東方帽子屋   作:納豆チーズV

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四.素直な姉妹の屈折現象

 リンゴがそうであるように、赤と黄色はよく似合う組み合わせだ。二つの色合いが妖怪の山を染め上げ、冷たい風に舞い散る紅葉の中で、天狗たちが黒い翼を羽ばたかせていた。

 怨霊に体を奪われかけたあの事件がきっかけになったのか、どうにも俺の存在に少しばかりの変質が生じているようだった。

 変質と言っても大したことではない。ただ、怨霊の匂いをより強く感知し、人畜無害な幽霊のそれと嗅ぎ分けられるようになった。観察するだけで霊体の格を測ることができるようになった。そして怨霊もまた、俺を畏れるようになっていた。

 吸血鬼の身に秘められた種族としての才覚は伊達ではない。おそらく一度精神の奥底まで侵食されかけたことで怨霊への抵抗力がつきつつ、同様の存在への感知能力も大幅に上昇した結果がこれなのだろう。遭遇するだけで怨霊が一目散に逃げ帰っていくところを見ると、耐性が強くつきすぎている気がしなくもないが……悪いことではないのでよしとしよう。

 さて、地霊殿には怨霊が大量に溢れている。そんなところに行けば、この抵抗性のことへと思考が傾き、それがつく原因となった事件を思い浮かべるのもしかたがないことだろう。

 なにが言いたいのかと言えば、さとりにその際のことを見透かされて滅茶苦茶怒られ、心配された。「なんで危ない雰囲気を感じてたのに逃げないんですか!」とか「吸血鬼だからって無敵じゃないんですよ!」とか「本当に体は、精神は大丈夫なんですか? まだ呪いに侵されてませんよね?」とか。

 こいしもとても慌てて、俺を乗っ取ろうとした怨霊を探そうとするくらいだった。すでに終わったことに対する反応が思っていたよりも過剰だったことに驚きつつ、それだけ大切にされていたのだとわかって、なんだか温かい気持ちにもなれた。それを察せられて、反省してないとさらに叱られたが。

 そういうわけでしばらくの間、怨霊が大量に存在する地霊殿に行くことを屋敷の主であるさとり自身から禁止され、この一か月近くはさとりの意向でできるだけ安静に日々を過ごしていた。しかし今日でそれも終わりであり、俺は今地底界へと続く大穴の目の前でローブを纏いフードのみを纏って二人の妖怪を待っている。

 ちょうど、二つの人影が穴から飛び出してきた。すぐそばに降り立ったその二人はそれぞれ違った嬉しげな笑みを浮かべて俺に歩み寄ってくる。

 

「おっまたせー! お姉ちゃん連れて来たよー!」

「お待たせしました。一か月ぶり……ですね」

「はい、久しぶりです。今日は迎えに行けずに申しわけありません。道中は大丈夫でしたか? 鬼に難癖つけられたりとか」

「こいしが手を繋いでいてくれましたから。仮にそうでなくとも、地底の妖怪は私には絶対に干渉してきませんよ」

 

 そういえば初めて地底に行った際に会った勇儀は、別にサトリ妖怪を嫌っているわけではなさそうだったが、進んで会いたいという雰囲気も感じられなかった。嫌っているというより、単に心を読まれるのがめんどくさいのだろう。鬼は正直者だから他にもそういう者がいる可能性は十分にある。

 ただ、まぁ、だからと言って鬼に好かれるのもいろいろとめんどくさそうだ。それこそ幻想郷で「関わり合いを持たない方がいい」とまで言われている天狗以上に。げんに宴会で萃香のそばにいると毎度飲み比べを強要されるから、あちらから来ない限りは近寄らないようにしている。そもそも無限に酒が湧き出てくる瓢箪を片手に「この酒は空気みたいなもん」とかのたまうような輩に勝てるわけがないのに。

 そんな俺の思考を読んでさとりが口元に手を当てて笑っていた。悔しいような恥ずかしいような複雑な気分になったが、とりあえず、いつかさとりが宴会に混ざれるようになったら萃香の近くに連れて行ってやろうと心に誓う。

 

「ふふ、ふふふ、すみません。でも、それなら楽しみにしていますよ。誰かと飲み明かすなんてことは一度もしたことがありませんから」

「初めてが萃香って相当きつそうです……って、まぁ連れていくのは私なんですけどね。さとりは酒に強い方なんですか?」

「飲めはします。ほら、地底は鬼がたくさんいますから、お酒の生産は盛んに行われているのよ」

 

 鬼が住むところはイコールで酒がある場所だ。なにせ「実は血が鉄分の代わりにアルコールでできてるんだ」とか言われても一切疑わずに信じられそうなやつらだし。

 

「むぅ、お姉ちゃんばっかりずるいよ。私にも教えてよー、レーチェルはなんて思ってるの?」

「ふふっ、『鬼の血がアルコールでできてるって言われても驚かない』って」

「……え? 違うの?」

 

 まるで最初からそうなのではないかと信じていたかのように目をしばたたかせるこいしを見やって、さとりが耐え切れないという風に口元に手を当てて後ろを向いた。その耳は赤くなっていて、どうやら相当ツボにはまってしまったらしい。

 俺も笑みは浮かべられないものの、胸の内はどこかおかしなものに出会ったような感情で溢れていた。体温が上がり、しばらくはうまく声を出せそうにない。

 そんな俺たちの様子にこいしが頬を膨らませて「だって、あれだけ飲んでるんだから体液全部お酒になってるんじゃないの?」なんて、本気でそう思っているかのように聞いてくるが、さらに愉快な気持ちが溢れてくるだけだ。

 

「ふっ、ふふ、こ、こいし……ふふ、い、いつも、いつもそんなこと思ってたの? ふふ、鬼を見るたびそうやって?」

「…………むぅうう! ふん、お姉ちゃんなんてもう知らないっ!」

 

 こいしがさとりと繋いでいた手を離し、小走りで俺の方に近寄ってきた。そうして右手で俺の左手、左手で俺の右手を握り、どこか拗ねたようなというか、完全に拗ねている顔でさとりの方を振り返る。

 

「ふふ、ご、ごめんなさいこいし。まさ、ふふふ……まさかこいしが鬼にそんなこと思ってたなんて、予想したこともなくて」

「ふんっ、いいもんいいもん。もうお姉ちゃんが繋ぐぶんのレーチェルの手はないから」

「……なんでレーツェルの手なんですか。移動で必要なのはこいしの方の手ですよ」

 

 どうして両手とも掴んできたのかと思っていたが、そういう意味だったのか。というか普通に歩きづらいし前を見にくいし、こいしにこのままへそを曲げられていたらどうにもならないので、どうにかこいしを宥めないと。

 

「えっと、こいし。今日はせっかくさとりを博麗神社に連れていく日なんですから、あんまり意地悪は」

「私、知ってるもん。お姉ちゃん、レーチェルに怨霊の件できつく言っちゃった日、レーチェルが帰っちゃった後に『嫌われてないかな』ってずっと机に突っ伏して泣きそうになってたでしょ」

「……え?」

「こ、こいしっ!? なんで……!?」

「電話が来た時は他のことすっぽかして真っ先に取りに行ったし、夜は枕抱えてゴロゴロしながらニヤけてたでしょ?」

 

 さとりの方に目を向けてみると、顔も耳も真っ赤に染め上げて、穴があったら入りたいというような顔をして俺から目を背けている。どうやら本当のことらしい。

 ……なんというか、なんとも反応しづらい真実だ。心配させてしまったことを申しわけなく思うとかそういう以前に、こいしにとんでもなく恥ずかしいことを暴露されたさとりが哀れすぎてしかたがない。とは言え、この内容だと俺がなぐさめの言葉を告げたところで逆効果だろう。

 どうしたものかと困惑する俺をよそに、こいしとさとりの会話は続いていく。

 

「こ、ここ、答えてくださいっ! こ、こいし、なんでそのこと知ってるんですかっ……!」

「だってお姉ちゃんの部屋の鍵開いてたもん。だからこう、そーっとね。そーっと」

「か、鍵……そういえば寝る前に確認した時に、かけ忘れてたみたいだったからちゃんとかけ直したような……ああぁ、あの日の私のバカ……」

 

 ただでさえこいしは能力で存在感が薄いというのに、隠密行動なんてされたら気づけるわけがない。恥ずかしさからか、さとりが俺やこいしに顔を見せないようにキャスケット帽を深くかぶった。

 これ以上こいしを好きにさせていたらさらにさとりの秘密が暴かれてしまいそうだ。いい加減止めなければならない、と影の魔法で質量の塊を作ってこいしの頭を軽く小突く。

 

「こいし、もうやめてあげてください。笑われたぶんの仕返しは済んだでしょう?」

「ふふん、そうだねぇ。私はまだまだたっくさんお姉ちゃんの恥ずかしいところを知ってるからねー。他のことはまた別の機会にでもレーチェルに教えてあげるわ」

「うぅ…………今後はこいしをからかうのは控えないといけませんね……」

 

 さとりがため息を吐いて帽子を上げ、未だ赤みが抜けない顔を見せて近寄ってきた。それに呼応してこいしが俺の左手から右手を離し、そのまま自らの姉へと差し出す。これでようやく博麗神社へと向かう準備が完了した。

 この一か月は俺のせいで大人しくしていたから、さとりが外に出ること自体が一か月ぶりだ。電話では慣らすためにもどこか別の場所で景色を堪能するだけにしようかと提案したのだが、さとりが予定通りでいいと言うものだから、結局はお言葉に甘えて神社に行くことにしていた。

 これが最終確認だ。大丈夫ですか、とさとりに問いかける。返答は、迷う間もない頷きだった。

 

「わかりました。行きましょう」

「はい、よろしくお願いしますね。こいし、レーツェル」

「『よろしくだぜ』」

 

 今回は完全に再現ができてるみたいですね、とさとりが口元を緩める。会ったこともないのによくわかるものだ。いや、俺の心を読んでどういう性格かある程度把握してるのか。

 三人で地面を蹴り、こいしの力で何者にも気づかれないようになりつつ博麗神社を目指して飛び始めた。空からなにかを見下ろすというだけでも風景はいつも以上に美しく見えるものだ。さとりが静かに目を輝かせているのを横目に飛行速度も少しばかり遅くなり、しかしそれもさとりの楽しみようを見ていると別にいいかと思えてしまう。それに、別段急いでいるわけでもないのだから。

 

「レーチェルぅ、暇だからなにか話してー」

「んー、そうですね。これから霊夢のところに会いに行くわけですから、さとりへの紹介も兼ねて霊夢のエピソードでも話しましょうか?」

「お願いー」

「あ、私からもお願いします」

 

 さて、なにからしゃべったものか。んー、と霊夢と関わった時のことを思い起こし、なにか語れることはないかと探っていく。

 

「んー、いつかの冬にお邪魔してた時に『寒い!』って叫んで、霊夢、いきなり雪かきをやめて飛び出して行ったんですよね。それで、帰ってきたと思ったら妙にすっきりした顔してて……ちなみにその理由は帰る途中にわかりました」

「どういうことー?」

「レティ・ホワイトロックという冬の妖怪がいるんですが、そのレティが雪の中に気絶して半分埋まってたんです。どうやら霊夢が『もう冬は終わりでいい!』って襲いかかってきたみたいで」

 

 ちなみに一月とかその辺のことだったような気がする。レティに冬を終わらせるような強大な力がないとかそういうこと以前に、そんな冬の真っ盛りな時期にそれを終わらせようなんてのが無理な話だ。

 

「あの日の機嫌が悪かったようでして。でも、いつもは来る者拒まずなスタンスでいろんな妖怪と一緒にいて、私も親しくさせてもらっていますよ。異変の際には会った妖怪のほとんどをなにも事件に関係がなくても問答無用で倒しますし、気まぐれで見かけた妖怪を片っ端から退治したりしますけど」

「怖いですね。聞いている限りだと人間とは思えないくらいです」

「そうかもしれませんね。でも、一緒にいるのはすっごく居心地がいいんですよ。本当に」

 

 霊夢は強い妖怪には好かれ、弱い妖怪には恐れられているが、それもこれも彼女が『在るがまま』でいるからこそのことだ。たとえ相手が鬼でも天狗でも吸血鬼でも、その強大さに少しも慄くことなく人間と同じように接する。だからこそ強い妖怪は、恐れられるはずの自分をただの日常の一部としている霊夢の在り方に惹かれてしまう、興味を抱いてしまう。

 その他にも彼女が好かれる理由はある。霊夢は誰よりも、もしかしたら鬼以上に正直者なのだ。冬の妖怪を倒しても冬が終わるはずがないのに寒いからそれを退治しに行くだなんて、まさしく単純で裏表がない証拠である。

 

「人間にも妖怪にも平等に接する霊夢は、いい人、とは言えないかもしれません。でも、楽しい人ですよ。これだけは確信を持って言えます」

 

 そう語る俺を第三の目で見やったさとりが、「そうですか」とちょっとだけ不愛想に視線を逸らした。なにか機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのだろうか、と首を傾げると、こいしが「大丈夫」と俺に囁く。

 

「お姉ちゃん、レーチェルが霊夢のことべた褒めするから嫉妬してるだけだよ。子どもだよねぇ」

「聞こえてますよ」

 

 さとりが半眼でこいしを見やった。こいしの言ったことが本当なのかと考えようとすると、さとりは俺も一緒に睨んでは頬を膨らませる。

 今度はこいしではなくてさとりがいじけてしまいそうだったので早々に思考を中断することにした。こんな短期間であれと同じような状況になるのは勘弁だ。いじける云々のことを考えた辺りからさとりがなにか言いたげな表情で俺へ視線を送ってきていたが、なにも口にせず、どうやら小さくため息を吐くだけで留めてくれたようだった。

 それからは景色の移り変わりが激しく、話題はもっぱらこれまでさとりと行ってきた地上観光のことへと移っていった。地底へ続く大穴近くの林から始まり、玄武の沢の岩場に谷底の河、迷いの竹林、霧の湖等々。すべてにおいて俺を含めたこの三人以外の誰かと会って話すことこそなかったが、それらの美しい風景を記憶に刻んできたことは決して無駄ではなかった。

 やがて視界の奥に博麗神社が見えてくる。そのことを伝えると、さとりは無意識のうちにか肩に少々の力を入れ、俺と同じように神社の方へと眼差しを向けた。


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