「ぅ……ん……?」
目を覚ますと、どこかの家の中だった。
ここは……どこだ……? 僕はどうなったんだ……? 確か魔人にやられて……美波が……そうだ!
「みな――――ぐぁっ!!」
上半身を起こした瞬間、胸や腕――いや、全身に激痛が走った。
「げほっ! げほっ! げほぁっ! ぐ……ぁ……くぅっ……!」
むせ込んで咳が出ると、その度に体中から激痛が襲ってくる。
「あっ! アキ!?」
「はっ……はっ……はぁっ……はぁっ……」
意識して呼吸をしないとむせ込んでしまう。かといって大きく息を吸うと
「ぅ……こ……ここは……?」
少し落ち着いて周囲を見渡すと、そこはレンガ造りの家の中だった。
「ウチらが借りてる家よ」
すぐ横で美波の声がする。
「美波! 無事だっ――――ぐぁっ……!」
身を
「起きちゃダメ!」
美波がそっと僕の身体を押さえ、ベッドに寝かせる。
「うく……………僕は……どうして……ここに……?」
「……ウチが運んできたの」
「美波が……? よ……よく運べた……ね。重かっただろう?」
「……召喚獣、使ったから」
なるほど。召喚獣の力を使えば鎧を着た大人だって軽々と投げ飛ばせる。その力で僕をここまで運んでくれたのか。
「そうか……ありがとう美波。でも美波も無事で良かった……」
「良くないわよ……アキったらいくら呼んでも目を覚まさないし……体中傷だらけだし……足からどんどん血が出てきちゃうし……もう……死んじゃうかと思ったんだから……」
美波が目尻を指で拭いながら涙声で語る。自分の身体を見ると、全身を白い包帯のようなものでぐるぐる巻きにされていた。まるでミイラのようだ。これは……治療帯か? 美波が手当てしてくれたのか。そうか、これのおかげで助かったのか。
「ごめん。心配掛けたね」
「うん……」
それにしてもあいつ、なんで急に引き上げたんだろう。誰かと話していたような感じだったけど……。
「ねぇ……アキ」
「うん」
「あの魔人っていうの、何なの?」
「……分からない」
「「……」」
「あいつ、アキのこと狙ってた」
「うん」
「アキを……殺そうとしてた……」
「……うん」
「「……」」
「ねぇ! なんで!? どうしてアキの命が狙われないといけないの!?」
大きな目に涙を浮かべながら美波が叫ぶ。
「……そんなの……僕だって分かんないよ……」
「嘘よ! アンタがまた無茶苦茶やって誰かを怒らせたんでしょ!」
「少なくともこの世界じゃそんなことはしてないよ。たぶん……」
「じゃあどうして!? どうして何もしてないのに命を狙われるの!?」
「……」
「なんで黙ってるのよぉ……答えなさいよぉ……」
美波は大粒の涙をぽろぽろと流し、震えた声で教えを乞う。
「……ごめん」
僕には何も答えてあげられなかった。何も分からなかったから。
「誰か……誰か教えてよぉ……」
分からない。
あの魔人が何者なのか。
なぜ僕の命を奪おうとするのか。
確かに今までも命を狙われることはあった。相手は主にFクラスの連中だ。けれど、あいつらだって分別が付かない程のバカではない。いくら学園の底辺とも言うべきあいつらだって、本当に命を取るつもりは無いんだ。でもあの魔人は……本当に僕を殺すつもりで襲ってきた……。
「ねぇアキ……もう危ないことやめよ?」
「……」
「命が狙われるくらいなら……元の世界になんて戻らなくたっていい……もうここで……ウチと一緒に暮らそ?」
美波が頬に涙を伝わせながら訴える。気持ちは分かる。けど……。
「……いや、やっぱり戻るべきだと思う。あいつだって僕らの世界まで追っては──」
「そんなの分かんないじゃない! ううん! きっと追ってくる! それなら魔障壁がある分こっちの方が安全でしょ!」
「それは……そうかもしれないけど……」
「嫌よ……ウチは……アキが一緒じゃなきゃ……嫌……」
「美波……」
余程恐かったのだろう。美波は両手で顔を覆い、小刻みに震えながら泣いている。けれど僕は起き上がることもできず、涙を流す彼女を黙って見守ることしかできなかった。
「ごめん。美波……」
「謝んないでよ……」
「……うん」
……
この後どうすればいいんだろう……。
ヤツが去り際に言っていた言葉の通りなら、まだ僕を諦めていないはずだ。でも幸いなことにヤツは魔障壁内には入れないようだ。ならば町から出ないように行動するべきだ。そして一刻も早く帰る方法を見つけて、この世界から出てしまえばいい。
しかし問題はその帰る方法だ。既に1週間探しているが、手掛かりすら見つからず、王宮情報局からの報告も無い。他に探す手立てがあれば良いのだけど、僕には人に聞いて回る以外の方法なんて思いつかない。そもそも帰る手段があると決まっているわけではないが……。
……
ダメだ……。元々僕は頭が良い方ではない。加えてこんな状況では頭が回るわけもない。
「とりあえず今日はもう寝よう。美波も疲れただろう? 僕は大丈夫だからもう休んでよ」
美波は俯いたまま激しく首を横に振り、拒否した。
「ウチ、ここにいる」
「えっ? でも美波だって傷を――」
「嫌! 絶っっ対に嫌!!」
美波は応じず、”これでもか”という程に頭を横に振る。きっと不安で堪らないのだろう。
当たり前だ。昨日まで普通に高校生をやっていた僕らがわけも分からず命を狙われる。こんなこと普通に考えたらあり得ない。これが夢ならば今すぐ覚めてほしい。けれど、これが夢でないことは”じくじく”と痛む左足と全身の傷が物語っている。
「またあいつが襲ってくるかもしれないから! 今度はウチがちゃんと守るから!」
「だ……大丈夫だよ。ここは魔障壁に守られてるからさ」
「そんなの分かんないじゃない!」
美波は強く目を瞑り、必死に頭を振る。さっきと言ってることが逆だ。あまりの出来事に混乱してしまっているのだろう。ならば僕が今やるべきことは……彼女の不安を少しでも和らげることだ。
雄二ならこんな時は理論的に安心させる言葉をすぐに見つけるのだろう。でも僕にはそんな知識は無いし、安心させるような言葉も知らない。それにこの状況ではどんな言葉も都合の良い絵空事に聞こえてしまうだろう。襲われた理由すら分からないのだから。
そんな僕に今できること。それは――――
「うっ……くぅぅっ!!」
身体を起こそうとすると胸や腹、両足にまで激しい痛みが走る。それでもなんとか起き上がろうと全身に力を入れるが、あまりの苦痛に耐え切れず、力が抜けてベッドに背を預けてしまう。
「何するのアキ!? 起きちゃダメだってば!」
「いいから!」
押さえようとする美波を制止し、僕は再び上半身を起こそうと試みる。
「アキ……」
「っ……くあぁっ!!」
僕はなんとか身体を起こした。ズキンズキンと波打つように全身から痛みが襲ってくる。でも骨に異常は無さそうだ。もし骨が折れたりしていればこんな痛みでは済まないはず。これも召喚獣の防御力のおかげなのだろう。
「はぁ…………はぁ…………はぁ…………」
治療帯のおかげで痛みはだいぶ和らいでいる。でもまだほとんど回復しておらず、上半身を起こすだけでもこのザマだ。
「美波」
「……?」
目に涙を浮かべながら不思議そうな目で僕を見つめる美波。僕はそんな彼女に向かって両腕を広げ、
「おいで」
精一杯の笑顔を彼女に向けた。痛みを堪えながら。正直こうしているだけでも辛い。プルプルと腕が震えてしまう程だ。今抱きつかれたらどれほどの苦痛を伴うか想像もしたくない。でも美波の不安が拭えるのなら……耐えてみせる!
「っ――!」
美波が椅子を跳ね飛ばし、抱きついてきた。
「ふぐぅっっ!!」
抱き締められた瞬間、脳天を貫くような激痛が走る。僕は耐え切れず、思わず苦痛の声をあげてしまった。
「あっ! ごめんね! ……痛かった?」
「う……く……。だ、
触られただけでこんなに痛むなんて生まれて初めてのことだ。交通事故に遭ったあの時だってこれほど痛みはしなかった。もっとも、あの時は意識を失ってしまったので何も感じていなかったのだけど。
この時、僕は唐突に現国の授業で出てきた言葉を思い出した。
―― 満身創痍 ――
そうか、これがあの満身創痍というやつか。ハハ……今の僕にぴったりの言葉だな……。
「アキ……無理しないで……」
美波は身を離し、目に大粒の涙を浮かべて僕を見つめる。いけない。安心させるつもりが余計に心配させてしまった。
「み、美波……今夜は一緒に、寝ない?」
「えっ……? でも……いいの?」
「うん」
この1週間、僕は一緒に寝たいという美波の願いを拒み続けた。それは未だに慣れない恥ずかしさのため。けれど今は少しでも一緒にいたい。恥ずかしさよりも、傍にいたいという気持ちが強いんだ。
「あ、でもあんまり身体には触らないようにね。まださっきみたいに痛むからさ」
僕はベッドの上で身体を横にずらしながら、おどけてみせる。本当はこうして身体を動かすだけでも痛くて堪らない。でもこれ以上痛がる姿を見せるわけにはいかない。
「……うんっ」
美波は申し訳なさそうに笑顔を作り、そう返事をした。
彼女はベッドに腰掛け、シュルリとリボンを外してポニーテールを解く。自ら誘ったこととはいえ、さすがに恥ずかしい。僕は美波に背を向けるように横になった。
後ろから布の擦れる音だけが聞こえる。しばらくして、背中に手が添えられるのを感じた。一瞬、ギクリとした。でもそこに痛みは無かった。
「アキの……匂い……」
首筋の辺りから美波の声が聞こえてくる。
「治療帯の匂いだよ」
「ううん。そんなことない。これはアキの匂い」
「そう?」
「うん」
「「……」」
「ずっと……ずーっと……一緒だからね」
「……うん」
「約束なんだからね」
「……分かってるよ」
背中に当てられた手から美波の想いが伝わってくる。大切な人を失いたくない。それは僕も同じだった。そうさ、こんなところで命を失うわけにはいかない。僕たちは元の世界に帰るんだ。でも今は傷を治すことに専念しよう……。
「さ、もう寝よう。おやすみ」
「うん。おやすみアキ」
目を閉じるとすぐに睡魔に襲われ、僕は眠りに落ちていった。