東方帽子屋   作:納豆チーズV

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Kapitel 8.望むは忌むべき禁忌の鼓動
一.歩き作る小さな写真館


 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Unbekannt □ □ □

 

 

 

 

 

 ――かちかちかち。かちかち。

 ――じゅぐじゅぐ、ぐじぐじぐじ。

 ――ぐりぐりぐり。じゅっじゅっ……じゅっ。

 ただただ暗闇に包まれている中、ふとなにかがあるような気がして、作業を止めてセカイの天井を見上げた。

 この限られた空間に自分以外の何者かがいるはずもなく、当然ながらそこには誰もいない。なにもない。わかりきっていることだというのに、ここにいるとどうしてか唐突にこうして天を仰いでしまうことがある。

 どうして? なにを求めてる? なにを願ってる?

 ない。ない。ない。求めてない、願ってない。全部足りてる。だけど、なにかが足りない。ないはずのものが足りない。あるべきものは全部あるのに。

 ここは熱くない。ここは冷たくない。

 ここは優しくない。でも、厳しくない。なにもない。

 それでいい。それがいいんだ。

 ――ぐりゅ、ぐゅ。

 間違えた。失敗してしまった。余計なことを考えていたからだ。

 心を無にしよう。ただ静かに繰り返し、記録し、さっさと定めた手順を終わらせて、すべて終わりにしよう。

 ――ぐじ、ぐじ。じゅぎゅじゅぎゅじゅぎゅ。

 あとどれくらいの時間が必要なのだろう。いったいどれくらいの間、こんな暗闇を彷徨わなければならないのだろう。

 終わりなんてないのかもしれない。永久に囚われたままなのかもしれない。

 わからない。ない。ない。ない。でも、わかる。わからないことがわかる。

 なら、いい。わかるなら。わかるからそれでいい。

 続けよう。終わらせよう。一刻も早く、永遠に終わらなくても。

 痛い。痛くない。辛い。辛くない。泣きたい。泣きたくない。

 ああ、もう。うるさいな。余計なことを考えるなよ。

 ――きゅぅ、きゅぅ。きちきち、きち。

 頬に手を添えて不要な感情を削ぎ落し、すぐに意識を作業に集中をさせた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □

 

 

 

 

 

 未だ梅雨は続き、しかしもうすぐ終わりという季節。雨上がり葉に水滴がくっつき、それが光を反射させる様は風情を感じさせる。そんな中をこいしとともに飛び、いつものごとく地底へと向かう大穴を通り、地霊殿までやってきた。事前に行くことを伝えておくと大抵はさとりが玄関で迎えてくれて、今回もまた例外ではなかった。

 今日やることは前日の電話機を通した話し合いで決まっている。雨が降ってばかりでなかなか会えなかったことによる久方ぶりの再会の喜びを分かち合うのもほどほどにし、かつてさとりと初めて会った時に行った、中庭を見下ろせる二階のバルコニーまで足を進めた。

 三人でテーブルを囲み、右を見るとさとりが、左に目を向けるとこいしがいる。こいしは体を揺らしながらいつも通り上機嫌に俺を眺め、逆にさとりは期待と緊張を足して二で割ったような表情でじっと俺を見つめて来ていた。

 

「さて、今日は……なんて言うんでしたっけ。えっと、ホワイトボードの前で話すアレ……」

「ホワイトボード……すみません。イメージは伝わってくるのですが、本人が思い出せないことは私にはなんとも」

「事前ミーティング?」

「それですっ!」

「って、なんでこいしにわかるのよ……」

 

 俺もちょっとばかり驚きだった。ホワイトボードと話し合いの二つの要素があれば、俺の前世における現代人ならばすぐにでも会議(ミーティング)の単語にたどりついていただろうが、それとはもっとも程遠いこいしの口からそれが飛び出たのだ。

 さとりの呆れたような感心したような視線を受けて、えへへとこいしが目を細める。こいしはふらふらと地上を出歩くことが多いと言うし、その際に聞き流していた言葉を無意識に覚えていたのかもしれない。明らかにホワイトボードなんて存在しない幻想郷という環境で、ミーティングなんて英単語がピンポイントに導き出されたことは不思議だが。案外、これまで俺が気づいていないうちにこいしの前で漏らしていた可能性もある。

 

「なんにしても、そう、今日は事前ミーティングの日です。なんの会議かと言えば当然、『さとりを引きこもりから抜け出させよう計画』です!」

「あらあら……なにか言いましたか? レーツェル」

「さ、『さとりを地上に連れて行こう計画』です。すみません間違えました」

 

 ちょっとふざけすぎた。刃物のごとき冷たい笑みを浮かべたさとりに圧倒され、すぐに冗談を撤回する。人々の心が読めるゆえか、さとりはずいぶんと俺の恐怖感を煽る表情を作るのがうまい。

 

「…………そんなの意識して作ってないのに、そこまで怖がらなくても……」

「さとり?」

「なんでもありませんよ。続けてください」

 

 いくら吸血鬼の聴力が優れていると言っても、唐突に紡がれた小声での一言を聞き取ることは難しい。若干落ち込み気味のさとりに首を傾げつつ、彼女の意向通り続きを話すために口を開く。

 

「いきなり外に連れて行って思いついた場所にふらふらっと立ち寄るだけなのもどうかと思いまして、とりあえずまずはどうするかという話し合いを設けるというのがこのミーティングです。幻想郷はあまり広くありませんが、いろんな場所で美しい景色が見れるので、まずはどうしたいかを決めないとグダグダに出歩くだけになってしまいそうですからね」

「そういうのも結構いいと思うけどねぇ」

「こいしはいつも出歩いてるものね。その割には星空に感嘆したりしていたみたいだけれど」

「そんなに注意を向けて見上げたことなんてなかったしー、どうせ見てても覚えてないしー」

 

 こいしにも主にはさとりの方から今回の計画のことを話しておいてあり、さとりによると二つ返事で了承してもらえたらしい。俺からもお礼を言ってみたのだが、こいしいわく「お姉ちゃんのためだもん」とのこと。

 二人ともなんだかんだ互いを大切に思い合っていた。こういう話を聞くと、改めて俺もレミリアやフランとの仲を大事にしていかなきゃいけないという気になってくる。

 

「あ、でも最近はレーチェルと一緒にいない時のこともちょっとずつ覚えていられるようになったんだよね。魔理沙の言葉とか」

「ああ、あの時の……って、こいしあなた全然再現できてなかったじゃない。明らかに捏造でしたよ、あれ」

「お姉ちゃんは魔理沙のこと知らないじゃん。どうせてきとーにだぜだぜ言っとけば魔理沙っぽくなるから合ってなくてもいいの。そうでしょレーチェル」

「さすがに偏見すぎますよ。あとレーツェルです」

 

 確かに俺の知り合いで『だぜ』なんて男っぽい言葉遣いをするのは魔理沙くらいだし、もし魔理沙が女らしい話し方をしたら変なキノコでも食べたのかとかは疑うけど、『だぜ』って言っておけば魔理沙っぽいなんてのは偏見……のはずだ。

 いや、でも、「『だぜ』と言えば誰ですか?」なんて質問されたら「魔理沙!」って即答できる自信があるし、魔理沙が『だぜ』を使わずにしゃべっていたら時を経るごとに違和が蓄積していくことだろう。もはやその語尾と魔理沙は引き離せないものであり、とりあえず『だぜ』って言っておけば魔理沙っぽくなるのかはともかくとして、その語尾が魔理沙の象徴なのは事実なのかもしれない。

 

「まぁつまり、それほど間違ってはいないと」

「えぇ、まぁ、よく考えたら」

 

 俺の心を読んださとりが呆れ混じりに確認をしてきて、半ば反射的に頷いてしまう。しかし否定の言葉も見つからず、魔理沙に対しちょっとだけ申しわけなく思いつつも結局この話題は終わりとして、ミーティングを進めることにした。

 

「最初の方は人や妖怪がいそうなところはできるだけ避けて、できるだけ誰もいないところ、もしくは動物くらいしかいないところに行こうと思います。やっぱりいきなり誰かと触れ合うなんてのは難易度が高いですからね。最初は幻想郷の空気に慣れてもらうところからと考えたのですが、どうですかさとり」

「いいですよ。レーツェルに全部お任せします」

「そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、さとりのことですからね。さとりに見たいもの、やりたいことがあるならじゃんじゃん言ってください。私たちはそのフォローを全力でしますから」

「私とレーチェルは地上の先輩だからねー。えっへん」

「ふふっ、そう。それじゃあ遠慮なく頼らせてもらうわね、こいし、レーツェル」

 

 出会った当初は敬語ばかりだったけれど、さとりは最近、こいしだけでなく俺に対しても女の子らしい口調で話しかけてくれることが多くなっていた。それは俺といる間も身構えず普段通りでいられるようになってきているということだから、距離が縮まったことを実感できてじわじわと喜びの気持ちが胸を占めてくる。

 そこまで考えて、さとりの方に目を向けた。少しばかり恥ずかしそうに両目を背けながら、第三の目はそのまま。否定しない彼女の様子から案外間違っていないのではないかという希望を抱きつつ、倉庫魔法を発動して右手を異空間の中に突っ込んだ。

 

「そういうわけで、地上の写真が載ったものを用意してきました」

「写真、ですか」

 

 かつて河童のバザーを見に行った日のことが頭に過ぎる。その時に買ったもので印象に残っているのは水鉄砲、冷蔵庫、電話機、腕時計、グランドピアノ、そしてフィルム式カメラだ。水鉄砲はフランとの遊びで使い、冷蔵庫は咲夜にプレゼント、電話機は紅魔館と地霊殿に一つずつ置かれ、腕時計は使われていない。ピアノはちょっとずつ練習しているものの、未だ人に聞かせられるようなものではない。残るカメラが今回のキーアイテムであり、実は買った日からいそいそと少しずつ幻想郷の景色の美しさを写真として残し、アルバムに保存してきていた。

 今取り出したのはそのアルバムだ。素人が撮ったものなので出来はあまりいいものとは言えないけれど、俺にとっての宝物の一つである。

 アルバムを広げ、多くの幻想郷の風景がテーブルの上に展開されると、さとりとこいしが二人して感嘆の声を上げた。

 

「これは、いい情景ですね」

「わぁ、レーチェルよくこういうとこ見つけられるねぇ」

「がんばって探しましたから……照れますね。あとレーツェルです」

 

 探した、とは言っても幻想郷は美しい場所ばかりだから、その実出歩いた際に綺麗だと思ったところを片っ端に撮りまくっただけだ。

 

「ラベルが挟んであるのでわかると思いますが、最初の方は春の写真、次に夏、次に秋、最後は冬でまとめてあります。季節の区別がつかない満月が貼ってあったりする時は、それは春に撮った満月だとか認識してください」

「ふむふむ。あ、ここってどういう場所なんでしょう。見てるだけで元気が溢れてきそうですね」

「あ、どれですか? ああ、これはですね、太陽の畑と呼ばれている草原で、見ての通りたくさんの向日葵が咲いているところです。たとえ飛んでても近くに行かないと見つけられないような位置にあるので、私も見つけるのは結構大変でした」

「ここに映ってるのは妖精ですか? たくさんいますね……」

「眠ってるねぇ。体をひっくり返してうつ伏せにしてみたい」

「地味な嫌がらせですね……昼間はよく日向ぼっこしてるみたいですよ。向日葵がたくさん咲いてるだけあって日の辺りがすごくよくて気持ちいいみたいですから。私は、まぁその、吸血鬼なのでそんな妖精たちを眺めるだけだったんですけど」

 

 太陽の畑の写真はそう多くない。のんびりしている妖精や咲き乱れる無数の向日葵を撮っていたら、なにやら正体不明の不穏な気配を感じたので早々に退散した記憶があった。なんというか……俺がさとりに対し失礼なことを考えた時に彼女が浮かべる黒い笑みに似た空気が漂ってきていたような気がする。

 太陽の畑はとても心が穏やかになるいいところではあるのだが、さとりを連れての観光には向いていないだろう。なにせあのおかしな気配の正体を掴まない限りは危なすぎて連れていけない。

 

「もしかしたら妖精のイタズラかもしれませんけど……って、妖精……うーん、さとり」

「はい……ああ、なるほど。妖精はどこに行っても大抵はいるので、遭遇を防ぐことはできないと」

「あれはホントどこにもいるもんね」

「最初の方はできるだけ人間や妖怪に出会わないように気を遣いはしますが、さすがに妖精に完全に会わないことは無理に等しいです。ごめんなさい」

「いえ、構いませんよ。それに、私の力をレーツェルが無効化してくれるのでしょう?」

 

 全幅の信頼を乗せた安らかな視線に、一瞬言葉が詰まった。俺の能力は接触していれば他人が引き起こす現象にも作用させられるようになるし、さとりと手でも繋いでいれば彼女に妖精の心を読ませなくすることも容易にできる。それは俺もわかっているし、さとりも理解している。それでも、ここまで俺を信頼した視線を送れるのはいったいなぜなのだろう。

 そんな疑問は、首を横に振ってすぐに払った。理由なんてどうでもいい。俺がさとりを信じることにしたように、さとりも俺を信じてくれている。それだけわかれば十分だ。

 

「もちろんです。全力でサポートするって約束しましたからね」

「ええ、ありがとうございます……いえ。ありがとう、レーツェル」

「どういたしまして。さて、まずはどこに行ってみたいですか? 夏の写真はここからです。うーん……皆と騒いでる写真が多いですね。人が少ないところと言うと、これとこれ、あとこれ……」

「いい場所が多くて決められないわね……オススメはありますか?」

「ん、大蝦蟇(おおがま)の池……と言いたいところなんですが、ここって行くの大変なんですよねぇ。妖怪の山の中にありますから。あ、地上には妖怪の山っていう場所があるんですけど、そこは天狗を頂点にした社会が築かれていてですね、よそ者をすっごく拒むんです。私は吸血鬼ですから普通の妖怪以上に拒絶されますし……この写真もどうにか忍び込んで撮ってきたものなんですよ」

 

 しかも天狗は目も耳も鼻も効く。長居はできず、あまり満足のいく写真は撮れなかった。

 そうして不満そうな気持ちを抱く俺に「大丈夫だよ」とこいしが微笑むものだから、自然と顔を上げてこいしの方に目が向いた。

 

「私、何度も山登りしてるけど誰にも気づかれたことないよ? ご苦労さまー、って言っても誰も反応しないし、池に行くのなんて簡単簡単」

「さすがこいしです。でも、万が一っていうこともありますからね。ここは危険なので後回しにしましょう。もしも行くことがあったら、こいし、その時は存分に力を発揮してもらいますよ」

「ふっふっふっ、いいだろぉうぅうおお。その時は我が全力を見せてやるぅ」

「誰の真似なのかしら、それ。レーツェルはわかります?」

「さとりじゃないですか?」

「うん、お姉ちゃん」

「そんな風にしゃべったことは一度もありませんよ!」

 

 さとりが慌てるさまがなんだかおかしくて、ほんの少し自分の体の体温が上がったのがわかった。こいしもさとりを指差して笑っていて、さとりはちょっと怒った風にムスッとした表情を俺とこいしに見せる。

 そのままもう一度三人で写真を眺めようとしてもさとりが「ふんっ」と顔を逸らすものだから、そんな彼女をからかおうとするこいしを諌めつつさとりにも謝って、どうにか気を取り直してもらった。

 俺が見てきた、俺が綺麗だと思った場所を、さとりやこいしが行ってみたいと言ってくれる。俺が覚えた感覚を共有することができる。

 それはとっても素晴らしいことだと、胸の内に溢れる暖かい気持ちを自覚しながら、さとりとこいしの二人とともに地上に出た時のことに思いを馳せた。

 もうすぐ梅雨が明ける。そうしたら早速地上に出てみよう、さとりをこいしと一緒に案内してあげよう。ミーティング対象の計画への楽しみを膨らませ、三人でくだらない会話を繰り広げながら写真を観賞する。

 ……笑みを浮かべない己が無表情を、ほんの少しだけ口惜しく思ってしまったような、そんな気がした。


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