東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一三.見ゆる故に盲目の救世主

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Satori Komeiji □ □ □

 

 

 

 

 

「初めまして、ですね。最近はよくあなたの妹さんのお世話にならせていただいています、古明地さとりと言います」

『ええ、初めまして。替わる前に紹介があったと思うけど、私はレミリア・スカーレット。レーツェルの姉をやらせてもらっているわ』

 

 自室でイスに腰をかけ、つい数十秒前まで電話機を使ってレーツェルと会話をしていた。普通の妖怪にとっては怨霊とはもっとも忌避すべき対象であり、それが多数存在する地霊殿に妹が行っていることを心配した姉が、どうやら私と話をしてみたいと言い出したらしい。

 断る理由はなかった。むしろ、引き受ける道理しか見当たらない。

 私もこいしがレーツェルと交流をしていると聞かされていた時はいつも「どんな人なのか」と考えてばかりだったし、姉が妹を心配するのは当然のことだ。加えて言えば今回の場合、怨霊なんていう妖怪にとっての天敵が闊歩する場所に妹が行っていると言うのだから、こうして私と連絡を取りたいと思うのもごくごく自然のことである。

 緊張しているからか、体が強張って肩が普段より上の方にあるのが自覚できて、小さく深呼吸をした。

 もしもこれでレーツェルの姉に認められなければ、妹に地底へ行くのをやめるように忠告をしてしまうかもしれない。これまでの付き合いでレーツェルが相当に自らの姉を慕っていることは理解していたので、レーツェルは私に申しわけなさそうに思いながらも、それを断りはしないだろう。そんなことになればこれからは電話を通してでしか話ができなくなってしまい、それが嫌だから、私はこんなにがちがちに固まってしまっている。

 深く息を吸って吐いて落ちつこうとしても大して変わりない身体の硬直加減を意識し、私が考えている以上に私はレーツェルとの付き合いを大事にしているのかもしれない、なんて思考する。

 

『さて、早速だけどいくつか質問をさせてもらってもいいかしら? 事前にレーツェルから聞いてることもあるのだけど、やっぱり本人から実際に聞きたいこと、本人に聞かなきゃわからないこともあるから』

「はい。いつでもどうぞ」

 

 ごくり、と生唾を飲み込んだ。その音が受話器を通して聞こえてしまっただろうか、なんて不安になって、しかしすぐにそんなことを気にしてもしかたがないと首をぶんぶんと横に振った。

 

『では一つ目。あなた、自分がどういう人格の妖怪だと思ってる?』

 

 人格、人格、人格。一秒ほど経って、ようやくその意味を頭の中で検索し始める。緊張しすぎてうまく思考が回らない、働いてくれない。こんな時くらいしっかりしろと強く自分に言い聞かせた。

 

「……私は人付き合いが苦手というか、自分から進んで誰かと親交を結ぼうとすることがまずありません。性格もあまりいいとは言えないと思いますし、正直、私は私のことを誰かに好かれるような人柄はしていないと思っています」

『ずいぶんと卑下するのね。自分のことなのに』

「地底の妖怪なんて皆……いえ、違いますね。ええ、私が私のことをあまり好いていませんから」

 

 地底の妖怪なんて大抵がそんなものだから。そんな言葉、言い訳にすらならない。

 もう一度、一回だけ小さな深呼吸をした。心を落ちつかせるように意識する。きちんと答えられるように強張りをほぐす。

 そうして、あまり好印象を持たれるような返答ではなかった、と先の発言を反省する。しかし撤回はしないし、しようとも思わなかった。レーツェルが来なくなってしまうのは困るけれど、嘘を吐いてまでそれを防ぐのはなんだか違う気がする。

 ここで自身の考えを偽るのは、心を読まれても一切気にしないレーツェルへの侮辱のような気がしたから。

 

『ふぅん。では二つ目の質問、あなたはレーツェルのことをどう思ってる?』

 

 なんだか前に外の世界の本で知った面接とやらみたいだと、くだらないことを考えられるくらいには余裕が出始めてきた。

 

「大事な友達だと認識しています。邪気がなくて、無表情なのに思考は豊かで……一緒にいて楽しい人です」

『へえ、打って変わっていい回答だわ。ふふ、まるで心が読めるみたいな言い方ね。思考が豊かだなんて』

 

 レミリアからしてみれば、それは冗談に等しい軽口だったのだろう。しかしその発言に私は言葉が詰まってしまい、しばらく声を発せなくなった。

 レーツェルはサトリとしての私の特徴を伝えていないようだった。姉が『どういう種別の妖怪なのか』と私に問うことなんて明白なのに、それを教えていなかった――私が心を読めることを告げるか否かは、私自身に任せるということ。

 私が突然口を噤んだことを訝しんだレミリアが「どうしたの?」と様子を窺ってくるが、とっくに返答の言葉は決まっていた。

 

「読めるんですよ、私には」

『……なにが?』

「心が、ね。私はそういう妖怪なんです。妖怪サトリ……その象徴たる第三の目で他者を見据えることで、その心中を見通すことができるんです」

 

 そう告げた後、すぐに言葉は返ってこなかった。思ってもみなかった返答に絶句しているのか、心を読まれることがどういうことなのかと想像して、今まさにそれを忌まわしく感じたのか。

 心を読まれることはそう容易に受け入れられるものではない。これまでも、珍しい能力を持つ妖怪がいると聞きつけて好奇心で私に近づいてきた輩は何人もいたが、その誰もが私を忌避し、最後には相手の方から去っていった。話さなくても意思が伝わるから楽でいいと嘯いた者は、お望み通り第三の瞳を通して窺えた意思とやらに数分の間返答してみせただけで、私に嫌悪感を抱き、逃げていった。自分をわかってほしいだとか心を読まれてみたいなんて軽く考えていた者は、私と話すことで自らの醜さを顕著なものにし、しばらくすればバカな考えだったと心を翻した。嫌われてばかりの私に同情して近寄ってきた者もまた、会って早々に心を読まれることを鬱陶しく感じ始め、適当な理由をこじつけて立ち去っていった。

 私は心を読める相手に進んで会おうとするような者を、同じサトリであるこいしを除いて、レーツェルという一人の元異世界人しか知らない。それはつまり逆に言えば、それ以外のすべての者に私は嫌われてきたということ。

 どんな言葉が返ってくるのだろう。どこか諦観にも似た気持ち、しかしレーツェルの姉ということでわずかの希望を抱かずにはいられず、心臓がドクンドクンと強く鳴っているのが自覚できた。

 

『……そう、か。もしかして……レーツェルは…………』

 

 容認か否認か。どちらかの文言が受話器の向こうから返ってくるのだと思って身構えていた私は、無意識のうちに飛び出ただろうレミリアの呟きが予想外で、言葉に詰まって「えぇと、あの」なんて言ってしまう。

 しっかりと口にしなければと息を大きく吸い込んだところで、私の戸惑いにハッとしたような声音で『あ、あー、悪い悪い。ちょっと考えごとをしてたわ』とレミリアが反応を示した。

 

『ふぅむ……そうね。合格よ、あなた』

「……えっ」

『なにを驚いているの? ああ、ちゃんと怨霊対策はしっかりしてるのよね。あなたが飼ってるペットとやらも怨霊は平気?』

「え、ええ、大丈夫ですよ。心配いりません」

『レーツェルのことを本気で大切に思ってるのよね』

「も、もちろんです」

『……そ。ならいいわ。これからもレーツェルをよろしくね……きちんと頼んだわよ』

 

 ガチャン。プー、プー、プー……。

 身構えていたのがバカらしくなるくらい簡単に容認されたこと、駆け足気味に通話が終わったことで実感がついてくるのが遅れ、通話する相手のいなくなった受話器を耳元に添えたまましばらく呆然としてしまっていた。

 我に返り、ようやく心が状況に追いついた時には震える手で受話器を電話機の方に戻し、こらえ切れなかった感情を形にするように強く拳を握った。その後、口元が二ヤついてしまっていることに気がついて、恥ずかしくて顔を隠す。

 ……私はなにをやっているんだ。ここは自室で、しかも今は鍵をかけているんだから誰も入ってこない。もっと冷静に、冷静に……。

 

「ふふ、ふふふふ……」

 

 ああ、もう、ダメ。抑え切れない。

 溢れんばかりの歓喜を胸に抱えたまま前方にある机に顔を突っ伏した。不思議なもので、こうして両目を塞いでしまうと、どちらにしても元々見えないはずなのに表情が変な風になってしまうことに羞恥の念を抱かなくなる。きっと今の顔は誰にも見せられないようなことになっているだろうし、見られたら恥ずかしくて死んでしまう。

 

「もう、私はいつから……」

 

 いったいいつからこんなに感情を豊かにさらせるようになったのだろう。いったいいつから、こんなに楽しくて心地いい気持ちを抱けるようになったのだろう。

 そんなものはわかりきっている。考えるまでもなく、すべてはこいしが彼女を連れて来たあの日から始まった。

 

「友達って、いいものなのね」

 

 本でしか知り得なかったその関係がいったいどんなものなのかは、知識としては知っていても実感はできないから、ずっと本当の意味ではわからないでいた。

 誰かと一緒にいたいと思うこと、誰かといろんな話に花を咲かせたいと思うこと。胸が弾んで思考が活発になって、ともに笑い合うこと。そのすべてを感じ、ようやく理解できた。

 もっと深く、息が苦しくなるくらい顔を埋めて、小さく息を吐く。

 

「……もうちょっと怨霊の管理をしっかりするようにしましょう。万が一にでもレーツェルに影響が及んだらいけないわ」

 

 ようやっと表情が落ちついてきたので、顔を上げてイスから立ち上がった。床を踏み鳴らして部屋の出入り口に向かい、鍵を開けてガチャリとドアノブを回す。

 とりあえずお燐でも探そうかと思いつつ扉を閉めたところで、視界の端に薄緑色の髪を持つ少女が映った。壁に背をつけて寄りかかり、なにを考えているのかまったくわからないぼーっとした様相で宙空を見つめている。

 

「こいし」

「あ、お姉ちゃん」

 

 古明地こいしは己が第三の目とともに心を閉ざしているため、私のサトリとしての力をもってしてもその心中を推し量ることはかなわない。

 こいしもずいぶんと明るくなったというか、楽しそうにするようになったというか……前々から表面ではそうであったが、私にはどこかもの寂しくしているように見えていた。それが最近は鳴りを潜めているのも、きっとあの変態のストーカーことレーツェルのおかげなのだろうと思う。

 

「レーチェルのお姉ちゃんとの電話は終わったの?」

「ええ、無事に……って、どこからそれを聞きつけたの? 私は誰にも言ってないのに」

「んー、昨日地上でふらふらしてたら魔理沙と偶然会ってねー、その時に『レーチェルの姉が激おこぷんぷんだぜ!』って言ってたから」

「とりあえず、あなたが魔理沙さんとやらのセリフをそのまま再現していないってことはわかったわ」

 

 だぜ! だぜ! と両腕を上下に振りつつ頬を膨らませるこいしの額を軽く小突く。いたたぁ、と全然痛くなさそうに頭を後ろに倒して数歩後退し、その後すぐにえへへと笑いながらまた近寄ってきた。

 

「それで無事ってことはあれなんだよね。これからもレーチェルはうちに来れるんだよね?」

「ええ、そうよ。安心して」

「わーいっ! 安心安心ー!」

「……全然落ちついてるようには見えないのだけどねぇ」

「なに言ってるのお姉ちゃん! ほら、万歳!」

 

 こいしは私の右手を左手で、私の左手を右手で取り「はい! ばんざーい!」と、そのまま勢いよく持ち上げた。

 触れ合えるだけの距離になったおかげで、こいしの表情が間近で窺える。決して薄っぺらくない、とても楽しそうに、心の底から嬉しそうにしている本物の笑顔を見ていると、一度は抑え込んだ私の中の歓喜の念が再び湧き上がってくるようだった。

 

「ばんざーい!」

「ふふっ。ええ、万歳」

 

 ――少し前までは、こんなにこいしとの距離も近くなかった。いつも私が知らぬ間に帰ってきていて、なにも言わずにまた出て行ってしまう。会話なんて滅多にできず、見つけようとして見つけられるような性質でもなかった。

 それが今はどうだろう。彼女がまだ第三の目が開いていたかつての頃のように触れ合えるほど近くで思いを交わし、感情を共有し合うことができる。レーツェルからなんらかの影響を受けたのか、出かける時は私に一言告げるようになったし、帰った時もわざわざ私のところに報告してきてくれるようになった。

 いろんな話をするようになった。どうにもできなかった私たち姉妹の関係が、少しずつ元に戻り始めた。

 

「……いつか、なにかお礼をしないといけないわね」

「んー? なんのこと?」

「なんでもないわ。そうそう、私はこれからお燐を探しに行くんだけど、こいしも一緒にどう?」

「行く行くー。あ、っていうかお燐ならさっき見たよ? 確かあっちの方にねー」

 

 こいしが私の手を引いて歩き出す。為すがままにされながら、どんなお礼がいいのかなとじっくりと検討していく。

 食べ物は……さすがに安直だ。家具かアクセサリーやらを上げようにも地霊殿にはそんなもの数えるほどしかない。その他となると自室にある書物や中庭の花くらいだが、レーツェルの住む館には大図書館なるものがあるというし、私が持っている程度の本は大体持っていそうだ。

 花を一本ずつと、それらの種をいくらかプレゼントするというのはどうだろう。レーツェルはここの中庭を気に入ってくれていたみたいだったから、結構いい案かもしれない。

 あるいは私の血? レーツェルは吸血鬼らしいから、案外喜んでくれるかも……うーん。吸血鬼じゃないから、どんな反応をされるかはあまり自信のない想像しかできない。こちらは予備の案として、花とその種を贈ることを第一候補にしておこう。

 レーツェルがお礼を受け取ってくれた際の心の反応を妄想して、少しだけ口元が緩んだ。誰かの心を読みたい、誰かの心を読むことが楽しい――そんな感覚もまた、生まれて初めて味わう新鮮なものだった。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


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