東方帽子屋   作:納豆チーズV

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五.芽吹き出す小さな可能性

 博麗神社に降り立ってすぐに、その人気(ひとけ)のなさに気づいた。神社の鳥居側ももちろんだが、視界の範囲外である神社内部にも一切の生命の気配が感じられない。つまり霊夢がおらず、どこかに出かけてしまっているのだ。

 立ち止まった俺を、こいしが不思議そうに眺めてくる。

 霊夢がどこに行ったのか。その選択肢は分岐が多く、これと言い切れるものが一つもない。買い出しに行ったか、依頼関係で人間の里に行ったか、香霖堂に行ったか、もっと別の用事で探しようもないところに行ったか。それだけでなく、いつ帰ってくるのかもわからないので、ずっと待っているというわけにもいかなかった。

 

「……ごめんなさい、さとり、こいし。アポを取るべきでしたね。今、霊夢はここにいないようです」

「しかたありませんよ。それにアポを取られていても困ります。私はそんなに大した妖怪ではありませんから」

「じゃあどうしよっか。玄武の沢にでも行くー?」

 

 予定が潰れたとなると、これまでさとりを連れて行ったことのある場所へ向かうのが妥当な選択肢だろう。ただ、せっかく人に会うことを覚悟して出てきたさとりに、風景を堪能するだけ堪能して帰らせるのもなんだかなという思いがあった。

 確実に人に会いたいならば今から香霖堂に向かえばいい。どうせ霖之助は出かけてないだろうし、外に出ているにしても用事を手早く済ませてすぐに戻ってくるような性質だ。

 だけど……と思案に耽りかけた頭を横に振って、いったんそれを振り落とす。選択権はさとりにあるのだ。俺が決めることではない。

 

「さとり、今ここでは二つの選択肢があります。一つ、こいしの提言に従ってどこか別の場所に行く。二つ、香霖堂に足を向かわせる」

「香霖堂にはきちんと人がいるみたいですが……なるほど、複数いる可能性が高いと」

「霊夢と魔理沙のどちらか、あるいはどちらもが行っているかもしれません。特に今は霊夢が神社にいないことは明らかなわけですから」

 

 それに霖之助は異性だ。いや、まぁ、若いくせに異性の異の字にも興味を示そうとしない枯れた男ではあるものの、一応は異性なのだ。霖之助のそういう部分と人が複数いるかもしれないことを考えると、行くことはあまり得策ではない気がしてくる。

 そんな風に心配する俺を第三の目で見つめ、ため息を吐いたさとりが、ぐいっと顔を近づけてきた。

 

「レーツェル。私が、そんなにか弱く見える?」

「えっと……」

「確かに人と会うことは滅多にないし、会ってもいつも嫌われてきたわ。でも今日はそうされるかもしれないことを承知で、そういう覚悟を持って地上に出てきた。それにこの一年、レーツェルとたくさん話をしてきたからうまく立ち回れる自信もそれなりにある。その霖之助さんとやらが異性だからって、人が複数いるからって、退く理由にはならないの」

 

 敬語をなくし、真摯に俺と目を合わせてくる。さとりのそんな顔を見返し、ついさきほど抱いていた考えを改めた。

 さとりは多くの心を読んで、その嫌悪感のすべてを垣間見てきたという。俺なんかではほんの表面、言葉で吐かれる部分しか推し量れることはかなわない。さとりは心を読めるからこそ言葉を用いる生き物の汚さを誰よりも把握しているはずで、人と付き合うことで生じるあらゆる感情をなによりも理解している。そのすべてを心得た上で誰かと交流を持つことを決め、さとりは計画に参加しているのだ。きっと俺が想像しているよりもずっと、目の前の少女の意思は堅い。

 

「わかりました。すみません、今の考えはさとりへの侮辱でしたね。取り消させてください」

「はい。私も……ちょっと言いすぎましたね。そもそも私が弱いから、人と付き合う勇気がなかったから、地霊殿にずっと引きこもっていたのに……」

 

 それでもそれは、能力のせいで嫌われてきたのだからしかたがないことだ。そんな俺の心を読んださとりが、「たとえそうでも、逃げたことは変わらないんですよ」と自嘲気味に笑った。

 どうにか元気にさせてあげたかったが、ここでいくら励ましやなぐさめの言葉を告げたところで無駄だということは、すぐにでも理解することができた。そもそもの話、感情から生じず、考えようとして考えた程度の思いで、心を読めるさとりの元気を取り戻させられるはずがない。

 それならば俺が言えることなんてただ一つしかなく、つまりは胸の内からふつふつとこみ上げてくるこの感覚を口にすることしかできなかった。

 

「それなら……これから強くなりましょう。私もお手伝いします。いえ、私もさとりと一緒に強くなりたい。今日のことはきっとそのための一歩だと思います」

「……はぁ。本当……レーツェルはどうしてそういうことを本気で思えるんですか? 私がこれまで見てきたどんな人間にも妖怪にも、そんな風に考えられる人なんていませんでしたよ」

「そうですねぇ。さとりのことを心から親しく思ってるからじゃないですか?」

 

 さとりが仏頂面になり、俺を半眼で見やってくる。心から親しく思っているから。どんなにいい言葉でも、さすがにからかおうとして口にした言葉はさとりには通じない。

 まぁ、今のそれは冗談交じりに口にしたが、完全な嘘というわけではないというか、むしろ本当のことだ。

 この一年頻繁に付き合ってきたこともあるけれど、五〇〇年近くずっと誰にも言わずにいた俺の秘密を唯一知っているという要素が大きいのだろう。きっと俺が思っている以上の親近感を抱いており、だからこそ毎日のように電話をし合うし、少しの苦も感じず遠い地底と地上を行き来することができるのだ。

 そもそもただ他人を叱っただけで『嫌われているんじゃないか』と落ち込むような素直な性格なんて相当に貴重だし、秘密云々のことがなくても個人的に仲良くなりたいと思っていた確率が高い。そんな風に考えると、「そのことはもう指摘しないでください」とさとりが頬を赤らませ、それから膨らませた。

 なんかあれだよねぇ、とこいしが唐突に呟いた。

 

「ん、あれってなんですか?」

 

 俺の返しに、こいしはさとりの方へと顔を向けた。

 

「お姉ちゃんって、レーチェルのこと好きすぎだよね」

「えっ、な……!?」

「私もレーチェルのこと好きだけど、お姉ちゃんも相当だよねー」

 

 ニコニコと邪気のない笑顔でのこいしの発言にさとりは口を震わせていたが、最終的にはなにも言い返す言葉が見つからなかったようで、恥ずかしそうに帽子を深くかぶった。

 

「私も好きですよ、さとりのこと。もちろんこいしもです」

「レーツェルまで……」

「お姉ちゃんは過剰反応しすぎなんだってば。好きなら好きでいいじゃん。そんなことよりもう行こうよー。ほら、いつまでもこんなとこで時間潰してたら日が暮れちゃうよー?」

 

 こいしの言う通り、霊夢がいないとなれば博麗神社に長居する理由がない。地霊殿の灼熱地獄の管理で少々問題が発生していたらしく、それの対処でさとりが追われた結果として結構遅く出てきたこともあり、空は結構暗くなってきている。

 さとりの名前を呼びかけると「わかりました」と帽子で顔を隠したまま小さく頷きを返してきた。

 地面を蹴り、魔法の森方面へと飛行を開始する。結果的に博麗神社に寄り道しただけになってしまったからか、そのスピードはそれなりに速い。

 しかし魔法の森へ近づいていくことを自覚すると、つい一か月ほど前にあったばかりなこともあって、怨霊の事件のことを思い出してしまう。

 亡霊の怨霊と対面している時の異常なまでの寒気、精神を蝕んでくる呪詛への本能的恐怖、体を乗っ取られかけている時に感じた多大なる怨みつらみ。

 あの時、ふと気づいたのだ。あの日までは害虫のように、ただ漠然と近づいてはいけない存在だと認識していた怨霊が、元は俺たちと同じように生きていたのだと。

 それは当たり前のことで、しかし本質的には理解できていなかったことだ。怨霊のほとんどは元々が悪い魂、あるいは逆恨みで幽霊から変質するという。それでも、たとえ少数でも、ただ不憫な境遇で怨霊になってしまう者だって存在していることは確かだった。

 この世に生きる誰もが最後にはあのような醜い存在へと変わり果ててしまう危険性をはらんでいる。あのような醜い存在も、かつては明るい笑みを浮かべて地上で生を謳歌していた。

 最後に俺は影の魔法を使ってあの亡霊を完全に消滅させた。それが正しかったことなのか、間違っていたことなのか、未だによくわかっていない。俺が離れている間に誰かに被害が及ぶかもしれない可能性があったとしても、本当は霊夢辺りに声をかけて、きちんと成仏させた方がよかったのではないかと。

 

「レーツェル」

 

 頭の中で繰り広げていた暗い思考を、さとりの声が遮ってきた。

 

「これは閻魔さまからの受け売りですが……たとえどんな不運で不幸な境遇でも、恨みつらみをもとに現世に留まろうとすることは最大級の罪であるそうです。天界行きが確実であるような善人がなにかの不都合でただ一時怨霊になるだけでも、一気に地獄行きのそれへと変わってしまうのです。その罪の重さに気づくまでは永遠に地獄にいなければならないほどの罪を背負うわけですよ」

「私は悪くないと、さとりはそう言いたいわけですか」

「……完全には悪くないとは、言い切れません。怨霊だからと言ってむやみやたらと消していいわけではありませんから。いわく、輪廻の輪から外れることは本人の悟りによるものでなければならないそうです。ですからこの先は私の勝手な言い分なのですが……」

 

 一度大きく深呼吸をすると、さとりは俺に向き直った。きっとそういうものであると、今まさに変えがたい価値観を抱いているかのごとく、その瞳が強く俺を射抜いてくる。

 

「私たちは怨霊がなによりも恐ろしいものであることを知っています。なればこそ、死んだ者たちもどれだけそれが忌々しいかをわかっていたことでしょう。知っていながら怨みに飲み込まれ、怨霊になる道を選んだ……彼らが自分で選んだ業です。そこにどんな結末が待っていようと、彼らは甘んじて受け入れなければならない。私はそう思っています。なにせ、彼らはそれだけの罪を背負うと自ら決めたのですから」

 

 さとりは怨霊を管理する屋敷の主だ。だからこそこういう怨霊の見方には誰よりも通じていて、彼女の主張はきっとなによりも的を射ていることなのだろう。

 はっきりとは割り切れないが、それでもこれからゆっくりと納得していけばいい。少しだけ心が楽になりました、と告げると、さとりが心配そうな顔を浮かべつつも口元をわずかに緩めた。

 

「怨霊ねぇ。怨霊のことを知りたいならお燐と話してみるのもいいんじゃないかなー。レーチェルって人型のお燐と会ったり話したりしたことないでしょ?」

「ないですね。地霊殿には頻繁にお邪魔させてもらっていますし、よくモフモフさせてもらっていますし、確かに一度は話してみたいです。私はレーツェルですが」

 

 お燐は猫の姿でいることが多いようで、俺は彼女が猫モードでいる時しか出会ったことがない。人型になれば言葉を介することが可能とのことだが、さとりいわくお燐にとっては猫の状態でいることの方が楽であるらしく、そもそも主であるさとりが心を読めるのだから多くの場面でしゃべれるようにならなくても構わない。

 なんだかんだ、地霊殿に闊歩している怨霊に関係することでお燐にはお世話になっている。前々から一度くらいはきちんと挨拶をしたいと思っていたから、ちょうどいい機会かもしれない。

 

「まぁ、それはまた次に地霊殿の方にお邪魔させてもらった時にとっておくとして……そろそろ見えてきましたよ」

 

 話しながらも結構な速さで飛んでいた。視界の奥の方に魔法の森への出入り口が見え始め、それすなわちそのすぐ近くに建っている香霖堂も視界に入るようになってきたということである。

 そういえば、どうして魔法の森の入り口になんて建っているのかと、以前霖之助に問いかけてみたことがあった。その答えは至って単純で、人間と妖怪の両方のお客を獲得するためだったそうだ。

 魔法の森と言えど入り口付近ならば瘴気もなく、普通の人間が近寄ることができる。そして仮にも魔法の森の範囲内にあるのだから、魔法の森からの妖怪も客として迎えることができる。そういう企みのもとに魔法の森の出入り口近くに香霖堂を建立したようで、しかし実際には魔法の森の近くにあるせいで人間が寄りつかず、引きこもりがちな森の妖怪たちはその敷地の端にある辺鄙な建物になど立ち寄らない最悪の状態に陥っていた。結果的に立ち寄るのはかなりの変人か、よほど外の世界の道具に興味がある偏屈な者だけになっているらしい。

 俺たちもまた変人の括りに入るのだろうか、と首を傾げる。少なくとも霊夢と魔理沙はそうだろう。だとすれば、俺もそうか。こいしもまごうことなき変人だろうし、だったらその姉であるさとりもそう判断して構わないだろう。

 構います、と俺の心を読んでいたさとりが半眼で俺を見つめてきた。怒られそうなのでそろそろ思考を中断しようとしたのだが、一歩遅かった。そもそも心が読めるという時点で変人みたいなものだ、と――さとりが完全にへそを曲げて、ふんっ、と俺から視線を逸らした。

 

「……ごめんなさい」

「別に。別にいいですよ。私は変人ですからー」

「ごめんなさい、ごめんなさい。許してください、さとり」

 

 さとりが口を尖らせている原因は俺にあるのだから、それを元に戻すのは俺の手には余る。もう少しで香霖堂のすぐ真上にたどりつくというのに、こんなところで仲を違えていてはたまらない。

 どうにか説得しようとする俺を救ったのは、どこか呆れたように己が姉へと目を向けるこいしであった。

 

「お姉ちゃんが変態さんなのは今に始まったことじゃないじゃん。レーチェルを叱った日のことがなくても、いつもレーチェルとの電話が終わった後は一人で机に肘ついてずっとふふふって笑ってるし。っていうかちょっと怖いよ、あの時のお姉ちゃん」

「えっと、そうなんですか。えぇと、好かれてるのは嬉しいんですけど……」

「ううぅぅ……ばらさないでくださいって。というか、なんでこいしはそんなことも知ってるのよ。わかりました、わかりましたから。もう拗ねたりなんてしてませんから」

 

 さとりはこいしに弱い。真っ赤になった顔を気まずそうに歪め、俺を視界の端に留めつつ、さとりがこいしに懇願する。今日は赤くなってばっかりで大変そうだ、と俺は他人事の気持ちで、おそらく気の毒そうな視線をさとりへと送っていた。

 扉の横に招き狸が置かれ、建物の横には標識やパンクしたタイヤ等の外の世界の道具が転がっている、奇妙な建物。香霖堂のすぐ目の前に降り立ち、いったんこいしと繋いでいた手を離した。

 いよいよだ、と気を引き締める。

 

「さて、さとり、心の準備はいいですか?」

「いつでもどうぞ」

 

 ここから先はこいしの能力ではなく、俺の出番だ。さとりに近づいてさきほどまでこいしの手を握っていた右手を差し出すと、彼女はそれを優しく取った。

 さとりが第三の目で人間を、妖怪を、神を――その他ありとあらゆるものを見ることで心を読むという『答え』をなくす。一度地霊殿できちんと心が読めなくなるかどうかの実験は行っていたから、成功しないという心配はない。

 俺の心が読めなくなったからか、さとりがちょっとだけ心細そうに、俺の手を握る手にわずかな力を込めた。

 

「入りますよ」

 

 香霖堂の入り口に近づき、振り返って問いかけた。さとりは緊張した面持ちで、こいしはいつも通りの笑顔で頷く。暗い赤色に染まった西の空からのわずかな光が二人を照らしていた。

 

「お邪魔します」

 

 扉の取っ手を引くと、店中に漂っていたらしい香ばしい匂いが鼻を刺激した。俺が来たことに気づいた霖之助が「いらっしゃい」と出迎えてくれたので、さとりとこいしを連れて近寄った。

 

「いいところに来たわね。ちょうど夕食にするところだったのよ」

「本当にいいところだぜ。ほら、レーツェルと……こいしだっけか。あと名前知らないやつも座れよ。ごちそうするぜ」

「ここの店の主は僕なんだが……まぁ、近くでもの欲しそうな目をされてる方が気まずいしね、魔理沙の言う通り座りなよ。どうせたくさんあるんだ」

 

 霊夢、魔理沙、霖之助のお三方が俺たちをそれぞれの言葉で歓迎する。予想していた可能性の一つ通り、霊夢はやはり香霖堂に来ていたらしい。

 夕食とはなんぞや、とテーブルの上に置かれているものを確認すると、そこには大量の焼かれたキノコと焼酎が置かれていた。

 こいしが真っ先に「わーいっ!」と焼きキノコの前に陣取り、続いて俺が突然のことに躊躇していたさとりを連れて歩み出す。こいしの隣に「ごちそうになります」と告げて腰を下ろし、さとりにもそうするように促した。

 

「紹介します。こいしのことは覚えてますよね? こちらはこいしの姉で、この一年くらい仲良くさせてもらっている私の友達です」

「よ、よろしくお願いします」

 

 頭を下げるさとりへと最初に反応を示したのは霖之助だ。「よろしく頼むよ」と友好的な笑みを浮かべた。

 

「ふーん。ま、よろしく」

「前に言ってた地底の妖怪の友人ってやつか。よろしく頼むぜ。機会があったらスペルカードでもやってな」

 

 続いて霊夢がそんなことはどうでもいいとばかりにキノコに視線を向けたまま、魔理沙が俺との付き合いがそれなりにあるのなら強いのだろうと面白げな笑みを浮かべ、それぞれに挨拶を返した。さとりはまるで当たり前のように軽く行われたそんな交流に、おろおろと少々戸惑っているようだった。

 そんなさとりの手を軽く握り返し、安心していい、なんて意思を伝えようとしてみる。心が読めなくなっていろいろと勝手が違うのかもしれないが、少しずつ慣れていけばいい。

 さとりが俺をチラリと見ては、今は心が読めないはずなのに、俺の内心を察したかのようにこくりと頷いた。

 

「それじゃ、早速食べようか。いただきます」

 

 霖之助の合図に、皆が一斉に手を合わせる。それから配られた箸を持ち、各々がキノコにそれを伸ばし始めた。

 最初は遠慮していたさとりも、次第にこの場の空気に慣れて行ったようだった。

 

「お、いいキノコに目をつけたな。そいつは私のオススメだぜ」

「……これは、おいしいですね」

「だろ?」

 

 

「あ、そのキノコ……」

「すみません、取ろうとしてましたか?」

「別に返さなくてもいいわよ。その代わり、私はこっちもらうわね」

「あ、こら霊夢。そいつは私が取ろうとしてたやつだ」

「早い者勝ちよ、早い者勝ち」

 

 

「このキノコなんだか禍々しくない?」

「あ、そいつたぶん毒抜きを忘れちまったやつだな」

「こいし、今すぐそれを捨てなさい」

 

 ただ焼いたキノコを味わう他に、それを肴に猪口に注いだ酒を飲んだりもして、次第に会話が弾んでいく。霊夢が毒抜きをしてあるというカキシメジを前にしてうーんと悩んでいるところに、魔理沙の「寝込んでも大丈夫だ。神社のことは任しておけ」。すぐさま霊夢はカキシメジを摘まみ、そっと窓から捨てた。その様子にさとりが小さく噴き出す。

 さとりとずっと手を繋いでいることもあって、俺もさとりもちょっと食べにくかったりもしたが、そんなことが気にならないくらい賑やかな夕食会だった。

 最後には霖之助が幻覚作用があるキノコを食べてしまい、魔理沙のまったく信用ならない「大丈夫だぜ」発言が出たところでお開きになる。霊夢も魔理沙も、俺もさとりもこいしも十分なほど食べていたのですでに満足していた。

 霖之助にそれぞれ別れの挨拶をして、香霖堂の外に出ては空を見上げた。すでに西の空は少しも赤みも見当たらぬ暗さが支配し、天には月が昇り、星々が瞬いている。そんな光景を今まで観光として出てきた際に何度か見てきたことはあれど、未だ数えるほどしか目にしていないさとりは嬉々とした感情が宿る瞳で、静かに天空の絵画を見上げていた。

 

「今日は、楽しかったですか?」

「……はい。すごく……すごく、楽しかった」

 

 空から俺の方へと振り返り、心の底からそう思っているかのように満面の笑みを浮かべるさとり。まるで無垢な子どもがそのまま成長したかのように、どこまでも素直で無邪気な喜びと楽しさを表す彼女の微笑みに、ほんの一瞬だけ目を奪われてしまった。

 そうして少し、手を繋いでいたままでよかったと安堵をする。今の心を見られるのは、きっと相当に恥ずかしい。

 空いている片手を左胸の前に乗せ、高鳴る心臓を自覚した。

 要するに俺は見とれたのだ。あまりにも純粋な笑顔を見せる、古明地さとりという一人のサトリ妖怪に。

 

「レーツェル? どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありません」

 

 こいしが少し離れたところで俺とさとりの名前を呼んでいた。視線を合わせ、頷き合い、さとりとともにこいしの方へと足を運ぶ。

 地底への大穴までは俺もついて行こう。そこからはこいしにさとりを任せて、そろそろ家でレミリアやフランが心配し始めてきそうな頃だから、俺も帰らなければならない。

 

「さとり、次はいつ地上に来ましょうか」

「そうね。こいし、いつなら大丈夫?」

「いつでもいいよー。レーチェルとお姉ちゃんに任せる」

 

 ――もしかしたら、さとりが宴会に参加する日もそう遠くないのかもしれない。

 三人で帰り道を飛びながら、香霖堂がある方向へと少しだけ視線を向けて、そんなことを思った。


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