バカと仲間と異世界冒険記!   作:mos

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第六十三話 最終決着

 声は確かに美波だ。しかしその口調、その台詞からは彼女が話したものとは思えなかった。

 

「何言ってるのさ。こんな時に冗談なんてやめてくれよ。ほら、早く行こうよ」

 

 美波は度々冗談を言っては僕を困らせてきた。困った僕の反応を面白がっているのだ。だからきっと今回も僕を困らせようとしてこんなことを言っているのだ。そう決めつけていた。いや、そうであってほしいと願っていたのかもしれない。

 

《――冗談などではない。現実を受け入れよ》

 

「そんなこと言ってないで早く帰ろうよ! 扉が開いてるのは5分だけなんだよ!? このために40日間も旅をしてきたんじゃないか!」

 

 僕は大声で怒鳴った。耳に入った言葉を振り払うように。

 

 赤い髪。

 黄色いリボン。

 すらりとした長い手足。

 控えめな胸部。

 

 どこをどう見ても目の前にいる女の子は美波だ。そうさ。これが魔人王であるはずがない。今のは空耳だ。魔人王の正体があまりにショッキングだったので僕が変に意識してしまっているだけなんだ。自らにそう言い聞かせた。

 

『明久! 何してんだ! 急げ!』

 

 空間に浮く白い箱に片足を入れながら雄二が叫ぶ。

 

「分かってるんだけどさ! 美波が動いてくれないんだ!」

 

『なんだと? 動かないのなら抱えて連れてこい!』

 

「そ、そんなこと言ったって……!」

 

 僕は完全に動揺してしまい、慌てふためいてしまった。

 

「ほら美波、雄二もああ言ってるしさ、変なこと言ってないで帰ろう? 葉月ちゃんだって帰りを待ってるはずだよ」

 

 先程の言葉が空耳であると信じ、僕は再度呼びかける。だがもはや疑いようがなかった。

 

《――ハハハ……フハハハハ!! 無駄だ! この体は余が貰い受けたのだ!》

 

「っ――! そ、そんな……バカな……」

 

 信じられなかった。聞き慣れたこの声は間違いなく美波の声だ。けれど冗談でも彼女がこんな台詞を吐くはずがない。この言い方は先程の清水さんの話し方にそっくりだ。どうしてこうなってしまったのかは分からない。でもこの状況からすると、美波は魔人王に乗っ取られてしまったと考えるしかない。

 

『おい明久! いいかげんにしろ! 時間がねぇっつってんだろ!』

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! 美波が……美波が魔人王に乗っ取られちゃったみたいなんだ!」

 

『バカ言ってんじゃねぇ! 寝言は寝てから言え!』

 

「嘘じゃないんだよ! ねぇ雄二! どうしたらいいんだよ!」

 

『だから言っただろ! 抱えてでも連れてこいと!』

 

「あ、そうか」

 

 気が動転していて気付かなかった。美波が自分で動かないのなら抱えて脱出すればいいんだ。よし!

 

「さぁ美波、行くよ」

 

 僕は彼女の手を取り、ぐっと引き寄せ――――られない。

 

「くっ……! ぐぬぬぬ……!」

 

 いつもなら僕が手を取ればすぐに握り返してきた。だがこの時の美波は微動だにしなかった。体を引き寄せるどころか、指の一本でさえ動かせなかったのだ。まるで石像にでもなったかのようだった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……こ、こんな……ことって……」

 

 説得にも応じない。無理矢理動かすこともできない。それじゃ一体どうすればいいのさ……。

 

『おい明久! 何やってんだ! 急げっつってんだろ!』

 

「それがダメなんだ! まるで石になったみたいにビクともしないんだよ!」

 

『はぁ? そんなわけあるか! いいからさっさと連れてこい!』

 

 雄二のやつ、状況が分かってないな。

 

「だから魔人王に乗っ取られちゃったみたいなんだってば! こんな時ってどうしたらいいのさ!」

 

『知るか! さっき島田が清水にやったようにショックでも与えてみろ!』

 

 ショックを与えるって言ったってそんな……美波に暴力を振るえるわけがないじゃないか……。

 

『明久よ! 早くするのじゃ!』

『明久君! 美波ちゃんも早く!』

 

 秀吉や姫路さんまでもが僕をせかす。どうして皆分かってくれないんだ……。

 

「美波、頼むよ。動いてくれよ。急がないと帰れなくなっちゃうんだよ?」

 

《――何を言っても無駄だ。この者の意識は我が力により封じている。貴様の声が届くことはない》

 

「美波の声を使って喋るな!」

 

 つい大声を張り上げてしまった。いつもの可愛らしい声。それに似合わぬ高圧的な台詞。迫り来るタイムリミット。それらが複合して襲い掛かり、僕は頭の中はぐちゃぐちゃだ。もうどうしたらいいのかさっぱり分からない。

 

《――フン。粋がるだけか。まぁよい。さて、この体は余が貰って行くぞ。我が肉体になることを光栄に思うがいい》

 

 !

 

「ま、待て! 美波を返せ!」

 

《――フハハハ! 返せと言われて返す馬鹿がどこにいる! さらばだ!》

 

 美波がくわっと目を見開いて言う。その目には光が宿っておらず、焦点も定まっていなかった。完全に乗っ取られているのか……もう……ダメなのか……。

 

《――む? ……これはどうしたことだ。……う、動けぬ。何故だ?》

 

 顔を歪ませて美波――に入った魔人王が言う。……待てよ? 今なんて言った? 確か「動けない」って言ったよね? どういうことだ? 体を貰っていくって言ってたくせに動けない? もしかして自分で体を動かせないってことか? つまり……体を硬直させているのは魔人王自身じゃないってこと? ということは……まさか!

 

「……美波? 美波なのか?」

 

 恐る恐る尋ねてみる。

 

《――ミナミ? 先程から言っておるそれはもしやこの者の名か?》

 

 やはり気のせいか……? いや。そんなことはない!

 

「美波。聞こえるかい。僕だよ。明久だよ」

 

 僕は心を込めて優しく声を掛ける。

 

「魔人王とかいう奴に取り憑かれちゃったみたいだね。でも大丈夫。僕が必ず助けるから」

 

《――愚かな。貴様の声は届かんというのが分からんのか》

 

 今、美波の口から発せられているのは魔人王の言葉だ。耳を傾ける必要はない。

 

「体を止めてるのは美波なんだろ? もしそうなら片目を瞑ってみて」

 

 魔人王は確かに体を動かせないと言った。ならば美波の体を硬直させているのは彼女自身。そうとしか考えられない。

 

 奴は美波の意識を封じ込めたとも言っていた。だが彼女の心はとても強い。僕なんかより精神的にずっと大人だ。だから意識を封じられていても彼女の強い意志が魔人王の行動を阻止しているのだ。そう信じ、僕は話し続けた。

 

「美波がそんな奴に負けないことは僕が良く知ってる。魔人王に好き勝手させないようにしてるんだよね?」

 

《――そのようなことができるはずがなかろう。この者の意思は我が手中にあるのだ》

 

「大丈夫。君は魔人王なんかにはならない。これからもずっと島田美波だ。僕の大切な彼女さ」

 

《――否! 余は魔人王! この世を統べる者ぞ!》

 

 美波は口を薄らと開けたまま瞬きひとつしない。やはり完全に意識を乗っ取られているのだろうか……。そう思い始めた時、美波に僅かな変化が現れた。

 

 それはとてもぎこちない仕草だった。今までも彼女は何度か自らこの仕草をしている。僕と話をしている時。話題が盛り上がっている時が多かったように思う。頬に()()()を作り、楽しそうに片目を瞑ってウインクしてみせた。

 

 そう。魔人王に乗っ取られているはずの彼女がウインクをしたのだ。ただしその表情に笑みはない。ぼぅっと立ち尽くしたまま、左の(まぶた)だけを下ろしたのだ。

 

「そっか……」

 

 嬉しかった。美波は完全に封じ込まれたわけではない。それが分かったから。

 

 ならば手はある。

 

 美波はすべてを乗っ取られたわけではない。僕の指示したことを実行できたのだから。今、彼女の体は自らの意思で止めている。やはり魔人王が自分の体を使って現実世界に出てしまうのを防いでいるのだ。

 

 だがこのままでは扉が閉まってしまう。魔人王の流出は防げても美波を置いていくことになってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。

 

 この状況下で僕が考えられる解決策はただひとつ。それは美波の意思を呼び覚ますことだ。彼女が目覚めれば魔人王を追い出すことだってできるはず。美波のように気の強い女の子があんなわけの分からない奴なんかに負けるはずがないんだ。

 

 だが現時点では彼女はほぼ意思表示をできない。魔人王の意思が(まさ)っているのだろう。だから――

 

「そのまま聞いて美波。まずは謝るよ。ごめん。謝るなって言われたけど、責任は僕にある。この世界を作ってしまったのは僕だからね。だからやっぱり謝るよ」

 

 美波の意思を呼び覚ますには、彼女の意思を魔人王より強くしなければならない。それにはやはり僕が話し掛けるしかない。

 

「でも僕だってビックリしたんだよ? 突然目の前が真っ暗になったかと思ったら見たこともない草原に放り出されてたんだから」

 

 あれからもう1ヶ月以上も経っている。あの時、僕があの変なコンセントを使わなければこんなことにはならなかった。

 

「最初はどうしたらいいのかさっぱりだったよ。帰り道は分からないし、携帯は無いし。それにでっかいリスは襲ってくるし」

 

 思えばあれが魔獣との最初の遭遇だった。

 

「前にも話したよね。鍛冶職人のマルコさんに助けてもらったって。あの時はまさか奥さんのルミナさんが王女さまだなんて思いもしなかったよ」

 

 僕はハルニア王国での出来事を思い出しながら話し続ける。けれど美波は反応する様子がない。これらの話はハルニア王国の王都ガラムバーグで再会してから何度も話している。だから彼女にとってそれほどインパクトのある話ではないのかもしれない。

 

「でも美波がジェシカさんみたいにいい人に助けられて本当に良かったよ。この世界で美波と再会できたのもジェシカさんのおかげさ。あと王様のレナードさんも面白い人だったよね。ちょっとエッチだったけどね。あっ! あの時下着を見ちゃったのは不可抗力だからね!? だ、だからその……! なんというか……ご、ゴメンっ!」

 

 ハルニア国王であるレナードさんは発明家だった。話を聞きに行った際、王様は”春風機(しゅんぷうき)”なる風を起こす機械を作っていた。まさかその機械がスカートをめくるためのものだなんて夢にも思わなかった。

 

「……?」

 

 この話をしたら恥ずかしがって殴りかかってくるかと思った。けれど美波はやはり反応を示さなかった。人形のようにピクリとも動かず、棒立ちのままだった。こんな話題じゃダメだ。もっと強く気を引く話題にしなくちゃ。

 

「ねぇ美波。覚えてる? 最初にハルニアからガルバランドに渡った時のこと」

 

《――先程から何を言っている貴様。余はそのようなことに興味はない》

 

 口を開いたと思ったら魔人王だった。まだ奴の意思の方が強いようだ。くそっ……諦めるもんか!

 

「あの時、船の上で誓ったよね?」

 

《――愚かな。余が貴様のような下賤の者と約束を交わすはずもあるまい》

 

「あのさ魔人王さん、ちょっと黙っててくれないかな。僕は美波と話してるんだ」

 

 僕は美波の両肩に手を沿え、彼女の目をじっと見据えた。その瞳にいつもの輝きは無く、焦点は定まっていない。それでも僕は懸命に語りかけた。彼女の意識が戻ることを信じて。

 

「皆と一緒に帰る。僕と一緒にそう誓ったじゃないか。忘れたの?」

 

《――無駄だ! いくら話し掛けようとも貴様の声など届かぬ!》

 

「それにさ、僕は美波が完全に乗っ取られたなんて思ってないよ」

 

《――この状況でまだそのようなことを言うか。どこまでも愚かな者だ》

 

「僕の声、聞こえてるんだろう? でも返事ができないんだよね?」

 

《――聞こえるわけがなかろう。余がこの者の五感を支配しておるのだからな》

 

「そんな変な奴、追い出しちゃえよ。美波ならできるだろ?」

 

《――無駄だと言うておろう! 諦めよ!》

 

「美波は心が強い。僕が魔人を恐れて戦えなくなった時だって励ましてくれたじゃないか。そんな君が魔人王ごときに乗っ取られるはずがない。僕はそう信じてる」

 

《――えぇい! いい加減にせぬか小賢(こざか)しい! 何をしても無駄だと言うておろう!》

 

 美波の声で喚く魔人王。まだ彼女の様子に変化は現れない。やはりダメなのか……ただ語りかけるだけでは取り戻せないのか……もう時間がない。早くしないと(ゲート)が閉まってしまう。かといって美波を置いていくわけにもいかない。

 

 雄二はショックを与えろと言っていた。美波が清水さんにしたように。けれど僕にはそんなことはできない。愛する人を殴るなんて、できるわけがないじゃないか……。

 

 

 ……………………

 

 

 愛する……。

 

 そうか……。

 

 ショックを与えられるのは暴力だけじゃない。他にも方法がある。

 

 僕は美波からビンタをもらったことがある。確かにあれはもの凄いショックだった。けれど僕は以前、美波からそれ以上のショックをもらったことがある。あれと同じことをすれば美波の意識を取り戻せるかもしれない。

 

《――ウヌヌ……! おのれ! 何故動けぬ! 余は五感すべてを掌握しているのだぞ! だというのに何故動けぬのだ!》

 

 どうやら魔人王はまだ美波の体を動かせないようだ。やるなら今のうちだ。とはいえ、さすがに抵抗が……。

 

 僕の気持ちに嘘偽りはない。でもこれはいつか”自分に自信がついた時に”と決めていたこと。僕の現状はその目標には程遠い。できるならばこの手段は未来の自分にとっておきたい。

 

『明久ァ! もう時間がねぇぞ! モタモタすんな!』

 

「しつこいな! 分かってるってば!!」

 

 もうあれこれ悩んでいる時間はない。やるしかない!

 

「美波。よく聞いて。僕はまだ半人前で頼りないかもしれない」

 

《――黙れ人間! 集中できぬではないか!》

 

「観察処分もまだ解かれないし、成績も思うように上がってない。でも僕は……君と一緒にいたいんだ」

 

 これが美波にとってショックになるのか分からない。まったく効果が無いことだって考えられる。でも他に手が考えられない以上やるしかないんだ!

 

「だから……一緒に帰ろう! 帰ってデートするって約束したんだ! 僕に約束を守らせてくれ!」

 

 僕は少し乱暴に美波の両肩を掴んで揺らした。すると彼女がピクリと頬を動かした。

 

《――あ……キ……》

 

 今のは……美波の意思? 美波の意思が戻り始めているのか?

 

 じっと彼女の目を見つめる僕。すると僅かに彼女の表情に苦悶の色が現れはじめた。そうか……美波が魔人王の意思と戦っているんだ。

 

「そうだよ! 僕だよ! 頑張るんだ! 魔人王を追い出すんだ!」

 

《――残念だったな小僧。たった今この体は完全に余のものとなったぞ!》

 

「なっ……!」

 

 わ、渡すもんか……絶対に渡すもんか! 僕の大切な……僕にとって一番大切な人を!!

 

「美波! 頼む! 帰ってきてくれ! 僕の美波に戻ってくれ!! 君がいなくちゃダメなんだ! 君がいない世界なんて考えられない! 僕には君が必要なんだ!」

 

 僕は心の底から願い、叫んだ。彼女の肩を掴む手にぐっと力を入れ引き寄せる。そして――――

 

《――貴様何のつもりだ!? 離せ! 離せ無礼も――――ッ!?》

 

 僕は息を止め、彼女の口を塞ぐように自らの唇を重ねた。

 

 この世界で共に過ごした日々。ここで美波の色々な面を知った。今まで学園生活では知り得なかったことをいくつも知った。そして僕は彼女のことを()()()知りたいと思った。この先、僕たちは三年生になり、いずれ卒業する。その後もずっと、ずっと一緒に過ごしたい。

 

 僕はこの想いのすべてを込め、彼女の唇を通じて伝えた。

 

《――……あっ……く……あ……あぁ……っ!》

 

 突然、美波が頭を抱えて苦しみ始めた。それと同時に彼女の全身から灰色の煙のようなものが吹き出しはじめた。

 

「み……美波!?」

 

 この光景は見たことがある。それもつい先程。美波が清水さんを殴り倒した後、清水さんの身体に起こった現象だった。そ、そうか! 魔人王の正体ってこの煙だったんだ! 清水さんから追い出された後、今度は美波の身体に入り込んでいたんだ!

 

「もうちょっとだ! 頑張れ美波! 頑張るんだ!」

 

 彼女の身体は華奢(きゃしゃ)で、僕の両腕に丁度収まるくらいに細い。僕は美波の身体をぎゅっと抱き締め、怒鳴るように励まし続けた。

 

《――っ……!》

 

 フッと糸が切れたように美波の身体から力が抜ける。

 

「美波!」

 

 僕は崩れ落ちる彼女を支えるように屈み込んだ。

 

「美波! しっかりするんだ! 美波!!」

 

 力が抜けてぐったりとしている美波。抱えたまま顔を覗き込んでみると、先程のような苦悶の表情は消えていた。どうやら気を失っているようだ。

 

《――ヌォォッ!? な、何故だ! 何故弾き出される!? 貴様何をした!!》

 

 気付けば上空では灰色の煙が集まり、モヤモヤした塊を形成していた。そしてその塊は低く呻くような声を発する。それはまるで地獄の底から響くような、寒気のする不気味な声だった。

 

「……あれ? ウチ……?」

 

 美波が目を覚ましたようだ。ぱちくりと瞬きをする瞳には光が戻り、無表情だった顔にも感情が現れていた。

 

「気が付いた?」

「アキ……? あれ……ウチ……どうしたんだっけ……? なんだか頭がぼーっとして……」

 

 彼女は頬に手を当て、疲れた表情を見せている。きっと無意識のうちに魔人王と戦って疲れたのであろう。

 

「おかえり美波。よく帰ってきてくれたね」

「? 何言ってるのよ。ウチはどこにも行ったりしてないわよ?」

「……そうだね」

 

 良かった……本当に良かった……。

 

「ねぇ……アキ? もしかしてウチ、知らない間にアキに何かした?」

「ん? どうして?」

「ここ数分の記憶が無いのよ。美春にお仕置きしたところまでは覚えてるんだけど……」

 

 そうか、清水さんをぶっ飛ばした後、すぐに魔人王に取り憑かれてしまったのか。それでずっと棒のように立っていたんだな。

 

「心配いらないよ。美波は戦いに勝ったのさ」

「えっ? 戦い? ウチ何かと戦ったの?」

「……うん。あれさ」

 

 僕は上空でモヤモヤと(うごめ)いている物体に目を向けた。奴は暗い空間の中で右に左にとフラついている。もしかして新しい宿主を探しているのだろうか。

 

 ……そうはさせない。

 

「どうやら最後の仕上げが残ってるみたいだね」

「仕上げ? さっきから何言ってるのよ。分かるように説明しなさいよ」

「ほら。あれだよ」

 

 僕は上空の灰色の物体を指差す。美波はそれを見ると大きな目を見開き、驚きの表情を見せた。

 

「っ――!? な、何よあれ! 何なのあの変なの!?」

「魔人王さ」

「えっ!? あれが魔人王なの!? あの変な雲みたいなのが!?」

「うん。でももう終わりさ。……さぁ、全部終わらせて皆のところに帰ろう」

「あっ! そうだった! ウチら元の世界に帰るところだった!」

「そうだよ。でも……あれを片付けてからにしようか」

 

 僕は立ち上がり、手を差し伸べる。

 

「……そうね。分かったわ」

 

 美波は微笑み、僕の手を取り立ち上がった。

 

 そして僕たちは煙と化した魔人王の塊をキッと睨みつける。器を失った奴は何もできず、上空でうろうろと逃げ場を探しているようだった。

 

 最初に魔人と出会ったのがレオンドバーグの東。あの時は魔人の"(あるじ)"がこんな物体だとは想像もしていなかった。僕を狙っていた理由もまったく分からなかったけど、結果を見れば納得だ。だって僕を毛虫のように嫌っている清水さんに取り憑いていたのだから。

 

「美波」

「うん」

 

 僕は美波と目を合わせ、頷いた。彼女もまた同時に頷き、ニコッと笑顔を作って見せた。

 

「「――試獣装着(サモン)!」」

 

 真っ暗な空間に2本の光の柱が吹き上がる。光の柱はそれぞれ僕と美波の体を包み込み、召喚獣の力を与える。

 

「さぁ、終わりにしよう!」

「えぇ!」

 

 青い軍服に着替えたポニーテールの少女。彼女は腰のサーベルを抜き、切っ先をピッと上空の魔人王に向けた。腕輪の力を使うつもりだ。それを認識した僕は彼女の左手を取った。そうするのが自然と感じたから。そして自分も左手の木刀を上空に向け、魔人王に狙いを定めた。

 

 今、僕たちは手を繋ぎ、2本の剣を天にかざしている。

 

「「二重(ダブル)! 大旋風(サイクロン)!!」」

 

 こんな合体技ができると知っていたわけではない。ただ不思議なことに、この時の僕はできると信じて疑わなかった。それは同時に叫んだ美波も同じだったに違いない。

 

 そして腕輪は僕たちの想いに答えてくれた。

 

 美波の腕輪。そして僕の腕輪が激しく輝きだす。次の瞬間、それぞれの剣の先から渦巻く風が吹き出した。2つの竜巻は爆発的な勢いでその大きさを増していく。それはやがて浮遊する魔人王の塊を飲み込むほど強大に成長していった。

 

《――や……! やめろォォァァ―――!?》

 

 竜巻の轟音と共に、真っ黒な空間に低い声が響き渡る。

 

 ……アディオス。魔人王。もう二度と現れてくれるなよ。

 

 僕は心の中で囁き、彼女の手を握る右手に少しだけ力を込めた。

 

《――ギィヤァァァァァァァァァ……!》

 

 一際大きな叫びが木霊する。激しく渦巻く2つの竜巻はその断末魔の叫びをもかき消していく。風はすべてを飲み込むかのように吹き荒れた。

 

 やがて風は勢いを失い、渦はうねりながら次第に穏やかな風へと変化していく。そして”そよ風”にまで落ち着いた風はついにフッと消えてしまった。手元を見ると腕輪の輝きも失われていた。すべての力を使い切ってしまったのだろうか。

 

 その直後、スゥッと衣装が消えて元の文月学園の制服に戻ってしまった。手に持っていた剣も音も無く消えてしまった。やはり召喚獣のエネルギーが切れたようだ。

 

「終わった……の?」

「そうみたいだね」

 

 目の前には黒い空間のみが広がる。灰色の煙は見当たらない。攪拌(かくはん)したことで元に戻れなくなったのだろうか。

 

『明久! 島田! 早く来い! ゲートが閉まりはじめてるぞ!』

 

 後ろから雄二の声が聞こえた。振り向くと、白い四角が上からズズズと消えていっているのが見えた。まずい! もうゲートの解放時間が限界だ!

 

「美波。帰ろう。皆のところに!」

「うんっ!」

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 


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