僕は借りた家に戻ってきた。なんとか道に迷わずに帰って来られたようだ。
「ただいま~」
と扉を開けて中に入ると、
「あ、アキ? お帰りなさいっ」
パタパタとスリッパを鳴らしながら美波が駆け寄ってきた。その姿を目にした瞬間、僕は胸をハート型の矢で射貫かれたような感覚に襲われた。
「う、うん。ただいま」
うぅ……美波のこういう攻撃は関節技なんかより遥かに身体に
「ちゃんと王様に伝えてきた?」
「あ……それがさ、行ったらもうレナードさん寝ちゃっててさ。明日また来いって言われたんだ」
「そうなの? 誰に言われたの?」
「誰って、門を守ってた兵士さんだけど」
「その兵士さんに地図を渡して明日王様に届けて貰えばよかったんじゃないの?」
「……」
「何よその”やっちゃった”って言いたそうな顔は」
「いや、目から鱗が落ちたというか、なんというか……」
「もう……それくらい思いつきなさいよね」
「ご、ゴメン……」
「まぁしょうがないわね。アキだものね」
「何だよそれ。どういう意味さ」
「ふふっ、なーいしょっ」
「えぇ~……」
「そんなことより手を洗ってきなさい。ご飯にしましょ」
「あ、うん。そうだね」
とりあえず王宮には明日また行くことにして、僕たちはひとまず夕食を取ることにした。
手を洗ってリビングに戻ると既に準備はできていた。食卓テーブルの上にはパンやスープ、それに豚肉と野菜を炒めたものが並んでいる。さすが美波。栄養バランスを考えたメニューだ。
「「いただきま~す」」
肉野菜炒めは僕の希望した肉がたっぷり入っていた。黒胡椒を使っているのだろうか。芳ばしい香りが食欲をそそる。早速フォークで肉と野菜をまとめて取り、口に放り込んでみた。
もぐもぐ……。
モヤシのシャキシャキした歯応えと、柔らかい豚肉が黒胡椒の少しピリッとした味によく合う。うん、文句なしに美味しい。
「どう? 味、濃くない?」
美波がやや不安げな表情を見せながら聞いてくる。しかしこの時の僕は口一杯に肉を頬張っていたので、
「んんん。ほうぼふぃいほ」
こんな言葉になっていない声を発してしまった。ちょうどいいよ、と言ったつもりだったが、これじゃ聞き取れるはずもない。
「アンタね、口の中の物飲み込んでから言いなさいよ。何言ってるか分かんないじゃない」
もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ……ゴクン。
「ちょうどいい感じだよ。それにすっごく美味しい!」
「ホント? 良かった」
安堵した彼女の笑顔を見ながら僕は肉野菜炒めを口一杯に頬張る。こんなにも美味しく感じるのはお腹が空いていたからだろうか。いや、美波が作ってくれたということの方が大きいかもしれない。なんてことを0.5秒ほど思ったが、すぐに考えることを放棄して僕は料理を口に運んだ。
――そして5分後。
「ぷっはぁ~。美味しかった。ごちそうさま」
皿の料理はすべて胃の中に収まり、僕は大きく息を吐いた。食べてる間ずっと息を止めてたんじゃないかと思うくらいだった。
「早いわねアンタ……」
「いやぁ、あんまり美味しかったからさ」
「そう? ありがと。ふふ……もっと食べる? ウチのを分けてあげようか?」
「いいの?」
「うん。ウチはちょっと多いかなって思ってたから」
「それじゃあ貰っちゃおうかな」
「いいわよ。お皿貸して」
この世界に来てから今日で7日目。ここまで戦争や魔獣のことでずっと緊迫した毎日を送っていた。そんな僕の心に安らぎを与えてくれたのは彼女の存在だ。
「こんなもんでいい?」
と美波が半分ほど盛り分けてくれた皿を差し出す。
「こんなに貰っちゃっていいの?」
「いいわよ」
「それじゃ遠慮なく……」
貰ったおかずを僕はまた頬張る。広いリビングでテーブルを挟み、美波とご飯の時間。僕は今、この時間がとても心地良く、楽しい。こんな時間が過ごせるのであれば、ここが異世界であることなど些細なことだ。美味しい料理を堪能しながら僕はそんなことを思っていた。
☆
食事を終えた僕らは手早く後片付けを済ませた。さすがに2人で手分けすると効率がいい。今は紅茶を入れたティーカップを片手に、テーブルで美波とのんびりとした時を過ごしている。
しかし今はひと息ついてゆっくりしているが、いつまでもこうしているわけにはいかない。この世界に来てから既に1週間が過ぎようとしているのだ。美波の両親や葉月ちゃん、それに僕の姉さんだって心配しているはずだ。そこで僕たちは今後の動き方について相談することにした。
「まず僕たちの一番の目標は元の世界に帰る方法を見つけること。これはいいよね?」
「えぇ、もちろんよ」
「オッケー。それで、これはこれで探すんだけど、それともうひとつ。雄二や秀吉たちも探そう」
「王様に会った時も言ってたわね。でもホントに坂本たちも来てるのかしら」
「僕は来てるような気がするんだ。なんとなく思うだけで確信は無いんだけどさ」
僕がそう思いたいだけかもしれないけどね。
「そうね。ウチもそう思うわ。だって土屋もいたんだもの」
「うん。そうだよね。それにもし皆が来てるのなら……特に雄二や姫路さんなら何か知ってるような気がするんだ」
「坂本はともかく瑞希はどうかしら。あの子、勉強はできるけどちょっと抜けてる所があるし」
「そんなことないんじゃないかな。仮にもしそうだとしても僕ほどじゃないさ」
「それもそうね」
そこは否定してほしかったんだけど……。
「でも皆を探すって言っても、どうやって探すの?」
「う~ん……インターネットでもあれば手掛かりを探せるんだけどなぁ」
「無いものねだりしてもしょうがないわよ?」
「まぁそうだよね。そうなるとやっぱり町の人に聞いて回るしかないんじゃないかな」
「町の人って言ってもこの町って凄く人が多くない? 一体何人くらいいるのかしら」
「この国で一番大きな町らしいし、十万人くらいいるんじゃないかな」
「そ、そんなに!? それだけの人に聞いて回ってたら何ヶ月もかかっちゃいそうね……。あっ! それならビラを配るってのはどう?」
「ビラ?」
「似顔絵を書いたビラを配って歩くの。そうしたら情報も集まりやすいんじゃないかしら」
なるほど、一理ある。けど……。
「でもさ美波」
「?」
「美波って似顔絵描けるの?」
「描けないわよ? アンタが描くに決まってるじゃない」
「はぁ!? ぼ、僕だって似顔絵なんか描けないよ!?」
「そうなの? 困ったわね……」
「それにこの世界にはコピー機なんて無いんだから、全部手書きしなくちゃいけないじゃん」
「現実的じゃないわね……」
残念ながらこの案は却下だ。でもビラというのはいい案かもしれないな。
「じゃあさ、配る代わりに掲示板に貼り出すってのはどうだろう。似顔絵じゃなくて校章の絵を描いてさ」
「掲示板?」
「うん。僕らの町にもあったよね。商店街に立ってる掲示板、見たことない?」
「あ、夏祭りのお知らせとか貼ってあったアレね?」
「そうそう。あんな感じで貼り出したらどうだろう。これなら枚数も少なくて済むし、校章の絵くらいなら僕にだって描けるよ」
「いいわね。それで行きましょ! でもあれって勝手に貼り出しちゃっていいのかしら?」
「ん? んーと……」
確かああいうのは町の市役所とか、自治体関係の組織が管轄のはず。この世界で自治体関係って言うと……やっぱり王様かな。
「たぶん王様にお願いしないといけないんじゃないかな」
「やっぱりそうよね。でもそれなら明日王様の所に行くからちょうどいいわね」
「うん。じゃあひとまずこれで決まりだね」
「ちょっと待ってアキ。校章の絵を書くのはいいけど、募集内容はどうするの?」
「”このマークを見た人は連絡を”って感じかな」
「マークだけ?」
「うん。これは僕の勘なんだけどね、元の世界に戻る鍵もこの印が関係するんじゃないかって思うんだ」
「どうしてそう思うの?」
「いやぁ、それがその……あはははっ!」
「ホントにただの勘なのね」
「面目ない……」
「でもその勘、ウチは信じるわ」
「へ?」
「だってアキがそう思ったんでしょ? それならウチは信じる」
「う、うん。ありがとう」
信じてくれるのは嬉しいけど、何の確証も無いんだよね。変に期待させちゃ悪いし、これからはもう少し理論をまとめてから言うべきだな。なかなか雄二のようにはいかないけどさ……。
「でも掲示板に貼り出して待つだけっていうのも勿体ないし、ウチらはウチらで探さない?」
「もちろんそのつもりさ。掲示板を見ない人も多いからね」
「そうね」
「でもこの町って凄く大きいから、ある程度地域を絞って聞き込みをしようと思うんだ」
「……うん」
僕はティーカップに視線を落とし、頭の中を整理しながら自分の考えを説明する。
「明日はまず王様にこの家のことと掲示板への貼り出し許可を貰って、それから商店街に行って紙を買いに行こう」
「…………うん」
「それで一旦家に戻って、校章の絵を描いたらまずはこの辺りの繁華街に貼り出すんだ」
「…………」
「その後は商店街の店を回って、僕らと同じ格好をした人の目撃情報を……?」
美波の反応が無くなった? と思い、視線を上げてみた。すると彼女はテーブルに頬杖をつき、口元に笑みを浮かべながら僕の顔をじっと見つめていた。
「な、何? 顔に何か付いてる?」
もしかして口にさっき食べたパンくずでも付いてる?
「ううん。なんかアキって
口の周りを手で撫でて確認していたら美波が変なことを言ってきた。
「たくましく?」
この僕が
「別に前と変わらないと思うけど……」
「ふふ……自分では分からないものよ」
「そんなもんかな?」
「そんなものよ」
「き……今日はもう寝ようか。美波も疲れただろう?」
「そうね。ちょっと眠くなってきたかも……」
「部屋は2つあったよね。美波はどっちを使う?」
「えっ? 2つ? あ……。えっと、ウチは……その……」
急に肩を窄め、モジモジと動かして頬を赤く染める美波。こ、この仕草はまさか……!
「い、一緒に――」
「じゃ、じゃあ僕が右の部屋を使うから美波は左を使ってよ!」
僕は美波の声をかき消すように、わざと大きな声を出す。
「むぅ~っ! どうしてよ! アキの意地悪っ!」
彼女は不服そうに唇を尖らせて僕を睨みつける。どうしてって、一緒だと心臓がドキドキしちゃって眠れないからさ……。
「そっ、そうだ! さっき寝巻を買ってきたんだ! ちょっと待ってて!」
僕はリビングの隅に置いておいた袋を開け、中から萌黄色の服を取り出して見せる。
「ほら! さっき王宮から帰ってくる時に買ってきたんだ!」
「あら、いい色じゃない」
「でしょ? 寝る時はこれに着替えようよ。制服のままじゃ傷んじゃうしさ」
「そうね。使わせていただくわ。ありがとアキ」
良かった。なんとか機嫌を損ねずに済みそうだ。
「後片付けは僕がしておくよ。美波はもう休みなよ」
「じゃあお願いね。でも寝る前にお風呂に入らなくちゃ」
「あ、そうか。まだだったっけ」
「先にお風呂いただくわね」
「うん」
寝巻を手渡すと、美波はお風呂場へと向かって行った。やれやれ、なんとか怒らせずに済んだな。さて、僕は後片付けだ。