無い。一晩でほぼ治ったようだ。あれほどの傷が一晩で治ってしまうなんて、治療帯の効果は本当に素晴らしいな。関心しながらベッドを降りようと無意識に足を床につけた。すると、
「いっ――! つぅ……」
左のふくらはぎにズキンと痛みが走った。そうか、足に受けた傷はまだ回復していないのか。あれだけ深い傷を受けたんだ。一晩で治らなくても仕方ないか。ところで美波はどこだろう? リビングかな?
普通に歩こうとするとやはり左足が痛い。僕は足をやや引きずりながら部屋を出て、リビングに顔を出してみた。しかしそこに美波の姿は無かった。ただ、その隣の部屋からはトントンと包丁で何かを切る音がしている。どうやらキッチンで料理をしているようだ。
僕は壁に手を突きながら、ゆっくりとキッチンへと向かう。するとそこでは黄色いリボンと赤茶色のポニーテールが元気に揺らめいていた。
「おはよう美波」
「あっ、アキ? おはよっ! もう動いて平気なの?」
エプロン姿の美波が包丁を片手に微笑む。もはや見慣れた光景だ。
「うん。もうほとんど治ったよ。足はまだみたいだけどね」
「そうなの? 昨日あんなに傷だらけだったのに1日で治っちゃうものなの?」
「嘘だと思うのなら見てみなよ」
僕は上半身の治療帯をスルスルと外していく。熊の魔獣から受けた打撲傷も一晩で治っていたし、今回もきっと傷痕も残さず治っているだろう。
「ちょっ、ちょっとアキ!?」
「ん? 何?」
「何じゃないわよ! こんなところで脱がないでよ!」
「ほぇ? なんで?」
「なんでって、裸なんか見せないでって言ってるの!」
「僕は別に見られても構わないけど?」
「ウチが困るの!」
「そうなの? まぁ、美波が困るのならやめとくけど……」
変なの。別に上半身くらい見せたって構わないけどな。海に行ったりした時は見せてるわけだし。
「と、とにかくアンタはまだベッドで寝てなさい!」
「いや、でも朝食作るのを美波に任せっぱなしにするわけにも――」
「いいからっ!」
「は、はいっ!」
なんだ? 昨日の美波とはまるで別人じゃないか。いや待てよ? 別人というより元の美波に戻っただけか。ははっ、そうか戻っただけか。ならいいか。どのみちああなっちゃうと聞かないし。
「じゃあ部屋に戻ってるよ」
「ちゃんと寝てなさいよ」
「分かってるよ」
仕方なく僕はベッドに戻り、ゴロリと寝転がった。美波はああ言うけど、眠気は無い。ついさっきまで寝ていたのだから当然だ。眠くもなく、やることもなかった僕はぼんやりと天井を眺める。こうしていて思い出すのはやはり昨日のことだった。
魔人……確かギルベイトと名乗っていた。
ヤツは一体何者なんだろう。あの時、あいつの拳からは魔獣を倒した時のような真っ黒な煙が出ていた。それに魔障壁のことを近付けなくて厄介だと言っていた。この事から想像するに、魔獣とまったくの無関係ではないように思う。
それと、ヤツは”
では一体誰が――――
(コンコン)
思考を巡らせていると、玄関の方で扉を叩く音が聞こえた。誰だ? まさか魔人がここまで追ってきたのか!?
僕は音を立てないようにベッドから降りて部屋を出る。そして廊下の角から身を乗り出し、玄関先の音に聞き耳を立てた。
『ヨシイ様、いらっしゃいますかー?』
扉の向こうから男の声が聞こえてくる。魔人の声じゃない。でも聞いたことのない声だ。誰だ?
『おっかしいなぁ。確かにここだって聞いたんだけどなぁ。ヨシイ様ー? いらっしゃいませんかー?』
そんな声と共に再び扉をノックする音が聞こえてくる。困った。返事をすべきか否か……。知らない人に対して簡単に扉を開けるわけには……。
「はーい? どちらさまですか?」
と悩んでいる間に美波が出てきて、あっさり扉の鍵を開けてしまった。
「ちょっ! 美波!?」
「えっ? なに?」
彼女を止めようと声をあげたが、時既に遅し。扉が開き、赤い軍服を着た男が姿を見せた。
「えぇと、ヨシイ様でよろしいですか?」
「はい、そうですけど」
いえ、あなたはシマダ様です。っていうかあの男は誰だ? 見た感じ魔人の関係では無さそうだけど……。
「レナード陛下より言付けをお預かりしております。こちらをどうぞ」
そう言って男は紙切れを美波に渡す。レナード陛下? なんだ、王様の使いの人だったのか。やれやれ……無駄に緊張してしまったじゃないか。
「昨晩お届けに伺ったのですが、お留守のようでしたのでお届けが本日になってしまいました。申し訳ありません」
「あっ、昨日はちょっと出かけてまして……わざわざ届けてくださってありがとうございます」
「いえ。それともうひとつ、これもお渡しするようにと」
軍服の男は白い封筒のようなものを差し出した。
「確かにお渡ししました。それでは私はこれで失礼します」
「ご苦労様です」
美波が封筒を受け取ると、男は礼儀正しく頭を下げ、去って行った。
「アキ、これ王様からの伝言みたいよ」
美波が折り畳まれた紙を広げながら歩いてくる。
「伝言……?」
まさか!
「ちょっと見せて!」
「うん」
美波が手にする紙切れを覗き込む。そこにはこう書かれていた。
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ガルバランド王国サンジェスタにて目撃情報あり
一足先に現地に向かう
後から来い
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
差出人の名前が書かれていない。王様からの言付けということは差出人は王様自身だろうか。でもこのミミズが這ったような字はどう見ても王様の字ではない。現地に向かうと書いてあるし、この書き方からして差出人は恐らくあいつだ。
「ずいぶん乱暴な字ね」
「うん。これムッツリーニの字だね」
「そうなの?」
「内容からしても間違いないよ。それより目撃情報だってさ!」
「これでウチら元の世界に帰れるのね! でもガルバランド王国ってどうやって行くのかしら?」
「ん? そういえば知らないな。っていうかガルバランド王国ってどこだ? 前に見た地図にはハルニア王国しか載ってなかったけど……」
「ウチは地図なんて見たことないわね。う~ん……あ、ところでこれ何かしら。開けてみるわね」
「うん」
美波は小さな封筒を開いて中を覗き込む。
「……紙?」
彼女はそう言って2枚の紙切れを中から取り出す。その券には〔ノースロダン → リゼル〕という文字が書かれていた。
「ノースロダン? リゼル? 何かしらこれ。アキ知ってる?」
「いや、全然……」
でも見た感じ乗車券のような感じだ。となると、この2つの名前は駅名ということだろうか。
「ん~……。あ、ここ見てアキ。乗船券って書いてあるわよ」
「乗船券?」
「ほら」
美波が紙を裏返して僕に見せる。そこには確かに小さく”乗船券”の文字があった。
「そうか! この世界は船があるんだ! つまりガルバランドって海を渡った先にあるんだよ!」
「じゃあこのノースロダンっていうのは港ってこと?」
「そういうことだね。僕も知らなかったけど、きっとこういう名前の港があるんだよ」
「あれ? ノースロダン? そういえばこの名前、どこかで見たような?」
「マジで! どこで見た!?」
「ちょっと待って、今思い出すわ。えーっと……」
頬に人差し指を当て、考え込む美波。僕の記憶にこんな名前は無い。ここは美波に頼るしかないだろう。彼女は記憶力がいい。きっとすぐに――――
「あ! 思い出した!」
って、もう思い出したのか。さすが美波だ。
「確か駅馬車乗り場にそんな字が書かれてたわ!」
「乗り場? じゃあ馬車で行くの?」
「たぶん……ウチも正確には覚えてないわ」
「そっか。でもその乗り場に見に行けばきっと分かるよね。それってどこだか覚えてる?」
「うん。見たのは西側の方に行った時よ」
なるほど。全然気付かなかったな。でもこれで僕たちの進むべき道は決まった。少しだけ希望が見えてきたぞ!
「よし美波! 早速行こう!」
「えっ? 今すぐ?」
「もちろん! 善は急げって言うだろう?」
「ウチは明日にしたほうがいいと思うんだけど……」
「明日? なんで?」
「だってまだ足、痛いんでしょ? 無理をしたら治りが悪いわよ?」
「大丈夫だよ。もうほとんど治ってるし、痛みもあんまり無いからさ」
「そんなこと言ってアンタはいつも無茶をするんだから。嘘を言ってもダメよ」
「う……でも乗船券だって期限があるんじゃないの? 急がないと使えなくなっちゃうよ?」
「ちょっと待って。えっと……”無期限に利用できます”って書いてあるわ」
「へ? そうなの?」
「ほら、特別優待乗船券って書いてある横に」
美波は乗船券の
「ホントだ……」
「こんな手紙をよこすってことは土屋もウチらのことを待っててくれるはずよ。だから今は怪我を治すことを優先しましょ。ね?」
美波が子供に言い聞かせるかのように、優しく言う。こんな風に言われたら従うしかないじゃないか。
「そうだね。分かったよ。出発は明日にしよう」
「うんっ、そうしましょっ」
美波が頬に”えくぼ”を作って笑顔を見せる。こんな笑顔を見ると、やっぱり僕は思ってしまう。今まで何度も疑問に思ってきたことを、また思ってしまう。
こんなに優しくて可愛い女の子が僕の彼女でいいんだろうか、と。
(……それにもう少しだけ一緒に暮らしたいし……)
「ん? 何か言った?」
「ふぇっ!? な、なななんでもないわ!」
「?」
「と、とりあえず朝ご飯にしましょ。すぐできるから席に着いてて」
「うん」
まぁ、いいか。