穢れた聖杯《改訂版》   作:後藤陸将

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とりあえず、この話までは基本的に描写を盛ったりすることがメインになっているので、基本的に大きな変更はありません。改訂前との違いが明白になるのは次話からとなっております。


戦争前夜

 冬木の地に古くから住む遠坂家は、丘の頂上に西洋建築の館を持つ。この場所は冬木で2番目に格の高い霊脈で、第二次聖杯戦争ではこの地で聖杯が召喚されたこともある。そしてその遠坂邸の地下にて、遠坂家頭首である遠坂時臣は遠隔通信魔術器によって時計搭から送られてきた情報に目を通して不機嫌な顔をしていた。

 

「――魔術師殺しの衛宮……この男は魔術師であるという誇りを微塵も持ち合わせていないんだ。こういう手合いは断じて許せない」

 彼が手にしている羊皮紙に記されているのは彼がかねてから探りを入れていた御三家の一角、アインツベルンのマスターについての調査結果だ。その内容はアインツベルンに招かれた異端の魔術師――衛宮切嗣についての情報であった。

 揺るがぬ信念を胸に、幾重の備えと修練によって正当たる魔術師であることを心がけている時臣にとって、高尚なる魔術に携わる身でありながらこのような下賤な行いをする者は看過できない存在に他ならなかったのである。

「ヤツがこの地を訪れるのであれば、私は遠坂の頭首である前に一人の魔術師としてヤツを打ち砕かなければなるまい」

 

 彼の傍らに立つ彼の弟子、言峰綺礼は静かに闘志を燃やしている師など眼中になく、ただ目の前にある切嗣の調査書の内容に釘付けになっていた。彼は衛宮切嗣という存在が自身に酷く似通ったものであると感じていたのだ。

 彼は自分と同じく、この世の全てのものに興味を持てない、美しいものを美しいと思えない、異端者――生涯で始めてであった同胞ではないのかと綺礼は疑っている。生まれて初めて芽生えた純粋な興味という感情に綺礼は内心ときめいていた。

「時臣師……私にこの調査書を」

 綺礼が時臣に調査書を貸して欲しいと申し出ようとした瞬間、先ほどまで沈黙していた遠隔通信魔術器が再度作動を始めた。時計搭の協力者から、聖杯戦争に参加するマスターの新たな情報が入ったことを察した時臣は机に置かれた紅茶を静かに飲み干すと、席を立って魔術器の前に移動した。

「おや、むこうも熱心に情報を集めてくれているようだ。どうやらアインツベルンだけでなく、他のマスターの情報も順調に集まっているらしい」

 声をかけるタイミングを失った綺礼は調査書を眺めながら通信魔術器が停止するまで待つことにした。綺礼にとっては衛宮切嗣以外のマスターの情報など、今はどうでもよかったのである。

 

 報告書の印刷が終了すると同時に時臣はナイフを取り出し、報告が書かれた羊皮紙をロールから切り取った。

「おや……これは」

 時臣は平然とした態度を崩さないまま新たに送られてきた報告書に目をやる。若干の嘲笑が混じった呟きに綺礼も何事かと首をもたげた。1年ほどの付き合いではあるが、綺礼はこの遠坂時臣という男について多少は理解したつもりだ。時臣は『常に余裕を持って優雅たれ』という家訓を厳守する貴族的な性格の強い魔術師であることは間違いない。

 彼は評価に値する魔術はそれとして素直に認めて賞賛し、魔術師として恥ずべきものを目の当たりにすればそれを正すことを是とする。衛宮切嗣の報告を受け取ったときも、その実力は認めた上で脅威と評した。魔術師としては唾棄すべき存在であっても、感情から対象を過小評価することはしなかったのだ。

 そんな彼が、聖杯戦争に参加するマスターを……正規の魔術師を嘲笑するというのは一体如何なることであろうか?

「そちらは一体、誰の資料なんですか?」

「ああ……間桐のマスターと、調査中の他のマスター候補についての調査資料だ。私の協力者も律儀だな。あのような落伍者の資料まできちんと整理してくれている」

 だが、時臣は先ほど送られた資料を一瞥しただけで机に放った。

「よろしいのですか?聖杯戦争の参加者の資料にあまり目を通さずに」

 綺礼は時臣が机に放った資料の扱いに疑問を抱いた。だが、時臣は先ほどの資料に全く興味を抱いてはいないようだ。

「いや、彼についてはあまり注視する必要はないだろう。その資料は御三家の一角……間桐の候補者についての報告書だからね。そこに書かれている間桐雁夜という男はかつて一度魔道の道から逃げ出した落伍者だ。大方間桐のご老体が戦争を前に呼び戻して付け焼刃の教育を施してマスターに仕立て上げたというところだろう。聖杯戦争に参加したところで間桐の家は堕落の謗りを免れない醜態を曝すだけだろうから、警戒する必要はないんだよ、綺礼」

 

 遠坂の血筋には代々色濃く受け継がれる特性として、俗に『遠坂うっかりエフェクト』と呼ばれる呪いがある。これは普段は完璧に近い振る舞いをしておきながら、肝心な時に足元を疎かにして初歩的かつ致命的なミスを犯してしまうというものだ。

 遠坂時臣も当然のことながらこの代々受け継がれてきた呪いを継承している。また、時臣自身は預かり知らないことだが、彼の長女である凜にもその呪いは継承されていた。余談だが、間桐の家に養子にいった彼の次女にはその呪いは見られない。未来の話になるが、その胸囲などから推察するにどうやら彼女はあまり遠坂の血筋を濃く受け継いではいないようだ。

 

 そして、この時彼は先祖代々受け継がれてきた『遠坂うっかりエフェクト』をクリティカルに発動していた。彼が読み飛ばした資料の末尾には、聖杯戦争に参加するマスターについての調査の途中報告があった。

 現在集められている情報があまりにも少なかったため、ほんの数行しか報告は存在しない。しかも、時臣が愛用している遠隔通信魔術器はFAXやプリンターのように元から規定のサイズに寸断された印刷紙ではなく、一枚のロール上になった印刷紙に印刷するものだ。

 そのため、別件の報告書を別の白紙に印刷できるプリンターとは異なり、別件の情報でも同じ一枚の紙に同時に印刷されてしまう。無論、その報告が別件だとわかるように間桐雁夜の報告書の末尾から十分なスペースを空けてから印刷されていたが、時臣は間桐雁夜の報告書の最後まで目を通すことはせず、それを見逃してしまっていた。

 

 彼が見逃していた他のマスターについての報告は以下の通りだ。

「未確認だが、特徴的な容姿をした東洋人が召喚の触媒となりうる聖遺物を捜索中との情報在り。この東洋人はGと呼ばれる超A級スナイパーの可能性がある」

 

 後にこのうっかりのことを知った遠坂時臣は、優雅を殴り捨ててまるで黒歴史が見つかった大学生のように悶絶したらしい。

 

 

 

 独逸にあるアインツベルンの城、その一室では魔術師殺しという異名を持つ男が中世的な雰囲気のある城には似つかわしくない科学の産物を手に作業をしていた。だが、その表情は機械と謳われる彼らしくない険しさを感じさせるものだった。

「どうしたの、切嗣?」

 彼の妻、アイリスフィールは先ほどプリンターから印刷された資料を手に険しい表情を浮かべる夫を怪訝に思って声をかけた。

「ああ、これは6人目のマスターに関する情報だよ。まだ、情報の裏を取れてはいないから、信憑性があるとは言えないんだけどね……君も読んでごらんよ」

「聖遺物を探している短髪で筋肉質な東洋人……これだけなの?」

 アイリスフィールはそこに記されていたほんの僅かな情報に首をかしげる。先ほどの夫の表情から察するに、夫はこの6人目のマスター候補を警戒していることは間違いない。おそらく、言峰綺礼と同等以上の警戒を夫はこの6人目に向けていた。だが、これだけの情報を夫が何故気にかけるのかがアイリスフィールには分からなかった。

「ねぇ……切嗣、どうして貴方はこれだけの情報に対してそんなに警戒しているの?貴方はこの6人目を未だに全く情報の無い7人目よりも警戒しているように思えるわ」

「……僕はこの容姿をした人物に、一人心あたりがあるんだ。確証は全く無いけど、僕はこの6人目が僕の知る人物だと思う」

「その心当たりって誰なのかしら?」

 切嗣は浮かない表情でパソコンを操作し、一人の男の写真を表示した。

「僕の心当たりというのは、この男のことなんだ」

 アイリスフィールは彼のパソコンを覗き見る。そこには相当遠くから撮影したものと思われる、人ごみの中を歩く一人の男の横顔が映し出されていた。確かに、先ほどの情報で示されていた身体的特徴はこの映像に映し出されている男のそれと一致しているように見える。

「確かに似ているわね……でも、どうしてこの男の人を警戒しているの?」

 身体的特徴が一致している人物など、この写真の男以外にも多数いるだろう。魔術師でありながらここまで身体を鍛えている男性が珍しいというのは分かるが。

「この男のコードネームはゴルゴ13……本名、生年月日、年齢、国籍、経歴は何れも不明だ。だが、この男はアメリカの大統領ですら恐れる超A級のスナイパーだ。依頼達成率は99.8%と言われている、世界最強の殺し屋だよ」

「彼は魔術師ではないの?それらしい資料がないみたいだけど……」

 確かに、恐るべき人物であることは間違いない。だが、聖杯戦争に参加できるのは魔術師のみだ。例え世界最強の殺し屋であっても、魔術の使えない男が聖杯戦争に参戦することはできないはずである。

 また、魔術師の名家で文字通り純粋培養されたアイリスフィールにとって、魔術師とそれ以外の人間には覆せない絶対的な実力差があるというのは当然の常識だった。魔術師でもない人物に夫が後れを取るとはどうしても思えなかったのだ。

「……確かに彼は一般的に魔術師と認識されてはいない。だけど、彼が魔術を使えないとする証拠はないんだ。彼はかつてとある町で聖堂教会の代行者や魔術協会の封印指定執行者のチームを返り討ちにしたこともある」

 切嗣の言葉にアイリスフィールは驚嘆した。聖堂教会の代行者、魔術協会の封印指定執行者といえば、死徒とも戦える戦闘のスペシャリストだ。なるほど、そのチームを返り討ちにする戦闘力を持っているとするならば、確かに魔術を行使できる可能性は高いだろう。

 だが、まだアイリスフィールの中には疑問が残る。

「その殺し屋が聖杯戦争に参戦する動機は何?マスターということは、少なくとも彼は聖杯に選ばれたということでしょう?」

 切嗣はアイリスフィールの問いかけに頭を振った。

「僕もそれが分からない……この男には権力や地位、金銭欲と言ったものはないはずだ。彼はそのような物を求めてあの稼業をしているわけではない。だが、仮にこの男が聖杯戦争に参戦するなら、その理由は一つしかない」

 切嗣は額に手を当てて呟いた。

「あの男が参戦する理由は依頼以外に考えられない。聖杯戦争の参加者の誰かがあの男を雇ったに違いないよ……アインツベルンが僕を招き入れたように」

 聖杯戦争に必勝を期すことを考え、戦闘の専門職を呼ぶことは戦略上は上策と言える。

 

「もしもこの男が雇われているなら、彼を雇った人物は今回の聖杯戦争の参加者か、その周りにいる可能性が高い。だけど、これまでに判明した僕以外の4人のマスターの中に彼の雇い主がいるかどうかは全く分からないんだ」

 切嗣は席を立ち、外の吹雪で視界が殆ど失われた窓へと歩く。

「ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはまず除外していいだろう。彼は生粋の魔術師だ。銃で名を馳せる殺し屋を雇って聖杯戦争を勝ち抜こうとするタイプじゃないからね」

 アイリスフィールは手元の資料を捲り、彼についての調査を再度読み返す。確かに、経歴も典型的な魔術師のそれだ。

「同じ理由で遠坂時臣も除外していいと思う。彼はあのキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの弟子という誇りを背負った全うな魔術師だからね。だけど、残りの二人のどちらかが依頼人だと判断するのは難しい」

「言峰綺礼か間桐雁夜……確かにどっちもよく分からないわね」

「そうだ。言峰綺礼に至ってはそもそも参戦の動機も何も分かっていない。だが、僕にはあの空虚なやつが確実な勝利のためにあの男を雇うとはどうしても思えない」

 アイリスフィールは更に資料を捲り、間桐雁夜のページに目を移しながら口を開いた。

「だとしたら、間桐雁夜かしら?全うな魔術師でもないみたいだし、殺し屋を雇うことを躊躇するとは思えないわね」

 だが、切嗣は首を横に振る。

「この男は聖杯戦争のために呼び戻されてマスターに仕立て上げられた即席の魔術師であって、一般人とそう変わらない人間だ。ゴルゴ13は何の伝もない一般人が簡単にコンタクトを取れるような人物じゃないよ。それに、彼の経歴を見る限りでは特別な伝があるようには見えない」

「……まだ顔も分からない6番目か7番目のマスターが雇ったってことかしら」

「その可能性もあると思う。だけど、雁夜ではなくて間桐家の頭首である臓硯があの男を雇った可能性だってある。結局のところ、判断材料が少なすぎて判断できないんだ」

 

 窓の外に広がる白い世界を観ながら、切嗣は過去の景色を幻視する。かつて、自身がナタリアに拾われて少し経った頃のことだ。雪の積もったある日、彼女が根城としている古い建物をゴルゴ13が訪れた。彼を詮索しようとして浴びせられた鋭い眼光は今でも身体が覚えている。

 ゴルゴ13がナタリアを訪ねてきた夜のことは今でも忘れていない。壁越しに音しか聞いてはいなかったが、あのナタリアが娼婦のように淫らな姿を曝していたのだ。密かにナタリアを母として慕っていた少年の頃の切嗣は、母と慕う女性と見ず知らずの男性が同衾しているという事実と、自身が知らないナタリアの一面を暴いた男に嫉妬に似たもどかしい感情を抱いた。

「……誰が雇ったとしても関係なく、僕はこの男が恐ろしくてたまらない。……言峰綺礼と同等、いやそれ以上に恐ろしいんだ。僕は……こいつには勝てない」

 あれからもう何年も経過しているが、自身の力量がまだあの男に遠く及ばないということは切嗣自身がよく理解していた。過去の邂逅で植えつけられた恐れ、純粋な力量差から来る恐れにより切嗣の手は知らず知らずの内に震えていた。

 

 不意に、切嗣の震える手に愛する妻の手がやさしく添えられる。切嗣が振り向くと、そこにはいつもと変わらない笑顔を浮かべる妻の姿があった。

「大丈夫よ。まだ、6人目がその男の人だって特定する情報は無いわ。それに、私の最愛の夫ならどんな魔術師が相手だろうと絶対に負けないわ……貴方の理想を成すために、イリヤを救うために貴方は勝利する。そうでしょう?」

 愛する妻の微笑みに切嗣も柔らかな表情を浮かべる。

「ああ、そうだったね……」

 切嗣の手の震えはもう止まっていた。そして切嗣は自身の手に添えられた妻の手を握る。

 だが、最愛の女性の紅い瞳を見つめる切嗣は同時に気がついてしまった。アインツベルンの力を用いてゴルゴ13と戦う方法に。

 切嗣はそんなことを思いついてしまった自分自身への嫌悪は表に見せず、妻に向き直った。

「アハト老のところにいってくるよ。あの男と互角に渡り合える策を思いついたんだ。僕の手持ちの戦力と、アインツベルンが生み出した技術を十二分に引き出せる策がね」

 それがどれほど切嗣にとって辛い策であろうとも、彼は自信の感傷など決して省みない。『恒久的世界平和』と自身の不幸など、切嗣にとっては秤にかけるまでもないことであった。




次話は改訂前には存在しない新規エピソードから始める予定です。現在執筆中。日曜にどれだけ筆が進むか……

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