暗闇の中から現れた魔人王を名乗る人物は雄二より小さかった。いや、雄二どころか秀吉、美波よりも小さかったのだ。その者は頭の両側に縦ロールの髪を吊るし、自信に満ちた口元から僅かに八重歯が見えていた。この顔には、いやというほど見覚えがある。
そう。彼女の名は――
「みっ、美春ぅぅぅ!?」
美波が裏返るような声で叫ぶ。そうなのだ。魔人王の顔はどう見ても清水さんだったのだ。
『雄二よ! 一体どういうことなのじゃ!? なぜ清水がここにおるのじゃ!』
『俺に聞くなよ!』
『あの……清水さんそっくりな別人って可能性はないんでしょうか?』
『……あの制服は文月学園の制服』
『あ、本当ですね。じゃあやっぱり清水さんなんでしょうか』
『女子のことならムッツリーニが詳しいはずじゃな。どうじゃムッツリーニ、あやつは本物か?』
『…………女子のことなど分からない』
『お前な、こんな時まで嘘をつかなくてもいいだろ』
『…………(ブンブンブン)!』
『あ、あはは……土屋君らしいですね……』
皆混乱している。そりゃそうだよね。ずっと僕ら――というか僕を狙っていた魔人の親玉が清水さんだったなんて混乱するに決まってる。でもよく考えたら確かに納得できる部分も多いかもしれない。
清水さんのフルネームは”清水
それを考えるとあれは清水さん本人に間違いないのだろう。でもどうしてあんな口調なんだろう? 「余は」とか言ってるし。いつもは「ミハルは」とか、「ですわ」とか言ってたような気がするけど……。
「美春! 今すぐこんなバカな真似をやめなさい!!」
なんてことを考えていたら、隣の美波が急に怒鳴り声をあげた。
《――ミハル? 余は魔人王ぞ。そのような――》
「わけわかんないこと言ってないでやめなさいっ! ウチら本当に死ぬところだったのよ!? いいかげんにしないとぶっ飛ばすわよ!!」
うわぁ……本気で怒ってるなぁ……。
《――無礼者め! 余にそのような下劣な言葉を吐くとは言語同断!》
「バカなこと言ってんじゃないわよ! 魔人とかいうのをけしかけたのはアンタなんでしょ!」
《――その通りだ。だがすべて失敗作であった。余興にはなったがな》
「余興? 冗談じゃないわ! アンタ魔人たちがどんな気持ちで消えていったのか分かってるの!?」
《――知らんな。そもそも余が与えた命。余に従わぬ失敗作に気を回す必要などどこにある》
「アンタね! あいつが最後になんて言ったか知ってる!? ありがとうって言ったのよ! 命を奪ってしまったウチらに!」
美波の目が潤んでいる。叫ぶ声も少し震えているようだ。……そうか。美波はギルベイトを救えなかったことを気にしているのか。僕の命を狙ってきた奴なのに、こんなにも悲しむなんて……やっぱり優しいな美波は……。
《――それがどうした。失敗作の末路などどうでもよいわ》
「っ――! それが生み出した命に対する態度!? 生みの親なら子の心配をするのが当たり前でしょ!!」
《――騒々しい小娘だ。余の生み出したものをどう扱おうが勝手であろう》
「勝手じゃないわよ! 彼らの気持ちを考えなさいって言ってるの! どうしても分からないって言うのならウチが分からせてあげるわよ!」
《――えぇいやかましいわ! 先程から聞いておれば世迷い言を! この余に対して分からせてやるだと? やれるものならやってみるがいい!》
……
う~ん。妙な言葉遣いになっていて清水さんって感じがしないなぁ。清水さんならもっとこう、汚い言葉で悪口を言ったり、罵倒したり、悪態をついたり……って、僕は清水さんにどんなイメージを持ってるんだ。
「……分かった」
美波がボソリと呟いた。そして彼女は肩を尖らせながら清水さんの方へとツカツカと歩いて行く。
「えっ? 美波? な、何を……?」
美波は呼び掛けにも答えず、肘を突っ張りながら歩いて行く。それはもうズンズンと足音が響いてきそうなくらいに。そして彼女は清水さんの目の前まで行くと、仁王立ちで立ちはだかった。彼女の全身からは怒りのオーラが吹き出している。こ、これはまずい!
「ちょっ、ちょっと待って美波!」
慌てて僕は彼女を止めにかかった。だが間に合わなかった。
「覚悟はいいわね。歯を食いしばりなさい!」
《――フン。余に刃向かうとは身の程――》
清水さんが何かを言いかけた瞬間、美波は右腕をスッと振り上げた。そして両足を広げてガッと踏ん張ったかと思うと、
――バっチぃぃぃん!!
もの凄い打撃音が神殿内に響き渡った。
こ、これは痛そうだ……このビンタの痛さは僕も知っている。クリスマス直前の喧嘩をしてしまったあの日。あの時に思いっきり貰ったからね。あれは痛かったなぁ。まぁ僕の場合は物理的というより精神的に痛かったんだけどね。それにしても清水さん大丈夫かな……。
と少しだけ心配になり清水さんの様子を見てみると、彼女は美波の
あちゃぁ……これは完全に気を失ってるね……さすがにこれはちょっとやり過ぎなんじゃないかな。いくら清水さんでも少し可哀相になってきた……。
「いいこと美春! 今度やったらこんなもんじゃ済まさないんだからね! 分かった!?」
いや、気を失っていて聞こえてないです。っていうか、こんなもんじゃ済まさないって、この上があるっていうのか? 一体どんなお仕置きなんだろう……。さ、寒気がしてきた……。
まぁさすがの清水さんも今回ばかりは懲りただろう。これで少しは大人しくなってくれれば良いのだけど。
……ん?
なんだろう。今、清水さんの口から灰色のエクトプラズムのようなものが出てきてポッと消えたような気が……今のは何だろう?
「ほら坂本! ボサッとしてないで扉を開けさない!」
『は? あ……お、おう、そう……だな……』
『もの凄い剣幕じゃのう……』
「何か言った!」
『な、何でもないのじゃ!』
うん。こういう時の美波には逆らわない方が身のためだね……。
「――
雄二が腕輪の力を発動させると周囲が真っ暗になった。いや、もともと真っ暗だったのだけど。でもこの感じはサンジェスタの町で発動させた時。学園長と通信が繋がった時と同じだ。これで扉が開いたんだろうか? 特に扉らしいものは見えないけど……?
《アーアー。ジャリども聞こえるかい。アタシだよ》
『『『学園長!!』』』
やった!
《よくここまで来たね。でも時間ギリギリじゃないか》
「へ? ギリギリ? 何言ってんのさ。まだ1日くらい残ってるじゃないか」
《口答えすんじゃないよ吉井。アンタだけ置いてくよ》
「うわわっ! ごめんなさいごめんなさいっ! 今のナシ!」
「変わり身の早い男じゃのう……」
「ほっといてよ!」
《それはさておき、
「あぁ。頼むぜバ――学園長」
雄二、今ババァって言おうとしたよね。言おうとしたよね?
《扉を開けていられるのは5分間だよ。その間に出てきな。でなきゃそっちの世界に置いてけぼりさね》
「扉はどこに開くんだ? 遠かったりしたら5分じゃ足んねぇぞ」
《数メートル離れた所に開くだろうさ。いいかい、開けるよ》
――ヴンッ
そんな音と共に真っ黒な空間に白い四角が現れた。あれが世界の扉か!
「よし、あれだな。皆、あそこから出るぞ。――
「やれやれ。やっと帰れるのう」
「…………苦節40日」
「あぁ、長かったな」
「そうじゃ、気を失っておる清水を運ばねばならぬな。ワシが行こう」
「私も手伝います」
「そうか。すまぬな姫路よ」
「いえ、これくらいしかお役に立てませんので……」
「そうでもないぞい。……まぁその話はまた後じゃ。とにかく清水を運び出すぞい」
「はいっ」
そうか、僕たちは40日間もこの世界にいたのか。長かったような気もするし、あっという間だった気もする。思えば色んな人に出会ったな。
……
そういえばこの世界の人たちはこの後どうなるんだろう? 元が召喚獣の世界だから、みんな召喚獣に戻るんだろうか。いや待てよ? 確か学園長は「彼らはもともとこの世界には居なかった」と言っていた気がする。ということは、ゲームから来たデータだってこと? それじゃどうなるんだ? う~ん……?
「おい明久、何をしてる。行かないのか?」
「あ、うん。今行くよ。――
どうやら姫路さんと秀吉はもう清水さんを連れて出たようだ。ムッツリーニや霧島さんも扉から出て行く姿が見える。考えるのは後だ。今最も優先すべきは脱出だ。
ん? なんだ、美波がまだ脱出してないじゃないか。
「お~い、美波、行くよ~」
「………………」
……あれ? 返事がない? どうしたんだろ。
「美波? どうしたのさ。早く行こうよ」
再び呼びかけるが、それでも美波は反応しない。暗い空間の中で突っ立っているだけだった。
どうしたんだろう。何か考え事でもしてるんだろうか。もしかして清水さんに対してやり過ぎたと後悔してるのかな。そんなこと気にしてる場合じゃないのに……仕方ない。
「何してんのさ美波。早く行かないと扉が閉まっちゃうよ?」
美波に歩み寄り、ポンと肩を叩いてみた。けれどこれでもまだ彼女は反応しない。これはおかしいぞ?
「美波? 美波! どうしたんだ美波! しっかりするんだ!」
肩をガクガクと揺らして何度も呼びかける。にもかかわらず彼女は俯いたまま虚ろな目をし、まったく反応を示さなかった。一体どうしてしまったんだ……。
《――ク……クク……》
その時、美波が反応した。いや。反応したというか……笑った? しかも変な笑い方だ。
「えっと……美波?」
《――ミナミ? ……違うな。余は魔人王なり》