坂道を下って行くと、十字路が見えてきた。あそこから皆それぞれの家に帰ることになる。長かった皆との共同生活もいよいよ終わりだ。そう思うとやはり寂しくなってしまう。
「私はこっちですね」
十字路で立ち止まり、姫路さんが右手の道を指して言う。寂しく思っても仕方が無い。これが本来あるべき姿なのだ。むしろ今までの生活が異常だったのだ。僕は自分にそう言い聞かせた。
「……私もこっち」
「それじゃ一緒に帰りましょう。翔子ちゃん」
「ねぇ翔子、2人で大丈夫なの? もう真っ暗なんだから危ないんじゃない?」
「……大丈夫。雄二も一緒だから」
「そうだったわね。頼んだわよ坂本」
「お前に言われるまでもねぇ。俺もこっちの道だからな」
うん。雄二なら安心だ。霧島さんが一緒なら姫路さんを襲うことも無いだろうし。
「ウチはこっちよ」
「ワシもじゃ」
美波は正面の道を指差して言う。秀吉も一緒の道のようだ。
「それじゃアキ、しっかり護衛頼むわよ」
「へいへいっと」
僕の家は左の道に入るのが近道だ。けれどこの暗い夜道を美波と秀吉の2人で帰すわけにはいかない。僕が護衛の任に就くのは当然だろう。
「ではここで解散じゃな」
「あぁ。寄り道すんじゃねぇぞ明久」
「そっちもな雄二」
「では皆さんまた明日。おやすみなさい」
「うん。おやすみ姫路さん。霧島さんも気をつけて」
「……うん。頑張って我慢する」
……我慢? 何を?
「ではワシらも行くとしよう」
「そうね。行くわよアキ」
「うん」
こうして僕たちはそれぞれの帰路についた。
僕たち3人は暗い夜道を話しながら歩いた。話題は当然、あの融合世界での出来事。僕たちはそれぞれの経験を語り、36日間に渡る生活の日々を思い起こしていた。
町の光景。
馬車や船での移動。
魔獣や魔人との戦い。
そして魔人王という正体不明の存在。
苦しい思いもした。楽しい思いもした。色々な出来事があった。今となってはそのすべてが懐かしく思える。これが思い出補正というやつなのだろうか。
「ではワシはここでお別れじゃな」
「あ、僕が送っていくよ」
「ワシを女扱いするでない。1人で帰れるわい」
「そう? 秀吉がそう言うのならいいけど……」
秀吉は可愛いからちょっと心配だ。できれば家まで送って行きたいけど……でも本人が断っているのなら仕方ないか。
「それじゃ気をつけてね秀吉」
「んむ。お主はしっかり島田を送り届けるのじゃぞ」
「分かってるよ」
「では、おやすみじゃ」
「うん。おやすみ秀吉。また明日」
「おやすみ木下」
僕は美波と共に手を振り、秀吉を見送った。秀吉はゆっくりと商店街の中へと歩いて行き、次第に人の陰で見えなくなっていく。
「行こうか」
「うんっ」
2人きりになった僕たちは自然に手を取り合い、街灯の照らす夜道を再び歩き始めた。
「なんだか夢みたいな旅だったわね」
「そうだね。でもこっちに帰れてホントに良かったよ」
確かにあれは召喚システムの不具合により発生した仮想空間での出来事だったのかもしれない。でもそこには僕らの世界と同じように暮らす人々がいた。
マルコさん。ルミナさん。ウォーレンさん。ジェシカさん。レナード王やアレックス王。それにマッコイさん。彼らのことは鮮明に記憶に残っている。
この1ヶ月間の不思議な旅の中で、僕は”命”というものを強く認識させられた。人類と魔獣の戦い。魔人との遭遇も僕にとって意識改革となった。今、僕はこうして美波と共に歩いている。当たり前になりつつあったこのことが今ではとても大切なことのように思える。それは彼のこの言葉が僕の胸に強く刻まれているからかもしれない。
―― 人生ってのは何があるか分からないんだ。だから後悔だけはすんなよ ――
これは青い鎧の剣士、ウォーレンさんの言葉。この話を聞いた時は特に感じるものは無かった。でも今ならなんとなく分かる気がする。未来に何があるのか分からないのはこの現実世界でも同じこと。だから伝えたいことは伝えられる時に言うべきなんだ。
「ね、ねぇ、美波」
僕には今まで胸の奥に封じていた思いがある。いつか自分が理想の男へと成長した時に告げるつもりでいた思いが。
「なぁにアキ?」
「えっと……その……」
口に出して言うのは恥ずかしい。だが今こそ伝えるべきなんだ。後悔しないために。
「僕は……」
「? うん」
街灯の光が美波の瞳をキラキラと輝かせる。大きくてぱっちりとした瞳。この時の彼女はどこか嬉しそうに微笑んでいた。その可憐な微笑みが僕の決意を揺るがせる。
「僕は……その……」
本当に今言うべきなんだろうか。今の僕は理想には程遠い。こんな僕が言ってもバカにされるだけなんじゃないだろうか。
「どうしたのよ。そんなに言いにくいこと?」
「うぅっ……」
そりゃ言いにくいさ。だって観察処分者を返上するまではと心に決めていたことなんだから。
「もう! ハッキリしなさいよ! 男なんでしょ!」
美波が睨みつけながら僕の腕関節をガキッと絞めに掛かる。
「うわわっ! わわわ分かった! 言う! 言うから!」
「最初からそうすればいいのよ。で、何?」
「……えっと、一度しか言わないからね?」
「分かったから早く言いなさいよ」
か……覚悟を決めろ、吉井明久!
「す……」
「す?」
「……す………………すき焼き、食べたいな! 美波の作ったすき焼きがさ!」
って、ちっがぁぁぅう!!
「なんだ、そんなこと? いいわよ? じゃあ今度アキの家に作りに行くわね」
「う、うん……」
「どうしてそんな残念そうな顔をしてるのよ。すき焼き食べたいんじゃないの?」
「もちろん食べたいさ! いやあ楽しみだなぁ!」
あぁもうっ! 僕の意気地なし! たった一言じゃないか! なんで「好きだよ」の一言が言えないのさ!
「あ、葉月も連れて行っていい? 夕食だとどうしても葉月を外せないから」
「え? う、うん。もちろんいいよ」
そうか。葉月ちゃんと会うのも久しぶりだな。まぁこれはこれでいいかもしれないな。問題は姉さんだな。余計な言動をしないように注意しておかないと……。へへ……こんな心配をするのも久しぶりだ。あぁ、なにもかも久しぶりな感じがする。
☆
僕たちはついに美波の家の前にまで来てしまった。とうとうお別れの時が来てしまったのだ。
「送ってくれてありがと」
「うん。でも本当に僕から説明しなくて大丈夫?」
「そんなこと気にしなくていいわよ。どうせお父さんもお母さんも帰ってきてないと思うし」
「そっか」
「じゃあ明日、授業が終わったら買い出しに行ってからアキの家に行くわね」
「あぁ、買い物なら僕も一緒に行くよ」
「そう? それなら荷物持ってもらうわね。ふふ……それじゃまた明日」
美波はニコッと笑顔を見せ、玄関へと向かって行く。
……
この1ヶ月間、昼夜を通して一緒だったけどそれもおしまいか。やっぱり寂しいな……。
「あっ、そうだ。忘れてた」
ドアノブに手を掛けていた美波はそう言って戻ってきた。はて? 鞄は手に持っているし特に預かっている物は無いと思った。ひょっとして僕が忘れているだけなんだろうか? なんてことを考えていると、彼女はトトッと僕の前にやってきて、
「おやすみ。アキ」
そう言って僕の頬に軽く唇を当ててきた。
「……え? えっ?」
突然のキスに気が動転してしまい、どう返答したらいいのか分からなくなってしまう。こうした挨拶は今までも何度かされているというのに。
「色々あったけど……この1ヶ月間、とっても楽しかったわ。また明日ね!」
美波はそう言って身を翻すと、踊るように玄関へと入っていった。
やっぱり愛情表現じゃ美波には敵わないなぁ……僕も頑張らなくちゃ。直近の目標は三年生への進級と、観察処分者の返上かな。
よし、やるぞ!
決意を胸に、僕は自宅への帰路に就いた。
☆
翌朝。
いつもの待ち合わせ場所に駆け付けると、両手で鞄を持ったポニーテールの女の子が待っていた。
「おはよう、美波」
「あっ、おはよアキ」
「ごめん。ちょっと遅れちゃった」
「まだ時間あるから大丈夫よ」
「そっか、それじゃ遅れないうちに行こうか」
「うん」
僕たちが異世界に飛ばされてから約1ヶ月。しかしこの世界ではまったく日が経過していなかった。数時間が過ぎただけだったのだ。おかげで僕たちは出席日数不足による留年を免れたのだ。
「1ヶ月も勉強から離れていたから、授業が頭に入ってくるか心配ね」
「そう? 僕はあんまり変わらないと思うけど」
「アンタはいつも頭に入ってないから同じでしょ」
「まぁね。あははっ!」
でもやっぱりこうして登校して授業を受けるって良いもんだな。魔獣や魔人と戦うより、僕はこうした日常の方が好きだ。
「ところでアキ、昨日西村先生が言ってたこと覚えてる?」
「ん? 鉄人? ……なんだっけ」
「そんなことだろうと思ったわ……」
美波がやれやれといった感じに溜め息を吐く。でも本当に覚えていないのだから仕方がない。
「明日授業が終わったら残れって言われたでしょ?」
「そういえばそんなこと言われたような気がする……」
「いい? 変な抵抗せずにしっかり反省するのよ? 今日はアキの家にすき焼き作りに行く約束なんだからね」
「分かってるよ」
こってり絞られるんだろうなぁ、きっと。日常の中でもこれだけは不要だな。うん。
「? ねぇアキ、あれ何かしら?」
「ん?」
学園の校門が見え始めた時、美波が前方を指差して言った。そこでは制服姿の生徒たちが行列を作っていた。
「なんだろ。何かの特売?」
「バカね。学校にそんなものがあるわけないじゃない」
「だよねぇ」
それじゃ一体何なんだろう?
「行ってみましょ」
「だね」
早速行列の最後尾につき、一番後ろに並んでいた生徒に尋ねてみた。
「ねぇ、これって何の行列?」
「なんか手荷物検査らしいぜ」
「へ? 手荷物検査?」
「あぁ。2年のバカがバカなことをしたから、これから毎日やるんだとよ」
「えぇっ!? ま、毎日!?」
そんな! それじゃゲームを持ち込んだりDVDを持ち込んだりできないじゃないか!
『いいかお前ら! 確かにこれは一部の”バカ”の所業のせいだが、お前ら生徒全員にも言えることだ! 授業に関係無い物はこの場で容赦なく没収するから覚悟しておけ!』
前方からバカでかい声が聞こえてきた。考えなくても分かる。あれは鉄人の声だ。くそっ! 犯人はどこのバカだ! いい迷惑だ!
なんてことを思っていると、行列の横を砂煙を巻き上げながら向かってくる人影が見えてきた。もしやあれが犯人か? よし、とっ捕まえて吊し上げてやる!
『おぉぉぉーーッ!! 明久あぁァーーッ!!』
と思ったら、走ってくるのは赤いゴリラだった。そのゴリラは数十人もの男子生徒たちを引き連れてこちらに走ってくる。
「やぁ雄二。朝からマラソンとは元気だね」
こんなにも爽やかに声を掛けてやったというのに、雄二のやつは返事もせずただ走ってくるのみ。人がせっかく挨拶してやっているというのに、愛想の悪いやつだ。
「ねぇアキ。マラソンじゃなさそうよ?」
「ほぇ?」
「ほら。あの男子たちって坂本を追いかけてるように見えない?」
言われてみると確かに雄二の表情が慌てているようにも見える。でもなんで追いかけられて――
「そうか! 持ち物検査が始まった原因は貴様だな!!」
なんて迷惑な奴だ! これからの僕の学園生活をどうしてくれるんだ! 何の楽しみもなくなっちゃうじゃないか! よし、ここで奴をとっ捕まえてやる!
『おいてめぇら! 主犯がいたぞ! 犯人は俺じゃねぇ! あの
「はぁ!? 僕が犯人!? なんで!?」
『おい本当だ! 吉井がいるぞ!』
『よし! あいつもふん縛れ! 俺たちの自由を奪った罪を償わせるんだ!』
『もう分かったろ! 俺は犯人じゃねぇ!』
『いや、お前も犯人のうちの一人だ! 吉井が犯人なら坂本もグルに決まってるからな!』
『だーっ! ちげぇっつってんだろ!』
雄二と男子生徒たちが言い争いながら凄い勢いでこちらに向かって走ってくる。
『坂本ォーーッ! 待ちやがれェェーーッ!!』
『ちくしょぉぉーーッ! 明久ァ! 俺の代わりに生け贄となれェェーーッ!』
『吉井も確保しろ! 二手に分かれて追え! どちらも絶対に逃がすな!』
『『『おぉぉーーっ!!』』』
ひいっ!?
「生け贄なんて冗談じゃない! 捕まってたまるか!」
僕は180度反転。一目散に駆け出した。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ! く、くそっ! お前のせいだぞ! なんとかしやがれ!」
追いついてきた雄二が息を切らせながら言う。妨害してやりたいところだが、今は走らないと追ってくる男たちに捕まってしまう。
「雄二こそなんとかしろよ! 説得や交渉はお前の得意分野だろ!」
「俺の交渉術はパンチから始まること知ってんだろ!」
「そんなことしたら鉄人に捕まるに決まってるじゃないか!」
「そういうことだ! とにかく逃げるぞ!」
「言われなくたって逃げるさ!」
僕たちは更に加速。歯を食いしばり、全力で走り出した。
『あ! ねぇちょっとアキ! アンタ授業はどうすんのよ!』
「ごめん! 今それどころじゃないんだ!」
『もう! どうなっても知らないんだからねーーっ!!』
この後、僕と雄二は学園の周りを10周ほど駆け回った。
ごめん美波。僕の観察処分返上への道は思ったより険しそうだ。
ここまで読んでいただいた皆さんに厚く御礼申し上げます。
初投稿が2014年の6月。もう3年半経つのですね。時が経つのは早いものです。本作品はこれにて終了となりますが、この後エピローグを投稿する予定です。
また、長い期間書いていたのでどこかに不整合が生じている可能性もあります。もしご意見や「ここがおかしい!」等あれば感想にていただければ幸いです。