東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一〇.灼熱の上に建つ屋敷

 今年も明星の光は太陽のそれに掻き消された。幻想郷に来てからは毎年がこの繰り返しであり、もはや誰かがこの勝敗をいじっているのはほぼ確実と言える。レミリアのためにその犯人を捜してみてもいいのだけど、妖怪が強くなったらなったで危険な部分もあるから、このままにしておいた方が賢明な面もあるかもしれない。

 なぜか定期的に配られていた号外の新聞も最近は鳴りを潜め始めている。つい先月まではかなりの頻度で大量の号外が飛び交っていたのだが、天狗同士で開かれていた新聞大会が終わったとのことで、その数は激減したのだ。とは言え天狗は気の早い種族なので、わずかではあるがすでに新しい号外が出ていたりもする。

 新聞大会で一番に輝いたという『鞍馬諧報』を一応読んでみたのだけど、なんだか適当なことを大げさに書いてあるだけな上に、事実と違っている部分が多々あった。これでは情報を正しく伝達するものとして機能しないし、個人的には暇潰しとして気軽に読める『文々。新聞』の方が断然面白いと感じた。その時読んだ『鞍馬諧報』は、香霖堂に寄った際にこっそり置いてきた。

 さて、号外が減ったのは大会が終わったからというのもあるが、冬になって雪が降るようになったからでもある。吹雪の中で新聞を抱えて飛ぶのは厳しい部分があるし、たとえ天狗自身が平気でも紙はそうとは限らない。新聞自体はただの紙だから濡れてしまえば読めなくなるため、四季の中では冬が一番新聞の数が少なかったりする。

 去年作ったマフラーに顔を埋め、小さく白い息を吐いた。見上げれば岩で塞がれた暗い天井がそこにあるのだが、どういうわけかかぱらぱらと白い粉がそこら中に舞い散っている。

 

「地底にも雪は降るんですね」

「冬だもん」

「ふむ、確かに冬なら降ってもおかしくないです。納得しました」

 

 こいしに手を引かれ、人間化魔法と狐の仮面をつけた状態で、旧都の上空をそこそこのスピードで飛んでいた。空や雲がないのに降雪があるのは、冬とはそういうものだからということらしい。人の恐怖から妖怪が生まれるように、魔力で魔法が形作れるように、幻想郷には外の世界では失われた特殊な法則が存在している。おそらくはその産物なのだろう。

 こいしの『無意識を操る程度の能力』は非常に強力で、ゆえなく力なき人物が相手ならば話しかけたりすることはおろか、その手で触れたりしてもまったく気づかれない。地底でその姿を捉えられる者はかなり限られており、彼女と手を繋いでいる間、俺もまた誰からも目を向けられることがない。

 だからと言って警戒を怠っているとかつてのごとくサッカーボールが飛んでくるかもしれないので、きちんと最低限は気を張り巡らせている。二度あることは三度あると言うのなら、あらかじめ二度目がないように気をつけておけばいいのだ。

 そんなこんなで何事もなく地霊殿への入り口までたどりつくと、こいしが俺の手を握っている方とは逆の手で玄関の扉を開け、「たっだいまー!」と上機嫌に帰宅を知らせた。俺もこいしに続いて「おじゃまします」を響き渡るくらいの声音で告げて玄関を潜り抜ける。

 

「あ、おかえりなさい、こいし。レーツェルさんもいらっしゃい。どうぞゆっくりして行ってください」

 

 まるで待ちわびていたかのように玄関近くをふらついていたさとりに出迎えられた。まるでというより、事前に行くことは伝えておいたため、本当に俺たちが来るのを待っていてくれたのだろう。

 

「お姉ちゃんそんなに楽しみだったの? うろちょろなんてしてないで本でも読んでればよかったのに」

「い、いえ、別に楽しみになんてして……ましたけど、してましたけど……えぇと、そう、それとこれとは話は別で、ここにいたのは暇だっただけですから」

 

 ほんの少し恥ずかしそうにさとりが顔を逸らす。暇だっただけという言葉にはまったく信憑性がなく、もしかしたら単に遊び相手が来るのをただ待ち切れなかっただけなのかもしれない。人との触れ合いが少なかったぶん意外と子どもっぽい部分があるのかな、と考えたところでさとりがさっきよりも顔を赤くして睨みつけてくる。案外図星だったりして。

 なんにせよ、歓迎されていることがわかって安心できる――さとりが文句を言おうとして言えなかったような微妙な表情になった。今のは本心だったから、文句を言いづらくなってしまったらしい。このままどこかからかいたい気分になってきたけれど、そういう心持ちで行う冗談はさとりには通用しない。彼女をからかいたいなら、すべての気持ちが本気でなければならないが、からかいたいという気持ちがある以上それは不可能なのだ。

 なんにせよ、こうしてさとりの反応ごとそれについての思考を繰り返すと堂々巡りに陥りそうなので、ここらで打ち止めにしておこう。

 

「あ、お燐」

 

 視界の端から黒猫が歩いてきて、こいしが反応を示す。以前地霊殿に訪れた際の「皆嬉々として怨霊を食べたりするし」というこいしの言葉が頭をよぎり、もしかしたらと目を凝らしてみると結構な妖力を感じ取れた。尻尾の先が二つに分かれており、猫又かと判断しかけたが、あまりの妖力の禍々しさからそれは違うと首を横に振る。

 こいしの足元に擦り寄ってきたそのお燐という黒猫を、こいしが俺の手を離して両腕で抱えた。少しも抵抗する様子もなく、その黒猫はどこか目に知性を宿しているようにも見える。

 

「触ってもいいそうですよ」

 

 禍々しい妖力を纏っていると言えど、その見た目が愛らしいことには変わりない。撫でたくてうずうずとしていたのがお燐にもさとりにも伝わっていたらしく、おそらくは黒猫の意思を汲み取ったさとりが代わりに俺へと許可を出した。

 じっとこちらを見つめてくる黒猫の瞳に目を合わせて、おそるおそる、ゆっくりと手を差し出してみる。その間、ずっとお燐は動かずにいて、手が届いてその身を撫でた際には気持ちよさげに目を細めてくれた。

 

「か、かわいいですね……」

「にゃー」

「どうもありがとう、だそうです」

 

 お礼を言うのはこちらの方だ。こいしから「はいっ」とお燐を手渡されて、急なことに驚きつつ、どうにかこいしと同じように抱きかかえた。

 ふさふさとした毛と温もりが手元の肌をさらした部分から伝わってくる。それがとても心地よくて、また上目づかいで見上げてくるお燐のあざとさに反応して、少しだけ体温が上がった。

 

「えっと、この子は?」

火焔猫燐(かえんびょうりん)。私の飼っているペットのうちの一匹です。私は閻魔さまから怨霊の管理を任されてはいますが、その怨霊から避けられるせいで接触すらできないので、お燐には私の代わりに怨霊の管理をしてもらっています。普段はこうして猫の姿でいますが、人の形を取ることもできますよ」

「猫の妖獣……橙以外では初めて見ました」

 

 それも橙の場合は藍の式神の力で半ば無理矢理人型を取るようにされている。式神をはがしてしまうと言葉もしゃべれない単なる化け猫に戻ってしまうし、階級的には圧倒的にお燐の方が上なのだろう。

 怨霊を食べた方が普通と比べて強くなる。環境の違いや過ごした年月の違いでいろいろと変わってくるが、こいしがさとりから聞いたというその話の信憑性が高いことは確かだった。

 

「って、火焔猫燐?」

「どうかしたの?」

「にゃー?」

 

 こいしとお燐が揃って首を傾げる。なにか違和感を覚えて記憶を模索して、ああ、と一人納得する。

 そういえば原作知識にそんな登場人物がいた。確か……火車という妖怪だったか。死体を運ぶことを生業とし、生きた人間にはあまり興味がないとか、怨霊と死体を自在に操ることができる能力を保有しているとかなんとか。本当に怨霊を操れるとなれば、妖怪にとってはかなり厄介な相手となるかもしれない。

 ……とは言え、見知らぬ人間にしか見えないような俺の手元で丸くなって収まっている大人しい彼女がそう簡単に牙をむくとは思えないし、危険は皆無と考えたい。さとりの仕事の代わりを任されているペットであり、こいしのことをしっかりと覚えている以上、決してただ悪いだけの妖怪ではないことは確かなのだから。

 

「いえ、なんでもありませんよ。私もお燐、って呼んでもいいですか?」

「にゃーん」

「ありがとうございます」

 

 お燐の頷きにお礼を言って、ついでにその頭を撫でる。いや、頭を撫でる方が先だったから、頭を撫でるついでにお礼を言った。

 不意とそこでさとりが難しそうな顔をして俺の方をまじまじと見ていることに気がついた。原作知識やら登場人物やらと考えてしまったせいか。以前も同様のことを考えていてしまったので、もはやバレないでいることは諦めている。心を読まれている以上、これを秘密にし続けることはできない。

 二人きりの状態でならば教えるのもやぶさかではないから、今は言及しないでほしい。そんなことを考えてみると、それを読み取ったらしいさとりがこくりと小さく頷いて返事を示した。ふと、今の俺の思考とそれを読まれていること、そしてさとりに頷きで返されたことを第三者の視点で捉えてみて、なんだかテレパシーみたいでかっこいいなと感想を抱く。よく考えなくてもテレパシーそのものだけど。

 

「うんうん、お燐とお姉ちゃんがいれば怨霊相手なら百人どころか千人力だねぇ。これで気兼ねなくレーチェルに地霊殿の案内ができるよっ」

「なんて言いながら、こいし、私たちのどちらもいなくても普通に案内するつもりだったんでしょう?」

「もちろん!」

 

 元々こいしは俺に地霊殿を案内したがっていた。前回はさとりを混ぜて三人でおしゃべりしていたら結構な時間になっていたし、今日やっと当初の目的が果たされるというのだから、こいしのテンションが若干高めなのもしかたがないことなのだろう。

 早く早く! と急かしてくるこいしの様子に、俺は少しだけさとりと目を合わせる。小さく頷き合って、こいしを先頭に地霊殿の内部を歩き始めた。

 地霊殿は外観からして紅魔館より大きく感じていた。紅魔館は咲夜の能力により空間が操られているので外観と内装は一致しないのだが、それにしても地霊殿はとてつもなく広い。住んでいるのはさとりとこいし、あとは大量のペットであり、ほとんどがペット用の部屋のようだ。

 ただ、だからと言って狭いというわけではない。猫、犬、ライオン、黒豹はまだいいとして、アライグマや名前のわからないペリカンみたいな鳥、果ては全長二メートルを超すオオトカゲ。行くところ行くところにさまざまな動物、および妖怪化したペットがいて、さとりを見かけると親しみを込めて鳴いてくる。心を読まれるということは言葉を用いる生き物にとっては忌避してしまうことだけど、逆に用いない生き物にとっては好ましい部分があるのかもしれない。

 前世が人間だったからライオンや黒豹などと目が合うと反射的にビクリと体が震えてしまうが、さとりに対して向ける穏やかな鳴き声を聞いていると、そんな怯えがなんだか段々とバカらしくなってきた。

 未だはしゃぎながら「こっちこっち!」と手を振ってくるこいしを微笑ましそうに眺めるさとりを横目に、とりあえず、さきほど抱いた疑問を消化しておこうと口を開く。

 

「あの、さとり。どうして地霊殿はこんなに大きいんですか? 必要ないところも多いみたいですけど」

「あ、そうですね。知っての通り私は閻魔さまからこの旧地獄に残った怨霊の抑制を任されているのですが、同時に灼熱地獄の管理も任されているのです。地霊殿はその昔、旧地獄がまだ地獄だった頃に灼熱地獄として機能していた場所の上に建っていて、地霊殿の中庭から灼熱地獄跡へと続いています。灼熱地獄は地獄として使われていただけあって相当な広さがあるため、それに比例して地霊殿も大きく作られているんですよ」

「ははぁ。灼熱地獄……怨霊の管理って大変じゃありませんか? 怨霊の方から離れると言っても、一応さとりも妖怪なわけですし」

「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ。怨霊は言葉を介しませんが、かつて人間として生きていたからこそ、自身の気持ちを言葉で伝えることを望んでいます。だからこそ他のどんな存在よりも心を読まれることを恐れ、私には絶対に近寄ってはきません。ただ、安全なのはいいのですが、近づいて来ないとなると管理はかなり難しくて……ほとんどはペットたちに任せています。お燐なんかは怨霊と会話ができるそうなので、基本的に怨霊はお燐に懐きますね」

 

 お燐も地霊殿の妖怪だというのなら、怨霊を喰らうのだろう。それなのに懐くとなると、怨霊はそれだけ他人との触れ合いに飢えているということになるのだろうか。一度死んで地獄に落とされて、永遠に言葉を話せない魂だけの存在になってしまった時のことを想像してみると、相手がたとえ自身を食べる者であろうと言葉が通じるのならば、近づきたくなるのもなんだかしかたがないのかなと思えてくる。

 そんなことを考えながら手元を見下ろすと、どこか自慢げに口元を緩めた黒猫の姿が目に入って、「すごいですねぇ」とその身を撫でた。実際、妖怪の身でありながら怨霊と会話ができたり操れたりする能力を持つことは並みはずれているし、相当な力や数の魑魅魍魎どもを喰らってきた可能性が高い。

 

「で、ここが中庭! 結構いい場所でしょ?」

 

 こいしがバッと手を広げて示すので、建物の内部から一歩中庭に踏み出して、辺りを見渡した。

 そこは中庭と言うだけあって地底にある割に多くの緑で溢れ、美鈴が管理する紅魔館の庭に負けず劣らぬよき雰囲気を放っていた。中心には巨大な穴が空いており、その周りだけは土と石がむき出しになっているのだが、そこに至るまでの道にシャラノキが定期的に並んでいたり、モクレンがところどころに咲いていたりしている。バラやカキツバタなどは数が多く、堂々と咲き乱れ、バラは赤や青をはじめとしたさまざまな色が揃っているようだ。

 これまで地霊殿の中を見回ってきた中でも動物はかなりいたけれど、中庭ではその二倍以上の動物たちがくつろいでいて、やはり自然がある方が落ちつくのだろうと一人納得する。

 

「さとりと初めて会った時もテラスからここが見下ろせたみたいですけど、してませんでしたからね。確かにここはかなりいいところです」

 

 花や植物がに景色に元気な色彩をつけていることもそうだが、のんびりとしている動物たちを見ているとこちらも安らいだ気分になってくる。多くの生命があるというのに静かなその空間は、寂しさを紛らわすと一緒に安寧の念を与えてくれる。

 

「……こいしはこの場所が大好きなんですね」

「うん、好きだった。ここにいるとすっごく落ちつけるから」

 

 思い出すのは勇儀と相対した時、こいしが妖力で生み出した茨と薔薇だ。攻撃の際にわざわざあんな複雑な形を取るくらいなのだから、この中庭がこいしのお気に入りの場所であることは間違いないだろう。

 中庭に植えられた自然を観賞しつつ、これまで回ってきた箇所と比べ、はるかにゆっくりと歩き回る。動物たちのそばを通るごとに皆が皆さとりに頭を下げたり物珍しげに俺を眺めてきたりするので、そのたびに軽く会釈をした。

 そうして中庭を歩み切ってたどりつくのは中央に空いた大穴の手前だ。飛べるからまったく恐れる必要はないのだが、平面の地面に一か所だけ奈落ができているのを目の前にすると半ば本能的に委縮してしまう。

 

「そこを降りた先が灼熱地獄跡となっています。そこでも私のペットが仕事をしていて、その子には灼熱地獄の温度管理を任せているんです」

「温度管理、ですか。そういえば今更ですけど、冬なのに屋敷内が妙に暖かい気がしましたね。私は温度の変化には疎いのですが、息が白くなりませんでしたし。もしかして灼熱地獄の熱を利用してなにかやったりしてるんです?」

「ええ。ステンドグラスを屋敷の床にも設置しているのですが、そこに灼熱地獄の熱と光を当てることで床暖房にしています。その熱さを調整することで夏でも冬でも快適に過ごすことができるのですよ」

 

 それはまた便利な構造だ。俺も夏と冬の両方に対応したコタツは作ったことがあり、それを自室に置いているが、さすがに館全体に作用する仕組みはなにをどうやっても作れそうにない。建築物そのものに細工がされていることに感嘆しつつ、そんな俺の心を覗いてちょっとだけ自慢そうにしているさとりが、やっぱりどこか子どものように幼く見えた。

 そんな思考に文句を言われることを予期して早々に思考を遮断し、改めて灼熱地獄跡に続くという大穴に向き直る。その際、ふいと、この先の近くに咲いていた薔薇をこいしがぼーっと見つめているのが横目に窺えた。灼熱と言うだけあって結構危なそうなので、こいしもさすがにそんなところへは俺を連れていく気はないらしい。

 吸血鬼だから多少のことではなんともないのだが、たとえほんの微量の危険であろうとも、それが存在する場所へわざわざ自発的に飛び込んでいく気概はなかった。さとりでもこいしでも、とにかくここには誰かから誘われない限りは進まないようにしようと誓って、「ここはもう十分に楽しみました。他にはどんな場所があるんですか?」とこいしに歩み寄る。

 さとりとこいしにとっては自宅なのだから、そこを案内するなんて二人にとってはあまり楽しくないはずなのに、それに付き合ってくれること。お燐が初めて会ったばかりの俺にずっと身を任せてくれていること。その二つがなんだかとても心地よくて、時間も忘れて地霊殿を探索してしまっていた。

 興味があることはすぐに覚える。長く生きているだけあって多少は記憶力に自信があることもあり、地霊殿に関する大体のことを知れたと感じた。

 いつか今度はさとりとこいしを紅魔館に招待して案内してみたい。そんなことを思いながら、今日というなんでもない一日を満喫した。


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