僕らは西の商店街で聞き込みを続けていた。しかしここまでのところ昨日と同様に一切手掛かりなし。思うように成果が上がらないまま3時間が経過し、僕は悶々とした時を過ごしていた。
それにしても身体が重い。頭がクラクラする。寝不足と昨晩の悪夢が原因であることは確実だ。だが頭で理解していてもどうにもならない。この時の僕は頭の中が真っ白――――いや、昨晩の夢のことで一杯だった。
「アキ! 危ない!!」
「……ふぇ?」
突然美波に後ろから大声で呼び掛けられ、足を止めた。するとその直後、ガラガラガラと大きな音を立て、一陣の風が目の前を通り過ぎていった。その距離、鼻先約10センチ。
『バッカやろぉーーっ! 危ねぇだろがぁーーっ!』
走り去る荷車から男の怒鳴り声が聞こえてくる。
「……あ」
数秒経ち、ようやく僕は状況を理解した。気付かずに車道に出てしまっていたのか。もう少しで馬車に
「大丈夫!? アキ! 怪我は無い!?」
美波が慌てた様子で駆け寄ってくる。どこも痛くはない。恐らく大丈夫だと思うが念の為に、と自らの身体を見回してみる。……うん、怪我をした様子はない。どうやら馬車には触れなかったようだ。
「大丈夫。どこも怪我はしてないよ」
「良かったぁ……」
はぁ、と大きく息をつく美波。けれどこの時の僕はまだ頭がフワフワしていて、今のがどれほど危険な事だったのか、美波がどれほど心配してくれていたのかさえ理解できずにいた。
「もう! 何やってんのよ! 危ないじゃない!」
「え……? あぁ、ごめん。ちょっとぼんやりしてたみたい」
「一体どうしたのよアキ。今日は何か変よ?」
「っ……!」
またズキッと胸が痛んだ。
―― 変なのはアキの方よ ――
夢の中で言われた言葉が脳内で繰り返される。
……僕は変なんだろうか。僕はまだ美波の気持ちに気付いていない部分があるのだろうか。美波はどう思っているのだろう。本当は夢の中で言われた通りのことを思っているのだろうか。こんな疑問が延々と頭の中で回り続ける。いつまでこんな夢に惑わされなければならないのだろう。もういいかげんにしてほしい。
「調子悪いの? もしかして風邪を引いて熱があるんじゃないの?」
美波がスッと手を伸ばし、僕の
「ん~……熱は無さそうね」
熱などない。風邪も引いていない。ただ悩んでいるだけなのだから。
「大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけさ。そんなことより行こうよ。早く手掛かりを見つけなくちゃ」
僕はニッと笑顔を作って見せ、白い石畳の道を歩き始める。
「……うん……」
後ろから美波の心配そうな返事が聞こえてくる。こんなに心配をさせてしまって本当に申し訳なく思う。でも今は僕の悩みよりも帰る方法を探す方が優先だ。このモヤモヤした気持ちも時が経てば治まるだろう。……きっと。
☆
昼になり、僕らは商店街にあった軽食の店で昼食を取ることにした。その店にはこの世界ではあまり見かけない”お米”を使ったメニューがあった。僕らの世界ではドリアと呼ばれていたものだ。久しぶりにお米を食べたくなった僕と美波は2人でそれを注文。早速それを口に運んでいる。
の、だが……。
「アキ? ねぇアキ!」
「……」
僕は美波が呼んでいることに気付かなかった。
「アキってば!」
「……え?」
「もう……どうしちゃったのよ、ぼーっとしちゃって。朝からずっとそんな調子じゃない」
「あ……ごめん。実はちょっと寝不足でさ……」
昨夜はあれから寝付けず、結局眠れないまま夜を明かしてしまった。そのため意識がもうろうとしていて、なおかつ夢で言われたことが頭から離れない。こんな状態で正常な意識を保てるわけがなかった。
「ねぇアキ、やっぱり昨日の夜、何かあったんでしょ? 何があったの?」
美波が大きな瞳で心配そうに見つめながら言う。何もなかったと言えば嘘になる。昨晩見た夢の内容が今でもこんなに鮮明に記憶に残っている。それが今も僕を悩ませているのだから。けど……。
「何もないよ」
僕は嘘をついた。
「……」
美波は僕の顔をじっと見つめたまま何も言わなかった。僕は嘘が下手だ。前にも美波に言われたことがある。嘘をついている時は目を見ればすぐに分かる、と。今もああやって僕の嘘を見破ろうとしているのだろう。
「そう……分かったわ」
彼女は僕の嘘を指摘しなかった。代わりにハァとひとつ溜め息を吐き、
「じゃあ今日はもう終わりにして帰るわよ」
こんなことを言ってきた。
「え? もう? まだ昼過ぎだけど……」
「いいの! 今日はもう終わり!」
美波が声を荒げて怒ったように言う。まだ半日も残っているというのに、もう帰るというのか? せっかく1時間も掛けてここまで来たと言うのに。
「でもさ美波――」
「アキ。ウチの性格は知ってるわね?」
「う……」
美波の目は真剣だ。これは本気で言っている。彼女は一度言い出したら曲げない性格をしている。こうなっては何を言っても聞かないだろう。勿体ない気がするけど仕方がない。それに……。
「分かったよ。それじゃこのランチを終えたら帰ろうか」
それに僕にとってはありがたいことでもある。この眠気と悪夢に酷く頭を悩まされている今の僕にとっては。
「えぇ、そうしましょ」
先程の怒ったような表情から打って変わり、今度は可憐な笑顔を見せる美波。ホント、彼女の表情はころころとよく変わる。
☆
ランチを終えてすぐ、僕らは自宅への帰路に就いた。フラつき、何度も転びそうになりながらも僕はなんとか足を運ぶ。朝に西地区に行った時は片道徒歩1時間だった。ところが帰ってみれば2時間もの時間を費やしてしまっていた。これは僕の状態が更に悪化しているということに他ならない。
美波があそこで帰ろうと提案してくれて良かった。あのまま午後も聞き込みを続けていたら頭がパンクしてしまったかもしれない。もうろうとした意識の中、僕はそう思っていた。
「アキ、アンタはもうお風呂に入って寝なさい」
「え……まだ日が高いけど……?」
「寝不足なんでしょ? 無理は身体に毒よ。いいから寝なさい」
美波の言うことも正しい。ただ、今の状態では眠れそうにない。眠るのが怖いんだ……。
「ほらほら、早くお風呂に入ってきなさい。それともウチが背中流してあげようか?」
美波が僕の背中を押して無理やり風呂場に向かわせる。この”背中を流す”という台詞も僕が恥ずかしがって嫌がることを見越した言葉だろう。でも……そうだな。風呂に入れば頭もスッキリして眠れるかもしれないな。
「わ、分かった。分かったからそんなに押さないでよ。それに風呂くらい1人で入れるよ」
「最初から素直にそう言えばいいのよ。あ、でもお風呂で寝たりしちゃダメだからね?」
「あぁ、それも分かってるよ」
だって一昨日それで溺れかけたんだから。
そんなわけで僕は早速風呂に入り、身体を温めた。すると今まで暗雲が立ち込めていた胸の内が少しだけ晴れたような気がした。そして風呂から上がった僕はすぐに書斎に入った。と言っても本を読むためではない。寝るためだ。
カーテンで日光が遮られ、薄暗くなった室内。重苦しい空気を作り出している大きな本棚。そんな暗い室内を見ていたら、再び昨夜の夢のイメージが頭に浮かんできてしまった。
僕はブンブンと頭を振り、浮かんだイメージをかき消す。考えちゃダメだ。とにかく寝よう。寝て忘れてしまおう。そう思ってベッドに入った。
…………
…………
…………
眠れない。
いくら寝ようとしても頭が拒否して目が冴えてしまう。ダメだ……ここでは眠れない。僕は書斎を出て、冷たい飲み物を求めてキッチンに向かった。
キッチンの保冷庫の中には冷えたミルクがある。食器棚からコップを取り出し、それにミルクを注いで一口飲む。
「ふぅ……」
一息つくと目の前の窓から外の様子が見えた。既に日は落ち、松明に灯る火が道を明るく照らしている。もう夜の時間だ。
……眠いはずなのに眠れない。こんなことは生まれて初めてだ。あの悪夢のせいだと思っていたけど、それだけじゃないような気がしてきた。ひょっとしてこの異世界に来たことで僕の身体がおかしくなってしまったんだろうか。ハァ……どうしたらいいんだろう……。
途方に暮れた僕はミルクのコップを片手にリビングに入り、ソファに腰掛けた。そして背もたれに寄り掛かり、天井を見上げる。
……
どうしても夢の中で言われたことが頭から離れない。
―― どうしてウチを避けるの ――
あの台詞が頭の中で何度も何度も、壊れたレコードのように繰り返される。
僕は美波を避けていたんだろうか。今までも周囲から恨まれるので、あまりベタベタくっつかないようにはしていた。この世界で再会した時もキスを求められたが、結局おでこへのキスで誤魔化してしまった。それが美波を避けていると無意識に感じてしまっているのだろうか。それが夢となって現れたのだろうか。
でもあれは夢の中の美波……つまり僕の脳内が言わせた言葉だ。本人に言われたわけではない。だから気にする必要はないはず。それなのに……なぜこんなにも気にしてしまうのだろう……。
「アキ?」
不意に後ろから声を掛けられ、我に返った。振り向くとキッチンの角から顔を出している美波がいた。
「まだ寝てなかったの? ダメじゃない。寝なさいって言ったでしょ?」
彼女はそう言いながらこちらに向かって歩いてくる。まるで葉月ちゃんに言い聞かせるような、優しい口調だった。
「一度寝たんだけど、なんか喉が渇いちゃってさ。それでミルクを飲んでたんだ」
「ふぅん……そうなの」
美波はあまり関心が無さそうに言うと、僕のすぐ横に腰掛けた。赤みがかった長い髪がふわりと宙を舞い、音もなく彼女の肩に乗る。もう寝る準備をしていたのだろう。彼女はリボンを外し、髪をストレートスタイルにしていた。
「ねぇアキ、話があるの。今いい?」
僕に視線を向けることなく、暖炉を見つめながら尋ねる美波。できることなら1人にしてほしかった。けれど、ここで断ってしまうと全てが壊れてしまう気がして――――
「うん。いいよ」
僕は受け入れた。