魔獣の襲撃は終わる気配を見せなかった。外周壁を乗り越えて襲ってくる魔獣たちを私たちは撃退する。魔物たちは一斉に襲ってくるわけではなく、数匹が順番に襲ってくる
私たちは2人。数匹が相手ならば扉に到達される前になんとか撃退できる。けれど一通り撃退して静かになったと思ったら、しばらくしてまた別の群が襲い掛かってくる。それも2分も経たずに繰り返し繰り返し襲ってくるので、私たちは精神的な負担が大きくなってきていた。
「くっそ……次から次へと……これじゃきりが無い」
明久君はこの波状攻撃に
でも私たちは負けるわけにはいかない。腕輪の力で装着持続時間は飛躍的に伸びている。土屋君が出発してから既に2時間ほどが経過しているけれど、バイザーのパネルに示されたエネルギー残量は8割。だから時間切れの心配は無いのだけど……。
「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」
問題は私の体力。以前より体力が付いているとはいえ、さすがにこのまま数時間戦うのは厳しい。
「姫路さん、少し休んでて。休んでる間は僕がなんとかする」
「す……すみません……」
私は明久君の言葉に甘え、石畳に膝を突いて身体を休めることにした。そんな私の前で明久君は木刀をドンと床に突き立てて仁王立ちで立ち塞がる。それを見て思った。
結局また明久君に頼ってしまっている。また私は守られる側に回ってしまっている。この世界を旅して強くなったと思っていたのに、結局何も変わっていないんだ……と。
『失礼します! 当ホテル従業員の者です! 今扉を開けてもよろしいでしょうか?』
その時、背後の扉の中から声が聞こえてきた。とても歯切れの良い男性の声。この様子からすると何か話があるのだと思う。幸いにして今のところ魔獣の姿は見えない。
「どうぞ。でもいつ魔獣が襲ってくるか分からないので気をつけてください」
私が返事をするとガチャリと扉が開き、中からグレーの制服と帽子を着用した男性が出てきた。
「ご、護衛の任、深く感謝しております! おかげさまで館内のお客様を一ヶ所に集めることができました!」
男性は左手で敬礼をしながら、その手をブルブルと震わせていた。魔障壁のない屋外に出るのを恐れているのでしょう。
「へへっ、感謝だなんて大げさですよ。僕らは自分たちにできることをやってるだけなんですから。でもまだ油断できませんよ。補修部品が到着するまで皆さんは建物の中で隠れていてください」
庭園を見据えた明久君が背を向けたまま男性に言う。すると従業員の男性はホッと表情を緩めた。そして背筋を伸ばすと、再びハキハキとした口調で各所の状況を報告してくれた。
「それでは現在の防衛線の状況をご報告します! まず西門ですが、白い服を着た赤毛の青年が鬼神のごとく戦っております! 魔獣、青年、共に激しい戦闘状態にあり、近寄ることすらできませんでした!」
白い服を着た赤毛の青年? あ、坂本君のことですね。鬼神ですか……さすが坂本君です。この様子なら心配はなさそうですね。
「ははっ、雄二はほっといても大丈夫だろうね。それで東門の方は?」
「はい。東門はリボンの少女が懸命に戦っておりますが魔獣の集団に押され気味です。我々も加勢したいのですが、あいにく戦闘経験を持つものがおらず……お役に立てず申し訳ありません!」
「そ、そっか……苦戦してるのか……」
従業員の人の説明を聞くと明久君は驚いたような顔で振り向き、唇を噛み締めた。”リボンの少女”とは美波ちゃんのことに違いない。つまり美波ちゃんは1人で東門は守っているということ。その美波ちゃんが苦戦している。明久君の表情は”すぐにでも助けに行きたい”という気持ちの表れに違いない。
「明久君。美波ちゃんのところへ行ってください」
「えっ? でもここを離れるわけには……いかないし……」
明久君が
「明久君! 躊躇っている時間はありません! 行ってください!」
「ぐ……だ、ダメだ。姫路さん1人を置いては行けない。美波にも言われたんだ。姫路さんを頼むって」
「私なら平気です。だから行ってください。美波ちゃんに力を貸してあげてください!」
「美波なら……大丈夫。僕よりも強いから……きっと大丈夫さ」
明久君は背を向けたままブルブルと両肩を震わせている。明久君は心と正反対のことを言っている。こんな背中を見せながら信じろという方が無理です。
「いいえ。美波ちゃんには明久君が必要なんです。だから行ってあげてください!」
「で、でも……! 僕は姫路さんも失いたくない!」
明久君……。
「やっぱり変わりませんね……でも安心しました。どんなに大きくなっても明久君は私の好きだった明久君のままです」
「えっ? 今なんて……?」
「美波ちゃんを……お願いします!」
「えっ、ちょ、ちょっと待っ――――!?」
私は気付いていた。明久君に忍び寄る巨大な影に。その影は音も無く忍び寄り、明久君に襲いかかろうとしていた。
――ガキィンッ!
大きな口を開けて明久君を一呑みにしようとしていた狼の牙を、私は剣を横にして受け止めた。
「ひっ……! ひぃぃーーっっ!!」
従業員の男性は悲鳴と共に建物の中へと駆け込んでいった。
「さぁ早く! 明久君も今のうちに行ってください!」
「で、でも……僕は……」
「迷っている時間はありません! 私なら大丈夫です! 急いでください!」
「や、やっぱりダメだ! 姫――」
「これ以上私を困らせないでください!」
「ぐぅっ……!」
これほど言ってもまだ躊躇っているの? どうしたら私の気持ちを分かってもらえるんだろう。美波ちゃんのように怒鳴りつければ聞いてくれるのかな……。
「明久よ!」
その時聞こえてきた中性的な声。これは……木下君の声?
「秀吉!?」
「すまぬ、遅くなった! 客の誘導がやっと終わったので加勢に来たのじゃ!」
「丁度良かった! 東門に加勢に行ってくれ! 美波が1人で苦戦してるんだ!」
「そうか。あい分かった!」
違う。東門に向かうのは木下君じゃない。
「いいえ! 東門には明久君が行ってください!」
「えっ? で、でも僕は姫路さんを――」
「何度言わせるんですか! 私は大丈夫です! 明久君は美波ちゃんの所に行ってください!」
「でも美波は姫路さんを守れって……だから……僕は……約束を……」
明久君……本当に真面目な人ですね。本当に……。
……
こうなったら無理にでも行かせるしかありませんね。
「うぅ~~っ!!」
私は押さえ込んでいた狼の魔獣を強引に押し返す。身体の弱かった私がこんな力を出せるのは召喚獣のおかげ。こうして自分より大きな相手を押し返すなんて、現実世界の私には絶対にできない。私たちのことを色々と実験台にしてきた学園長先生だけど……今は感謝したい。
《グ……グ……グルル……ゥ……》
私の力押しに一瞬怯む狼の魔獣。その
「やぁぁーーっ!!」
私は思いっきり力を込めて魔獣を突き放し、剣を持ち替え、切っ先を
――パリィン
《ガ……ガハゥッ……!》
巨大な狼は大きな口を開けて天を仰ぐ。そして、ぶわっと全身から黒い煙を吹き出し、その身を大気中に溶かしていった。
「私ならこのとおり大丈夫です。だから明久君は美波ちゃんの所に行ってあげてください」
「……」
私は明久君に向き直り、意思を伝えた。けれど明久君は返事をしなかった。両手に拳を握り、俯き、身体を震わせていた。
「明久よ」
「秀吉……」
「姫路がこう言うておるのじゃ。ゆけ明久。島田の力になってやれ」
「でも……約束が……」
「やれやれ。融通の利かぬ奴じゃな。ワシとバトンタッチと言うておるのじゃ。ワシはまだ消耗しておらぬ。お主の約束はワシが果たそう」
「う……くぅ……」
「明久よ。島田は孤立無援で戦っておるのじゃぞ? 大切な人を
「っ――! わ……分かった……。秀吉! 後を頼む!」
「んむ。承知した」
木下君がスッと右手を上げると、明久君はその手に勢いよく自らの手を重ね、
――パァン!
乾いた音を立て、2人はハイタッチを交わした。そして明久君はそのまま猛烈な勢いで館内へと走り去って行った。
「まったく。世話の焼ける奴じゃ」
開け放された扉を閉めながら木下君が呟く。私も同感です。明久君はもっと自分の気持ちに素直な人だったはず。こんなにも説得に手間取るなんて思いませんでした。
……
明久君。美波ちゃんをお願いします……。
「さて……姫路よ。ワシらはどこまで持ちこたえられるじゃろうな」
「……もちろん土屋君が帰るまでです。なんとしてもここは守り通します。皆さんのために!」
「ふ……そうじゃな。――
木下君は静かに召喚のキーワードを呟く。すぐに光の柱が彼の身体を包み込み、衣装を変化させていった。
「姫路よ。ワシはお主に言うておかねばならぬことがあるのじゃ」
白い胴着と袴姿になった木下君が薙刀を構えながら言う。
「……今じゃないとダメですか?」
「んむ。今言っておかねばこの先チャンスがあるか分からぬからの」
両手で剣を構え、正面を見据えながら視線だけを木下君に送る。彼もまた私と同じように薙刀を構えながら顔は正面を見据えていた。
《キ、キ、キュィィ~ッ》
《ケェェ~ッ》
闇夜にけたたましい鳴き声が響く。あの鳴き声はたぶん鹿のもの。きっとあれも魔獣だろう。
「すまなかった」
「えっ? 何がですか?」
「明久と島田を引き合わせたのはワシなのじゃ。お主の気持ちも知りながらの」
木下君の言葉を聞いた瞬間、ズキッと胸が痛んだ。今まで胸の奥底にしまい込んでいた想いに針を刺されたような気持ちだった。
「……その話は美波ちゃんから聞きました」
そう……美波ちゃんは想いを明久君に打ち明けた。そして明久君はそれに応えた。
私には告白する勇気なんてなかった。もし断られたら……という恐怖に駆られ、何も出来なかった。
それに――――
「私……思うんです」
「……? 何をじゃ?」
「ずっとあの2人を見ていて思ったんです。美波ちゃんと明久君は、言葉では言い表せないような強い信頼で結ばれてるって。私、かなわないなって……思ったんです」
木下君は何も言わない。ただ黙して私の言葉を聞いていた。
「それに木下くんが言わなくても美波ちゃんならきっと自分から気持ちを打ち明けたと思うんです。美波ちゃんは勇気がありますから。……私と違って」
「……」
「だから……いいんです。私は…………私は決めたんです。前に進もうって」
私は絞り出すような気持ちで告げた。自分の想いを。幾度となく自らに言い聞かせてきた言葉を。
「姫路よ……」
木下君は言葉に詰まっているようだった。優しい木下君のことだから、慰める言葉を探しているのかもしれない。けれど私は慰めを求めてはいない。
「ふ……お主は強いな」
「いいえ。弱いですよ。さっきまで明久君に頼りっきりでしたから。それに……今もこんなに震えてますから」
「……そうか」
土屋君がここを出発してからまだ2時間。魔獣は一度退けてもまた別の個体が襲ってくる。こんな状況であと3時間も守りきれるのだろうか。仲間の誰かが力尽き、倒れてしまうかもしれない。真っ先に考えられるのは一番体力の無い自分だ。だとしたらさっきのが明久君との最後の会話になるのかもしれない。そう思ったら急に腕が震えだしてしまった。
「ならばその震え、ワシが全力で止めてみせようぞ。……あやつの代わりにはならぬかもしれぬがな」
薙刀を下段に構えながら木下君が摺り足で一歩前に出る。そんな彼の横顔を見た時、私は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「木下君……」
そうだ。弱気になっちゃダメだ。美波ちゃんのように強くならなくちゃ! もう振り向かない。前に進むと決めたんだから!
「代わりになる必要なんてないと思います。木下君は木下君ですから」
「そうか。そう言ってくれると報われるわい」
「ふふ……お気遣いありがとうございます。でも私は大丈夫です」
「すまぬがお喋りはここまでじゃ。来るぞい! 覚悟はよいか!」
「はいっ!」