僕が間違っていた。どうして
「美波……頼む! 無事でいてくれ!」
僕は全力で疾走した。まるで町中の大通りのように広い廊下を。召喚獣を装着している今、東門まで1分と掛からないだろう。けれど僕にはこの時間がとても長く、何十分も走っているように感じていた。
この時の僕の頭にはあの時の記憶が鮮明に蘇っていた。初めての敗北。”ギルベイト”と名乗る魔人との戦い。2度目の戦いにおいて僕らは奴に勝利している。だが1度目の戦いにおける敗北はどうしても記憶から消すことができない。
――大切な人を失う怖さ。
あの時、僕はそれを思い知った。それは奴に勝利した今もなお僕の深層心理に強い恐怖を植え付けている。そして今、美波が苦戦しているという情報を聞き、僕の心は激しく動揺している。もう2度と危険な目に遭わせない。心にそう誓っていたはずなのに――っ!
《ミ゛ィーッ!》
突然、物陰から全長1メートルを超す白い毛むくじゃらの物体が飛び出してきた。それは長い耳を携え、白く濁った目をした生物だった。考えるまでもない。魔獣だ。それも兎型の。
「
飛び掛かってくる獣をすれちがいざまに木刀で斬り付ける。断末魔の叫びを上げることもなく、魔獣は一瞬で消滅した。僕はそのまま速度を落とさずに走り続けた。そして走りながら考えた。なぜ館内に魔獣が? どこから入ったのか? まさか東門が破られて?
「くっ……美波!」
僕は走った。広い廊下には商店のものと思われる木箱や大きな壺などが散乱している。それらは倒れたり割れたりして、そこら中に飛散していた。たまに釘が上を向いて転がっていることもあり非常に危険だ。恐らく避難する際に誰かがひっくり返していったのだろう。
だがこの程度の障害で足を止めたりはしない。1秒でも早く美波の所に行きたい。ただそれだけを思い、壺を避け、木箱を飛び越え、ひたすらに東門を目指した。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……こ、この先に……!」
そして長かった廊下を抜け、ようやく東門への隔壁扉に到着。扉はとてつもなく大きく、金属でできていた。道幅は約10メートル。片側だけでも5メートルほどある重い扉だった。扉の鍵は内側から金属の棒が横向きに渡してある簡単なもの。この棒を取り払えば僕にでも開けられる。
「よし……!」
掛けられた3本の棒を取り払い、重い扉を力一杯押す。ギギギと音をたて、扉が観音開き状に開いていく。
そこで目に飛び込んできたのは高さ4メートルの天井にまで届きそうなくらいに巨大な獣。そしてそれに襲われている1人の少女の姿だった。巨大な灰色の狼は仰向けに倒れる少女を前足で押さえつけている。魔獣は大きな口を開け、今にも少女の顔に食らいつこうとしていた。あの青い軍服……間違いない。美波だ!
『うぅっ……こ、このぉっ……』
美波はサーベルで大きな牙を受け止め、噛み付かれまいと阻止している。だが圧倒的なサイズの魔獣に押さえ込まれ身動きがとれないようだ。
「っ――!!」
自分でも驚いた。確かに駆け足には自信がある。けれどこれほどまでの俊足が出せるとは自分でも思っていなかった。まるで頬が空気で切り裂かれるような感覚だった。
「だっしゃぁぁぁーーーーッッ!!」
一瞬で至近距離にまで詰め寄った僕は、力任せに木刀を振り抜いた。
――ゴッ
《ギャインッ!?》
何も考えずに振り回した木刀は魔獣の鼻っ面に命中。これにより魔獣は地面で数回バウンドしながら建物の外へと吹き飛んでいった。
「美波! 大丈夫か!? 怪我は!?」
彼女の前に躍り出ると僕は両手で木刀を構え、ザッと足を踏ん張る。
「う……ア、ア……キ……?」
美波は歯を食いしばりながら体を起こそうとするが、なかなか起き上がれない。結構なダメージを負っているようだ。でも大きな怪我はなさそうだ。
「間に合ってよかった……なんとか無事みたいだね」
ひと安心した僕は改めて周囲に目を配る。見たところ魔獣は今ぶん殴った1匹以外は見当たらない。地面に魔石が散乱しているということは他は美波が倒したのだろう。一体何匹の魔獣を倒したんだろう。これほど大量の魔石が転がっているところを見ると10や20では済まなそうだ。でも今のところ残るのはこの1匹のみのようだ。その1匹は頭をブンブンと振り、よろめきながら体を起こそうとしている。
《ウゥ~~……グルルル……》
立ち上がった魔獣はこちらを向くとギラリと目を光らせて牙をむく。薔薇でできた垣根を踏みつけているにもかかわらず棘を気にする様子もない。巨大な獣にとってこの程度の棘は無いに等しいのだろう。どうやら今の一撃では仕留めるには至らなかったようだ。
「上等だ……美波に手を出したこと、後悔させてやる!!」
この時の僕は完全に頭に血が上っていた。言うまでもなく、こいつが僕の大切な人を食おうとしたからだ。冗談じゃない。こんな奴に美波を奪われてたまるか!!
《ウオォ~~ン…………アオォ~~ン…………》
武器を手に身構えていると魔獣は突然遠吠えを始めた。なんだ? なんのつもりだ?
《アオォォ~~ン…………オォ~~ン…………》
天を仰ぎ、口笛でも吹くかのように口を尖らせて遠吠えを続ける魔獣。これはもしかして……仲間を呼んでいるのか? このサイズの魔獣が大挙して襲ってきたら守り切るのは難しい。まずい! すぐにやめさせないと!
「や、やめろおぉーーッ!!」
僕は遠吠えを続ける魔獣に向かって突進する。しかし後ろからの怒鳴り声に驚き、急ブレーキを掛けた。
「待ちなさいアキ!」
声の主はもちろん美波だ。彼女は既に立ち上がり、いつもの吊り目でキッと僕を睨み付けていた。
「アンタ一体どういうつもり!? どうしてアンタがここにいるの! 瑞希はどうしたのよ!」
美波はぐっと拳を握り、大きな声を張り上げる。しかしその姿にいつもの迫力は無かった。
所々が破れた青い軍服。
土汚れが付いた白いズボン。
自慢のポニーテールは乱れ、黄色いリボンはほつれかけている。
やはり加勢に来て良かった。その姿を見た時、僕は強くそう思った。こんな痛々しい姿にさせてしまった後悔と共に。
「姫路さんなら……大丈夫」
「何が大丈夫よ! ウチの言ったこと忘れたの!? 瑞希を守りなさいって言ったでしょ! あの子ひとりで正門を守れると思ってるの!?」
「大丈夫。姫路さんには秀吉がついている」
「えっ? 木下が……? でもそれとこれとは話が別よ! アンタはウチの言いつけを守らなかっ――」
「僕は!!」
美波の言葉を遮るように声を張り上げた。言いつけを守らなかったのは確かだ。当初は僕だって姫路さんを最後まで守るつもりでいた。
でも……。
「僕は……考えたんだ。自分はどうするべきなのか。どうしたいのか」
「……それで?」
「結論は出たよ。今の僕にとって最も優先すべきことがね」
「ふぅん……なら言ってみなさいよ。その最も優先すべきことっていうのを」
……これを口に出すのはちょっと恥ずかしい気もする。でも美波を納得させるには必要なのかもしれない。
「僕は……」
そう。あの時、胸に熱く込み上げてきた感情。それが僕にとっての最優先事項なんだ。
「僕は美波と……一緒にいたい」
もちろん姫路さんを守りたいという気持ちも強かった。それが美波の指示でもあり、言いつけを守らなければならないという使命感もあった。でも姫路さんや秀吉に「行け」と言われ、気持ちが揺らいだ。
僕は考えた。自分がどうするべきなのか。そして行き着いた答えがこれだった。美波と気持ちが1つになったあの日の言葉。僕にとってはこれがすべてだった。
「ホント……バカなんだから……」
美波はそう言いながら目尻を指で拭っていた。その瞳に宝石のように輝く涙を溢れさせながら。
「ごめん。1人にしてしまって」
「……ううん。謝る必要なんてないわ。ウチが勝手に1人でやるって言ったんだから」
「それはそれ、これはこれさ」
「でも大丈夫なの? 瑞希を木下に任せちゃって。木下ってそんなに強いイメージ無いんだけど……」
「大丈夫さ。秀吉は強いよ」
「そうなの?」
「うん。だってチームひみこの一員として立派に役目を果たしたじゃないか」
「……そうね。そうだったわね」
確かに秀吉は見た目は女の子のようで試召戦争でも目立たない存在だ。でも僕は知っている。雄二とは少し違うけど、秀吉は確かな判断力を持っている。きっと姫路さんを危険な目に遭わせたりしないだろう。
「大丈夫。僕は秀吉を信じる!」
僕は魔獣に視線を戻し、両腕に力を込める。狼型の魔獣は遠吠えを止め、遠巻きにこちらの様子を伺っている。どうやら警戒心の強い魔獣のようだ。
「アキが信じるのならウチも信じるわ」
美波は隣にやって来てサーベルを一度、ピッと振った。その表情に迷いや疲労は感じられない。
ムッツリーニがここを出てから約2時間。姫路さんと共に町を守っている間、体力もだいぶ消耗してしまった。でも大丈夫。美波と一緒なら守り切れる。僕の胸の中にはそんな不思議な自信が湧き出していた。
「よぉし! 絶対に守り抜くぞ!」
そうだ。守り抜いてみせる。人も町も――――美波も!
「……アキ」
「うん」
「今のアンタ。かっこいいわよ」
「……美波もね」
「ふふ……ありがと」
身構える僕らは2人。対して狼型の魔獣は1匹。不利なことを知ってか、魔獣は先程から唸り声をあげながらこちらを警戒している。先程の遠吠えで呼んだ仲間を待っているのかもしれない。ならば敵が増える前にあいつだけでも倒しておくべきだ。
腕輪のおかげで装着時間は飛躍的に延びている。エネルギーゲージはまだ半分以上残っている。この様子ならムッツリーニが戻るまで
《ガウゥッ!》
しびれを切らせたのか、狼の魔獣が突然襲い掛かってきた。
「美波!」
「うんっ!」
僕と美波の防衛戦が始まった。