東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一一.明かすは連なる世界の秘密

 自分が住んでいる世界が物語の中のものだと知ってしまった時、いったい普通の人間ならばどうするのだろう。

 その知識が間違っているだけだと信じないでいるのか。バカらしいと切り捨てるのか。どうでもいいと流れるがままに日々を過ごすのか。すべてが仕組まれていた事実から生じる疑心暗鬼に飲み込まれ、精神が狂ってしまうのか。

 さとりへ俺の秘密を話すことを誓った日の夜、俺は早くもそのことを後悔した。聞かれない限りは言わないでいるとしてレミリアやフランにさえ教えないできたから、秘密を伝えることで発生するリスクをわざわざ考えたことがなかったのだ。

 さとりに真実を隠す方法も思索してみたのだが、あいにくと俺の能力を使って心を見られなくすることくらいしか思いつかない。読まれたくないから隠そうとする――それは人間にとって当然の思考回路ではあるが、どうしても俺はさとりの前においてそれだけはしたくなかった。彼女が『心を読んでも自分を嫌わない存在』として俺に興味を持ってくれているのはこれまでの付き合いでなんとなくわかってきていたから、それを崩すのはなんだかなによりも冒涜的な行為である気がしていた。

 結局、さとりに電話で「きっと知らない方がいいことです。心がおかしくなっちゃう可能性もあります」としつこく念を入れる方法を実行し、さとりの方から身を引かせる作戦に出たのだが、見事に失敗。『そんな危ないものならなおさら私も知っておかなければいけません。レーツェルさんのためにも』だとか、『……やっぱり、私のこと嫌いになりましたか?』なんて寂しい声で聞かれたら、もうなにも言うことができなかった。

 俺は、さとりの心を信じることにした。きっと彼女なら大丈夫だろうと、割り切れるだろうと。もしもダメだったら、その時は――。

 

「……この世界があなたの前世においては物語の中だった……ですか」

 

 地霊殿。こいしにはどうにか席を外してもらい、秘密を話すという約束を果たすために、俺はさとりの部屋において彼女と向き合っていた。

 本棚に多くの書物が入っていることを除けば特筆するものがない簡素な部屋であり、およそ年頃の女の子の部屋とは思えない。なんて前世の感覚で一度思って見るものの、そもそも幻想郷の文明は歪ながらも外の世界には遠く及ばないものなので、そこそこ凝っているだけでも驚きだ。

 

「私の前世は、外の世界……いえ、『別の次元』とでも言いましょうか。こことは別の次元にある、幻想郷で言う『外の世界』と酷似した時代の世界に住んでいました。そこではこの世界の一部の情報が物語として存在していて」

「私やお燐、こいしもその一部であると……そういうことですね?」

「……そうなります。私はこの世界に転生してから五〇〇年ほどを過ごしていますが、およそ正史通りにことが進んでいるように思えます。仮にここが物語の中とまでは行かなくとも、『別の次元』から歴史を観測されていたという事実だけは確かです」

「いえ……レーツェルさんにある前世の記憶には、今より未来の知識もあるのでしょう。そうなると歴史を観測していたというよりも……」

 

 難しそうな顔になって黙り込むさとりを眺めながら、小さく息を吐く。

 さとりは俺の戯言を信じてくれているみたいだった。バカらしいと切り捨てることはなく、俺の頭がおかしいのではないかと疑うこともなく。彼女は心を読めるからこそ俺が語っていることが俺にとっては間違いなく真実であることを理解していて、さとりやこいし、お燐のことを俺が原作知識からあらかじめ少しだけ知っていたことも把握している。だからこそ、疑うことができないのだろう。

 

「…………もしかしたら、この世界そのものが妖怪や神などと同じような存在なのかもしれませんね」

「え……? えっと、どういうことですか?」

 

 ちょっとだけ納得したような表情で予測を口にするさとりに、なんのことかと首を傾げた。

 

「私のようなサトリ、地底に溢れている鬼、レーツェルさんのような吸血鬼……吸血鬼は正確には悪魔ですが、とにかくそれらがすべて幻想によって形作られていることは周知の事実です。つまり、人間が実在を信じているからこそ存在することができる。ここまではわかりますね?」

「もちろんです」

「レーツェルさんの前世では、その物語はある程度以上の人々の間で知れ渡っていた。ここが鍵です。創作の物語が本当にあるとは信じはしないでしょうが、『あってほしい』『あったら面白い』、『こういう世界もあり得たかもしれない』という願望にも似た気持ちは少なからず抱くでしょう。たとえ実在が信じられていなくとも、多くの人々の頭の中では共通の物語に関しての共通の思いが募っていたことは明らかです。そのまとまった幻想があなたの世界の外側まで漏れ出し、徐々に形を成して、今の私たちがいる世界を作り出した……私が言っているのはそんな考え方です」

 

 ほほお、と感嘆の声を上げる。『どうして自分が転生したのか』は今まで何度も考えてきたことがあったが、そういえば『どうしてこの世界があるのか』と思索に耽ったことは一度もなかった。実際に生きているのだからこういう世界もあるのだろう、と納得していたけれど、この世界の純粋な住人であるさとりにはその在り方も気になってしまうのかもしれない。

 俺の前世と違って、この世界では『思い』が強い力を持っていることは、吸血鬼として生まれた五〇〇年ほどで十分に理解していた。妖怪は人々の恐れから生じ、神は人間の信仰から力を得る。それゆえに人間がいなければ実在することはできず、そんなすでに外の世界で忘れ去られてしまった者たちが住む場所がこの幻想郷だ。

 博麗大結界を張ることで世界を分け、幻想郷内部の人間にのみ妖怪のことを完全に認知させている。もしもこれをなくしてしまえばよほど名のある妖怪や神以外はいなくなってしまうだろう。

 

「いえ……単に私が、この世界が誰かの手の平の上にあると認めたくないだけなのかもしれませんね。ですが、平行世界等と仮定するよりもずっと現実的な仮説だと思います」

「ふぅむ、なるほど。確かめようがないので、なんとも言えませんけど……」

 

 俺もさとりも妖怪として生まれてきているから自身が幻想の存在であることはハッキリと認知している。だから世界そのものが幻想から生じたのだと言われても、特に違和感や虚脱感なく受け入れることができた。

 そして同時に納得もする。ただ転生するよりも、なぜ物語の世界に産まれ変わったのかという長年抱いてきた小さな疑問の前に、まさしく一番可能性が高そうな推測が提示されたのだ。なんだかちょっとだけ気分が高揚して、「きっとさとりの言う通りですよ」と口にした。

 

「ふふっ、ありがとうございます。けれどなんにしてもこれは……なんというか、不満な現実ですね」

「不満、ですか」

「私がこうして心を読む能力を持つことで嫌われることが――こいしが私と同じことで苦しんで、心を閉ざすことが元々決められていた。そんなことを知ってしまったら、不満の感情くらい抱いちゃってもしかたなくありませんか」

 

 どこか遠くを見据えるようにさとりが目を細める。俺はなにも言えなくなって、ただ唾を飲み込んでさとりを見つめた。

 そんな俺の様子に気づいた彼女は俺に第三の瞳を向けてきて、しばらくじっと見つめてきたのちに、顔を綻ばせた。

 

「ふふっ、すみません。心配させてしまいましたか。確かにちょっと不満ではありますけど、そんなにショックではありませんよ。もちろん私一人でそんな真実を知ってしまったらもっと別の思いを抱いていたとは思いますが、今の私にはレーツェルさんがいますから」

「えっと、それってどういう……」

「決定的な違いは『別の次元』から来たというレーツェルさんがここにいること、そしてその秘密を教えてくれたこと。レーツェルさんと関わり、そしてその秘密を知った私は、少なからずその物語(シナリオ)から逸脱した存在になっているはずです」

 

 ああ、なんだ、そういう意味か。誰々がいるから、なんて男女での告白染みたセリフを吐くものだから、ちょっと緊張してしまった。

 

「……告白なんてしませんよ。どうしてこの話の流れでそうなるんですか」

「すみません。でも、よかったです。さとりがあんまり落ち込んだりしてなくて」

 

 ほんの少し顔を赤らめ、頬を膨らませるさとりにそう告げる。

 あんまりの真実に精神が壊れてしまったらどうしよう、とか。心を閉ざしてしまったらどうしよう、とか。俺と世界の秘密を話すと約束した日の夜から、ずっと考え続けて来ていた。

 案外平気そうなさとりの様子に、改めて大きく息を吐いて、安心をする。

 

「そう、ですね。すみません、無理を言ってしまって。たくさん心配させてしまいました。ですが、私はこのことを知れてよかったと思っていますよ。レーツェルさんのことがもっとよく知れた気がしましたし」

「それなら私もよかったです。さとりが初めてですよ、私のことや世界の秘密を話したのは」

「ふふっ、嬉しいですね、そういうの。私が初めて、ですか」

 

 満足そうに頷くさとりは、見ているとこちらも段々と心地よくなってくるくらいに気持ちいい微笑みをしていた。

 ずっと前から思っていたことがある。ずっと心を読んで苦しんできたからか、他人と触れ合うことがほとんどなかったからか。さとりが笑みを浮かべる時はまるで子どものようにいつも純粋な正の感情が浮き出ていて、一緒にいると俺まで嬉しくなってきてしまうのだ。こいしもまた意識せずして表情を動かすゆえに無邪気であり、古明地の姉妹は二人とも誰よりも清々しい笑顔を浮かべる。

 かつて俺が住んでいた平成の世は『世渡り』がうまくなければ生きていけない場所だったから、こんなにも自分に素直でいられる二人にはとても好感が持てた。

 

「……本当、レーツェルさんはよくもまぁそんなことを恥ずかしげもなく思えますね」

「思うだけなら自由です。いくらでもできます」

「本気でそう思っているだけ余計にたちが悪いんですよ。まったく……」

 

 照れくさいようなことを考えているのは俺であるはずなのに、どうしてかさとりの方が恥ずかしそうに俺から両目を背ける。それがなんだかおかしくなって、生温かい目線で彼女を見つめた。

 

「ううぅ……見ないでください」

「ふふん、わかりました。わかりました」

 

 穴があったら入りたい、みたいな顔をしているので、さとりをいじるのはそろそろやめておこう。

 これで俺が転生したこと、そして原作知識という世界の秘密をさとりに話し終えた。こいしが部屋の外で俺たちが出てくるのを待っているだろうし、さとりを連れて早く行ってあげないと。

 座っていたイスから降りて対面のさとりへと近づき、すっと手を差し出した。まだ少しだけ顔の赤みが残っている彼女は、小さく頷いて俺の手を取る。

 

「さとり、これからは私のこと、レーツェルって呼んでくれませんか? さんづけはなんだかむず痒くてですね」

「ん……わかりました、レーツェルさ……レーツェル」

「はいっ」

 

 五〇〇年間ずっと抱えてきたものをほんのちょっと降ろせた気がして、自然と足が軽くなっていた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Satori Komeiji □ □ □

 

 

 

 

 

 ――レーツェル・スカーレットと、この世界に連なる重大な秘密。すなわち彼女が外の世界と酷似した『別の次元』から生まれ変わってきた異物とも言える存在であり、その次元では私たちが住んでいるこの世界に関する一部の出来事が物語によって定められていたということ。

 そしてその定められていたことの中には、私やこいしにまつわる歴史もあるのだという。

 

「……大体予想通り……ではあったんですが、実際に聞いてみると驚きが隠せませんでしたね」

 

 すでに地上では月が真上に昇っているような時間帯であり、レーツェルは紅魔館という自らの館へと帰ってしまっていた。夜行性ではないペットたちも寝静まり、こいしもどこへ行ったのか見かけなくなってしまって、なに一つとして辺りの気配のない自室にてベッドに座り、電気を消して私は一人レーツェルが話してくれたことについて考え込んでいた。

 こうして仕切り直して彼女が話してくれたことに思いを巡らせてみても、やはり虚脱などの感情を抱くことはない。ただ単に驚嘆や関心等の好奇心が湧き上がるだけで少しも落ち込みはしなかった。

 ――私はレーツェルの前で、不満な現実だと評価を下した。しかしそれはあまり本気で思っていたわけではない。

 私は、私自身がそれだけしか反応を示さないことに疑問を持っている。自分が周りから嫌われて地霊殿に引きこもることまで元々決められていたのだから少しくらい動揺や憤慨の感情を抱いてもいいのに、いったいどうして。

 

「そう思わないように世界が仕組まれている……いえ」

 

 そんな都合のいい現象などあるものか。世界は世界だ。ただそこに在るだけの環境であり、仮に意思があるとしても、たかがサトリ一匹程度の感情なんて気にも留めないだろう。

 ならばなぜ。どうして私はこんなにもあっさりと納得してしまっている。

 いくら真意を測ろうとしても、その『答え』は見つからない。私は私自身の心だけは読むことができないのだ。

 はぁ、とため息を吐いて、ごろんとベッドに寝転がった。すでに寝巻きに着替えているので、このまま寝てしまっても問題はない。

 

「………………なんで私は、安心なんてしてしまったんでしょう」

 

 私が嫌悪感という心を読むことを忌避し、逃げること。こいしがサトリとしての苦痛に耐え切れず、第三の瞳とともに心を閉ざしてしまうこと。それらとそれに関係するすべてが別のなにかの意思によって決められていたのだと言われ、どうしてこんなにも救われたような気分になるのだろう。

 実際は気づいていた。本当はわかっていた。

 心を読む力から逃げることが自分以外の意思で決められているのだと思えるようになってしまったから、立ち向かうことから逃げるための言い訳ができてしまったから、私は喜んでしまっているんだ。

 他人と関わろうとしないことはどうせ決められていたことだから、私は悪くない。こいしが心を閉ざすこともどうせ決められていたことだから、元々私ではどうしようもなかった。全部が全部しかたのないことだったんだと。

 

「……悔しく、思わないと……いけないのに」

 

 やって来た睡魔が私の瞼を閉ざしていく。それに逆らう気にはなれず、ふっとそのまま身を任せた。

 寝る直前に考えていたことは曖昧になって、翌日になると忘れてしまうことがある。それは取り戻しがたいしかたがないものであり、思い出せないのならば思い出せないと享受することしかできない。

 ――思い出したくないだけのくせに。

 そこで完全に思考はシャットされ、意識は闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


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