――トントン
どれくらい眠っていただろう。扉を叩く音で僕は目を覚ました。
「ふぇっ!? あぷっ、ど、どうぞっ!」
寝ぼけていたため奇妙な言葉を発しながら答える。すると扉が開き、1人のメイドが姿を見せた。
吊り上がった大きな瞳。
赤みがかったシルクのようにしなやかな髪。
黒いメイド服に白いエプロン姿。
髪形がポニーテールではなくロングのストレートになっているが……間違いない。美波だ。
「美波? 美波なんだね?」
僕は立ち上がり、入り口の向こうで佇む彼女に向かって話し掛ける。
「……」
だが彼女は返事をしなかった。美波じゃないのか……? いや、この姿を僕が見間違うわけがない。きっと何か理由があるに違いない。とにかく話をしてみよう。
「美波、無事だったんだね。良かった……凄く心配したんだよ? さ、入ってよ」
美波は動かなかった。彼女は片手に握った拳を胸に当て、じっとこちらを見つめている。
「どうしたのさ。そんな所に立ってないで入っておいでよ」
「あの……」
「うん?」
「……ホントにアキなの?」
「もちろんさ」
「ホントにホント?」
眉をひそめ
「正真正銘、吉井明久だよ」
「……」
それでもなお彼女は恐る恐るといった感じに視線を向ける。まだ信じていないようだ。こういう時はやっぱり美波と共有している経験を語るのが一番かな。きっと2人の思い出を話していれば分かってくれるだろう。そう思って僕は彼女に語りかけた。しかし誤解が解けるのにそう時間は掛からなかった。
「そういえば今日はポニーテールにしてないんだね。いつもと髪型が違うから一瞬分からなかっ────おわっ!?」
髪形の話をした瞬間、美波は目を大きく見開き、両腕を広げて飛び込んできた。そんな彼女を僕は咄嗟に受け止める。
「バカっ! バカバカバカっ!!」
美波は両手に拳を握り、僕の胸を叩きはじめた。
「今までどこにいたのよ! ウチがどれだけ心配したと思ってるの!!」
ドスドスと胸を叩く。どうやら僕が本物であると認識してくれたようだ。……って言うか……。
「ちょっ……ちょっとっ……、み、美波っ? い、痛いっ……よっ!?」
彼女の拳は本気だった。かなり興奮しているようだ。ゼロ距離で拳を叩き込まれ、息ができない。こ、このままではせっかく再会したのに息の根を止められてしまう!
「ま、待って美波、ごっ、ごめん、ごめんってば! 許して!」
「バカバカっ! アキのバカっ……!」
何度も罵倒される。それでもそんな彼女を
「絶対離さないって……言ったのにぃっ……」
僕が手を打つ必要は無かった。しばらくして美波は拳を止め、今度は僕の胸に顔を押し付け、ぎゅっと抱き締めてきた。身体が密着し、彼女の温もりが伝わってくる。
「遅くなってごめんね。でも僕も必死に探したんだよ」
僕はその抱擁に応えるように、そっと彼女の肩に手を添える。こんな異世界でも美波の
「ホントに……怖かったん……だからぁ……」
美波は声を震わせ、強く抱きついてくる。あぁそうだ……この感じ。この両腕にちょうど収まる感じの肩幅。この赤みを帯びたサラサラの綺麗な髪。ずっと会いたかった、僕の一番大切な人だ。
「ごめんね。会いたかったよ、美波……」
胸がジンと熱くなり、彼女を抱き締める。ぎゅっと、強く、優しく。僕は彼女を抱き締めた。
「うん……うんっ……!」
美波も負けじと抱き締め返してくる。こうして僕たちはしばらくの間、お互いの存在を確かめ合うように抱きしめ合った。
……
どれくらいの時間こうしていただろう。高ぶる気持ちがようやく落ち着いてきた頃────
「もう絶対に離しちゃダメなんだからねっ! それからこの埋め合わせはきっちりしてもらうから!」
ガバッと顔を上げ、美波が急に怒ったように声をあげた。彼女は眉を吊り上げ、大きな瞳で僕を睨みつける。しかしその両目にはうっすらと涙を滲ませていた。
「あぁ、埋め合わせでも付け合わせでもなんでもするよ」
「ホントに?」
「うん」
「ホントにホント?」
「うん。嘘はつかないよ」
「じゃあキスして」
oh……いきなり難易度Maxな要求が来ちゃったよ……。
「え、えっと……。今ここで?」
戸惑う僕。それを気にする様子もなく、美波は目を瞑って顎を上げ、唇を突き出す。
美波とは付き合いはじめてからも何度かキスを交わしている。けど、その……やっぱり僕にはこうした行為がとっても恥ずかしくて……。それにこんな王宮の客室でなんて……。そ、そうだっ!
「じゃ、じゃあ、行くよ」
「……うん」
意を決し、僕はチュッと音を立てて彼女に口づけをする。
「……?」
「はい、おしまいっ!」
「むぅ~っ。どうして”おでこ”なのよっ!」
「や、約束は守ったよ?」
「む~っ!」
美波は不服そうに唇を尖らせる。
「ふふ……まぁいいわ。許してあげる」
美波はそう言うと僕を解放し、今度は真顔で尋ねてきた。
「それでアキ、この世界って何なの?」
それは僕の方が聞きたい。
「それが僕にも分からないんだ」
「えっ? そうなの? こんな変なことが起きるなんてアンタか坂本がまた何かやったんだと思ってたわ」
「まず僕を疑うのはやめてくれないかな……」
酷い濡れ衣だ。と思ったけど、原因ってやっぱりあのコンセントなんだろうか。だとしたら僕のせいということになるけど……。
「だっていつもそうじゃない。……あっ、そうだ!」
「うん?」
「ねぇアキ、どうしてアキはウチがここにいるって分かったの?」
「いや、僕だってここに美波がいるなんて知らなかったよ」
「そうなの? じゃあどうやってここに来たの?」
「えぇと、順を追って説明した方がいいね」
落ち着いて話したかった僕はベッドに腰掛ける。すると美波はその隣に同じように腰を降ろした。そんな彼女の存在を嬉しく思いながら、僕はこれまでの出来事を順に説明していった。
この世界に放り出された時のこと。
魔獣に襲われたこと。
元の世界に戻るための情報を探しに出たこと。
そして、戦争が起りそうなこと。
「えぇっ!? せ、戦争!?」
「うん。知らなかった?」
「し、知らないわよそんなの……」
「ジェシカさんは何も言ってないの?」
「仕事は色々と教えてくれたけど、そんなことは教えてもらってないわ」
「う~ん……何か事情があるのかな。とりあえず話を続けるね」
僕はここまでの道のりを思い出しながら話を続けた。
戦争を止めたくてライナス王子に願い入れたこと。
捕まって牢屋に放り込まれたこと。
ムッツリーニと一緒に脱出したこと。
「土屋もいたの? それじゃあ、もしかして教室にいた全員がここに来てるの?」
「う~ん……どうなんだろう。こうして3人がここにいるってことは可能性はあるかもしれない」
「あの時ほかに一緒にいたのは確か……瑞希と翔子と坂本と……あと木下だったかしら」
「うん。確かそうだったと思う」
「もし皆も来てるのなら一緒に行動した方がいいんじゃない?」
「僕もそう思うけど……。でもこの世界って携帯電話も無いし、連絡手段が無いんだよね」
「それもそうね……。それで土屋はどこに行ったの?」
「ミロードから別行動してるよ。あいつは今頃レオンドバーグって町で元の世界に帰る方法を探してるはずさ」
「へぇ、意外と熱心ね」
「この世界にはカメラとか盗聴器が無いから元の世界に帰りたいんだってさ」
「やっぱりそれなのね。土屋も相変わらずね」
最大の理由がパソコンに入っている画像を守りたいからだってことは言わないでおいてやろう。
「あいつとは明後日の夜にレオンドバーグで合流することになってるんだ」
「そのレオンドバーグって町の名前よね? どうやって行くの?」
「馬車だよ。この世界の交通機関って馬車だけみたいなんだ。この町から直通出てるのかな?」
「ウチはずっとこの王宮に籠ってたから分からないわ」
「そっか、それじゃ明日町に出て確認してくるよ」
「ウチも一緒に行きたいけど、メイドの仕事があるのよね……」
「なら美波はそっちを優先してよ。調べ物は僕の仕事さ」
「でも明後日待ち合わせなんでしょ? それならウチもここの仕事を辞めないと」
「あ、そうか」
「明日ジェシカさんに言うわ。お世話になったからしっかりお礼言っとかなくちゃ」
「そういえば美波はこの世界に飛ばされた時ここにいたの?」
「ううん。別の町よ」
美波はこの世界に来てからのことを話してくれた。
彼女は気付いたらミロードにいたのだという。しかしその到着した場所が問題で、なんと噴水のプールの中だったらしい。ずぶ濡れになってしまい、しかも見知らぬ町。そのまましばらく町を歩いてみたものの、レンガや石造りのまったく見覚えの無い町並み。そして歩き疲れ、途方に暮れて公園のベンチに座っていたところをメイド長のジェシカさんに声を掛けられたという。
最初はジェシカさんも美波の言っていることを理解してくれなかったらしい。けれど話しているうちに”異国の者”という認識をしてくれたそうだ。
しかしそれが理解できても美波の言う国がどこにあるのか分からないし、帰り方も知らない。そこでジェシカさんは「うちで働きながら探しなさい」と言ってくれたそうだ。美波はその言葉に従い、王宮に案内され、メイドとして働くことになったのだという。なるほど。あの男の子の目撃証言はちょうど美波がこの世界に飛ばされてきた時の話だったのだろう。
「そっか。それでメイド服なんか着てるんだね」
「そうよ。どう? 似合う?」
美波は立ち上がると、黒いスカートを
「うん。とっても可愛いよ」
僕は思ったことをそのまま口にした。
「やだもうっ、アキったらぁっ!」
「ぶべっ!」
照れ隠しの右ストレートが僕の左頬に突き刺さる。
「ふぐぉぉぉっ!!」
久々の美波のパンチは凄まじく痛かった。
「あっ! ご、ごめんねアキ! つい……」
「いっててぇ……。なんか腕っ節上がってない?」
「えっ!? やだっ、ホント!? メイドの仕事って力作業が多いから筋肉ついちゃったのかなぁ……」
美波は自らの腕をまじまじと見つめる。そんな彼女を見ていると、やはり不思議に思ってしまう。あの細い腕からどうやってあれほどの威力を出すのだろう、と。
「西村先生みたいになっちゃったらどうしよう……」
メイド服姿の筋肉ダルマが脳裏に浮かぶ。そんな美波は僕だって嫌だ。
「だ、大丈夫だよ。鉄人は暇さえあれば筋トレしてるんだ。それくらいしないとあんな風にはならないよ」
「ホントに……?」
「もちろんさ」
ん? 力……? そうだ!
「力で思い出した! 実は僕、凄い力が使えるようになったんだ」
「力?」
「うん。言うより見せた方が早いかな」
僕は立ち上がり、部屋の真ん中へ出る。
「危ないからちょっと離れてて」
「? うん」
美波はベッドに腰掛け、こちらを不思議そうに見つめる。よし、
「
喚び声と共に僕の足元に見慣れた幾何学模様が浮かび上がる。そこからパァッと光が溢れ出し、僕の身体を一瞬で包み込む。そしてその光は僕の衣装を黒い改造学ランへと変化させると、スゥッと消えて行った。
「えぇっ!? な、何よそれ! どういうこと!?」
美波は大きな目を丸くして驚きの声をあげる。
「最初にこれができた時は僕もびっくりしたよ。これで召喚獣の力が使えるみたいなんだ」
「召喚獣の力?」
「うん。この状態だと魔獣も一撃で倒せたんだ。多分いつもの何倍もの力が出せるんだと思う」
「信じられないわ……夢でも見てるみたい」
夢なら覚めてほしい。何度そう思ったことか。
「ねぇアキ、それってウチにもできるの?」
「どうだろう。僕にできたくらいだから美波にもできるんじゃないかな。やってみる?」
「そうね。それじゃ」
美波は立ち上がって片手を上げる。そして、
「──
喚び声に応えるように彼女の足元に幾何学的な模様が浮かび上がる。その姿はすぐに光に包まれ、次の瞬間、華麗に変身した彼女が姿を現した。
丈の短い青い軍服。
襟元を飾る緑のスカーフ。
すらりとした長い足を強調するかのような白いズボン。
そして腰に下げたサーベル。
彼女の召喚獣のスタイルそのものだった。ひとつ違うのは、頭に水色のバイザーを付けているところだ。
「嘘みたい……」
溜め息にも似た声で呟く美波。やはり試獣装着できるのは僕だけではなかった。恐らくムッツリーニにもできるのだろう。
「でもこれって一学期の時の格好ね」
「ん? そういえばそうだね」
「アキのはどうなの?」
「僕の? ちょっと待って」
そういえば二学期は裏生地に刺繍が入ったのだと思い出し、学ランを脱いで内側を確認する。
……無い。
「僕のも一学期のみたいだ」
「どうしてかしらね。どうせなら二学期の騎士服とランスがよかったわ」
「まぁいいんじゃない? その服って凄くかっこいいし、僕は好きだよ?」
「そ、そう? ありがと。えへ……」
美波は嬉しそうに笑みを浮かべる。それにしても軍服姿の美波もすっごく可愛いなぁ……。
「ねぇアキ、ところでこれってどうやって解除するの?」
「さぁ?」
「さぁ? って、どうすんのよ! 明日も仕事があるのよ!? この格好じゃ仕事できないじゃない!」
「大丈夫だよ。バイザーに黄色いバーが表示されてるだろう?」
「バイザー? バイザーってこの頭のやつ? あ、なんか棒が表示されてるわね」
「その黄色いバーが消えると勝手に解除されるんだ」
「ふ~ん……でもなんか不便ね。他に解除する方法って無いのかしら」
「どうだろう。召喚獣も召喚フィールドを抜けるしか消す手段無かったからなぁ……」
「そうね……解除だからキャンセル! とかリリース! とか言ってみたら解除されないかしら」
彼女の姿に変化は無かった。
「ダメみたいだね」
「う~ん……。あ、じゃあアウト! なんてどうかしら?」
そう言った直後、美波の身体は再び光に包まれた。そしてその光が消えると彼女の姿は元のメイド服に戻っていた。
「あっ! 見て見てアキ! 解除されたわ!」
「か、解除できるんだ……」
「ほら、大人の召喚獣の時もこれで消えたじゃない?」
「そういえばそうだっけ」
「アキもやってみたら?」
「うん。そうだね。──
美波の真似をして片手を上げ、キーワードを口にする。すると僕の学ランも消え、元の制服に戻った。
「お、できた」
「これで自由に装着と解除ができるわね」
「うん。美波のおかげで勉強になったよ」
その時、トントンと扉を叩く音がした。
「はい、どうぞー?」
返事をするとガチャリと扉が開き、「失礼します」と1人のメイドが入ってきた。
「こちらにシマダミナミがお邪魔──あっ、いたいた! シマダミナミ、明日の仕込みをするからすぐ調理場に来て!」
「あっ! ウチまだ仕事の途中だったわ!」
「へ? そうなの?」
「すみません! すぐ行きます!」
「なんか今夜は沢山作らないといけないらしいから、すぐ来てね」
そう言うとメイドは扉を閉め、去っていく。
「ごめんねアキ。ウチ仕事に行かなくちゃ」
「分かった。頑張ってね」
「今日はもう寝るでしょ? 明日の朝、起こしに来るわね」
「無理しないでいいよ?」
「心配してくれるの? ありがと。でも大丈夫よ。それじゃおやすみ!」
美波はそう言ってパタパタと部屋を出て行く。もっと話したかったけど、仕事があるのなら仕方がない。大丈夫。明日また会えるんだから。
「ハァ~……」
僕は大きく溜め息を吐く。でもこれは後悔や疲れを示すものではない。美波と会えて良かった。そういう”安堵”の溜め息なのだ。
――――この日、僕は初めて神に感謝した。