目の前をムッツリーニを乗せた馬車が通り過ぎた直後のことだった。眩い光が山の向こうから差し込み、辺りが急に明るくなってきた。太陽が昇りはじめたのだ。光は徐々にその光量を増し、ローゼスコートの町に夜明けを告げる。それはまるで戦いの終わりを示す
「ふぇぇ~……つ、疲れたぁ~……」
「遅いわよ土屋ぁ~……」
差し込む太陽の光の中、僕たちは大の字になり、石畳の上で寝転んでいた。あれからどれだけの魔獣を倒しただろう。30匹くらいまでは数えていたのだけど、そこからはもう必死で数えている余裕もなかった。
「なんとか守り切ったみたいだね……美波、怪我はない?」
「うん。なんとか……でもアキが来てくれなかったら危なかったわ」
「ははは……ホント間に合って良かったよ」
試召戦争なら戦死したら補習室送りで済む。けれどこの世界における死はどうなるか分からないのだ。前回学園長と通信できた時はこの件について聞き出すことはできなかった。ただ、この世界でも怪我をすれば血が出て痛いということは身をもって知っている。あんな苦しみを美波に味合わせたくはない。それだけは確かだ。
「そうだ。こうしちゃいられない。すぐ皆の所に行こう!」
「”みんな”じゃなくて”瑞希の所”でしょ?」
「んがっ!? ち、違うよ! そんなんじゃなくて……!」
まずい。見透かされている。以前美波と喧嘩してしまった時も僕が姫路さんのことを言いすぎたからだった。ここでまた美波を怒らせたら非常にややこしいことになる。なんとか誤魔化して――
「ほらアキ、言い訳してる暇があったら走る!」
「へっ? あれ? えっと……」
「もう、何をボサっとしてるの。瑞希のことが心配なんでしょ? 早く行くわよ!」
そう言って美波は僕の手を掴んでくる。
……暖かくてしなやかな手。
こんな風に手を繋ぐのもなんだか久しぶりだ。それにしても美波の機嫌が良いような気がする。拗ねるかと思ったけどこれは予想外だ。まぁいいか。とにかく姫路さんと秀吉が心配だ。
こうして僕は東門の警護を終え、美波と共に正門へと向かった。
☆
「ねぇアキ、あれって瑞希たちじゃない?」
「ホントだ。何してるんだろ?」
東門から正門への通路を抜けると、ロビーに集まっている人たちの中に姫路さんの姿があった。秀吉、霧島さん、雄二の姿もある。でも皆浮かない顔をしているように見える。皆は姫路さんを中心にして、心配そうに何かを覗き込んでいるようだ。
「瑞希が怪我でもしたのかしら?」
「えぇっ!? そ、そりゃ大変だ!」
「あっ、待ってよアキ!」
思わず駆け出す僕。美波も後ろからついてきているようだった。
「姫路さん!」
「あ、明久君……」
姫路さんの元へ行くと、皆が心配そうな顔をしている理由が分かった。彼女の胸元には全長50cmくらいの白い物体があった。それは頭に小さな
「姫路さん、その仔山羊は?」
「私の友達です。私が間違った選択をしたせいで酷い目にあってしまって……」
姫路さんはぐっと唇を噛み、仔山羊をぎゅっと抱き締める。今にも泣きそうなくらいに顔を歪ませて。
「一体何があったのさ」
「それは……」
彼女は俯き、言葉を詰まらせた。きっととても話しづらい事なのだろう。こんな表情をされれば僕にだってわかる。
「……吉井、今はそっとしておいてあげて」
霧島さんにそう言われて姫路さんをもう一度見てみる。彼女は目に涙を浮かべ、辛そうに胸元の仔山羊に視線を落としている。何があったのか僕には分からない。でもこの表情からすると心に傷を負ってしまったようにも思える。だとしたらどうにかして癒してあげたい。僕に何かしてあげられることはないだろうか……。
「アキ、あんたの考えてること、分かるわよ。でも今は何も言わないであげて」
「う……わ、分かった」
美波には姫路さんの気持ちが分かるようだ。やっぱり女の子の気持ちは女の子の方が良く分かるのかな。
「姫路よ、ともかくその子を安静にせねばなるまい。借りている部屋で休ませるのじゃ」
「……はい」
皆が見守る中、姫路さんは秀吉に付き添われて部屋に戻って行った。あの仔山羊は顔に治療帯を巻いていた。つまり頭を怪我したのだろう。でもきっと大丈夫。治療帯の治癒力は素晴らしい。僕が全身に傷を負った時も一晩でほぼ治ってしまったのだから。傷の深さは分からないけど、あのくらいの傷ならばきっとすぐ元気になるだろう。そうすれば姫路さんも笑顔を取り戻してくれるはずだ。
「ところで雄二は治療しなくていいの?」
僕がこう聞いたのは、あいつの姿がボロボロであちこちから血が出ているからだ。メランダの町に戻ってきた時ほどの傷ではないが、見ていて痛々しい。
「ん? あぁ、これか? そうだな。一応治療帯を巻いておくか」
自分が傷だらけで
「目の前の敵を倒すことだけに集中してたからな。多少の傷なんざ気にしていられなかったんだよ」
「……私が行かなかったら危なかった」
「ったく、せっかく1人で思う存分暴れてたってのに、のこのこ出てきやがって」
「……でも数匹に噛み付かれてた」
「あ、あれは! だな……その……なんだ……。ちょ、ちょっと油断しただけだ!」
「……雄二は素直じゃない」
「うっせ! いいから治療帯をよこせ!」
「……巻いてあげる」
「いらんことするな! 自分で巻ける!」
「……いいから」
「あ、こ、こら翔子!?」
「……じっとしてて。でないと首に巻いてしまう」
「お……おう……」
霧島さんはひと巻の治療帯を鞄から取り出すと、雄二の頭に巻いていった。不服そうな表情の雄二。これに対し霧島さんはニコニコと嬉しそうにしていた。
やっぱり霧島さんは雄二のことが心配なんだな。霧島さんは料理もできるし、頭も良いし、女の子らしい優しさも持ち合わせている。ホント、雄二には勿体ないくらいだ。
「おわっ!? ちょ、ちょっと待て翔子! これじゃ前が見えねぇだろ!」
気付いたら雄二の頭は完全に治療帯でぐるぐる巻きにされていた。まるでミイラのようだ。
「ぷっ、あはははっ!」
「明久てめぇ! 笑ってンじゃねぇ! おい翔子! 巻くのは頭だけでいいんだよ!」
「……沢山巻けば治りも早い」
「関係ねぇトコ巻いて治りが早くなるかっ! いいから早くほどけ!」
「まぁまぁ、いいんじゃない? せっかく霧島さんが巻いてくれたんだしさ」
「……吉井はいい人」
「余計なこと言うんじゃねぇっ! てめぇも同じ目に合わせてやる!」
「あっ! 何すんだよ雄二! うわっ!?」
油断していたら治療帯で足を掬われ、ズデンと床に転がされてしまった。
「へへっ、ざまぁみろ」
「くそっ! よくもやったな!」
「んだよ! やんのか!」
「こらっ! アキに坂本! こんなところでふざけるんじゃないの!」
「「は、はいっ!」」
(みろ、お前のせいで島田に怒られたじゃねぇか)
(なんだよ、僕のせいだっていうのかよ)
「…………何を騒いでいる」
雄二と
「おかえりムッツリーニ。ご苦労様」
「…………うむ」
「どうだ、魔障壁は直ったか?」
「…………今修理中。交換するだけだから10分程度らしい」
「そうか。これで一安心だな。ご苦労だったなムッツリーニ」
「ところで馬車はどうだった? 魔獣に襲われたりしなかった?」
「…………7回ほど襲われた」
「そんなに襲われたのか……よく無事だったね」
「…………俺の役目は馬車を守ることだ。魔獣を倒すことではない」
ムッツリーニの話によると、行きも帰りも何度か魔獣の集団に襲われたらしい。それでも馬車は停止せず走り続けたという。そこでムッツリーニがとったのが”前方のみに集中し倒すか
「よし、全部片付いたみてぇだし、俺たちも休むとすっか」
「そうだね。僕ももうヘトヘトだよ」
「ウチ、シャワー浴びた~い」
「……私も」
「じゃ部屋に戻るぞ」
『『は~い』』
こうしてローゼスコートでの一件は終結した。
当初の予定ではこの朝にここを発ち、マリナポートを目指す予定だった。でも皆夜通し町の防衛や馬車の警護をしていたため睡眠不足だ。そこで僕たちは予定を変更し、このホテルでしばし休息を取ることにした。
〔 タイムリミットまであと4日 〕
目が覚めたのは昼過ぎのことだった。ベッドから降りた僕はふと思い立ち、昨夜戦いの場になった場所に行ってみた。
「……これは……」
東門の外に出てみて驚いた。
至る所に穴が空いた石畳。そこら中に散らばっている赤や青色の魔石。壁や扉には無数の爪痕が残り、戦闘の激しさを物語っていた。
そうか、昨日僕たちはここで戦っていたのか。なんて有様だ……昨日は暗くてよく分からなかったけど、まさかこんなにめちゃくちゃになっていたなんて……あんなに綺麗だったのに……きっと僕が壊してしまった部分も多いんだろうな……。
呆然と惨状を眺める僕。周りには壊れた箇所を直したり清掃するホテル従業員の姿がある。
『ミィ! ミィ! ミェェ~!』
その時、左手の方からこんな山羊の鳴き声が聞こえてきた。
『待ってくださいアイちゃん! そんな走り回ったら危ないですよ! ほら、薔薇の棘でいっぱいなんですから!』
続いて女の子の声も聞こえてくる。あの声は……姫路さん?
『もう、ダメですよ。やんちゃをしたら。こんな所で転んだら危ないじゃないですか』
『ミィィ~』
『ふふ……分かってくれるんですね。やっぱりアイちゃんは賢いですね』
『ミェェ~?』
『でも良かった。元気になって……ごめんね。酷い目に遭わせちゃって……』
『ミィ、ミェェ~!』
『あっ! 走っちゃダメですってば! もうっ! 全然分かってないじゃないですか!』
『ミィィ~!』
『こらっ! 待ちなさいアイちゃんっ!』
どうやら姫路さんと仔山羊が遊んでいるようだ。2人は元気に庭園を走り回っている。明け方の姫路さんはあんなに悲しそうな顔をしていたけど、この様子なら大丈夫そうだ。
「おう、ここにいたか明久」
「あ。雄二」
「どうした。そっちに何かあるのか?」
「うん。舞姫がね」
「はぁ? 頭でも打ったか?」
「見てみれば分かるよ」
雄二が隣まで来て僕の見ている方に目を向ける。するとあいつはフッと口元に笑みを浮かべた。
「なるほどな。舞姫とはよく言ったもんだ」
「でしょ?」
「あの仔山羊もすっかり元気になったようだな」
「うん。そういえば雄二も傷、治ってるね」
「おうよ。治療帯ってのはすげぇな。現実世界に持ち帰りてぇくらいだぜ」
「ははっ、そうだね」
そうか、僕たちは現実世界に戻るために旅をしているんだった。昨夜の一件ですっかり忘れていたよ。
「うっし、そろそろ出るか。これ以上ノンビリもしていられねぇからな。戻って支度するぞ」
「うん。でもあの仔山羊はどうする? 一緒に連れて行く? 姫路さんは友達だって言ってたけど」
「連れて行ってもいいがマリナポートまでだな。さすがに海に連れ出すわけにもいかねぇだろ」
「だよねぇ……」
「よし明久、お前姫路に話してこい」
「えぇっ!? なんで僕なのさ! 雄二が話してくればいいだろ!」
「断る」
「ふざけんなっ! それじゃどうして僕にそんな役を押しつけるんだよ!」
「お前、姫路があんな顔して遊んでいるのに言えると思うか?」
「そんなの僕だって同じだよ!」
「……私が話してくる」
「「うわぁっ!?」」
あぁ、霧島さんか。びっくりしたぁ……突然背後に現れるんだもんなぁ……。
「お、お前、いつからそこにいた!?」
「……雄二が舞姫って言ってたあたりから」
「お、おう……そうか……でもいいのか翔子? 姫路にとっては酷なことを言うことになるんだぞ?」
「……うん。なんとか説得してみる。雄二たちは出発の準備をして」
「そうか、すまねぇな。頼むぜ」
「ありがとう霧島さん。助かるよ」
あとを霧島さんに任せ、僕と雄二は部屋に戻り旅支度を整えることにした。部屋に戻ると既に秀吉やムッツリーニが身支度をしていた。僕たちも荷物をまとめ、出発の準備をはじめた。
――そして20分後
「くっそぅ……置いていくなんて酷いじゃないか……」
僕はホテルの廊下を走っていた。トイレで用を足して戻ってみると部屋の中は既に空っぽだったのだ。皆の荷物もない。残されているのは僕のリュックだけだった。つまり僕は置いて行かれたらしい。
「まったく。1人くらい待っててくれたっていいじゃないか」
ブツブツと愚痴をこぼしながら走る僕は階段を駆け下り、ロビーに入る。そして皆の姿を探すと、すぐに姫路さんの姿が目に入ってきた。誰かと話しているようだ。周囲には美波や霧島さんの姿もある。あのお爺さんは誰だろう?
「女子は集まってるようだな」
「あ、雄二。あの姫路さんが話してる人は誰?」
「お前覚えていないのか? 昨日紹介されただろ」
昨日? 昨日……昨日……?
「えーっと……」
うーん。ダメだ思い出せない。どこかで見たことがあるような気がするんだけど……。
「お前な……昨夜のことだってのにもう忘れたのかよ。機織り職人のレスター爺さんだよ」
「あー! そうか!」
すっかり忘れてた。確か姫路さんと秀吉、それとムッツリーニの知り合いなんだっけ。このホテルに来たのは昨日のことなのに、もう何日も前のことのように感じるな。
「とにかく行こうぜ」
「うん」
僕らは早速彼女らの元へと向かった。
「それじゃよろしくお願いします」
話の輪に加わろうとすると、姫路さんが深く頭を下げ、礼を言っていた。ちょうど話が終わったところのようだ。レスターさんに何か頼み事だろうか?
「あ、アキ。待ってたわよ」
「ごめんごめん。ちょっとトイレ行ってて遅れちゃった。ところで何の話をしてたの?」
「アイちゃんをレスターさんが預かってくれることになったのよ」
「へ? そうなの?」
「あ、明久君。おはようございます」
「うん。おはよう」
本当はさっき庭で会ってるし、もう昼過ぎなんだけどね。
「いやぁ、本当は俺も仕事があるから動物を飼うなんて厳しいんだがね! でもヒメジ君の頼みとあっては断れないだろ? だから仕方なく引き取ることにしたのだよ!」
どう見ても”仕方なく”の顔に見えないんだけど。こんなにデレッとした顔で言われてもね。
「レスターさんなら安心です。アイちゃんをよろしくお願いします」
「おう! 任せておけ! この子は立派に育ててみせるぜ!」
「はいっ! アイちゃん、それじゃ今度こそお別れですね」
「ミェ~?」
「ふふ……やっぱり分かってないみたいですね。……元気でね」
「ミェェ~!」
「皆さんお待たせしました。行きましょう」
そう言う姫路さんの表情は晴れ晴れとしていた。心を痛めるんじゃないかと思って心配したけど取り越し苦労だったみたいだ。
「よし、目指すはマリナポート。あと少しで目的地だ。気合い入れていくぞ!」
『『おぉーっ!!』』
こうして僕らは薔薇の町ローゼスコートを後にした。
元の世界に戻るまでの期限はあと4日。もう寄り道をしている余裕はない。真っ直ぐ目的である”扉の島”に向かわなくては。