穢れた聖杯《改訂版》   作:後藤陸将

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ようやく時間とれた……


遠坂時臣の苦難

 遠坂邸の工房に備え付けられた魔導通信機の前で時臣は重い口を開いた。

「言峰さん。綺礼のことは、とても残念なことでした。これは、私の責任です」

『……綺礼のことは時臣君の責任ではない。令呪が出たという時点で、このようなことになりうることは私も可能性として考えていた。それにも関わらず息子が参戦することを是とした私の責任だ』

 つい先ほど時臣は教会にいる璃正から緊急の連絡を受けた。そこで、彼は弟子であり共闘者である言峰綺礼とそのサーヴァントアサシンの脱落の報を聞かされた。教会の隠蔽工作機関からの報告によれば、綺礼は砲撃クラスのなんらかの攻撃を受けて敗退したとのことだ。

 綺礼の身体は桁外れの破壊力によって吹き飛んでいたため身体の一部しか回収されなかったが、周囲に飛散した血液や骨の欠片などから考えて間違いなく死亡しているそうだ。幸いと言っていいのかは分からないが、原型をとどめていた指の指紋によってその遺体の一部が綺礼のものだと証明できたらしい。

 綺礼の死によって、彼が契約していたアサシンのサーヴァントも脱落した。教会に設置された霊器盤も既にアサシンの脱落を確認している。

 攻撃を受けたアパート周辺の惨状から考えるに、綺礼は超高速の飛翔体の直撃の余波を受けて死亡したものと推察される。隠蔽工作担当者の報告によれば、周囲の破壊状況などからして綺礼が潜伏していたアパートから数百メートル離れたビルからの攻撃だという。それがサーヴァントの宝具によるものなのか、それ以外の魔術的礼装または近代兵器の類なのかは推察が難しいらしい。

 しかし、時臣はこれを敵サーヴァントの攻撃であると断定していた。綺礼の周りはアサシンが警護していたのだ。暗殺者として伝説にまで祀り上げられたハサン・サッバーハの警戒を掻い潜っての攻撃など普通の魔術師にできるはずがないし、ましてや近代兵器などという低俗な武器を扱うものなど言うまでもない。

 そして、冬木の港に姿を顕していないサーヴァントは初戦で脱落したバーサーカーを除けば、キャスターただ一人だ。あの攻撃がキャスターの宝具によるものだと考えれば、アパート跡地にできたクレーターも、アサシンの警戒を掻い潜れた理由にも説明がつく。

 

『当初の計画通りにことが進んでいれば、このようなことにもならず綺礼も教会に保護されて安全を確保できたはずだった。……バーサーカーの件がなければというのは、今更の話ではあるが』

「あのバーサーカーは本当に疫病神としか言いようがありません。どうしてあのような男がマスターとなり、よりにもよってあんなサーヴァントを召喚してしまったのか……」

 時臣自身、自身の計画を無茶苦茶にしたあのバーサーカーには憤りを隠せなない。

 時臣が綺礼、璃正と共謀した当初の計画では、綺礼は序盤に偽装脱落する手筈になっていた。

 宝具によって分裂したアサシンの一体を敢えて遠坂邸に特攻させ、そこをアーチャーが迎撃することで、アーチャーの強さとアサシンの脱落を遠坂邸を監視している各陣営の使い魔に見せ付ける。その後、アサシンが脱落したように見せかけた綺礼は脱落者として教会に保護を求め、安全を確保する。

 そして、綺礼は安全な教会の中から生き残りのアサシンを動かしてアサシンが脱落したと思い込んで油断している各陣営の偵察を行い、敵サーヴァントの情報を収集する。時臣はアサシンが収拾した情報を元に優位に立ち回り、聖杯戦争に勝利する――というのが彼らが戦前に描いていた理想であった。

 しかし、その計画はバーサーカーが引き起こした小学校襲撃事件によって白紙撤回を余儀なくされる。冬木のセカンドオーナーとして、また一人の魔術師としてバーサーカーの蛮行を到底見逃すことができなかった時臣は、アーチャーを従えてバーサーカーを討伐せざるを得なかったのだ。

 バーサーカー討伐時にアーチャーが圧倒的な力を見せ付けたため、アサシンが遠坂邸に特攻することはできなくなった。あれだけの力を見せ付けたサーヴァントを従える遠坂に対し、師の力量とサーヴァントの力量を知る弟子が襲撃するという絵図は不自然だったからである。

 結果、当初の計画を白紙撤回した時臣は綺礼とアサシンにとりあえず偵察に徹するように要請した。ひとまずは敵情の偵察と戦力把握に徹し、適当なタイミングで敵サーヴァントのどれかに分裂したアサシンの一体に攻撃をしかけて脱落したように偽装すればいいと考えたからである。

 ところが、敵情の偵察という一番大事な役割に取り掛かる前に綺礼は敵の襲撃によって倒されてしまった。敵サーヴァントの容貌と各マスターの顔が判明してこれからがアサシンの力が必要とされるというタイミングでだ。

 最強のサーヴァントである英雄王がこちらにいる以上、如何なるサーヴァントが敵であろうとまず相手にはならないと時臣は考えていたが、冬木港で行われた聖杯戦争第二戦でこちらの予想を上回る強力なサーヴァントの存在が明らかになった以上ただ座しているわけにもいかなくなった。

 特に、アーチャーによる宝具の雨を掻い潜ってアーチャーに肉薄したというランサーのサーヴァントは脅威以外の何者でもない。白兵戦の技量では真名の判明したセイバーのサーヴァント――アーサー王をも上回り、その身体は凄まじい頑丈さだ。

 槍兵(ランサー)のクラスは敏捷値に補正がかかるが、それでも敏捷値EXというのは非常に稀有である。加えて、その非常に強力なサーヴァントを駆るのは時計搭の神童と謳われた魔術師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトときた。

 彼がマスターというだけでも侮れないのに、これほど強力なサーヴァントを従えているとなるとその脅威度は跳ね上がる。今回の聖杯戦争において時臣が最も警戒しているのはランサー陣営だった。

 

 

『まさか、マスター一人を殺すためにあそこまでするとは……私の想定が甘かった。60年前は大した被害も神秘隠匿のための手間もかからなかったために、今回もそうなるであろうと油断していた』

 時臣には魔導通信機ごしに教会にいる璃正の表情は窺えないが、彼のどこか消沈した声から察するに璃正は息子の訃報にかなりショックを受けているようだ。

 しかし、弟子であり協力者である綺礼を失ったというのに時臣は実はそれほど悲しんではいなかった。綺礼の父であり祖父の代からの付き合いである璃正の前ではその死を悼むような言動をしているだけである。

 勿論、彼とて弟子の死に対してなんら感じるものがないというわけではない。しかし時臣にとっては、優秀な諜報手段であるアサシンの脱落に対する落胆の方が綺礼に対する悲しみよりも大きかった。

 時臣にとっては、脅威の対象であるケイネス陣営の脅威ならびに代行者である綺礼を容易く葬った間桐陣営に対する諜報を考えていたときにその手段を失ったという事実の方が、弟子の命よりも重かったのである。

 遠坂時臣という男には人間の情が全くないというわけではないが、人としての情と魔術師としての価値観が一致しない場合には魔術師としての価値観が優先するのだ。彼はどこまでも魔術師らしい価値観に縛られた男であった。

 

「下手人はおそらくはキャスターの攻撃でしょう。消去法で考えれば、間違いなくマスターは間桐です。あの老獪な間桐のご老体であれば、アサシンに守られた綺礼を見つけ出して暗殺することは十分可能でしょう」

『…………時臣君。おそらく、それは違うだろう』

 璃正が喉から搾り出すように口にした言葉に時臣は訝しげな表情を浮かべる。

「どういうことでしょうか言峰さん。冬木港にはキャスター以外の全ての陣営が集まっていましたから、犯行が可能なのはキャスター陣営だけのはずです。そして、既にキャスター陣営以外の全ての陣営のマスターも判明しています。しかし、そのマスターの中に間桐の人間はいませんでした。御三家である間桐が聖杯戦争に参戦しないというのは考え難いことではありませんか?……確かに、間桐の後継者は魔術を捨てた落伍者と養子である桜だけです。どちらもマスターとなるのは難しいですが、間桐のご老体が直々に参戦しているということも考えられます」

『違うのだ、時臣君。確かに、君の言うように状況的には間桐かキャスターが関与している可能性は高い。だが、先ほど隠蔽工作部隊からあの男がこの冬木の地にいるとの報告が入ったのだ。……確たる証拠は何も無いが、私はあの男が息子を殺したのだと考えている』

「あの男?いったい誰のことを言っているのですか?」

 時臣の問いかけに璃正は暫し沈黙し、重苦しい口調で答えた。

『君は、数年前のイタリア日本人拉致事件を覚えているかね?』

「誘拐グループが日本政府に日本円で2億円相当の身代金を要求したというあの事件ですか。確か、誘拐グループはイタリア軍によって殲滅されて監禁されていた二人の女性は無事に日本に帰国したと記憶しています。それで、その事件が何か?」

『真実は違うのだよ。あの時、日本政府も、イタリア軍も解決のために殆ど貢献していなかった。事件解決に貢献したのは、聖堂教会とある一人のフリーのスナイパーだった』

 

 数年前、イタリアを旅行中だった二人の日本人女性がRRA(ローマ共和国軍)を名乗る武装グループによって誘拐され、日本政府に10億リラ(当時の日本円換算で2億円相当)の身代金が要求されるという事件が発生した。

 その余りに法外な金額が武装グループの活動資金として流れることを危惧し、要求に応じるべきでないと主張するイタリア政府と人命を優先したい日本政府は対立し、中々意見が一致せずただ無為に時間を浪費した。

 1977年にバングラディシュで発生したハイジャック事件においてテロリストの要求を呑んで人質が全員解放されたという過去もあり、日本の世論は身代金を支払ってでも二人を救えという主張で過熱していた。そのため、時の政府はここで人質を死なせれば世論の反発と内閣支持率低下は必至と判断したのである。

 その状況に危機感を覚えた日本外事警察の土方は身代金の供出による救出を諦め、人質救出のためにある男に依頼をしたのである。

 男はRRA(ローマ共和国軍)のアジトを捜索するためにバチカンの「サン・ピエトロ寺院」を訪れ、司教に協力を要請し、発見されたアジトに単身で強襲してRRA(ローマ共和国軍)の構成員を一人残らず殲滅したのである。

 実は、この時ゴルゴに協力した司教は聖堂教会に所属する司教であり、彼はRRA(ローマ共和国軍)のアジトの捜索のために聖堂教会の力も活用していた。この司教は璃正の友人でもあり、璃正は3年前に綺礼をつれてイタリアを訪れた際に司教からこの事件の真実と聖堂教会でも畏怖されるその男について聞かされていた。

 

「フリーの、それもたった一人のスナイパーがあの事件の解決に?一体、その男とは誰のことなのですか?」

『…………男の名はゴルゴ13。世界最強のスナイパーであり、不可能を可能にする男だ』

 

 璃正は、ゴルゴ13という男について語り始めた。

 年齢、人種、国籍、経歴、本名が一切不明の超一流のスナイパーであり、ゴルゴ13という名もコードネームに過ぎない。その男には不可能という言葉は存在せず、如何なる条件下であっても99.8%の確率で依頼を完遂するプロフェッショナルである。

 その狙撃の腕前は間違いなく世界最高峰であるが、戦闘能力と頭脳もまた世界の最高峰にある。過去には死徒をも上回る戦闘能力を誇る聖堂教会の代行者のチームとも交戦した経験があり、その時は代行者チームを殲滅している。魔術協会の封印指定執行者のチームも過去に彼と交戦し、全滅に追い込まれたことがあるという。

 そして、彼は一切魔術などといった手段を用いることなくこれらの所業を成し遂げているというのだ。

 当初はただのテロリストなどを何ゆえに恐れるのだろうかと訝しげだった時臣だが、璃正の口から次々と語られるゴルゴ13という男の脅威のエピソードにその顔色が次第に変わっていく。

 

『日本政府とのパイプ役をしている部下によれば、この男が数日前に冬木に地に足を踏み入れたことが確認されているそうだ。今部下たちがその情報に基づいて市内で彼の姿を探しているが、既に彼と思しき人物を目撃したという情報がいくつか私の元にきている』

「しかし、それだけで綺礼を殺害した犯人をその男だと決め付けるのは早計では?」

 確かに、そのゴルゴ13という男がこの町にいる以上、綺礼殺害の下手人である可能性はあるだろう。しかし、その男が誰に雇われたのかも、そもそも聖杯戦争に関わっているのかも分からない。その段階で何故璃正が下手人をその男だと断定できるのか時臣は理解できなかった。

『アパートにできたクレーターには、魔術による攻撃の残渣は発見されなかった。如何にキャスターのサーヴァントといえども、あれほどの破壊を成し遂げておいて魔術の残渣を一切残していないとは考え難い。また、攻撃後に駆けつけた隠蔽工作の担当者は一連の事情を辛うじて現界していたアサシンのサーヴァントから聴取している。あれほどの破壊を成した大魔術であれば、アサシンもまず生き残れまい。しかし、アサシンは満身創痍でありながらも生き延びていた』

「サーヴァントを打倒できるだけの神秘がその攻撃には籠められていなかった、アサシンは単純な物理的なダメージを負っただけだということですか?」

『左様、我々はそう判断している。神秘を用いずしてサーヴァントを満身創痍に追い込み、代行者を葬ることができる存在など、あの男以外にはありえない』

 原則、神秘を有した存在を傷つけるためには同じような神秘を有した攻撃でなければならない。より強い神秘を有した攻撃であれば、弱い神秘を有した存在に大きなダメージを与えることができるのだ。

 例えば、神秘を有しない7.62mm弾はサーヴァントの前では豆鉄砲程度の威力しかないが、ランクD相当の宝具に相当する神秘を宿せばランクA相当の耐久値を持つサーヴァントにも大ダメージを与えることができる。

 しかし、神秘を有しない存在であっても桁違いの物理的な力であれば神秘を有した存在に対抗することは可能だ。神秘を有しない重機関銃の攻撃ぐらいならば神秘を有するサーヴァントにダメージを与えることはできないが、至近距離で大和型戦艦の46cm砲の直撃を喰らえば耐久値の低いサーヴァントであれば死亡するだろう。

 勿論、神秘の籠められていない物理的な攻撃などサーヴァントが霊体化すればその威力に関係なく無効なので、通常なら神秘の篭らない近代兵器などサーヴァントの相手になることはありえないのであるが。

 

 サーヴァントさえ満身創痍においこむだけの威力を誇る近代兵器を保有する超一流のスナイパーの存在は、時臣をして畏怖させるものだった。というのも、彼が万全を期して参戦したはずの聖杯戦争は、一人のスナイパーの参戦によって難易度ルナティックな鬼畜仕様のゲームに変貌していたからだ。

 サーヴァントに身を守ってもらえば安泰だと一瞬考えたが、その考えは無理だとすぐに諦めた。実は、時臣はスナイパーから身を護るための戦力に問題を抱えているのだ。

 サーヴァントにはお目当ての最高最古の英雄王、ギルガメッシュを召喚することには成功した。しかし、このギルガメッシュという王はとても扱いづらいサーヴァントなのだ。アーチャーというクラスで限界したため、単独行動スキルがAランク相当なのだ。

 Aランク相当の単独行動スキルであればマスターからの魔力供給なしでも数日間現界可能であるし、戦闘行為も宝具の真名解放も可能だ。つまり、マスターという存在の縛りが非常に薄いということだ。

 そして、それをいいことにアーチャーは召喚されてから毎日のように街に繰り出しているのだ。感覚の共有を拒絶されているために英雄王ともあろうものがわざわざ現代の街に繰り出して何をしているのかは全く分からない。

 数日前には巨大なテレビが運び込まれてきたし(しかも注文者の名義はマスターである時臣のものであった)、毎日アーチャーの部屋からは電子音が聞こえてくる。サーヴァントは睡眠の必要が無いからか、夜通し電子音が聞こえてくる。最近はその五月蠅さに辟易した時臣は一日の殆どを静かな地下の工房ですごすようになっていた。

 幸いにも黄金率のスキルを持つアーチャーは、街で買い物をするのに必要な資金は自前で調達してくれているようなので、彼の浪費についてはそれほど心配する必要はないようだ。

 しかし、ギルガメッシュは最高最古の王というだけに非常に我儘であり、時臣の都合など知らぬとばかりに振舞うのだ。彼が数年がかりで準備した戦略もアーチャーが昨夜のライダーの挑発にのって勝手に出陣した挙句その能力を衆目に晒すという軽率な真似をしたことで瓦解したと言ってもいいだろう。彼はマスターの都合などお構いなしで動くのである。

 そんなサーヴァントに自分をスナイパーから守るために近くにいてほしいといって、言うことを聞いてくれるだろうか。令呪は残り2画だが、内一画はアーチャーの自害用だ。実質時臣が使える令呪は残り一画であり、軽率に使うことはできない。自分を守れという曖昧な命令ではその効力もどこまであるか分からない。

 遠坂時臣とて魔術師としての誇りはあるが、キャスターの大魔術に匹敵するだけの物理的な威力を有する攻撃から身を護る手段はない。遠坂邸に張り巡らされた迎撃用結界の数々も、桁違いの物理的な破壊力の前には紙のようなものだ。

 

 

 

 綺礼の喪失といい、サーヴァントの選択といい、どうしてこうも私の完璧な策略が裏目に出る……。

 

 遠坂時臣は地下の工房で頭を抱えた。




今回のイタリアの事件のくだりは、『ペルセポネの誘拐』のエピソードのことです。
『ペルセポネの誘拐』は80年代初頭の作品ですが、拙作では80年代の終わりのエピソードということにしています。
ゴルゴの年齢とか、活躍した年代とかの色々な都合です。

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