翌朝。
「ん……」
チラチラと
「ふぁぁ~……よく寝たぁ……」
ベッドの上で身体を起し、ぐーっと腕を上げて伸びをする。う~ん。
あぁそうだ、すっかり忘れてた。治療帯を腕に巻いて寝たんだっけ。昨日の夜、風呂に入った時はまだ紫のアザがあったけど、どうなっただろう?
早速治療帯を解いてみる。何重にもぐるぐる巻きにされているので取るのが結構面倒だ。二の腕から肘にかけて
「お? これは……」
右腕が
これは凄い……クレアさんの言う通りだ。巻いて寝たら本当に一晩で治ってしまった。これが治療帯の効能か……。もう魔獣と戦うつもりなんて無いけど、怪我の原因は魔獣だけとも限らない。これからは治療帯を持ち歩くことにしよう。さて、そろそろ起きよう。美波はもう起きたかな?
ベッドから降りた僕は部屋を出てみる。するとキッチンの方からトントントンと包丁で何かを切るような音が聞こえてきた。誰かが料理をしているようだ。誰かと言っても美波しかいないんだけどね。もう起きてるのか。早いんだな。
「おはよう美波」
キッチンに立つ彼女は慣れた手つきで包丁を振るっていた。僕はそんな彼女の後ろ姿に朝の挨拶をする。
「あ、おはよアキ」
「もう朝食の準備してるんだ。早いんだね」
「なんか目が覚めちゃって。いつもの癖かしらね。ふふっ」
包丁を片手にしながら頬に”えくぼ”を作る美波。今までも何度かこういった仕草を見てきたけど、やっぱり笑顔の彼女は可愛い。……あ。
「そのリボン……」
「うん。どう? 似合う?」
この世界で再会してから昨日までの間、美波は髪を下ろしてストレートにしていた。しかし今日の彼女は後ろ髪を束ね上げ、それをリボンで結わえている。一年生の始業式の時からずっと見てきた姿だ。僕にとってはこの髪型の方が馴染み深い。なんというか、不思議な安心感があるのだ。
「うん。とっても良く似合うよ」
「ホント? ありがと。えへ……」
嬉しそうに恥じらう姿がまた可愛らしい。つまり昨日のアレは僕のプレゼントは喜んでもらえたって意味でいいのかな? それならそうと言ってくれればいいのに。美波も意地悪だなぁ。
「あ、朝ご飯作るなら僕がやるよ。昨日も作ってもらったし」
「ううん。もう出来上がるからいいわ。アキは座って待ってて」
「そう? なんか悪いね」
美波の言う通り、席に座ると朝食の準備はすぐに完了。僕らは楽しく雑談しながら食事を取る。こうしていると元の世界でのいつものランチタイムと変わらない。異世界に迷い込んでいるということも忘れてしまいそうだ。でも今日から本格的に元の世界への帰り方の調査だ。もちろん仲間に関する情報も探さなくちゃいけない。
ゆっくりと時間を掛けた朝食を済ませ、僕たちは行動を開始した。まずは王様に滞在地のことを報告だ。
「もしかしたらもう何か情報が入ってるかもしれないわね」
「だといいけど……でもまだ1日も経ってないし、期待しちゃいけないと思うよ?」
「分かってるわよ。でもそうやって前向きに考えたほうがいいでしょ?」
「そうかもしれないけど、期待を裏切られた時にがっかり感が強くなっちゃうんじゃない?」
「う~ん、それもそうね……つまりほどほどにしなさいってことね」
「ま、そういうことだね」
王宮へは商店街を抜けて行く。所要時間は30分くらいだ。商店街に入ると既にほとんどの店が開いていた。時間を見てくるのを忘れたけど、本当にこの世界の住民は朝が早い。それこそ日の出と共に活動を開始するくらいだ。
「ねぇアキ、腕はもう大丈夫なの?」
「ん? あぁ、もうすっかり治ったよ。ほらこの通りさ」
僕は右の袖をまくって傷痕が無いことを見せる。
「ホントだ。綺麗に治ってる。一晩で治っちゃうものなのね……」
「僕もびっくりしたさ。こんなに効力があるなんてね」
「じゃあもう引っ張っても大丈夫ね」
「うん」
…………引っ張る?
その意味を考えていると、美波は僕の右腕をぐいっと引いて走り出した。なるほど。引っ張るってそういうことか。
「早く王様の所に行こっ!」
「なっ、なんでそんなに急ぐのさ」
あまりに急がせるので僕は
「だって早くデ……聞き込み始めたいじゃない」
「デ? 今、”デ”って言いかけたよね?」
「そ、そんなことないわよ? 気のせいじゃない?」
気のせいだろうか。確かに聞いたと思うけど……。
「いいから行くわよっ!」
「おわっ!」
美波は僕の腕を一層強く引く。まったく、美波にはかなわないな。
「ちょ、ちょっと待ってよ美波。そんなに引っ張ったら腕が抜けちゃうよ」
「大丈夫よ。だってもう完全に治ったんでしょ?」
「確かに治ってるけど……」
「だったらいいじゃない。ほら、早く行きましょっ」
何をそんなに慌てているんだろう。王様の所以外に行きたい所でもあるのかな? 報告した後は町に出て買い物をする予定にしてるけど、それが楽しみってことなんだろうか。
あれこれ理由を考えようとする僕。しかし彼女の笑顔を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなってきてしまった。この笑顔があればいい。そう思うようになっていたのだ。
☆
「えっ? レナードさんいないんですか?」
「はい。陛下は今朝早くお目覚めになられ、すぐに研究室の方へ向かわれました」
王宮正門前で兵士の1人に王様の所在を尋ねると、そんな答えが返ってきた。どうやら研究室に入り浸っているというのは本当のようだ。でも困ったな。これじゃ掲示板への貼り出し許可が貰えない。どうしよう……この兵士さんたちにお願いすればいいんだろうか。それとも昨日王様の近くで呆れ顔をしていた大臣さんに言うべきだろうか。う~ん……でもやっぱりここは王様に直接お願いしたいところだ。
「研究室の方に行ってみようか」
と美波に声を掛けると、
「…………明久か」
聞き慣れた声で呼び掛けられた。この声は……?
「やぁムッツリーニ。おはよう」
「…………おはよう」
「おはよう土屋。そういえばアンタここに泊まっていたんだったわね」
「…………うむ。どうした。帰る方法が見つかったか?」
「いや、まだなんだけど、実は――――」
僕は昨晩立てた作戦のすべてをムッツリーニに話し、研究室への案内を頼んでみた。だがあいつは僕らの頼みを聞くと「その必要は無い」と無愛想に拒んだ。僕は何故だと理由を尋ねる。するとそれは既に手配済みだという答えが返ってきたのだった。
「ずいぶん手際がいいのね」
「…………俺にできることをやっているだけだ」
なんだかムッツリーニがかっこいい。いつもは「俺には関係ない」とか「パス」とか言って無関心なのに、この世界に来てからは積極的に動いている。諜報員としての能力も高いし、無愛想なところも見方によればクールとも取れる。ひょっとしてこいつって意外とモテるんじゃないだろうか? ――エロの化身という代名詞さえなければ。
「それじゃムッツリーニ、僕らの住んでいる家を王様に伝えてくれる? 場所はこれに書いてあるから」
「…………家?」
僕が借りている家の地図を差し出すと、ムッツリーニは
「? うん。ホテルのおじさんから
僕、何かおかしなこと言った? と疑問に思っていると、美波が小声で耳打ちしてきた。
(ちょっとアキ、ウチらが2人で暮らしてることなんて言っていいの?)
(うん? どうして?)
(だってあの土屋なのよ? そんなの知られたらまた追い回されるわよ?)
(げ……そうだった!)
けどもう言っちゃったし、忘れてくれってのも無理な話だ。ならばここはブン殴って記憶を失わせるしかないか?
「…………安心しろ。お前たちの生活に興味はない」
「ほぇ? そうなの? てっきり異端審問会の名にかけて僕を殺しにかかるかと思ってたのに」
「…………前にも言ったはずだ。ここにはカメラも録音機も無い」
「あぁ、なるほど」
つまり証拠を撮りたくても何もできないってことだね。これじゃムッツリーニの専売特許も役に立たない。だからこんなに必死に元の世界への帰り方を探してるのか。なんか納得だ。
「…………王には俺から伝えておく。今は同棲生活を楽しんでおけ」
「う、うん」
なんか拍子抜けだな。本当にこれムッツリーニなのか? まるで別人みたいなんだけど……。
「あれ? 工藤さん?」
「…………っっ!!?!?」
あ、これ本物だ。工藤さんの名前を出しただけでこんなに動揺するのはムッツリーニしかいないからね。
「いや~、僕の見間違いだったみたい」
「…………貴様……コロス」
「あははっ、ごめんごめん」
さて、ちゃんとムッツリーニであることが確認できたし、僕らはそろそろ次の行動に移るか。
「じゃあ僕らはそろそろ行くよ。もし何か情報があったら家に届けてくれる?」
「…………分かった」
僕らはムッツリーニと別れ、王宮正門前を離れた。そして商店街に向かって歩きながらこれからの行動について話し合った。
「紙を買う必要が無くなっちゃったね」
「そうね。でも良かったじゃない。アキも苦手な絵を描かなくて済んだんだし」
「僕だってマークくらい上手に描けるよ?」
「アンタのことだから真っ直ぐ引いたつもりで、曲がった線になっちゃうんじゃないの?」
「ふふん、それは定規を使えばいいのさ」
「あ、ずるいわそんなの」
「いいじゃないか。要するにマークが描ければいいんだし。っていうか、もう描かなくていいし」
「それもそうね。それでこれからどうするの?」
「昨日も話したけど、ある程度地域を区切って聞き込みしようと思う」
「うん。じゃあ今日はこの辺りね?」
「そういうこと。というわけで、今日の目的地はこの先の商店街さ」
「オッケー。それじゃ行きましょ」
美波はそう言うと手を差し伸べてくる。僕はそれに合わせ、無意識に手を差し出していた。そう、これはもう僕たち2人の間では当たり前となっている行動なのだ。
こうして僕たちは手を取り合い、商店街の中へと入っていった。
☆
僕らは町で聞き込みを始めた。だが聞くと言っても町の人全員に聞いていては何日、何ヶ月掛かるかも分からない。そこで対象を店の人と行商のような格好をした人に絞ることにした。
文月学園の制服を着用し、飲食店や生活用品、武具の店などに入り尋ねる。また、道端で店を広げている人にも「こんな模様を見たことがないか」と聞いて回った。しかし誰もが「初めて見る模様だ」と答え、首を横に振った。結局、午前中は何も手掛かりを得られないまま終わってしまった。
昼になり、僕らは町の飲食店でランチを取ることにした。手頃な飲食店で食事をしながら僕たちはこの後の行動を相談。午後は少し範囲を広げて聞いて回ることにした。
ランチを終え、少し離れた別の商店街に移動した僕たちは早速手掛かりを探し始めた。休憩を挟みながら根気よく聞き込みを続け、なんとか情報を得ようとする。だがそれでも何の手掛かりも得られなかった。そうして歩き続けているうちに日は傾き、空を紅く染めはじめた。もうすぐ夜が訪れる。これ以上は無理だろう。
「今日は終わりにしようか」
「そうね」
僕たちは今日の聞き込みを終わりにし、家路に就くことにした。
「収穫無かったわね……」
「しょうがないよ。もともと簡単には見つからないって思ってたし」
「でも先が思いやられるわね……」
「うん。でも頑張ろう。葉月ちゃんやお母さんたちが心配してるからさ」
「……うん」
美波の返事に覇気が無い。きっと丸一日歩き回って疲れたのだろう。気のせいか、リボンも少し
「今日はちょっと急ぎ過ぎたね。明日はもうちょっとゆっくり行こうか」
「ううん。ウチは平気よ。だから気にしないで」
そう言われてもそんな疲れた笑顔を見せられたらとても平気には見えないよ……。でも美波のことだから休ませようとしても聞かないだろうな。
よし、それならこうしよう。僕がゆっくり歩くんだ。そうすれば美波も必然的にゆっくり歩かざるをえない。それに僕が休憩しようと言えば美波も反対はしないはずだ。それで明日はここから西方面を重点的に攻めて……。休憩は大体1時間ごとに取るようにして……いや、30分ごとでもいいかな。体力勝負になってくるから、とにかく疲れを溜め込む前に休憩するようにしよう。
僕は明日からの歩き方、休憩の取り方を考えながら帰り道を歩く。美波と2人の帰り道。辺りの建物は次第に橙色に染まっていく。元の世界での、いつもの帰り道と同じ光景。違うのは石畳の道やレンガ造りの町並み。それにやや緑掛かった空だった。
「それにしてもこの世界の空って変わった色をしてるわよね」
「あれは魔障壁のせいらしいよ。あの薄い緑色が魔障壁の存在を示してるんだってさ」
「へぇ~。そんなことよく知ってるわね」
「ルミナさんに教えてもらったんだ」
「前に言ってた、えっと……ラドン、だっけ? その町でお世話になったって人よね?」
「うん。他にもいろんな事を教わったんだ。帰ったら教わったことを美波にも教えてあげるよ」
「そうね。お願いしようかしら。でもアキに教わるなんて変な感じね」
「それもそうだね。あははっ」
「ふふ……」
一日中歩き回っていたというのに、この時の僕はあまり疲れを感じていなかった。きっと美波の存在と、帰る家があるという安心感が心の支えになっていたのだと思う。
☆
家に戻った僕は簡単な夕食を作り、2人で食べながらルミナさんからの教えを伝えることにした。
水のこと。
火のこと。
調味料のこと。
そしてこの国の町のこと。
だがその半分以上は既に美波も知っていることだった。なぜ知っているのか聞いてみると、ジェシカさんに教わったのだと彼女は言う。理由は納得だが、やっと美波に教えられることができたと思っていただけにちょっと残念だ。
それならそれで、ということで次は明日の予定についての相談を始めた。
このレオンドバーグも他の町と同様に、上から見ると円形のバウムクーヘン状になっている。町の人の話によると、この町は大きくて魔障壁装置が1つでは町全体を覆いきれないらしい。そこでこの町には東西南北の4ヶ所に等間隔に魔壁塔が建てられているという。こうすることで町全域をカバーしているのだそうだ。つまりこの町は他の町4個分の広さがあるということになる。
そして僕らが今日巡ったのはこのうちの南の地区。借りている家はこの地区の北寄りにあるので、位置的にはどの地区にも移動しやすい。残る3つの地域を手分けして当たるという手もあるが、僕の頭の中にその選択肢は無かった。明日は西の地域を中心に行こうと思う。食卓テーブルでこの話をすると美波はこの計画に賛同してくれた。
しかし腹が膨れた途端、全身が重く感じるようになってきた。やはり一日中歩き続けたことによる疲労が出てきているようだ。それは美波も同じようで、紅茶のカップを持ったまま虚ろな目をしていた。明日の方針は既に決まっているし、今夜はもう寝よう。
僕は先に美波に風呂に入らせ、休息を取ってもらった。続いて僕もさっと入浴を済ませ、
――その夜更けのことだった。