漁港は定期便の港から海沿いに20分ほど歩いたところにあった。見たところあまり大きな漁港ではなさそうだ。湾岸に停泊している船舶は3隻。僕らの乗ってきた客船とは違い小さな帆船だ。それが等間隔に並び、岸に着けられている。
そこでは頭にハチマキを巻いたガタイのいい男たちが忙しそうに動き回っていた。荷揚げをしたり網の手入れをしたりしているようだ。人数はそう多くない。見たところ7、8名といったところだろうか。きっとこの中にハリーさんがいるに違いない。早速僕は一番近くで網の手入れをしているおじさんに話し掛けてみた。
「あのーすみません。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「あァ?」
おじさんは僕の声を聞くと手を止め、目だけをこちらに向けてギロリと睨みつけた。話し掛ける人を間違ったかな……。なんだか凄く気難しい人のような気がする。
「人にものを尋ねる時はまず自分から名乗るモンだろが。あァ?」
もの凄い形相で睨まれ、そう言われた。思わずたじろぐ僕。怒らせてしまったかな……。
「失礼しました。俺は坂本雄二といいます。こいつは吉井明久です。お仕事中大変申し訳ありません。少々お話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「……フン。言ってみろ」
雄二が丁寧に頭を下げると、おじさんは視線を手元に戻し、ぶっきらぼうに言った。良かった……一応話は聞いてくれそうだ。
「実は俺たちはこのサラス王国にあるという島の場所を探しています。ガルバランド王国のラミール港にて、この町のハリーという方が遠洋に詳しいと伺いまして、参りました」
腰を折り曲げ、頭を下げながら丁寧に事情を説明する雄二。そうか、こうやって聞くものなのか。しかし雄二のやつ、こんな作法なんかどこで学んだんだろう。相変わらずなんでもできるやつだな。僕は感心しながら雄二の真似をして頭を下げた。
「ハリーだと? ……その様子だと何か事情がありそうだな」
するとおじさんの厳しい表情が少し緩んだ気がした。
「おーい!! ハリーー!! おめェに客人みてェだぜェー!?」
とてつもなく大きな声で叫ぶおじさん。まるで目の前で爆発でも起きたかと思うくらいに大きな声だった。それはもう「ドーン!」という犠牲音が相応しいほどに。
「俺に客人? おやっさん、そりゃ人違いじゃねぇっスか?」
するとすぐ隣の船で荷揚げをしていた別のおじさんが振り向いて答えた。というか、こんなに近くにいるのに今みたいな大声を出す必要があったんだろうか。
「ハリーっつったらおめーしかいねーだろ。ほれ、こいつらだ」
「はぁ……?」
やれやれ、といった感じに頭を掻きながらおじさんがこちらに向かってくる。小柄だけどずいぶん筋肉質な人だ。タンクトップが大胸筋ではち切れそうになっている。それと顎には無精髭を生やし、頭に巻いたハチマキが四角い顔にヤケに似合っていた。
「あー。……誰っスか?」
ハリーさんと思われる男がボリボリと頭を掻きながら言う。そりゃまぁ初対面だし、当然の反応かもしれない。
――ゴンッ
なんてことを思った瞬間、網を編んでいたおじさんがパッと立ち上がり、ゲンコツを振り下ろした。
「いっててて!! な、何すんスかおやっさん!」
「てめーは挨拶ひとつマトモにできねーのか! こんな
「だからってポンポン殴んねぇでくだせぇよぉ……」
「てめぇがいくら言っても礼儀を覚えねぇからだろーが!!」
「わ、分かりやしたよ! その話はあとでゆっくり聞きやすから! 今はほら、俺に客人でやんしょ?」
「チッ。あとで覚えとけよ! ったくよぉ……」
何なんだ。恐らく誰もがそう思っただろう。
「あー。そんで俺に用ってのは? なんか買えってんならお断りだよ?」
頭を擦りながら言うハリーさん。よく見るとこの人、意外に若いのかも。体格や顎髭のせいでおじさんっぽく見えているけど、肌や顔の感じからすると歳は25、6といった感じだ。
「いえ、俺たちは押し売りではありません。実はハリーさんが遠洋に関するの知識をお持ちだと伺いまして、ガルバランド王国から来たのです」
「俺が遠洋の? 誰から聞いた?」
「えぇっと……」
雄二が言葉に詰まっている。そういえば誰から聞いたんだろう?
(おい姫路、情報源の人の名前は?)
(すみません。お名前は伺っていないんです)
(マジか……じゃあどこで働いてたか分かるか?)
(ラミールの定期船乗り場から東に少し行ったところの漁船に乗っていました)
(分かった)
雄二と姫路さんがヒソヒソと話しているのは僕の耳にも入っていた。そうか。名前が分からないのか。雄二のやつ、どうするつもりだろう?
「すみません。お名前は分からないのですが、ガルバランド王国のラミール港東で漁船で働いていた方です」
「ラミール港? そこで俺の名前を知ってる奴がいるとしたらグレンっスね」
「グレンさん……ですか」
「あぁ。あいつは俺の古くからのダチっス。で、俺が遠洋の知識を持っていたらどうだってんスか?」
「俺たちはある島への行き方を調べています。このサラス王国の南東にある島です。そこへの行き方を知っていたら教えていただけないでしょうか」
雄二がこう言うと、ハリーさんは急に顔をしかめ、
「……それを聞いてどうするつもりっスか」
と無愛想に聞き返した。
「ということは知ってるんですね?」
更に聞き返す雄二。するとハリーさんは辛そうな目をして黙り込んでしまった。
(ねぇ秀吉、もしかして聞いちゃいけない話だったのかな)
(ワシにも分からぬ。じゃがあの顔はあまり気が進まぬようにも見えるのう)
(だよねぇ……)
ここでハリーさんの機嫌を損ねてしまえば、せっかくの手がかりが失われてしまう。でもこの様子では簡単には話してくれそうにもない。どうアプローチすべきなんだろうか。
「あの……すみません。何か事情がおありなんでしょうか……?」
すると姫路さんが僕らの疑問を聞いてくれた。それでもハリーさんは返事をせず、黙って俯いていた。姫路さんはこれ以上言葉はかけず、彼の様子を見守っている。他の皆も同じように彼が何か言うのを待っていた。
「……どうせ信じてくれねぇっス」
しばらくしてハリーさんはボソリと返事をした。暗く沈んだ口調。その言葉には悲しみが満ちているように感じた。
「俺たちは今まで信じられないものを沢山見てきました。今なら何を聞いても驚きません。どうか話していただけませんでしょうか」
キリッとした表情で訴える雄二。悔しいけど今のお前は格好良いぜ。
「ま、信じてくれなくても構いやしねぇっス。とりあえず俺の知ってることは話すんで、あとは好きにしてくんなせぇ」
そう言うとハリーさんは語り出した。航海中に体験したという、摩訶不思議な現象を。
――それは2年前のこと
その日、彼は初めての遠洋漁に出たという。それまではこのリットン港付近に限った漁しか認められていなかった。彼は以前より遠洋の見たことのない魚を捕りたいと常々思っていた。そしてその日、親方から初めて遠洋での漁を認められたのだという。
彼は幼少の頃から海に憧れ、常人を遙かに超える知識を独学で得ていたらしい。そして彼は当然のように漁師となった。だがそんな知識豊富な彼でも、漁船には簡単には乗せてもらえなかったそうだ。だから遠洋航海が認められたこの日、彼は喜びに満ちていたという。しかも船長という立場で許されたことにより、その喜びは天にも昇るほどだったと彼は語る。
ハリーさんは早速船を準備し、出港した。目標はサラス王国南東の海。この国の漁業は西と東であまり交流がないらしい。そのため、彼は東側の漁手法や取れる魚について興味があったのだそうだ。
ここリットン港から南の海路を辿れば東海岸まで約5日。そう計算した彼はこの海路を使い、東海岸の漁港マリナポートを目指した。奇怪な現象に遭遇したのは、その5日目の朝のことだという。
いよいよ到着間近という時、突然異常に濃い霧が発生したらしい。しかし特に海が荒れているというわけでもなく、航海に問題はなかった。そしてその濃い霧の中でひとつの島を見たと彼は言う。サラス王国の海域はだいたい頭に入れていた。しかしこのような場所に島があるのは知らない。もしや新発見か? そう思って彼はその島への上陸を試みたそうだ。
ところが近付こうと船を進めていると、忽然とその島が消えてしまった。目の錯覚などではない。間違いなくそこにあったはずの島が、跡形もなく消えていたのだ。しかしそれは消えたわけではなかった。
なんと、いつの間にか船が180度逆を向いて走っていたのだという。コンパスが壊れたわけでもない。船の舵も正常だった。彼は不思議に思いながらも再び島に向かって船を進めた。だがしばらくすると、またも船は逆走していた。負けるものかと何度も霧の中を進もうとするが、何度やっても船は逆走してしまう。まるで何かに拒まれているかのようだったという。
この時、僕は思った。ゲームでもよくある迷いの森。先に進んでいるつもりでも同じ所をぐるぐると回っているという、幻覚系のトラップ。あれの海バージョンなのではないかと。
結局彼はマリナポートに行くのを諦め、このリットン港に成果なしで帰って来たのだという。もちろんこのことは漁師仲間に話した。だがこのような島の存在は誰一人として知らず、信じてもくれなかった。そしてこのことはハリーさんが失敗したことを隠すために嘘を言っているのだと噂されるようになった。以来、彼はこのことを誰にも話さなくなったのだという。
「そんな……嘘だと思われたなんて……」
「信じてもらえないなんて……酷すぎるわ……」
姫路さんと美波は彼に同情し、目を潤ませている。
「ハリーさん! 僕はこの話、信じます!」
「ワシも信じるぞい。なにしろワシらはそこに向かおうとしておるのじゃからな」
「…………嘘なら俺たちの行く場所は存在しないことになる」
僕や秀吉、ムッツリーニも彼の話を信じている。黙っていたけど、当然雄二と霧島さんだって信じているだろう。
「ハリーさん。俺たちをその島に連れて行っていただけないでしょうか」
雄二は真剣な目で言う。ハリーさんの話では、ここからその島まで5日。僕らに残された時間があと9日間なので、この海路を辿れば余裕で間に合う。もし船で連れて行ってもらえるのならばこれ以上の近道はない。
「悪いけど船は出せねぇっス」
しかしハリーさんの答えは僕らの期待に応えるものではなかった。
「な……なんでですか!? 行き方を知ってるんだから連れてってくれたっていいじゃないですか!」
期待していた答えを得られず、思わず食ってかかる僕。それでも彼の答えは変わらなかった。
「そう言われても親方の許可がなければ勝手に船は出せねぇんスよ。それにたとえ親方が許しても俺はもうあの海域には行きたくねぇっス。勘弁してほしいっス……」
ハリーさんは目を背けながらボソボソと呟くように言う。でもせっかく見つけた手がかりだ。無駄にしてなるものか。なんとか説得して連れて行ってもらわなくちゃ!
「落ち着け明久。おまえは口を挟むな。ハリーさん、そこをなんとかお願いできませんでしょうか。俺たちはなんとしてもその島にいかなくちゃならないんです。俺たちの未来が掛かってるんです」
「何度言われても答えは同じっス。悪いけど他を当たってくんなせぇ。俺はもう二度と東には行きたくねぇっス」
「しかし――」
「いいかげんにしてくれ! 嫌だって言ってんスよ!!」
雄二の説得についに切れてしまうハリーさん。さすがにこの反応には僕も驚いた。
「帰ってくだせぇ。仕事の邪魔っス」
ハリーさんは冷たくそう言い放つと、船の方へと戻っていってしまった。これほど
「どうする雄二? これじゃ連れてってもらうのは無理そうだよ」
「……」
「雄二?」
「ん? あぁ、そうだな」
雄二のやつ、何か考えているみたいだ。良い作戦でも思いついたかな?
「親方さん、お仕事中大変失礼しました。俺たちはこれで失礼します」
「……おう」
座って網を編んでいた親方さんはムスッとした顔で、こちらを見ることもなく返事をした。僕らが邪魔をしたのが気に入らなかったんだろうか。やっぱり気難しい人のようだ。
「皆、一旦帰るぞ」
雄二はそう言うとスタスタと歩きはじめた。
「えっ? ちょっと坂本! どうするのよ!」
「出直しじゃ島田。他の手を考えるほかあるまい」
「そんなこと言ったって今はあの人しか手がかりないじゃない!」
「じゃが本人があれほど嫌がっておるのに無理強いするわけにはいくまい」
「それは、そうかもしれないけど……」
僕も秀吉の意見は正しいと思う。あの様子ではこれ以上頼み込んでも無駄だろう。
「仕方ないよ。今はどうにもならないみたいだし。帰ろう美波」
「う、うん……」
雄二に続いてぞろぞろと歩き始める僕たち。誰もが浮かない顔をして歩く中、雄二だけはいつもと変わらない堂々とした顔をしていた。