シンと静まり返った正門前。大きな扉を背にした
――ガチャリ ギィィ~……
その時、突然背後から不気味な音が聞こえてきた。私は驚いてパッと振り向く。
「あ、姫路さん?」
音はホテルの正面扉が開いた音だった。そしてその扉からひょっこりと首を出したのは明久君だった。
「明久君……? どうしてここに? 美波ちゃんの所に行ったんじゃないんですか?」
私がこう尋ねると、明久君は人差し指でポリポリと頬を掻きながら出てきた。
「いやぁそれがさ、姫路さんの所に行けって美波に言われてさ」
「美波ちゃんに……ですか?」
「うん。問答無用って感じで一方的に言われちゃったよ」
明久君は少し困ったような笑顔を見せる。きっと明久君は美波ちゃんのことを心配している。それでも美波ちゃんの意見を尊重したい。明久君の微妙な表情はその現れなのだと思う。
こんな時に明久君が応援に来てくれたのは嬉しい。でも美波ちゃんはそれで良かったのかな。
「正直言ってちょっと心配なんだよね……美波って時々信じられないくらいに無茶をすることがあるからさ」
やっぱり美波ちゃんのことが心配なんですね……そう思うのと同時に、少し呆れてしまった。だって信じられないくらいの無茶をして心配させるのはいつも明久君の方だったから。
「ん? どうしたの姫路さん? ぽけーっとしちゃってさ」
「えっ? い、いえ……なんでもないですよ。ちょっとびっくりしちゃっただけですから」
「ビックリ?」
「えっと……まさか明久君が来てくれるなんて思っていなかったので……」
明久君って自分の言動についてはあまり把握してないんですね……。
「あははっ。そう言ってくれると嬉しいな。でも美波の言うことに従って良かったかもしれないな」
「えっ? どうしてですか?」
「だってここってこんなに広いじゃん? こういうのって狭い方が守りやすいと思うんだ。だからこれだけ広いとやっぱり2人で守った方が確実だと思うんだよね」
屈託の無い笑顔を見せながら言う明久君を私は少し不謹慎だと思った。魔障壁が消えて人々の命が危険に晒されている今、笑っている場合ではないと思ったから。けれどそれと同時に明久君らしいな、とも思った。きっと会話をして少しでも私の緊張を
「そうですね、ふふ……頼りにしてますよ。明久君」
「何言ってるのさ。召喚獣の強さは姫路さんの方が圧倒的に上なんだよ? 僕は足手まといにならないように精一杯頑張るだけさ」
「そんなことないですよ? 扱い方は明久君の方が上手なんですから。それに――」
「それに?」
「……やっぱりやめておきます」
「えぇ~気になるじゃないか。教えてよ」
「ふふ……秘密です」
「そう言われるとなおさら気になるんだけど」
「たいした話じゃないんです。だから忘れちゃってください」
「う~ん……まぁ、姫路さんがそう言うのなら……」
明久君は少し不服そうに口を尖らせる。そんな顔をされても、ちょっと恥ずかしくて言えない。
誰かのために一生懸命になった明久君は誰よりも強い。倒れた美波ちゃんのためにお医者様を連れてきたり、マトーヤ山に薬草を採りに行ったり、信じられない勢いで解決していった。そんな明久君は私なんかより遙かに強いんです。
なんてことを言おうとしていたのだから。
「そんなことより気を抜いちゃダメですよ。魔獣はどこから襲ってくるか分からないんですから」
「おっと、そうだったね。ごめん」
そう言って明久君はキッと厳しい表情に変える。そんな彼を見て私は思う。
効率が悪くていつも先生に叱られてばかり。いたずらをして叱られていることも多い。けれど本当はとても真面目で、いざという時には凄く頼りになる。
坂本君は知識豊富で相手の裏をかくのが上手。これに対して明久君は突拍子もない発想で裏をかく。たとえ坂本君の作戦が失敗したとしても……どんな逆境でも明久君ならきっとなんとかしてくれる。そんな不思議な頼もしさを彼は持っている。
「姫路さんは左側を注意して見てて。僕は右側を中心に警戒する」
「はいっ!」
明久君はやっぱりここに留まるつもりみたい。でもきっと彼は我慢している。本当は美波ちゃんの所へ応援に行きたいに違いない。
美波ちゃんが毒で倒れた時の明久君の青ざめた顔は今でも脳裏に焼き付いている。あれほど不安と後悔の入り交じった明久君の表情は見たことがない。明久君はそれほどまでに美波ちゃんのことを大切に思ってる。つまりそういうことなのだろう。
……
私が……。
もし私が毒で倒れても……同じように心配してくれる……の、かな……。
……
いけない。どっちが不謹慎なんだろう。今はそんなこと考えてちゃいけない。しっかり見張っていないと。
『……ヒヒィィイン……』
その時、どこからか馬の
「ヒヒィィィーーーーン!!」
ガラガラガラガラガラガラガラガラガラ……
もの凄い勢いで2頭の馬が目の前を通り過ぎて行った。その馬たちは小さめの客車を引いていた。あれは……修理部品を取りに行く馬車?
「ムッツリーニ!」
走り去って行く馬車に向かって明久君がそう叫んだ。見ると馬車の後部からは土屋君が顔を出してこちらを見つめていた。
「ムッツリーニ! こっちは僕らでなんとかする! そっちは頼んだよ!」
明久君は馬車に向かって大声で叫び、手を振る。これに対して土屋君は表情を変えず、ぐっと親指を突き立ててみせた。
信頼。
私はこうしたやりとりを見て、2人に信頼関係を感じた。こんな風に仲間を信じ合えるって本当に素晴らしいと思う。そんなことを思いながら私は馬車を見送る。明久君も馬車が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
《ウゥ~~ゥゥ……》
《ウゥ~~……グルルルゥ……》
するとその直後、どこからか動物の唸る声のようなものが聞こえてきた。それも複数。
……動物? 違う。これは……!
「姫路さん!」
「はいっ!」
明久君も気付いたみたい。そう、あの声は動物の声なんかじゃない。あれは……魔獣の唸り声!
「――
明久君は手を天に掲げ、召喚獣を喚び出す。すぐに光の柱が足下から吹き出し、彼の身体を包み込んだ。既に装着している私は明久君の前に躍り出て、彼が装着している間の守りを固める。
「よぉし! ここは一歩も通さないぞ!」
赤いインナーシャツに黒い学生服。手には茶色い木刀を構え、目の周りに薄水色のバイザーを装着した明久君。その姿はとても凛々しく、頼もしく思えた。
でも私だって成長している。この世界にきてからは身も心も強くなった……と、思っている。
大丈夫。私たちはメランダの町だって守り切った。土屋君が帰ってくるまで、なんとしても守り切ってみせます!
「明久君! 守りましょう! 私たちの手で!」
「うん! でもくれぐれも無茶はしないでね。危なかったら下がるんだよ?」
「大丈夫です! 私だって立派に戦えるんですから!」
「……そっか。それじゃ僕も負けてられないな!」
☆
「姫路さん! 大丈夫!?」
「は、はいっ! 大丈夫です!」
「こいつら動きが速い! 深追いせず防御に徹するんだ!」
「はいっ!」
正門の警戒を始めてから既に30分以上が経過している。ここまでの間、私たちは多種多様な魔獣の襲撃を受けていた。
魔獣のタイプは豹、狼、鹿など、中型の四足動物が多い。といってもどれもが異常に膨れあがった巨大な姿をしていて、とても普通の動物には見えない。まるで明久君たちがやっていたゲームに出てくる巨大モンスターのようだった。
「やぁぁーーっ!!」
《ガァウッ!》
「えーーーーいっ!」
《フッ!》
「やぁーーっ!」
《ガァァッ!》
見上げるほどの大きな狼に向かって大剣を振るい、私は撃退を試みる。けれど私の攻撃はことごとく避けられ、剣は大地に突き刺さるばかりだった。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ……! あ、当たりませんっ……!」
私の剣は大きいけれどそれほど重くなく、振り回すこと自体に問題はない。でもどうしても風の抵抗を受けてしまって素早い攻撃ができなかった。魔獣の動きはとても俊敏で、パッパッと薔薇の垣根を跳び越えて襲ってくる。そんな獣たちの攻撃に私は防戦一方だった。
「姫路さん! 斬るんじゃなくて先っぽで払うように振るんだ!」
「は、はいっ!」
斬るのではなく……切っ先で払うように……。
《ガウゥッ!!》
「っ――――!」
魔獣の前足による攻撃を避けつつ、切っ先を引っかけるように振り抜く。するとスパッという感触が剣を通して伝わってきた。
《ギャインッ……!》
ドズン、と大きな地響きをたて、魔獣が目の前で地に伏した。
《……グ……グフッ……!》
大きな体を横たえ、ブルブルと震える魔獣。まだ起き上がってくる……? と少し距離をとって警戒する私。すると魔獣はその身体から黒い煙を吹き出し、スゥッと大気中に溶け込むかのように消えていった。や、やったの……?
「や……やりました! やりましたよ明久君!」
嬉しくなって明久君の元へと駆け寄る私。けれど明久君はそんな私に強ばった表情を向けていた。
明久君の助言のおかげで退治できたことにお礼を言いたいだけなのに、どうしてそんな顔をするの? 少し悲しくなって彼の表情を見つめていると、明久君は何かを叫びながら慌てた様子でこちらに向かって走り出した。わけが分からず、呆けてしまう私。すると明久君は凄い形相で手に持っていた棒をブンと放り投げた。それも私に向かって。
「きゃぁっ!」
思わず頭を抱えしゃがみ込む私。すると、
《グギャッ!?》
頭の上で犬の叫びのような声が聞こえた。
「えっ……?」
恐る恐る目を開くと、目の前には大きな灰色の毛むくじゃらが倒れていて、黒い煙を吹き出しはじめていた。
「えっ? えっ? な、何……ですか……これ……?」
事態が飲み込めない私。明久君はそんな私に駆け寄り、安堵の表情を見せた。
「ふぅ……間に合った……良かったぁ……」
「明久……君?」
「油断しちゃダメじゃないか! 上から魔獣が襲ってきてたんだよ!?」
「えっ? そうなんですか?」
全然気付かなかった……明久君にお礼を言うことばかり考えてて……。
「すみません明久君。油断してしまいました……」
「でも無事でよかったよ。いやぁ、それしてもこんなに上手くいくなんて思わなかったよ」
「? 何が上手くいったんですか?」
「今投げた木刀さ」
「木刀?」
私は先程魔獣が落ちた場所に目を向ける。魔獣の姿はもう跡形も無く消えている。魔石という名の宝石と、茶色い木の棒をひとつずつ残して。
「実は前にこの世界の剣士さんと一緒に戦ったことがあってね。ウォーレンさんっていうんだけど、凄く剣の扱いが上手い人だったんだ」
「ウォーレンさん……ですか?」
「うん。ハルニア王国で知り合ったんだ。その人がやってた剣投げを真似してみたんだけど、結構できるもんだね」
嬉しそうな顔で”あはは”と笑う明久君。その笑顔は彼の言うウォーレンという人への尊敬の表れにも思えた。明久君もこの世界で色々経験しているんですね。
「っと……どうやらのんびりしてる場合じゃなさそうだね」
「……そうみたいですね」
「立てる? 姫路さん」
「はい。もちろんです!」
私は立ち上がり、大剣を両手で握って身構えた。襲ってくる魔獣を撃退するために。
《フーッ フーッ フーッ……》
《ヴルルルゥゥ……》
暗闇の中からまたも巨獣がヌゥッと姿を現す。枝のような角を携えた見上げるほどに巨大な鹿が2体。彼らもまた魔獣。私は明久君と目を合わせ、黙って頷いた。
「「はぁぁーーっ!」」
大丈夫。絶対に守り切れる。この時の私はそう信じて疑わなかった。
この後、あのような悲しい出来事が待っているとは知らずに。