砂漠の昼は異常なほど高温になる。灼熱の太陽は”これでもか”と言わんばかりに燃えさかり、まるで地上を焼くかのように照りつける。甲板でこの光景を眺めていたい気持ちはあるが、さすがに危険だ。なにしろ汗を垂らしたらジューと音をたてて一瞬で蒸発してしまったくらいなのだから。これほど過酷な環境で見学するほど僕も愚かではない。
一方、船室は快適だ。見た目は木でできた部屋だが、外気はほとんど入ってこない。室温は体感で23、4度くらいだろうか。外の灼熱地獄が嘘のようだ。
ただ、この船には娯楽の類いが一切ない。あるのは椅子やテーブルが置かれた部屋と、トイレくらいだ。ここまで何も無いと暇を持て余してしまう。甲板で景色を見ていたのも、あまりに暇だったからなのだ。
この退屈な時間を救ってくれたのは秀吉だった。秀吉が「そんなに暇ならば」と言い、荷物からトランプを取り出したのだ。トランプには色々な遊び方がある。中でも僕たちが一番好きなゲームが”ダウト”だ。遊び方についてはもはや説明の必要もないだろう。そんなわけで僕たちはアルミッタに到着するまでの間、トランプゲームに興じることにした。
旅は快適。あれから魔獣の襲撃もない。食料もあるし、何より勉強せずに遊んでいても良いところが素晴らしい。
『野郎どもォーッ! アルミッタが見えてきたぜェーッ!』
カノーラの町を出てから6時間ほど経過した頃だろうか。船室内のスピーカーから怒鳴り声が聞こえてきた。マッコイさんが舵輪台から話しているようだ。
「もう着いたんですか? 思ったよりずっと早いですね」
姫路さんは早いと感じているようだけど、僕にとっては”ようやく”だ。皆とのトランプゲームは楽しかったのだけど、さすがに数時間は長かった。
「まだ外は明るいようじゃな。これならば町で食事をしている時間もありそうじゃ」
「だからといってノンビリもしていられないぜ。まだ扉の島を見つけたわけじゃねぇからな」
「分かっておるわい」
「ふふ……さぁ皆さん降りましょう。忘れ物をしないようにしてくださいね」
僕たちは荷物を取り、出口へと向かった。降り口は乗ってきた時にも使った乗船口。船の後部だ。
「ん? あれ?」
船を出てみて、その光景に疑問を感じた。出口を開けて目に飛び込んできたのは、黄色い砂と青い空だったのだ。
「ねぇマッコイさん、これで到着なの? まだ町に着いてないみたいなんだけど……」
そこはまだ砂漠だった。もしかしてからかわれたんだろうか。
「町ならそこに見えるじゃろ」
「そこ? ……ん~……っと?」
マッコイさんの指差す先をじっと見つめる僕。ゆらゆらと揺れる空気の向こうには、ドーム状のものが見える。
「かなり遠いな……なぁ爺さん、まさかここから歩いて行けってのか?」
「うむ。これ以上は砂上船では進めぬからな」
「何故だ?」
「ここから先は砂が薄くて船が進まんのじゃよ。砂上船は砂を水の代わりにして進むものじゃ。無理に進めば大地にひっかかる。つまり座礁してしまうのじゃよ」
「なるほどな……」
ふぅん……てっきり町のすぐ横に着けてくれるのかと思ったけど、そうもいかないのか。
「しょうがないわね。ここからは歩いて行きましょ」
美波はこの状況をあっさりと受け入れる。いつもながら彼女のポジティブな考え方には感心させられる。
「この砂の上を歩くのかぁ……歩きづらそうだなぁ」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃない。これ以上進めないって言うんだから」
「…………ここまで来ればすぐだ」
「そうだね。しょうがない。歩くか」
でも面倒だなぁ。砂の上って凄く歩きづらいんだよね……さっきサンドワームと戦った時も足がズブズブ沈んで凄く動きづらかったし。
「ところでマッコイ殿」
「なんじゃ? キノシタ」
「主様はこれからどうするつもりなのじゃ? 運送業を再開するおつもりか?」
「今は再開するつもりはないのう」
「なんと。運送業の再開は主様の悲願と思っておったのじゃが……」
「ふぉふぉふぉ。それは違うぞキノシタ。ワシの悲願は砂上船でこの
「そうであったか。それは失礼した」
「なんの。久々に楽しかったぞ。ワシは一旦戻って相棒のメンテナンスじゃ。今日の航海で調整すべき点がいくつか見つかったからのう」
「ワシの方こそ世話になり申した。おかげでこれほど短時間で砂漠を渡れたのじゃ。深く感謝申す」
秀吉は丁寧に頭を下げ、マッコイさんに感謝の意を示している。すると雄二や霧島さん、姫路さん、ムッツリーニまでもがマッコイさんの元に集い、頭を下げた。
「マッコイさん。本当にありがとうございました。私たち、これで元の世界に帰れそうです」
「……ありがとうございました」
「爺さ――マッコイ船長。無理を聞いていただき感謝します。良い船旅をありがとうございました」
「…………ありがとう」
「ウチ、レナード陛下の発明がこんな風に役に立つなんて思ってませんでした。また砂上船が動かせて良かったですね。ありがとうございました」
皆も口々に感謝の言葉を述べる。こうしちゃいられない。僕だって!
「マッコイ艦長! ありがとうございました! このご恩は忘れません!」
「艦長と来たか。じゃがキングアルカディス号は戦艦ではないぞ? ふぉっふぉっふぉっ」
「あ……そうでしたね。あはははっ!」
しばしの間、僕たちは笑い合う。こんな風に笑ったのはいつ以来だろうか。なんだか久しぶりな気がする。
「さて。ワシはそろそろ行くとするかの。……元の世界に帰れると良いな」
「なんとしても帰ってみせるぞい。色々と世話になり申した」
「……お元気で」
「砂漠の魔獣には注意してくださいね」
「ホッホッホッ。こんなワシを気遣ってくれるとは嬉しいのう。では達者でな」
マッコイさんは一度スッと手を上げると、黒いコートを靡かせながら砂上船の中へと戻っていった。
――キュィィィン…………
しばらくすると後部エンジンから金属を擦り合わせるような音が出始め、火が灯った。すぐにドンッという衝撃波と共に砂上船は動き出し、一気に加速。あっという間に砂漠の彼方へと消えてしまった。
「行っちゃいましたね」
「なんだか変わったお爺さんだったわね」
「そうですね。ふふ……」
姫路さんや美波もあのお爺さんが”変わっている”という認識を持ったようだ。そう思っていたのは僕だけじゃなかったんだな。ちょっと安心したよ。
「さてと。俺らは俺らの目的を果たさねぇとな」
船が完全に見えなくなった後、雄二が言い出した。
僕たちの目的は扉の島。リットン港と王都モンテマールにて、この島が実在することは確認済みだ。ただ具体的な位置の把握には至っていない。僕たちが急いでいるのは、この不確定要素があるがためだ。
「ところで土屋君、王妃様の船ってどこにあるんですか?」
「…………マリナポート港」
「それじゃ私たちの目的地もそこになるわけですね」
「ま、そういうこった。ムッツリーニ、具体的な所在や形、それと名前は聞いているな?」
「…………俺を誰だと思っている」
「ムッツリーニだろ」
「ムッツリーニだね」
「ムッツリーニじゃな」
「…………」
ムッツリーニは何故か困ったような顔をして砂漠を歩きはじめた。何か気に入らなかったのかな?
「きっと土屋君は”王宮諜報員の土屋君”って呼ばれたかったんですよ」
「へ? そうなの? なんで?」
「なんでと言われましても……私がそう感じただけですので、本当のことは本人に聞いてみないと分かりません。……ごめんなさい」
「ふ~ん……あ、別に姫路さんが謝る必要はないよ? なんにも悪いことなんかないからね?」
「はいっ、ありがとうございます」
でも確かにムッツリーニの本名を久しく呼んでない気がする。女子は皆名字で呼んでいるけど、僕らにとっては”ムッツリーニ”が当たり前になってるんだよね。
……っと。
「皆、急ごう。ムッツリーニを見失っちゃいそうだ」
「だな。砂漠の夜は死ぬほど冷えるって言うし、こんなところで夜を迎えるわけにはいかねぇからな」
僕たちはムッツリーニの後を追い、砂の大地を歩き始めた。蜃気楼のように揺らめくアルミッタの町へと向かって。
☆
アルミッタの町に入った後、僕たちはすぐに次の行動に移ることにした。
「えーっと、マリナポートはここからずっと南に行った所だったよね?」
最大の難関であった砂漠越えを果たした今、大きな問題は残っていない。あとは扉の島へと突き進むのみだ。
「そうだ。だがここから結構時間が掛かるらしい。恐らくこの時間では馬車の定期便も出ていないだろうな」
「え。そうなの? じゃあどうすんのさ」
「まぁ、ここで宿を取るほかないじゃろうな」
「やっぱそうなるよね」
「それじゃウチ、ホテルを探してくるわね」
「あ、僕も行くよ」
初めて来る町に美波1人を送り出すわけにはいかない。僕は彼女を追って走り出した。
「おい、ちょっと待てお前ら!」
すると雄二が僕たちを呼び止めた。
「なんだよ雄二」
「お前らひとつ忘れてやしないか?」
「忘れる? 何を?」
「ったく、やっぱり忘れてやがる」
こいつ、こういう勿体ぶる性格は相変わらずだな。じれったくてしょうがない。
「なんだよ。早く言えよ。何を忘れてるってのさ」
「リットンで聞いただろうが。ここアルミッタからマリナポートの間には小さな宿町があるってことをな」
「宿町?」
リットンで聞いたって? え~っと……そういえばそんな話を聞いたような気がするような……しないような?
「やれやれ。本当に物覚えの悪い奴だな」
「悪かったね! どうせ僕は物覚えが悪いですよーだ!」
「何を開き直ってんだお前は……」
「だって物覚えが悪いのは事実だし、開き直るしかないじゃないか」
「あーもういい。話が進まん。いいかよく聞け。この町からマリナポートの中間には小さな宿町がある。そこは文字通り大きなホテルが一軒あるだけの町らしい」
「ふ~ん。で、それがどうしたのさ」
「まだ分からねぇのか。俺たちは少しでも時間を短縮したい。見ての通りまだ日は高い。ならここで宿を取るのではなく、その宿町に行くべきだろ」
「おぉっ! なるほど!」
「なるほどのう。確かにそのような話に聞き覚えがあるぞい。名を確か……”ローゼスコート”と言ったか」
「それじゃウチらが探すのはホテルじゃなくてそのローなんとかって町に行く方法ね?」
「ローゼスコートじゃ」
「私もその名前は聞いたことがあります。庭園に植えられた薔薇が特徴のホテルだそうです」
「へぇ~、それは女の子に人気ありそうだね」
「…………行き方を調べてくる」
ムッツリーニはそんな言葉を残すと忽然と姿を消した。行動の早いやつだ。それにしてもあいつ、機嫌を直してくれたのかな? 残していった言葉もどことなく嬉しそうな感じだったし。
「ムッツリーニのやつ、張り切ってやがるな」
「女子に人気と聞いてやる気が出たのじゃろう」
「あ、あはは……土屋君らしいですね……」
「よし、ムッツリーニが戻るまで一応地図を確認しておくか。姫路、例の地図を出してくれ」
「はいっ」
姫路さんが鞄から一枚の紙を取り出すと、雄二はそれを受け取って説明を始めた。
「いいか。俺たちはこんな感じで……砂漠を渡ってきた。今いるのがここ、アルミッタだ」
「ねぇ雄二、この三角は何を意味してるの?」
「山脈だ」
「こんなに沢山の山があるんですか?」
「あぁ。そうらしい。北の海路を調べた時に疑問に思ったんだ。王都からカノーラまでは半日程度で着くのに、なぜアルミッタからマリナポートまで2日かかるのか」
「……山脈があるから真っ直ぐ進めない」
「そういうことだな。こいつは地図で見ても分からなかった点だ。砂漠を横断して正解だったってことだな」
「ふ~ん。そうだったのか。それでここんとこに宿町があるんだね」
「この宿は最近できたもので、それまではこの山岳地帯を通る者はほとんどいなかったって話だ」
「無理もあるまい。夜の山道は危険じゃからな」
ということは、また山道を走る馬車に乗るのか。あれってお尻が痛くなるからあんまり好きじゃないんだよね……。
「俺たちに残された時間は今日を含めてあと5日。ローゼスコートで宿を取るとして、マリナポートに到着するのは明日の昼過ぎから夕方だろう」
「つまり港に着いてから3日以内に扉の島を見つけないといけないってことね」
「その通りだ島田。今までに得た証言で扉の島がマリナポート沖にあることは分かっている。だが正確な位置については情報が無い」
「その点はどうするのじゃ?」
「マリナポートの漁師に聞くしかねぇだろうな」
「やはりそうなるかのう」
「また聞き込みかぁ……この世界に来てから聞き回ってばっかりだよ」
「仕方ねぇだろ。この世界にはインターネットも何もねぇんだからよ」
「まぁ、そうなんだけどさ」
「…………調べてきた」
!?
「む、ムッツリーニ!? もう戻ったの!?」
「…………召喚獣を使った」
「そこまでしなくたっていいのに……」
「…………善は急げだ」
何が”善”なんだろう。
「戻ったかムッツリーニ。で、どうだった」
「…………今日はあと1便ある」
「時間は?」
「…………30分後」
「そうか。なら決まりだな。皆、そいつに乗ってローゼスコートまで行くぞ。ムッツリーニ、案内してくれ」
「…………了解」
雄二の指示のもと、僕たちは移動を始めた。それにしても残り日数も少なくなってきたな。寄り道をしていると間に合わなくなって元の世界に帰れない――なんてことになりかねない。よし、気を引き締めて行こう!
「薔薇園のあるホテルってどんな感じなんでしょうね」
「きっと良い香りでいっぱいの庭よ。それで夜はライトアップされてすっごく綺麗な夜景になるの」
「わぁ……良いですねっ!」
「……楽しみ」
「翔子は何色の薔薇が好き?」
「……雄二が私のために用意してくれる薔薇なら何色でもいい」
「えっ? 坂本が買ってくれたの?」
「……ううん。これから用意してくれる」
「ちゃっかりしてるわねアンタも」
……
なんだろう。この緊張感の無さ。まるで遊びに行くみたいじゃないか。せっかく気合いを入れたのに台無しだよ。
「んむ? どうしたのじゃ雄二よ。気分が優れぬのか? 顔が真っ青じゃぞ?」
「あぁ……なんだか妙な寒気がしてな……」
前を歩く2人からそんな会話が聞こえてくる。きっと後ろの女子3人の話が聞こえているのだろう。雄二も大変だなぁ。霧島さんに薔薇のプレゼントをしなくちゃいけないなんてね。
……薔薇か。
僕もプレゼントしてみようかな。情熱的な真っ赤なやつを……さ。