眩しいくらいに明るい廊下を歩きながら僕は考える。部屋を用意してくれたと言うけど、こんな待遇を受けていいのだろうか。勝手に僕なんかを泊めたりしたらさっきの兵士が言う通り、ジェシカさんが叱られてしまうんじゃないだろうか?
「あの……本当に良かったんですか?」
「うん? 何がだい?」
「だって僕は王子に嫌われて追い出されるところだったわけだし、ジェシカさんに迷惑がかかるんじゃ……」
「あっはっはっ! 若いモンがそんなこと気にすんじゃないよ! 自分の家だと思ってゆっくりして行きな!」
豪快に笑い飛ばす彼女。そんなこと言ったってなぁ……。こんなドでかい城、自分の家だなんて思えるわけがないじゃないか……。
「確かにアタシの身分はこの城の中じゃ低い方さ。けどね、さっきみたいな睨みを利かせることはできるんだよ」
「? どうしてですか?」
「メイドってのはね、この城にとって”なくてはならない”存在なんだ。もしメイドが働かなかったらこの城は成り立たないのさ。男共なんて普段は偉そうなこと言ってるけど、家事のこととなるとてんでダメなんだからね。情けないもんさ」
「そ、そうなんですか」
「人は食わなきゃ生きていけない。アタシらはこの城の台所を握ってる。つまりそういうことさ」
「は、はぁ……」
言うことを聞かない人は御飯を食べさせてあげないよ、ってことか。凄いなぁこの人。きっと城内の男たちは誰もジェシカさんに口答えできないんだろうな。そういえば僕の母さんもこんな感じで父さんも頭が上がらないみたいだったな。
「しかしアンタも変わった子だねぇ。殿下に意見しようだなんてさ」
「そうですか? 僕はただ戦争なんて間違ってると思ったから……」
「そうだね。アタシも間違ってると思うよ」
「えっ? じゃあどうして止めないんですか?」
「アタシは雇われの身だからね。そんなこと言える立場じゃないのさ」
「でも間違ってると思ったら言うべきなんじゃないですか?」
「大人の世界はそうもいかないんだよ。アンタにゃまだ分からないかもしれないけどね」
雇い主には逆らえないってことなんだろうか。思うように意見が言えないなんて、”働く”って辛いことなんだなぁ……。
「じゃあさっき王の間にいた偉そうな人たちは? あの人たちは何も言わないんですか?」
「あぁ、言わないね」
「なんでですか!? みんな戦争で血が流れても構わないって言うんですか!?」
「この城の男共はみんな殿下の言いなりさ。アンタのように殿下に意見しようなんて度胸のある奴は1人だって居やしないよ」
「ぐ……そう……ですか……」
「まぁ気にすんじゃないよ。アンタは別の世界から来たんだろう? この国で何が起ころうとお前さんが気に病む必要はないさ」
「そうはいきませんよ。目の前で悲しんでる人がいるんですから……」
「やれやれ。アンタもバカだねぇ。でも気に入ったよ。今夜はゆっくりしていきな」
「は、はぁ……」
こんな豪快おばさんに気にいられても正直言ってあまり嬉しくない……。まぁ悪い気はしないけどさ。
「さぁ着いたよ」
廊下を曲がったところでジェシカさんが立ち止まり、そう言って廊下の先を指差した。
「そこの奥から2つめの部屋がアンタの部屋さ。今メイドに準備をさせてるけど気にしないで入っていいよ」
その指の先を見ると5つほどの扉が並んでいた。ずいぶん大きな扉だ。さっきの王の間ほどじゃないけど、幅2メートルくらいありそうだ。扉の感じから想像するに、さぞかし立派な部屋なのだろう。本当にそんな部屋を僕なんかが使っていいんだろうか。
「何か欲しいものがあればそのメイドに言っておくれ。それじゃ」
そう言ってジェシカさんは背を向け立ち去ろうとする。
「えっ? ちょ、ちょっと待って! 僕に話があるんじゃないんでしたっけ?」
「アタシは仕込みの仕事が残ってるから今夜は話している時間がないんだ。明日ゆっくり聞かせてもらうよ」
「あ、そ、そうなんですか。分かりました」
なるほど。部屋を用意してくれたのはそのためか。それならそうと言ってくれればいいのに……。それじゃあ、せっかく用意してくれたんだし厚意に甘えようかな。と、僕はドアノブに手を掛ける。
……待てよ? メイドが準備中だって言ってたし、ノックすべきだろうか。うん。やっぱりどんな時でも礼儀は忘れちゃいけないよね。
僕はドアノブから手を放し、拳を軽く握って扉を叩く。
――トントン
『はーい、どうぞ』
部屋の中から女性の声が聞こえてくる。やはり人が居るようだ。僕は扉を開け、中へと入る。
その部屋は僕の家のリビングほど――いや、それ以上の広さがあった。部屋の中にはテーブルや大きなソファ、それに大きなベッドが置かれている。そして天井には大きなシャンデリアが釣り下げられ、柔らかな光を放っていた。す、すごい部屋だ……僕の住む家とは何もかもスケールが違いすぎる。これが本当に客室なのか? さすが王子様の宮殿は違うな……。
「すみません。いまベッドの準備が終わりますので……」
黒いメイド服の人が大きなベッドの毛布を整えながら言う。細い身体に赤みがかったストレートヘア。やはり女性のようだ。彼女はお尻をこちらに向け、一生懸命に身体を伸ばして作業をしている。
……なんだか美波によく似た感じの後ろ姿だな。そういえば声も似ている気がする。この世界にも美波に似た人が居るんだな。
僕は彼女のことを思い出し、ぼんやりとメイドの後ろ姿を眺める。っと、いくら似てるからってこんなにジロジロ見ちゃ失礼だよね。やめよう。
「お待たせしました。すみません。不慣れなものでして……」
準備が終わったようだ。メイドさんがペコペコと頭を下げて僕に謝る。そんなに謝ることないんだけどな。何時間も待たされたわけでもないし。なんてことを思いながら顔を上げたメイドさんを見た瞬間、
「っ──!?」
僕の心臓は大きく一度ドクンと脈打ち、止まった。
「えっ!? ア、アキ!?」
目の前にいたのは似た人ではなく、僕のよく知る人そのものだった。信じられない再会に僕は言葉を失い、頭が真っ白になってしまう。
『──アキ? アキなの!?』
美波の声が遠くに聞こえる。頭がふわぁっとなって意識が遠のいてしまい、呼び掛けに応じることができない。
『──アキ? どうしたの? ねぇアキ! どうしたのよ! 返事をして!』
美波が心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。それでも僕は口を開くことすらできない。あれほど会いたかった人が目の前にいるというのに。
『──シマダミナミー? そっちが終わったらこっちを手伝ってー』
そうしているうちに扉の外からそんな声が聞こえてきた。声は耳に入っているけど、頭の中がぐちゃぐちゃで気にしている余裕がない。
『──えっ? で、でも今はちょっと……』
『──皆明日の準備で大変なのよ。急いで来て』
『──は、はーい! 今行きまーす!』
美波が僕の横を小走りに駆け抜けていく。それなのに僕の身体は固まっていて彼女を引き止めることもできなかった。
『──アキ! 仕事が終わったらすぐ戻るからね! 話したいことがいっぱいあるんだから!』
………………
………………
………………
ハッ!
「あっ! ちょっ……!」
ようやく我に返って振り向いた時、既に美波の姿は無かった。僕は慌てて廊下に飛び出す。
「美波!」
終わりが見えないほどに長い廊下。その左側にはいくつもの扉が並んでいる。しかしそこに動くものは無く、橙色の松明の光がゆらゆらと廊下を照らすのみであった。
「くっ……!」
僕は
「ど、どこに行ったんだ……!」
僕は走った。必死になって彼女の姿を追った。王宮の中はまるで迷路のようだった。あちこちに曲がり角があり、どちらに進むか悩む。その都度適当に道を選び、とにかく手当たり次第に捜した。
「あの! すみません! 赤い髪をしたメイドを見ませんでしたか!?」
やっと1人の兵士を見つけ、尋ねる。
「赤い髪のメイド? ハテ……そんなのいたかなぁ」
「そうですか! ありがとうございます!」
「あ! ちょっと君!」
時間を勿体なく思った僕はさっさと話を切り上げて走り出す。この後も廊下で何人かに出会い、その都度彼女の居場所を尋ねる。しかし誰もが口を揃えて「見ていない」と言う。
そうして20人くらいに聞きまくっただろうか。
「ハァ、ハァ……み、美波……」
元々体力を消耗していた僕はついに走れなくなり、壁に背を
もしかしてあれは幻だったんだろうか……。この世界に来てから今日で6日目だ。ここに来る前は毎日欠かさず会っていたというのに、もう6日間も会えていない。だからあまりに”会いたい”と強く願ってしまって、ありもしない幻を見たのかもしれない。そういえば髪型も違った気がする。きっとそうなんだ。焦り過ぎて似た雰囲気の人が美波に見えただけなんだ……。
ハァ…………しょうがない。とりあえず部屋に戻るか。
そう思って立ち上がった時、思わぬ事態に陥っていることに気付いた。
「……ここ、どこ?」
迷子だった。
右を見ても左を見ても似たような廊下が続くばかり。どちらから来たのかも覚えていない。どうしよう……こんな所で迷子だなんて……。と、とにかく見覚えのある場所に出よう。そうすればそこからジェシカさんに案内してもらった道に戻れるかもしれない。
そう思って歩き出したものの、事態はますます悪化してしまった。見たことも無い場所に出てしまい、余計に分からなくなってしまったのだ。
「あぁもう……僕のバカぁ……」
王子の説得に失敗し、仲間捜しも中途半端。更にはせっかく用意してくれた部屋を飛び出して、帰り道が分からなくなるという体たらく。何もかも上手く行かない。そんな自分が嫌になってしまい、僕は廊下で自らの頭をポカポカと叩いていた。
「うん? ヨシイじゃないか。アンタこんな所で何してんだい?」
すると背後から聞き覚えのある声がした。
「ジェシカさん! 助かったぁ……」
「こんな所でどうしたのさ。トイレかい? トイレなら部屋に付いてただろう?」
「あ、いえ、トイレじゃなくて、その……道に迷ってしまって……」
「はぁ? 何をやってるんだいアンタは……」
呆れられてしまった。そりゃそうだよね。僕だって自分自身を呆れていたんだから。
「しょうがない子だねぇ。アタシについてきな。もう一度案内してやるよ」
「す、すみません」
僕はジェシカさんの大きな身体の後ろを肩身の狭い思いをしながら歩く。恥ずかしい。ついさっき案内してもらったばかりだと言うのに……。
「ところでアンタどうしてこんな所まで来たんだい?」
「それが、その……」
きっと僕の見間違いだよね……。
「美波がいたような気がして……それで後を追っていたらいつの間にかここに来ていて……」
「ミナミ? シマダミナミのことかい?」
!?
「そ、そうです! 島田美波!! どうして知ってるんですか!? もしかしてここにいるんですか!?」
「あぁ、いるよ?」
美波がここにいる!!
「今どこにいるんですか!? 教えてください!!」
「なんだい、男が大騒ぎして。みっともないよ? 少しは落ち着きな」
「で、でも美波が! 僕の大切な人なんです!」
「あぁもう! うっさいねこの子は!! 慌てるんじゃないよ! あの子なら仕事中だよ! 終わったら向かわせるから後にしな!」
「うぐ……わ……分かりました……」
ジェシカさんに怒鳴られてしまった。この人、怒ると怖いな……。でもやっぱりあれは美波だったんだ。やっぱりこの世界に来ていたんだ。あの様子ならきっと怪我もしてないよね。無事で良かった……。あぁ、早く会いたいなぁ……。
「それにしてもお前さんがこんなに取り乱すとはね。そんなにあの子が気に入ったのかい?」
「気に入ったというか何というか……。美波は僕の……その…………」
「うん? 何だい? ハッキリお言いよ」
「えっと、か、彼女……だから……」
こうして改めて言うと恥ずかしいもんだな……。だいぶ慣れたつもりだったけど、こういったことを話そうとすると
「僕の彼女? どういう意味だい?」
そうか、この世界じゃ付き合っている女の子のことを”彼女”と言わないのか。
「えぇと……僕にとって一番大切にしたい人……って言えば分かります?」
このあとすぐ僕は顔を真っ赤にしてしまった。恥ずかしい。顔から火が吹き出しそうだ。自分で説明しておきながら何をやってるんだろう、僕……。
「ふふ……そうかい。やっぱりアタシの思った通りだったね」
「へっ? ど、どういうことですか?」
「ほれ、着いたよ。大人しくこの部屋で待ってな」
ジェシカさんは僕の質問には答えず、先程と同じように廊下の先を指差す。そこは確かに先程案内してもらった部屋だった。廊下の感じにも見覚えがある。
「あんまりウロチョロするんじゃないよ。また迷子になったりしたら面倒だからね」
「は、はい。すみません……」
ジェシカさんの言葉に従い、僕は部屋で待つことにした。彼女の言うことが嘘でないのであれば、ここで待っていれば美波は来るはずだ。僕はベッドに寝転がり、期待半分不安半分の心持ちで時が経つのを待つ。
………………
………………
………………
長い。待っている時間をこれほど長いと感じたのは初めてかもしれない。古典の授業が終わるのを待っている時より長く感じる。でも待たなくちゃいけない。きっと美波が戻ってきてくれるから。そう思いながらも睡魔に襲われ、僕はいつしか眠りに落ちていった。