「あれ? すぐ出発するんじゃないの?」
翌朝、朝食後にすぐ出ると思っていたら、雄二のやつはベッドに寝転がっていた。何をのんびりしているんだと責めると、あいつは僕をバカにするように言った。
「昨夜言っただろうが。出発は今日の昼だ。姫路たちを休ませるためにな」
「あ、あれ? そうだっけ?」
「ったく。少しはメンバーの体力も考えろ」
「そうだね。ゴメン忘れてた」
そっか。雄二はそこまで考えていたのか。僕もまだまだ配慮が足りないな。
「分かったら今のうちに休んでおけ。ここから先は長旅になりそうだからな」
「あぁ、分かったよ」
とはいえ、どうしたものか。すっかり朝のうちに出発するもんだと思い込んでいたものだから、やることがない。休んでおけと言われても、ただゴロゴロしているのも勿体ない気がする。
「どうした。暇をもてあましてんのか?」
「ん。まぁ、そんなとこかな」
「ンじゃお前、アレを手伝ってこいよ」
ベッドに寝転がりながら雄二が親指で窓の方を指差す。その指差す先にあるのは、大きく円形状に空いた穴。あれは以前、姫路さんが腕輪の力で開けてしまった穴だ。昨日までは布と板で塞がれていたが、今はそれが取り払われている。
「なんでまた穴が開いてるのさ。まさか雄二がまた壊したのか!?」
「ンなわけあるか。修理に決まってんだろ」
「だよねぇ」
そうか、業者に依頼した修理の日が今日だったのか。それで応急処置した布や板が取り払われてるんだな。
「それじゃ手伝ってくるよ。暇だし」
「おう」
そんなわけで僕はホテルの外に出てみた。すると道路には頭にハチマキを巻いた体格の良い男がいた。その人は大きな
あれが修理の人かな? と早速話しかけてみると、それは確かに修理業者のおじさんだった。けれど手伝いを申し出てみると、「触るな!」と怒鳴られてしまった。専門的な技術が必要なので素人には触らせたくないらしい。
そんなわけでやることがなくなってしまった僕は道路脇のベンチに座り、修理の様子を見守ることにした。
「ハァ……」
暇だなぁ。こんな時に携帯ゲームでもあればな……でもあのゲーム機のせいでこんな世界になっちゃったんだよね……。
……
召喚獣の世界……か。あのおじさんは元は召喚獣なのかな。それともゲームが作り出した架空の人物なのかな。どちらにしても実在する人物じゃないんだよね。でもこうして会話もできるし、普通の人間と変わらないん――
「ムぐッ!?」
突然口と鼻が塞がれた。って! 息! 息ができない!!!
「だーれだっ」
「ンーっ! ンーっ!? ンンーっ!?」
声の主が誰なのかは分かる。だがこのままでは窒息してしまう!!
「ぷあっ!」
ようやく振りほどいて振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた少女の姿があった。
「なっ……何すんのさ美波ぃぃ!?」
「えへへっ、どう? 驚いた?」
「そりゃ驚くよ!!」
いきなり背後から鼻と口を塞がれて驚かない人はいないと思う。
「あぁビックリしたぁ……本当に殺されるかと思ったじゃないか……」
「ふふ……ゴメンね。ほんの冗談よ」
冗談で息の根を止められてたまるか。っていうかさ、こういうのって普通目を塞いで「だーれだ」ってやるものなんじゃないの?
「ところでアキ、こんなところで何をしてるの?」
「ん? あぁ、暇だったから壁の修理を手伝おうと思ったんだけど、断られちゃってさ」
「それでやることなくて見てたの?」
「うん」
「ふ~ん……ウチも一緒に見てていい?」
「うん。いいよ」
「ありがと」
美波はニコっと微笑むと、僕の横に腰掛けた。
「なんだか嬉しそうだね」
「そう? ウチはいつも通りのつもりだけど?」
そう言いながらも美波は笑顔を絶やさない。でも理由はなんとなく分かる。
今までは雄二の推測をもとに行動していた。腕輪が元の世界に帰る鍵になるという話も雄二の推測でしかなかったのだ。それが昨日、確実に帰る方法が分かった。これ以上喜ばしいことがあるだろうか。
ただ……この世界の原因が僕であることを考えると、僕は素直に喜べない……。
「それにしても不思議ね」
「ん? 何が?」
「だってこの世界って作られたものだったんでしょ? しかもウチらが電子データになってたなんて、今でも信じられないわ」
「……そうだね」
電子データか。10日前に作戦会議をした時に”もしかしたら”って思ったけど、まさか本当にそうなっていたなんてな……。
それに原因を作ったのはやっぱり僕だった。あまり信じたくはなかったけど、学園長が言う以上本当なのだろう。しかも今回の学園長は、召喚獣を装着できるようにしたり腕輪を用意したりと、とても協力的だ。今まで僕らをモルモット程度にしか考えていなかったあの学園長が、だ。それほど今僕らが置かれている状況が深刻なのだろう。
「アキ? どうしたの? 考え込んじゃって。アンタらしくないわよ?」
「え……そ、そう?」
「だっていつも何も考えずに思った通りに突っ走っちゃうのがアンタじゃない」
僕はそんな性格だと思われていたのか。それは大きな誤解だ。いつだって僕はちゃんと順序立てて物事を考えてから行動――――
……
してたよね……? ちょっと自信なくなってきた……。
「それでどうしたの? 何か悩み事?」
「悩み事というか……う~ん……」
「どうしたのよ。話してみなさいよ。相談に乗るわよ?」
「うぅ~ん……」
悩み事ってほどでもないんだよね……悪いことしたなって思ってるだけで。
「もうっ! いつまでも1人で悩んでないで話しなさいっ!」
美波は
「わ、分かった。話すよ」
「最初から素直にそう言えばいいのよ。それで何を悩んでるの?」
「えっと、それがさ……」
「うん」
やっぱり素直に謝ろう。今回の騒動が僕のせいだってことは間違いないんだから。
「ご、ごめんっ! 僕のせいでこんなことになって!」
「えっ? 何が?」
「いや、その……こ、この世界の原因を作ったのって僕だから……本当にごめんっ!」
「なんだ。アキの悩みってそんなこと?」
「え。そ、そんなことって……」
あ、あれ? あんまり怒ってない? おかしいな。僕のせいでこんな目に遭ってるんだから怒ってると思ったんだけど……。
「あのねアキ、確かにアンタのせいでウチらはこの世界で大変な目に遭ってきたわ。でも今それを責めたところでウチらの置かれた状況は変わらないでしょ?」
「まぁ……そうかもしれないけど……」
「だったら原因を作ったアキを責めることより、これからどうするかって考える方が大事じゃない?」
「う~ん? そう……なのかなぁ」
「それにね、ウチはこの世界に来て良かったって思うこともあるの」
「へ? 良かった?」
「学園長先生が言ってたの覚えてる? 『社会勉強のためにこの世界の人たちをみんな大人にしてる』って」
「そういえばそんなこと言ってたような……」
「ウチね、それを聞いて思ったの。確かにウチらって先生と両親以外の大人と話すことってほとんど無かったじゃない? でもこの世界に来て、いろんな大人の人と話をして、いろんな人のお世話になってきた」
「……そうだね」
「上手く言えないんだけど……いろいろ経験できて良かったなって思うの。学園生活じゃできない……すごく大切な経験だって、思うの」
美波は薄緑色の空を見上げながら言う。その表情はとても清々しく、思い出に浸るかのような目をしていた。
いつもの大きくて綺麗な瞳。そよ風にサラサラとなびく綺麗な髪。
こんなにも可憐で可愛い女の子が僕の彼女でいいんだろうか。僕は彼氏として相応しくないんじゃないだろうか。幾度となく自らに問い掛けてきた。
「ね? アキもそう思わない?」
彼女はいつものように笑顔を僕に向ける。その笑顔を見る度に思う。
「……うん。そうだね」
相応しいかどうかなんて、どうでもいい。僕はこんな美波の笑顔が好きだ。それでいいじゃないか。と。
「ありがとう美波。なんか吹っ切れた気がするよ」
「どういたしまして。ふふ……あ、でも落とし前はちゃんと付けてもらうわよ?」
「げっ……」
「当然でしょ? アンタのせいで大変な目に遭ってきたのも事実なんだから」
「は、はい……」
とほほ……やっぱり美波は厳しいなぁ。
「分かったよ。じゃあ僕は何をしたらいい?」
「そうね。まずは…………うん。まずはウチと一緒に元の世界に帰ること!」
ビッと僕の鼻先を指差し、美波はいつもの吊り目で僕を睨む。そして、
「それから、帰ったらデートすること! もちろん全部アキのおごりでね」
彼女は片目を瞑ってウインクをしてみせた。僕の食費がピンチになりそうだけど、この命令には逆らえそうにない。
「うん。分かったよ」
「ホント!? 絶対だからね? 約束よ?」
「うん。約束するよ」
「やったっ! それじゃぁね、まず映画に行って、その後でスイーツ! それからそれから……」
美波は色々と妄想をはじめてしまった。彼女はあれはどうだ、これはどうだと話を持ちかけてくる。その度に僕は自分の財布を心配してしまう。
……とても心地よい時間だった。
美波とは今まで何度も元の世界に帰った後の話をしてきた。けれど今までは”本当に帰れるんだろうか”という気持ちが頭のどこかにあった。今はそんな不安はどこにもない。それが僕の心を晴れやかにしているのだと思う。
『おーい、明久に島田よー。そろそろ支度をせぬかー。出発するぞーい』
その時、頭上から中性的な声が聞こえてきた。見ればホテル2階の窓から誰かが身を乗り出し、手を振っている。あれは……秀吉か。
「あれ? 修理のおじさんは?」
「とっくに帰ったわよ?」
「え……いつの間に……」
「さっきウチらが話してる間よ」
「そ、そっか」
お喋りに夢中になってて気付かなかったのか。そういえば秀吉が乗り出している窓の横にはさっきまで大きな穴が空いていたはずだけど、今は綺麗に埋まっている。それに壁に掛けられていたハシゴもなくなっている。つまり壁の修理は終わったということなのだろう。
「戻りましょアキ。準備しなくちゃ」
「うん。そうだね」
僕たちは駆け足でホテルに戻り、すぐに出発の準備を始めた。といってもリュックに寝巻きを丸めて入れるくらいで、そんなに時間の掛かるものではない。10分もしないうちに荷物をまとめた僕たちはホテルの外に集合した。
「お前ら、忘れ物は無いな?」
赤いトレンチコートを羽織った雄二は、仁王立ちで僕らを見つめる。他の6人は皆、マントやコートを羽織り、鞄やリュックを手にしている。
「大丈夫。全部持ったよ」
「よし、明久に忘れ物が無いのなら全員大丈夫だな」
「なんだよそれ。それじゃまるで僕が忘れ物の王様みたいじゃないか」
「違うとでも言うつもりかお前は」
「もちろんさ! ……なんて、言えないよねぇ」
今までの実績からすると、残念ながら僕に反論の余地は無い。
「そうね。言えないわね」
「そうじゃな」
「そうですね。ふふ……」
「よく分かってんじゃねぇか」
寒空の下、僕らはしばし”あはは”と笑い合う。頭上からは薄緑色の膜越しに日の光が僅かな暖かさをもたらしている。
今、僕らは次の目標に向かって旅立とうとしているのだ。今度こそ全員で元の世界の帰るという目標に向かって。
「よし! 出発だ!」
『『『おーっ!』』』