《ウォオォォォーーッッ! ブモォオォォォーーッッ!》
ドスンドスンと地響きをたてながら、しつこく追ってくる巨獣。筋肉で膨れ上がった身体のせいか、奴の動きはそれほど早くはない。だがその一歩一歩が数メートルの跳躍に等しく、召喚獣の力を使って全力疾走する僕にも追いつきそうな勢いだ。
『アキ! どうするつもりなの??』
魔獣ミノタウロスの後ろから美波が追いかけてくる。まずいな。せっかく引き離そうとしているのに、その本人がついて来てしまっては何にもならない。やはりここで迎え撃つべきなんだろうか。
……
それにしても……。
《ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ヨ、ヨシ、イィィィィーーーーッ!!》
あいつ……なんであんな風になっちゃったんだろう。あの様子では自分が何をしているのかさえ分かってないんじゃないだろうか。そう思ったらなんだか妙に胸がザワつき始めてしまった。
魔人ギルベイト。
ハルニア王国においてあいつは突然目の前に現れ、「お前を始末しに来た」と言ってきた。酷く乱暴な性格で、好戦的で、人の命をなんとも思わないような奴だった。あの時僕は
ただ、今のあいつを見て思う。確かにあいつは人の話を聞こうともしなかった。何を言っても聞く耳を持たず一方的に襲ってきた。でも今、後ろから追ってくるアレは話を聞かないとかそういったレベルの問題じゃない。理性そのものが失われているのだ。
果たしてアレは奴自身が望んだ姿なんだろうか。どうしても僕にはそうは思えない。何か理由があるような……助けを求めているような……そんな気がしてならないんだ。僕の名を呼ぶあのバカでかい声。あの声が僕には悲痛な叫びに聞こえてならないんだ。
《ブルァアァァーーーーッッ!!》
――ズドォン!
再び奴の拳が砂浜をえぐる。
「うわっ!?」
拳をかわしたものの、大量の砂が津波のように押し寄せてくる。それを頭から浴びてしまった僕は完全に足を止められてしまった。
「ぺっ、ぺっ、ぺっ……く、くっそぉ……なんて馬鹿力だ……」
《ヴァアァァーーーーッッ!!》
「うっ……!」
ビルのように
「う、うわぁぁーーーーっっ!?」
やられる! そう思って強く目を閉じたその時、
「こんのおぉぉーーっ!!」
《ゴファッ!?》
――ズ、ズゥゥン……
……?
あれ? 潰されてない? どういうこと? それに今の音は一体……?
「ちょっとアンタ! ウチのアキに何すんのよ!」
気付くと目の前に美波の後ろ姿があった。その美波は正面に向かってビッと指をさして
「身体が大きいからっていい気になるんじゃないわよ! アキに怪我なんかさせてみなさい! 絶対に許さないんだから!!」
張りのある声で更に怒鳴りつける美波。なんて頼もしい姿なんだろう。惚れてしまいそうだ。いやもうとっくに惚れてるんだけどね。
「アキ。立てるわね?」
「う、うん」
そうか、今のは美波が奴をぶっ飛ばした音か。殴ったのか蹴ったのか分からないけど、あの巨体をぶっ飛ばしてしまうなんて奴と同じくらいの馬鹿力だ。これからは美波を怒らせないように注意しようっと……。
「アキ、どうして逃げ回ってるの? このままじゃあいつどこまでも追ってくるわよ?」
立ち上がった僕に美波が問う。
「それは……」
僕は返答に悩んだ。先程感じた哀れみ。これを美波に話すべきなのだろうか。僕を殺そうとしている奴を哀れむなんて間違っているのかもしれない。それに”奴が魔障壁に近づけない”というのも推測でしかない。万が一魔障壁が効かない奴だとしたら、僕が町に逃げ込むことで無関係な人々に被害が及んでしまう。
「言わなくてもいいわ。町に逃げ込んじゃえばあいつが手を出せないって思ったんでしょ?」
「よ……よく分かったね」
「当然よ。アンタの考えてることなんてすぐ分かるわ。だって顔に出てるんだもの」
「そ、そっか。あ、あはは……」
嬉しいような悲しいような。これじゃ隠し事なんてできないな。
「でもホントに町に逃げ込んで大丈夫なの? もし魔障壁が効かなかったら大変なことになるわよ?」
「う、う~ん……そうだね……」
確かに美波の言う通りだ。それに仮に魔障壁で奴の進入を防げたとしても、奴は僕を探して町の周りをうろつくようになるだろう。そうしたら今度は町の外を走る馬車が危険に晒されてしまう。やはり奴はここで止めるべきなんじゃないだろうか。
「よし……美波。手を貸してくれる?」
「なによ今更。ウチの手ならいくらでも貸すわよ。でもちゃんと返してもらうわよ?」
「あぁ。もちろんさ」
「でも手を外して「はい」って貸すわけじゃないからね?」
「いくら僕でもそこまでバカじゃないよ!?」
「ふふ……分かってるわよ。冗談よ、冗談。それでウチはどうすればいいの?」
「そ、そっか。冗談か。ハハ……って、そんなこと言ってる場合じゃなかった。あれを見てほしいんだ」
地面からやっと抜け出したミノタウロスを僕は指さす。
「起き上がってきたみたいね」
「うん。あいつの背中をよく見て」
「背中?」
地面から頭を抜こうと奴がもがいている最中、僕はあるモノに気付いた。それは奴の背中。両
「何か突き出てるわね」
「うん」
これまで出会ってきた魔獣たちの額には必ず魔石と呼ばれる鉱石が埋め込まれていた。あのミノタウロスの背中にもそれと同じものが埋め込まれているのだ。サイズは見たところ50センチほど。魔獣たちのものよりかなり大型だが、弱点であることには違いないと思う。きっとあれを砕けば奴は元の姿に戻るに違いない。僕はそう直感したのだ。
だが魔石を砕くと魔獣は消滅した。同じようにギルベイト自身が消滅してしまうことだってあり得る。それでも他に方法が思いつかない以上、今はこれに賭けるしかない!
《ヴォォーーッッ! ヨ、ヨシ、イィィーーーーッッ!!》
真っ赤な目を見開き、魔獣ミノタウロスが真っ直ぐこちらに向かって突進してくる。どうやら先程の美波の一撃ではそれほどダメージになっていないようだ。
「美波! 離れて!」
「きゃっ!?」
彼女をドンと突き飛ばし、僕は走り出す。
《ウガァァーーーーゥゥゥ!!》
「美波! 背中だ! 奴の背中の魔石を狙うんだ!」
そして走りながら指示を出した。奴は上手い具合に僕の方を追ってきている。ちょうど美波と僕とで挟み撃ちにする形になっているのだ。今なら奴は美波に背を向けている。
『そんなこと言ってもこいつ結構すばしっこいのよ!? 捕まったら握り潰されちゃうじゃない!』
「分かってる! だから――」
僕は立ち止まり、奴と向き合った。追いついてきた牛の化け物は両腕をガバッと上げ、両手を組んで振り下ろす。ハンマーナックルの状態だ。
「――
僕は腕輪の力を発動。右手に現れた木刀と左手の木刀をクロスさせ、奴の拳を受け止めた。その瞬間、ドズンという重圧と共に僕の足下に衝撃波が広がる。
「くぅっ……!」
2本の木刀で受け止めたものの、奴の拳は想像以上に重い。肘や膝がギシギシと悲鳴をあげるようだ。だがこうして両腕を塞いでしまえば背中がガラ空きになる。今がチャンスだ!
「み……美波! 今だ……ッ!」
「はあぁぁーーっ!」
僕の合図で美波が奴の背後から飛び込む。それに気付いた奴は振り下ろした拳を緩め、彼女を迎え撃つべく上半身をよじる。
「させるかぁーーッ!!」
僕はすかさず飛び上がり、2本の木刀で奴の腕を叩き落とす。
《ゴァッ!?》
ドズゥンと地響きをたて、奴は右腕を砂浜にめり込ませて動きを止めた。
「やぁぁーーッ!」
――ガシッ!
間髪入れずに美波の
《ガ……ハァッ……!》
すると奴は一度ビクンと大きく身体を震わせ、そのまま硬直した。
「や、やったか……?」
巨大な牛人間は大きな口を開けたまま頭を垂れ、ピクリとも動かない。数秒経っても硬直したままだった。まるで剥製になったように微動だにしない。これって効果があったってことなんだろうか?
「……? あれ?」
「ねぇアキ。これってどういうこと?」
「う~ん……動きは止まったけど……」
僕はそっと近づき、奴の顔が見える位置に行って見上げてみた。真っ赤な目を見開き、大きく口を開けて完全に固まっている魔獣ミノタウロス。もしこいつが魔獣の一種なのだとしたら、魔石を砕いた時点で煙を吹き出して消えるはず。魔人ギルベイトであろうこいつの場合、元の姿に戻ると思ったのだけど……違うんだろうか。
と思った瞬間、
《ヴオォォォーーーーッッ!!!》
突如奴は上体を反らし、ビリビリと空気を震わせるような雄叫びをあげた。
「いっ!? や、ヤバっ!」
僕は
やむなく両手の木刀をクロスさせ、先程と同じようにそれを正面から受け止める。ズシンと、まるで鉄球をぶつけられたような重い衝撃が両腕に響く。力が全然衰えていない。なんて奴だ……!
「くぅぅっ……!」
正面から受け止めてはまずいと感じ、僕は身体をよじって攻撃を横に流した。すると奴は瞬時に体勢を立て直し、また飛び掛かってくる。とにかくあの攻撃を受けちゃダメだ!
《ウォッ! ヴォッ! ブォォッ!》
しつこく追ってきて拳を振り下ろす巨獣。なんとか反撃に出たい所だが、いかんせん足場が悪い。こんな砂地では足を取られてしまって踏ん張りがきかないのだ。
「いいかげんにしなさいよアンタ!」
美波がサーベルで奴の二の腕をビシュッと斬り付ける。
《ガハァッ!?》
すると奴は斬られた腕を押さえ、苦しみ悶えた。
「「えっ?」」
驚きの表情を見せる美波。いや、僕も驚いた。先程まで僕らの攻撃はまったくと言っていいほど効いていなかった。けれど今の美波の攻撃で奴の腕からは黒い煙のようなものが吹き出しはじめている。一体どういうことなんだ?
《グオァァッ!》
「おわっ!」
ぼんやりしていて危なかった。間一髪奴の攻撃を避けると、またもドズンと砂浜にクレーターが生まれる。こいつ……砂浜を月のようにするつもりか? でも今なら攻撃が効くみたいだ。もしかして背中の魔石を破壊したからなのか? だとしたら今がチャンスだ!
「美波! 今なら僕らの攻撃が効くみたいだ! 倒せるぞ!」
「うんっ!」
「「はぁぁぁっ!」」
美波がサーベルで奴の肩や腕を斬り付ける。僕の二刀は足を重点的に攻め立てる。勢い付いた僕たちは次々に攻撃をヒットさせていった。巨獣の身体は攻撃が当る度に黒い煙を吹き出していく。
そうして10分ほど攻め続けただろうか。僕は奴の変化に気付いた。
「美波! ストップ!」
蝶のように舞っていた美波は動きを止め、僕の傍に降り立った。
「もういいよ美波」
「……そうみたいね」
魔獣ミノタウロスはもう僕を追ってこない。いや、もはやミノタウロスとは呼べない姿になっている。奴の身体がいつの間にか小さくなっていたのだ。シュウシュウと全身から黒い煙を吹き出しながら、背を丸め、両腕をだらりと下げる魔人……。そう、奴は元の魔人ギルベイトの姿に戻ったのだ。
《ウ……グ……ガハッ……!》
奴は口から黒い液体を吐き出す。人間で言う血のようなものだろうか。
「やっぱりこいつ魔人だったのね……」
「……うん」
初めて会った時、僕はこの魔人ギルベイトに負けた。
……恐ろしかった。かつて本気で命を奪おうとする存在に出会ったことは無い。奴の本気の殺意に恐怖し、戦慄した。けれど今はそんな奴を哀れに思える。こんな姿を見てしまうと尚更……ね……。
《ウ…………》
魔人は小さく呻き声をあげると、ズゥンと地響きを立て、大の字になって倒れた。
《よ……よゥ……ヨシイ……また会ッた……な……》
奴がまともに話しかけてきた。自我を取り戻したのか?
「ギルベイト……お前……」
《う……く……あ、あの……クソ野郎…………こ、この俺を……いいように……操りやがッ……て……》
操る? じゃあさっき襲ってきたのは自分の意思じゃなかったってことなのか?
「ギルベイト。さっきの姿は何なのさ。まるで魔獣みたいだったけど……」
《……へへ……そ……そうさ。……魔獣の力を……無理やり……ね、ねじ込まれ……ちまッた……のさ……》
息も絶え絶えに奴が答える。こうなると本当に可哀想になってくる。なんとかして奴を救えないのだろうか……。そんなことを考えていると美波が腕を絡ませてきた。見れば彼女の目は潤んでいて悲しそうに魔人に視線を落としていた。
「……どうしてそんなことになったのさ」
《……ケッ……あの野郎が…………あーだこーだと……うッせェから……よ……だから……無視したら…………こ、この……ザマよ……へ……へへへ……》
苦しそうにしながらも口元に笑みを浮かべる魔人。どうしてこんな状態になっても笑っていられるんだ……。
「なんで……無視なんかしたんだよ……」
《……奴が……俺を……用済みだと……動くなと…………言いやがッた……! からよォ……!》
一転してギリッと歯を食いしばり憎しみの表情を見せる魔人。用済みと言われたのが余程悔しかったのだろう。
《……お……俺は……! 俺は……おめェを……! 倒したかッた……ッ! こ……この俺と……同じくれェ
こいつ、本当に強い奴と戦いたいだけだったのか……。でも僕にとっては迷惑だ。こんな命のやりとりなんてゴメンさ。だって僕は普通の高校生なんだから。
「魔獣の力をねじ込まれたって……誰にそんなことをされたのよ」
怯えたような震えた声で美波が尋ねる。それは僕も聞いておきたかった。聞かなくても分かっているけど、奴の口から聞いておきたかった。
《……ケッ……
奴の答えは僕の期待を裏切らなかった。やはりそうか。最初に戦った時もあいつは”
「その
《……知らねェよ……ただ…………俺は
魔人が再び口から黒い液体を吐いた。だがそれも瞬時に煙と変わり、消えていく。
《なァ……ヨシイ……》
「うん」
《……ありがと……よ……。……け、結構……楽しかッた……ぜ……》
「そっか……」
《へへ……あ、
魔人は一際苦しそうにそう言うと、最後に口元にニヤリと笑みを浮かべた。直後、奴の身体はポゥッという音と共にすべてが煙と化した。
それはまるで黒いシャボン玉のようだった。かつて魔人であったそれはしばらくその場に留まっていた。僕はその様子をただ呆然と眺めていた。
――魔人の最期。
それを見届けているのだと認識するのには少し時間を要した。サアッと海から風が吹き、黒い水玉が踊るように円を描く。やがてそれはふわふわと宙を舞いながら空高くへと登っていった。
「……」
僕は掛ける言葉が見つからなかった。
……魔人。
ハルニア王国王都レオンドバーグの東の湖。そこであいつは突然現れた。”
あの時の僕は少し思い上がっていた。召喚獣の力を得て、誰にも負けないと思い込んでいた。けれどあいつの力は僕と同じ……いや、僕を超えていた。そして僕は敗北した。
命を取り留めた僕は奴の存在に恐怖した。未だかつて経験したことのない”本気の殺意”に恐れ
2度目の遭遇は同じ場所。湖で白金の腕輪を探している時だった。あいつには勝てない……。僕は前回の戦いの恐怖から立ち直れずにいた。
窮地を救ったのは美波だった。本気になった彼女は強かった。腕力や剣術といった意味ではなく、精神的に強かった。僕は彼女の不屈の精神に勇気をもらった。そして僕たちは力を合わせ、魔人に勝利した。
「これで……良かったのかな……」
隣で美波が悲しそうな目をして呟いた。彼女は空へ舞い上がる黒いシャボン玉を見つめながら、ぎゅっと唇を噛み締めている。
今日この時、3度目の対峙で僕たちは魔人に完全勝利した。
でも……これで良かったんだろうか。あいつは僕の命を狙っていた。当然僕だってこの命を譲るわけにはいかない。だからといって逆に命を奪うことは許されることではないはずだ。確かにあいつは人ではない。十中八九、魔獣と同等の存在であろう。けれど命であることには違いないのではないだろうか。
「……行こう。皆を探しに。元の世界に帰ろう」
今ここで考えていても答えは出そうにない。今はとにかく前に進もう。
「……そうね。ウチらにはやるべき事があったわね」
あいつは最期に礼を言っていた。僕は感謝された。僕はきっと奴を救うことができたんだ。
そう自分に言い聞かせ、僕は昼下がりの砂浜を後にした。