ホテルに戻ると男子部屋の前で秀吉が待っていた。
「明久よ! こっちじゃ!」
秀吉は僕の姿を見るなり女子部屋を指差す。直感的に理解した僕は医者のおじさんを背負ったまま女子部屋に駆け込んだ。そしてベッドに寝かされている美波を視認すると、医者を床に放り出す。
「お願いします! 美波を助けてください!」
すぐさま床に伏し、僕は両手をハの字について
「やれやれ……すいぶん乱暴な案内だ」
連れてきた白衣の医者は呆れ気味にそう言うと、ベッドの方へと歩いていった。向かう先では美波が苦しそうに息を吐いている。
「なるほど。この子が毒蛇に咬まれたのだね?」
「はい!」
「どこを咬まれたか分かるかね?」
「左腕です!」
医者の問い掛けに僕は必死で答えた。とにかく正確に伝えて、治す方法を見つけてもらわなければならない。自分の知り得ることはすべてを答えるつもりだった。
「ふむ……」
医者は美波の袖を捲り、患部をまじまじと見つめている。丸い眼鏡に無精髭。オールバックに決めた髪型はどこか”頼りがい”のようなものを感じさせてくれる。思えば僕がこれほどまでに医者を頼りにしたのは生まれて初めてかもしれない。
「咬まれたのはどれくらい前かね?」
「15、6分前です!」
「なるほど……」
顎に手を当て、難しい顔をする医者。どうなんだ? 治せるのか? いや! 治してもらわなくては困る!
「君、この子はマトーヤ山に入ったのかね?」
「は……はい!」
「やはりそうか。こいつはマトーヤ山に生息する猛毒を持った蛇の咬み跡だ」
「も、猛毒!?」
頭が真っ白になってしまった。なぜこんなことになってしまったのだろう。何が悪かったのだろう。自分がもっと気をつけていれば良かったのか。王妃様の依頼など受けなければ良かったのか。美波が行くと言い出した時点で僕が止めれば良かったのか。そもそもこの世界を生み出してしまった僕がすべて悪いのか。
一瞬で様々な思いが頭の中を駆け巡る。けれど、どれだけ考えても結論は僕の責任になっていた。
「このまま毒が全身に回ると命にかかわる。だが幸い応急処置がしてあるので今ならまだ間に合うだろう」
「ほ、本当ですか!?」
「この応急処置は誰が?」
医者は周囲をぐるりと見渡して尋ねる。気付けば部屋には雄二や秀吉も集まってきていた。
「あの……私です」
そう言って手を上げたのは姫路さんだった。
「そうか、君か。見事な処置だよ。よくやってくれた。後は私が受け持とう」
医者のおじさんはニッと笑顔を見せる。よかった……この人ならきっと美波を助けてくれる。
「よ…………よろしくお願いしますっっ!!」
僕は再び床石に額を擦りつけ、土下座をした。
「君、そんなことをしていないで使いに行ってくれ。解毒に必要な花を取ってくるんだ」
「へ? は、花?」
「そうだ。このままでは左腕が
「え、えっと、エシ? エシって……なんですか?」
「体の組織が死んでしまうこと。このまま毒が進行すれば腕を切断しなければならないのだ」
「なっ……! う、腕を!?」
再び強いショックを受ける僕。腕を切断だなんて……そんな……そんな……!
「分かりました!! 花を取ってくればいいんですね! それはどこにあるんですか!?」
ガバッと起き上がり、僕は大声でわめく。すると医者のおじさんは冷静に答えた。
「マトーヤ山だ」
なんてことだ……つい先程行ってきたばかりじゃないか。知っていれば取って来たのに!
「マトーヤ山ですね! わかりました! すぐに取って来ます! ――
「あ! おい君!」
召喚獣を装着した僕は医者が呼び止めているのにも気付かず、部屋を飛び出した。扉を出てホテルの外へ。そして町の西門を目指して全力で走った。
☆
「やれやれ……嵐のような子だね」
明久が出て行った後、医者のオヤジはそう言って肩を竦めた。まったくもって俺も同意見だ。だが、あいつらしいとも言える。
「迷惑をかけたみたいですんません。あいつ、頭に血が上るといつもああなっちまうんです」
「そうか。まぁそれはいいんだが、彼は何の花かも聞かずに飛び出して行ってしまったぞ。これはどうしたものかね」
「あ……」
あンのバカ!
「すんません。バカがとんだヘマを……すぐに俺が追いかけます」
「君が? 彼はもの凄い勢いで出て行ったが、追いつくのかね?」
「たぶん追いつきます。俺たちにはちょっと特別な力が――いや、そんなことより先に花の特徴を教えてもらえませんか。恐らく花の名前を言われても分からないと思うので」
「特徴か。まず花の色は白。5枚の
「分かりました。注意すべきことはありますか?」
「時間が経つと
「花弁……花びらですね。分かりました。では――
俺は召喚獣を喚び出し装着。あの時血で真っ赤に染まった俺の特攻服だったが、この時には驚くほど真っ白に戻っていた。割られたバイザーも元通り修復されている。完全復活だ。
「じゃあ行ってくるぜ」
「頼んだよ。それまで私はできるだけの処置をしてみる。君と……君。手伝ってくれるかね?」
医者が指名したのは翔子と姫路だった。この2人が助手だと? 大丈夫なんだろうか。
「は、はいっ!」
「……何をすればいいですか?」
「まずその子の上着を脱がせてくれ。シャツは残していい」
「分かりました!」
「他の者は退場願おう」
「わ、ワシらにも何か手伝わせてくれぬか!」
「…………俺も手伝う」
「では桶に湯を張ってくれ。それと蒸したタオルを数枚だ」
「了解じゃ!」
「…………タオルを調達してくる」
意外に手際が良いものだ。これなら心配は無用だな。少し安心した俺はあいつらに後を任せ、走り出した。
さて、あのバカに追いつかねぇとな。まったく、猪突猛進もいいところだぜ。しかしこうなると一年の春のことを思い出しちまうな。あの時もあいつは島田のために体を張って……なんだか懐かしいぜ。
☆
再びマトーヤ山へ入った
知り合ってすぐの日本語を話せなかった美波。友達になり、一緒に遊んだ学園生活。強化合宿や海水浴、体育祭。そして美波の気持ちを知り、付き合い始めてからの日々。喧嘩をしたこともあるけど、彼女はいつも元気で明るい笑顔を見せてくれた。
片腕を失えば生活は一変するだろう。きっと辛い毎日になる。ご飯を食べるのだって一苦労だ。もしそうなったとしたら僕は人生のすべてをかけて彼女をサポートする。だって責任は僕にあるのだから。
……
……
……
やっぱりダメだ! 腕を切ってしまうなんて絶対に嫌だ! 美波は全身で意思を表現する女の子だ。そんな彼女の悲しむ顔なんて見たくない! なんとしても救ってみせる!! そうさ! このマトーヤ山に生えるという花を持って帰れば――――って、あ、あれ? 花?
「し、しまったぁぁぁあっ!!」
山頂に到着した僕は大失敗をしたことに気付いた。そう、花の名前も特徴も何も聞いていないのだ。
「ううっ……ど、どうすれば……!」
日が暮れ始めた山頂で僕は一人悩む。今から戻って花の特徴を聞いてくるか? そんなタイムロスをしていては間に合わなくなってしまうかもしれない。では手当たり次第に花を摘んで行くか? ダメだ。周りは植物が一杯で花の種類も沢山ありすぎる。全部摘んでいくのは物理的に不可能だ。く、くそっ! 僕はなんてバカなんだ!
『明久あぁぁーーっ!!』
その時、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。この声は……。
「ゆ、雄二!?」
「ハァ、ハァ、ハァ……お、お前、なんてスピードだ……やっと追いついたぜ……」
暴走族のような白い特攻服。頭に装着した薄水色のバイザー。それは召喚獣を装着した雄二だった。
「な、なんで雄二がここに!?」
「お前バカか! いや、バカだったな。いやそんなことはどうでもいい。お前どんな花かも聞かずに飛び出して行ってどうするつもりだったんだ!」
「うぐっ」
そうさ、今まさにどうするか困っていたところさ。我ながらバカなことをした……ん?
「そんなことより雄二は何しにきたのさ」
「お前にその花の特徴を教えに来たに決まってんだろが!! この大バカ野郎!!」
「そっ……そうだったのか。ゴメン。助かった」
「ったく、慌てるにも程があるぜ」
「それより早く花の特徴を教えてよ!」
「あぁ。山頂付近に咲く小さくて白い花だ。これを6本ほど根っこごと摘んでこいとさ」
「白い花……分かった!」
とはいえ、この付近に白い花なんてあっただろうか。さっき美波と一緒に来た時は紫の山百合を摘んだが、その時には見なかった気がする。
「えっと……白い花……白い花……」
僕は目を皿のようにして辺りを探す。太陽は既に山の向こうに落ち、空は黒に染まりつつある。まずい。これ以上時間をかけると真っ暗になって探せなくなる。焦る僕は山頂のあちこちを駆け回る。しかし該当するような白い花は見当たらない。
「ううっ、くそっ、ど、どこだっ!」
慌てるあまりに平常心を失い、イラつく僕。その時、広場の反対側で雄二が声をあげた。
『あったぞ! こっちだ!』
雄二は山頂の広場から少し身を乗り出し、下の方を指差している。あんな所にあったのか! と急いで駆け寄って崖の下を覗き込む。すると斜面にいくつかの小さな白い花が咲いているのが見えた。
「サンキュー雄二!」
「あ! おい明久!?」
僕は斜面を滑るように降り、白い花をむしり取った。これで……これで美波を治せる……!
――ズルッ
「うわっ!?」
ホッとした瞬間、落下するような感覚に襲われた。エレベーターで降りるような――いや、絶叫マシンで落ちるような感覚だった。それは足下を支えていたものが急になくなったためだった。
僕の全体重を支えていたのは斜面に生える草。その草の根が限界を超えてしまい、抜け落ちてしまったのだ。足場は崖とも呼べるような急斜面になっている。もしあのまま藪の中に転げ落ちていたら怪我では済まなかったかもしれない。
「明久ァぁ!!」
足が滑った瞬間、雄二の叫び声が聞こえた気がした。それと同時に首にガクンという衝撃を受けた。
「う……ゆ、雄二……」
見上げると、雄二が崖の上から身を乗り出していて、僕の腕をがっちりと掴んでいた。
「こんのバッカやろう!! なんて無茶をしやがるんだ!」
「だ、だって――」
「いいから上がってこい! その花は絶対に放すなよ!」
「あぁ!」
雄二に引き上げてもらい、僕は間一髪のところで救い出された。
「ごめん……雄二。助かったよ」
「ったく、やってることが無茶苦茶だぞお前……」
「ご、ごめん」
僕は謝りながら手の中を確認する。白い花を咲かせた小さな植物は間違いなく手の中にある。数は……6本。指示された本数だ。よし……大丈夫だ。いや、安心するのはまだ早い。これを医者に届けて解毒剤を作ってもらわないと!
「戻ろう雄二!」
「おう!」
僕は立ち上がり、獣道に目をやる。すると――――
《グルルルゥ……》
そこには異様にでかい灰色の犬が立ち塞がっていた。
「うっ……こ、こいつは……!」
雄二ですら見上げるほどの大きな犬。鋭い牙を持ち、ツンと立った耳。そいつは登山道を完全に塞ぎ、僕らの行く手を阻んでいた。
「い、犬の……魔獣……」
愕然とする僕。夜になると魔獣の活動が活発になるという話は本当だったのか……。
「違うぞ明久。こいつは犬じゃねぇ。狼だ!」
「お、狼……?」
犬であろうが狼であろうが、行く手を阻まれたことに違いはない。あれを排除しなければ美波の元へ帰れないのだから。
「くっ……こ、このぉぉぉっ!!」
僕は腰に差しておいた木刀を抜き、魔獣に向かって猛然とダッシュする。だがその時、学ランと武器がシュンと消えてしまった。
「し、しまった! 時間切れ!?」
僕の服装は元の文月学園の制服に戻ってしまっている。武器も何もない。丸腰だ。こうなってしまっては戦えない。
……いや、そんなことを言っている場合じゃない。なんとしてもここを突破し、美波の所に戻らなくては!
「く……ど……どけぇぇーーッ!!」
脇に落ちていた太めの枝を手に取り、僕は再び魔獣に向かって行った。この様子を狼の魔獣は微動だにせず見下ろしている。僕のような弱小の人間など恐るるに足らず。ということなのだろう。
「うあぁぁーーッ!!」
僕は枝を片手に魔獣に向かっていく。確かに召喚獣の力は消えてしまった。けどそんなことはどうでもいい! なんとしてでもここは通させてもらう!
《ガァァァーーッッ!!》
あと2、3歩で奴に攻撃が届く。と思った瞬間、狼の魔獣は前足をガッと広げ、雄叫びをあげて戦闘体勢を取った。奴の雄叫びは空気をビリビリと振動させ、僕の全身を襲う。そのあまりの迫力に僕は思わず足を止めてしまった。そしてその直後、魔獣は巨大な口を開けながら僕に向かって真っ直ぐに突進してきた。
……怖かった。
今までも魔獣とは何度も戦ってきた。けれど今の僕はただの高校生。力が強いわけでもなく、頭も悪い、ただの高校生なのだ。そんな僕がこの巨大な魔獣に敵うはずがないのだ。
「う、うわぁぁあーーっ!?」
食われる……! そう思った瞬間、
――ゴキャッ
骨が砕けるような音が聞こえた。
「バッカ野郎ォ!! いい加減にしやがれ! てめぇ死ぬ気か!」
ネクタイを勢いよく掴まれ、僕の身体は宙に浮いた。
「そんな無茶をしてお前が先にくたばっちまったら島田はどうなる! 俺はあいつに何て説明すりゃいいんだ!」
「ぐ……そ、それは……」
「いいか! これ以上命を捨てるような無茶をしてみろ! 俺はお前をぶっとばしてでも止めてやる! 全力でな! いいな! 分かったか!!」
雄二が怒っている。ぐいぐいとバイザーを押しつけられ、鼻が痛い。気付けば視界に魔獣の姿が無かった。雄二がこうして僕の胸ぐらを掴んでいるということは、もうここにはいないのかもしれない。たぶんさっきの音は雄二が魔獣を殴った音だ。きっと今ので退散したのだろう。
「……ご、ごめん……。分かった……」
「ったくよ。これ以上世話焼かせんじゃねぇよ」
掴んでいたネクタイを放し、雄二が呟く。さすがに少し反省した。確かにあのまま魔獣に立ち向かっていたら僕は食われていただろう。
俯いて僕は自らの行動を反省する。落とした視線の先にはキラキラと赤い輝く石が転がっている。魔石だ。魔獣は退散したのではなく、雄二によって倒されたようだ。
(……けどお前のそういう所、嫌いじゃないぜ……)
更に小さな声で雄二が何か言ったような気がする。しかしその声は僕の耳には届いていなかった。
「雄二。反省はするけど今は急ぎたい。僕を連れて行ってくれないか」
僕の召喚獣のエネルギーは尽きてしまった。しばらくは装着できない。既に辺りは闇に覆われつつある。試獣装着せずに歩いていたら、また魔獣に襲われる可能性だってある。
「しゃーねぇな。1つ――じゃねぇ。これで貸し3つだ」
「いつかまとめて返すよ。体でね」
「んなっ!? おっ……お前、そりゃ工藤の真似か!?」
「へ?」
工藤さんの真似って……あ!
「ち、違うよ! 働いて返すって意味だよ!?」
「なんだそうか。脅かすな……」
「ご、ごめん……って、そうじゃなくてさ! 頼む雄二! 召喚獣の力で僕を引っ張っていってくれ!」
「おう! 間違っても花を落とすなよ!」
「当たり前さ!」
☆
「もう大丈夫だ」
女子部屋の扉を開け、中から出てきた医者がそう言った。
「じゃ、じゃあ……腕は……切らなくても……?」
恐る恐る僕は尋ねる。すると丸い眼鏡のおじさんはニコッと微笑んで答えた。
「大丈夫。傷も残らず元通りになる」
その言葉を聞いて僕はようやく落ち着いた気がした。もう慌てなくていい。もう気を張る必要も無いんだ。
「入っていいぞ。ただし眠っているから起こさないようにな」
医者のおじさんは道をあけ、僕を部屋の中に導いてくれた。部屋に入ってみると、ベッドの横に並べられた椅子に姫路さんと霧島さんが座っているのが見えた。心配そうに視線を下ろす2人。ベッドには美波が赤い髪を枕に広げて眠っているのが見える。
(……明久君……)
姫路さんは小さな声で囁き、微笑む。そして人差し指を唇にあてがうと片目を瞑ってみせた。僕は足音をたてないように静かに歩き、ベッドの横から覗き込む。
薄く口を開けた美波がすぅすぅと寝息をたてている。青白かった顔色も元の血色の良い肌色に戻っている。表情からも先程のような苦痛の色が消えていた。
(もう心配ないそうですよ。朝にはすっかり元通りだそうです)
隣で姫路さんがそう言ってくれた。その隣では霧島さんが優しい笑顔を見せている。
「そっか……よか……た…………」
僕の記憶はここで途切れている。後で聞いて分かったのだが、僕はそのままベッドにもたれ掛かり、すぐに眠ってしまったらしい。安心したことで気が緩んだのかもしれない。
次に目覚めた時は夜が明けていて、男子部屋のベッドの上であった。