ザァ……ザザァ……
「…………ん…………」
ザァ……ザァ……ザザァ……
「ぅぅ…………ん…………?」
何度も繰り返し同じフレーズが耳に入ってくる。その音に騒々しさを感じた僕は目を覚ました。
「……ここは……」
頭がボーっとする。それになんだか口の中がジャリジャリする。
「えっと……」
視界に入ってくるのは白い砂地だった。どうして僕はこんな所で寝てるんだっけ……? 頭の中がフワフワしていて思い出せない。
ザァ……ザァ……
後ろの方から打ち寄せる波の音が聞こえる。振り向いてみるとそこには青い海が広がっていた。
「ここは……海岸……?」
頭をコンコンと叩きながら僕は記憶を辿る。えっと……確か僕たちは扉の島を見つけて……霧島さんが幻を打ち払って……それで……えぇと……その後……。
「うぅ…………ん…………」
その時、どこからか呻き声が聞こえた。女の子の声のようだった。こんな海岸に女の子が? 不思議に思って辺りを見回す僕。するとすぐ隣で女の子が俯せになっていることに気付いた。赤みがかった髪に、ほどけかかった橙色のラインが入った黄色いリボン。それに赤いスカートと黒いジャケットを着た女の子だった。
「みっ! 美波!?」
その存在を認識した僕は慌てて彼女を抱き起こした。
「美波! 美波!! しっかりするんだ美波!」
僕は彼女の身体を揺すりながら必死に呼びかける。すると彼女はゆっくりと目を開けた。
「ア……キ……?」
目をぱちくりさせながら美波は僕の顔を見上げる。良かった……無事みたいだ。
「大丈夫美波? どこか痛い所はない?」
「……うん。平気」
彼女はそう言って身体を起こす。見たところ怪我をしている様子もない。すらりとした手足もペッタンコな胸もいつも通りだ。違う所と言えば全身がぐっしょり濡れていることくらいか。
「そっか……良かったぁ……」
僕はホッと胸をなで下ろす。
「あれ? ここは……ウチ、どうしてこんな所にいるんだっけ……?」
なぜここにいるのか。それは僕にもよく分からない。ただあの時、もの凄い爆風で船ごと吹き飛ばされたことだけは覚えている。それとその爆風の中で
…………
そうだ……思い出したぞ。あの時、姫路さんが腕輪の力を使ってバリヤーを打ち破ろうとしたんだ。その攻撃が跳ね返されて船が……というか海が爆発したんだ。
「近くの海岸に打ち上げられたみたいだね。でも無事で良かったよ」
「ねぇアキ、何が起きたの?」
「詳しくはわかんないけど、確か霧島さんが”なんとか爆発”って言ってた気がする。たぶん海が爆発して船がバラバラになっちゃったんだと思う」
「えっ……? 爆発!? それじゃ他の皆はどうなったの!?」
泣きそうな顔をしながら美波は辺りをキョロキョロと見渡す。するとリボンが解け、スルリと落ちた。皆がどうなったのかは僕にも分からない。少なくともこの辺りに他の人の姿は見えない。たぶん僕が美波の手を掴んだから僕たち2人だけが一緒に流れ着いたのだろう。
「……僕にもわからない」
僕は砂浜に落ちたリボンを拾いながら答えた。あの時、爆発で船は完全に砕け散っていた。爆風で僕たち7人全員が空中に投げ出された所までは覚えているけど、その後の記憶は残っていない。ただ、無我夢中で船の破片にしがみついたような気がする。
「でもきっと大丈夫だよ。僕たちだってこうして流れ着いたんだし」
リボンについた砂を払いながら僕は言う。けれど僕の言葉には何の根拠もない。ただ願望を込めて言っただけなのだ。
「でも……あんな海の真ん中で船がなくなっちゃったら……」
目に涙を浮かべながら彼女は小刻みに身体を震わせる。美波が不安に押しつぶされそうになっている。こんな時は僕がしっかり支えてあげないと……。
「こういう時はいつも雄二が適切な指示をしてるんだ。だから大丈夫。きっと皆無事だよ。それに召喚獣の力だってあるんだ。その気になれば木の破片をビート板代わりにして港まで泳いで帰ることだってできるはずさ」
リボンを彼女の髪に巻き付けながら僕は言い聞かせた。この言葉に確実性はない。姫路さんは泳げないし、僕のように意識を失ってしまえば溺れてしまう可能性だってある。けれど今は皆を信じるしかない。
「こんなもんかな。リボン結んだよ」
「えっ? あ……ありがとアキ」
僕がリボンを結んでいたことに気付いていなかったようだ。それほどまでに気が動転していたといことなのだろう。
「……そうよね。ここまで乗り切って来たんだもの。きっと皆無事よね」
美波にも僕の言葉が根拠のない慰めであることくらい分かっているだろう。それでも彼女は素直に受け入れてくれたようだ。
「……ねぇアキ。これからどうしよう……」
服に付いた砂を払い落としながら美波が尋ねる。だが”どうする”と聞かれて即答できるほど僕の頭は良くない。とにかく状況を整理しよう。
まず、目的の島は見つけたわけだが、それは魔障壁のような防壁に守られていた。島に入るにはあれを取り除かなければならないだろう。でもそれ以前にやるべきことがある。仲間の探索だ。帰るのは皆一緒。サンジェスタでそう誓い合ったのだから。
そうだ。たとえ再び扉の島に行き着けたとしても全員一緒でなければ意味がないんだ。……大丈夫。きっと皆どこかの海岸に打ち上げられているさ。もしそうだとすると皆はどこに向かうだろう? 僕たちの目的地はあの扉の島なのだから、行くにはやはり船が必要だ。となれば僕らが向かうべき場所はただひとつ。
「よし、マリナポートに帰ろう」
「マリナポートに? 海に皆を探しに行くんじゃなくて?」
「うん。きっと皆もどこかの海岸に辿り着いてると思うんだ。僕らは最終的には扉の島に行かなくちゃいけない。もし皆が無事なら船を求めて港町に行くと思うんだ。だから――」
――ズドォォン!!
話の途中で突然、爆音と共に地面が地震のように揺れた。な、なんだ!? また水蒸気爆発か!?
《ヴオォォォォーーーーンンッッ!!》
直後、獣のような雄叫びが海岸を襲う。何が起ったのかを理解するのに数秒の時間を要した。それは巨大な人のような――いや、牛のような生き物だった。たとえるならば神話に出てくる獣人”ミノタウロス”。身の丈は10メートルはあるだろうか。以前、渓谷で戦った熊の魔獣と同じかそれ以上の大きさに見える。
「な、何!? なんなの!?」
いつもは肝が据わっている美波もさすがにこの猛獣の登場には驚いたようだ。そういう僕はもっと驚いていたわけだが。ただ、僕の身体は本能的に美波を後ろに庇い、守ろうとしていた。
「なっ……! なんだ……こいつ……!?」
僕らをひと呑みにできそうなくらいに大きな口。筋肉隆々の不気味な深緑色の身体。顔は牛そのもの。金色の頭髪を持ち、2本の
「う、牛の……魔獣……」
美波が身体を硬直させて呟くように言う。確かに牛の魔獣のようだけど何かが違う。今までの魔獣の姿形は動物そのものだった。リス型ならば後ろ足で立ち上がる仕草。狼型ならば4本の足で大地を踏みしめていた。熊型の魔獣も2本足で立ち上がっていたけど、短い足などは動物そのものだった。
そして今、目の前に現れたのは牛型。牛は4本足の動物であり、後ろ足2本で立ち上がれるような骨格はしていない。けれどこいつは2本の足で立ち、蹄の付いた前足ではなく、人間のような腕が付いているのだ。体格も筋肉質な人間そのもので、むしろ人間の身体に牛の顔を付けたような感じになっている。だから僕はこいつを”ミノタウロス”だと思ったのだ。
それと気になるのは頭にある折れた
「ち……違う……こ、こいつは……!」
そう、あいつは見たことがある。奴とはこの世界に来てから2度、相まみえている。けれど奴の身長は2メートル程で、これほど巨大ではなかったはずだ。それにこんな牛のような顔はしていなかった。確かに牛のような
《ウゥ……ゥ……ヨ、ヨシ……ィィ…………》
巨大なミノタウロスは苦しそうに声を発する。姿は完全に魔獣だけど、僕の名前を口にするということは間違い無い。奴は魔人ギルベイトだ。でもどういうことなんだ? あの姿は一体……。
「ギルベイト! あんたギルベイトなんだろ? その姿はどうしたんだ!」
《ウゥ……ウ、ウ、ウオォォォォーーーーッ!!》
奴は頭を抱え、天を仰いで雄叫びをあげる。ダメだ、完全に理性を失っているみたいだ。
《ヨォスイィィィィーーーーッッ!!》
ドスドスドスと地響きを立て、奴が向かってくる。なんという迫力だ……まるでミノタウロスそのものだ。これが本当にあの魔人ギルベイトなのか? もしかしたら奴とは別の”半獣人の魔獣”なのかもしれない。
「アキ! 来るわよ!」
「に、逃げるよ美波!」
「う、うん!」
僕は美波の手を取り駆け出した。けれど足下が砂地でズルズル滑り思うように走れない。水分を含んでいる分、砂漠よりはマシだ。でもやはり全力で走ることができない。
《ウオォォーーッッ! ウオォォーーッッ! ブモオォォーーッッ!!》
「う、うわわわっ!」
だ、ダメだっ! このままじゃ追いつかれる! なんとかして美波だけでも逃がさないと!
「美波!」
「ダメっ!」
「まだ何も言ってないよ!?」
「ウチだけでも逃げろって言いたいんでしょ! そんなのダメ! 絶対にこの手は放さないんだからね!」
そう言ってぎゅっと僕の手を強く握ってくる。僕の思考は完全に見透かされているようだ。
「でもそれじゃ僕たち2人ともやられちゃうよ!」
「冗談じゃないわ! あんな化け物にやられてたまるもんですか! 絶対逃げ切るのよ!」
「そ、そんなこと言ったって……!」
《ヴオァァーーッッ!!》
「ひぃいっ!?」
手を繋ぎながら必死に砂浜を駆ける僕と美波。ドスドスと砂を撒き散らしながら襲い来る巨獣。もう奴は僕たちの後方数メートルの所まで迫ってきている。やはりこのまま砂浜を走っていたのでは追いつかれる。かといって左の土手は結構な急斜面。あそこを登っていたらあっという間に捕まってしまう。となれば手はひとつ。
「く……し、仕方ない! 迎え撃つよ!」
「分かったわ!」
「「――
僕たちは同時に召喚獣を装着。僕は赤いインナーに改造学ラン。美波は青い軍服に姿を変え、サーベルを構える。
《ヴォアァァーーーーッ!》
奴は巨大な右拳を振り上げ、ブンと振り下ろす。僕と美波はそれぞれ右と左に散開。奴の攻撃を避けた。
――ドズゥゥン!!
巨大なモンスターの拳は砂浜をえぐり、まるでクレーターのような穴を作り出した。な、なんて力だ……あれがギルベイトなんだとしたら以前とは比べ物にならない。とんでもない腕力だ……。
《ウゴァァーーッ!》
魔人……いや、魔獣ミノタウロスは
「なんなのこいつ!? ウチの剣がぜんぜん効かないわ!」
「僕の攻撃もダメだ!」
《ガァ! ガァ!? ゴァァーーッ!!》
奴は僕たちを捕まえようとしているのか、腕をブンブンと振り回して掴みかかる。しかし動きは遅い。僕たちは奴の攻撃を避けつつ、何度も武器で斬りつけた。だが何度斬りつけても奴の身体には刃が通らない。僕の木刀ではなおさら傷も付かないようだ。
「ダメよアキ! このままじゃ埒があかないわ!」
「でも一体どうすれば……!」
「腕輪を使ってみるわ!」
「そ、そうか! 分かった!」
ザッと砂浜に着地した美波が上着のポケットから腕輪を取り出す。そして左腕に装着すると、その手を高く掲げ、キーワードを口にした。
「――
掛け声と共に彼女の手から風が巻き起こる。その風は一気に膨れあがり、周囲の砂を巻き上げて大きな竜巻と化した。
「これでも食らいなさいっ!」
美波はその竜巻を放り投げるように飛ばし、ミノタウロスの身体に巻き付けた。ゴウゴウと轟音を発しながら巨体を飲み込んでいく竜巻。美波の竜巻は何度か見ているけど、やはり凄い迫力だ。
《ガゥ? ヴゥゥ~~……》
しかし奴は激しい竜巻の中でも平然としていた。前回の戦いで僕の身体を持ち上げた風も奴の巨体は持ち上がらないようだ。それにこれほどの粉塵を叩きつけているにもかかわらず、奴の身体は僅かに傷が入る程度だ。剣で斬りつけるよりは効果的ではあるようだが、腕輪の力は連発できるわけではない。無茶な使い方をすれば
「な、なんて奴なの……これでもダメだなんて……」
「美波! 一旦下がるんだ! 危険だ!」
「う、うんっ!」
僕の指示に従い、美波はパッと飛び退く。それと同時に竜巻がフッと消えた。
《ヴォォォォーーーーッッ!!》
竜巻が消えるとヤツは目をギンと光らせ、再びドスドスと地響きをたてて向かって来た。
……僕の方へ。
「えぇっ!? なんでこっちに来るの!?」
てっきり攻撃してきた美波を襲うかと思ったのに、こっちに来るなんて! と僕は慌てて逃げ出す。
《ヨ、スィ、イィィィィーーーーッッ!!》
「うわーーっ!? な、なんで僕ばっかりぃぃーーっ!?」
やっぱりあれはギルベイトに間違いない。なぜならこうして僕だけを追ってくるからだ。あいつは以前も僕だけを狙ってきた。美波が割り込んでくると逃げるし、それに関して苛立ちを見せていた。自我を失っているようだけど、僕が襲う対象であることは潜在意識にあるのだろう。
でもこれで奴を美波から引き離すことができた。よし、なら追ってこい! 姿が変わっても奴は魔障壁には近づけないはず。逃げて逃げて逃げまくって、町の中に逃げ込んでやる!