東方帽子屋   作:納豆チーズV

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八.偽る狂気へ至るために

「お姉、さま……?」

 

 首を絞められていたせいで体に力が入らないのか、その口からは吐息にも似た小さな困惑の呟きしか漏れない。

 強く抱きしめた腕の中で、フランは弱々しく俺を見上げていた。

 

「…………どう、して」

「え?」

 

 うまく動かない喉を心の中で叱咤して、囁くように問いを投げる。

 

「どうして、お父さまを殺したの?」

「……今、私の首を絞めてた人のこと? 私にひどいことしたんだから、ちょっと仕返ししただけ」

「そっか。ならどうして、お父さまの眷属を……ここに迷い込んできた人を殺したの?」

「だってお姉さま、最近私に構ってくれないんだもん。あの人のせいなんでしょ? だからお姉さまが夢中になるなんてどんなのなのかなって、暇潰しも兼ねて遊んでもらっただけ」

 

 なんでもないことのように口を尖らせて告げる彼女に「そっか」と納得の返事をする。

 そうか。そうなるのか。結局全部、そうやって収束するのか。

 

「教えてくれて、ありがとね。今日はもう疲れたでしょう? しっかり眠って休んで、また明日……今度はちゃんと遊んであげるから」

「……ホント? いっぱい遊んでくれる?」

「うん。約束」

 

 小指を出すと、フランが不思議そうに首を傾げた。

 だから笑顔で教えてあげる。

 

「指切りげんまんって言ってね、小指を絡めて『絶対に破らない』って儀式をするの」

「面白そう!」

「だから、フランも指を出して」

 

 嬉しそうに指示に従い、絡み合った二つの小さな指。

 狂気に濡れる赤い海の上で、禁忌の契約を交わした。

 

「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ます」

「なにそれ」

「おまじない。これを言わないと儀式は完成しないの」

「ふーん。じゃあ、私も!」

 

 ――指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ます。

 吸血鬼はそれでも死なないけれど、きっと痛いだろうな。

 

「さぁ、今日はもうお休み、フランドール・スカーレット……」

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 地下室を出て迷路を抜けて、屋敷の廊下を歩く。

 頭が働かない。どうしようもなく思考がまとまらなくて、最早歩いているのか立ち止まっているのかもわからなくなる。

 ああ、俺はどうしてこんなところにいる。こんなに嫌な匂いの場所にいる。どうしてこんな――『答え』のない世界に。

 グラリと崩れていく視界。精神が感じている重圧に耐え切れなくて、体が勝手に倒れていくのがわかる。

 ああ、このまま地の底へ。どこまでも重力に従って沈んでいきたい。

 

「レーツェル!」

 

 そんな俺を床との衝突の寸前で支えたのは、今世の大好きな姉であった。

 やっぱり、君が俺を救ってくれるのか。

 他人事のように、色を失った世界にされど鮮やかな心の色が映る。

 

「顔が真っ青……レーツェル、少し横になりなさい」

 

 レミリアは、そう言って力の入らない俺をゆっくりとその場に寝かせていく。

 彼女もひどい顔をしていた。色んなことが一気に起こり過ぎて、何にも頭が追いついていなくて思考が麻痺しているような。

 

「ごめんなさい」

 

 だからこそ、いつものように小さくではなくて、しっかりとその言葉を告げられたのだと思う。

 ごめんなさい、ごめんなさい。あなたの幸福は俺が奪いました。全部、俺が悪いんだ。

 

「レーツェル……?」

 

 原作知識。

 フランが産まれるなんてわかってたのに。フランが狂気まみれなことだってわかっていたのに。

 いきなりこの世界に生まれ落ちて、混乱していて、だから与えられた幸せに縋りつきたかった。

 無意識のうちに目を瞑りたいと思っていた。いずれ訪れるかもしれない幸福の終わりから。

 母が死ぬなんて知らなかった。それでも、本当に予測はできなかったのか? あの優しかった両親が自分の娘を四九五年間にもわたって地下室に幽閉する理由を、どうして少しも想像しなかったんだ?

 答えは簡単だ。与えられた幸せに酔いしれていた。

 少しでも思慮を巡らせていれば、レミリアに運命を変えるようにお願いして、フランが狂気を宿さずに産まれる世界だって作れたかもしれない。フランが普通の吸血鬼として暮らせる世界にだってたどり着けていたかもしれない。

 未来を考えることから逃げていた。原作の知識が俺にあると知られることを恐れていた。知られて不気味がられることを恐れていた。その結果が、あの様だ。

 ああ、ごめんなさい。母が死んだのは全部俺のせいなんだ。未来を予測できる要素を持ちながら、少しも考えようとしなかった。だから俺が悪い。

 

「レーツェル、しっかりなさい。あなたは……いったいなにを考えているの……?」

 

 それを理解して、俺はその後の二年を父やレミリアに後ろめたい気持ちを抱えながら過ごした。

 罪の結果に産まれ落ちたフランを育てることが、俺が殺してしまった母へできる最後の償いだと思っていた。

 もう幸せなんて享受する権利はない。そう決意したはずなのに。

 甘かった。俺は、レミリアに救われてしまった。また皆で幸福を謳歌したいと願ってしまった。

 父と和解し、その眷属と仲を深め――結果としてフランを少なからず放置する形となり、それが理由で二人は死んだ。

 ごめんなさい。フランと付き合い続けると決めたはずなのに自分の幸せを追いかけた。それが今回の罪。妹と親しくしておきながら放っておいて、その結果になにが起こるかを考えもしなかった。だから俺が悪い。

 二回も失敗を繰り返した。経験から学ぶことができなかった。そうして再度『破壊』の『答え』を突きつけられた。

 フランじゃない。三人を殺したのは、嫌な想像に常に背を向けてきた俺なんだ。

 

「レーツェル、それ以上はやめなさい」

 

 結局、俺はただの『人間』だったというだけの話。どうしようもなく普通の『人間』だった。

 どんな小さな恐怖にも耐えられなくて、いつだって泣き叫びたい。

 親しかった三人を自らの過失で殺してしまっただけで、こうにも罪悪感と後悔に苛まれる。

 なにが『狂気の塊のようなものを平然と書き切れるキャロルという人物には畏怖を感じざるを得ない』だ。なにが『畏怖と同時に尊敬の念も抱いていた』だ。

 本気で狂気を恐れてなんかいなかった。狂気なんてものには憧れるべきじゃなかった。そう思う自分に酔いしれていたのか? バカバカしい。

 どこまでも愚かだった。本質を理解しようともせず、画面の向こうの出来事みたいにいつだって他人事で、わかったふりをして優越感に浸っていただけ。

 俺はなにもかもから逃げ続けて『答え』を求めることを忌避し、自ら『破壊』へ向かった。

 自業自得。恐怖が狂気を生み出し、狂気は俺の心に底なしの後悔を生み出す。終わりはない。

 

「レーツェル! しっかり私を見て!」

 

 もしも恐怖を克服することが『生きる』ことだとすれば、俺は死んでいると言ってまったく差し支えない。

 恐怖して怯えて、逃げて、失って、それでも逃げることをやめなくて、いつまでも失い続ける。

 なんてバカらしい。転生なんかしていない。死んだままじゃないか。

 俺が生まれ変わった意味って、いったいなんだったんだろう。

 ――指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ます。

 交わした呪いの契約が、俺の体と心を蝕んでいく。

 

「レーツェル!」

 

 ガバリ、と自分の体が強く抱き込まれたのがわかった。

 柔らかくて、甘くて優しい安らかな匂い。俺が慕う大好きな姉の胸の中。

 暗い海の奥底に沈みかけていたかけていた意識が浮上し、五感に意識が戻ってくる。

 

「大丈夫よ、大丈夫……あなたは絶対、私が守る。もう、あなたも休みなさい。疲れているんでしょう? 辛いんでしょう? だったら後は私に任せて、このまま眠って」

「お姉、さま……」

「あなたがなにを考えてるかなんて知らない。でも、レーツェルがどんな存在でも、私は絶対にあなたを拒絶しない。安心して、私はずっとあなたの味方だよ。苦しいなら、辛いなら、悲しいなら、後は全部私に委ねなさい。大好きな妹のためだもの、なんだって片づけてあげる。だから……」

 

 なにもわかっていないはずなのに、なにも知らないはずなのに、どうしてこうも心を癒す言葉を的確に言えるんだろう。

 やっぱり、君が俺を救ってくれるのか。

 甘えたい。逃げたい。委ねたい。また救われたい。

 そして、そんな弱い『人間』がどうしようもなく憎らしくてしかたがない。

 お前が殺したんだよ、あの三人を。

 

「――――レー、ツェル……?」

 

 レミリアの腕を抱擁を解き、両腕で突き飛ばした。この拒絶に、信じられないとでも言う風に俺を見つめていた。

 なにも答えずに足に力を入れて、フラフラとした足取りで転びそうになって、それでもなんとか立ち上がる。

 

「……ごめんなさい」

 

 そんなか細い声は、彼女に届いただろうか。

 俺は甘えちゃいけないんだ。委ねちゃいけないんだ。

 もうなにも失いたくない。もうなにも失っちゃいけない。

 二度あることは三度ある。されど、三度目の正直だ。

 逃げるな。背を向けるな。罪を償え。罰で贖え。

 もう、自分が大切だと感じる誰かを殺したくないんだ。だから。

 心から慕う大好きな姉、レミリアへ。どうかお願いします。

 俺を救ってくれてありがとう。だからもう二度と、俺を救わないでほしい。

 

「待って、レーツェル!」

 

 どこに行くかも定かではない思考でフラリと立ち去ろうとした俺の腕を、レミリアが掴んできた。

 強く力の入ったそれを今の俺が振りほどくことはできなくて、引き寄せてきたレミリアと自然と顔を突き合わせる形となった。

 

「あなた、自分が今どういう顔をしてるかわかってるの?」

「……わかんない」

 

 自分の顔に片手を添えてみる。

 どうやら俺はひどく悲しい顔で泣いているらしい。

 

「お願い、やめてレーツェル。そんな顔のレーツェルは見たくない。それ以上進まないで……それ以上背負わないで。それ以上は、あなたが壊れちゃう。あなたが狂ってしまう」

「でも、しかたないんだよ。それが『答え』なんだから。全部が全部、私のせいなんだから」

「違う! あなたは悪くない! 誰も悪くない!」

 

 きっと君は俺の真実を知っても、そうやって本気で言ってくれるんだろうな。

 それはとても嬉しいことで、それはとても歓迎したくないことで。

 だから君は今、俺を救えるんだ。けれど救済を受け入れてしまえば、絶対に俺はまた大切ななにかを失ってしまう。今度はその対象が君かもしれない。

 だから、ごめんね。

 

「私は大丈夫――――だってほら、もう泣いてないでしょ?」

「え…………?」

 

 レミリアが俺の顔を見たまま、目を見開いて硬直する。

 片手を顔に添えてみた。ほら平気だ。もう泣いてない。もう悲しんでない。

 なんにも感じてない、無表情。

 

「な、にをしたの……レーツェル……」

「ただ、能力を使っただけだよ。さっき、やっとわかったんだ。使い方」

 

 本来なら祝福すべきことなのに、この場にいる誰もがそれを喜ぼうとはしない。

 

「『答えをなくす程度の能力』……考えることから逃げ続けて、生まれた意味すら失っちゃった。狂気にしか行き場が残ってない私には、とってもふさわしい能力なんじゃないかな」

「レー、ツェル」

 

 ――そこは色のない箱の中だった。

 ――中央に、色のない箱がある。

 ――それを開けると、いつの間にかその箱の中にいた。

 ――いつの間にか体は縮んでいて、箱の大きさになじんだものになっていた。

 無限に続く心象の意味がようやくわかった。永遠に『答え』にたどりつかない、つまり『答え』がない。

 感情から生じる表情という『答え』をなくした。嬉しさも悲しさも、最早顔に出ることはない。

 だから俺が俺自身に気づこうとしなければ、もう誰も楽しんでいるのか悲しんでいるのか、苦しんでいるのか救いを求めているのかわからない。

 それはとてもいいことだ。俺の心は普通の『人間』だから、こうして抑えつけなきゃ――必死に自分を壊して狂わなきゃ、ここから先には進めない。

 俺を愛してくれた母と父とその眷属の死の責任を背負い続けるために。フランと付き合い続けるために。今度こそ大切なものを守り切るために。

 

「そうだ……喋り方も変えよう。お母さまみたいに敬語でも使おうかな」

 

 心を誤魔化し、飄々と適当に頭に浮かんだ提案をする。言葉を失っているかのように、レミリアからの返答はない。

 それを肯定と受け取って、偽りの笑顔を浮かべて小さく頭を下げる。

 なくしたものは感情から生じる表情。感情から生じない、作ろうとして作った顔ならば問題ない。

 

「改めて。よろしくお願いしますね、お姉さま」

 

 胸が痛い。再び海に溺れる意識はどうしようもなく冷たくて、張り裂けそうなくらい限界だった。

 きっと俺の心は今にも潰れてしまいそうなほどに悲鳴を上げている。それでも誰にも気づかれない、俺だって気づこうとしない。

 これでいい。こうじゃなきゃ、また大切ななにかを取りこぼす。

 人間よりも人間らしく、願いを。自分が無意識に大切だと感じるすべてのものを守りたい。

 妖怪よりも妖怪らしく、欲望を。自分が無意識に大切だと感じるすべてのものを守りたい。

 大好きだから。

 辛くても辛くない。悲しくても悲しくない。嬉しくても嬉しくない。

 俺の顔は『答え』を出さない。だから大丈夫。いつだって誤魔化せる。自分の心だって偽れる。

 大丈夫――――狂える。

 

「お姉さまとフランは、私が絶対に守りますから」

 

 あいもかわらず、『答え』はない。

 ごめんね。ありがとう。大好きだよ、お姉さま。


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