東方帽子屋   作:納豆チーズV

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九.虚しさの果てで息を吐く

 紅葉が木枯らしに舞い、そろそろ去年の冬前に作ったマフラーを引っ張り出して来ようかと思うこの頃。新年を迎えるには一か月もなく、今年もまた太陽が勝つか明星が勝つかの観賞を行うのだろうと半ば確信した予想をする。悪魔ながら俺はそんな勝敗自体には欠片も興味がないけれど、レミリアに喜んでもらえた方が嬉しいので、できることならルシファーにはがんばってもらいたい。

 太陽が沈み、三日月が顔を見せ、しかし眠るにはまだ早い時間帯。俺は自室に設置した電話機から受話器を取り、ベッドの端に座って、繋がっている相手と話をしていた。

 

「リンゴは主人公って感じがしますね。人情に厚い人っていう感じで、どんなに憎くても相手を殺し切れないようなお人好しです」

『……なんとなくわかるような気がします。子ども好きで、身を挺してでも傷を負わせない。そういうことのためなら無理をするのですが、仲間のことを信頼していて、時には頼ったりもする……どうですか?』

「ピッタリですっ。敵もそんなリンゴの強さを認めてるんですよね」

 

 

 初めて地霊殿に行ったのは半月前のことで、その際に電話機を一つあちらに置いていっており、現在、俺は古明地さとりと通話をしている。話題は果実を物語の登場人物に例えるとどんなイメージかというものであり、夕飯の話からデザートの話、デザートの話から果物の話、そして果物の話から今の話へと変化していっていた。

 河童製だけあって性能が高く、地底まで電波が届いているようである。正直あまり期待しておらず、繋がらないことをほとんど承知で置いてきたのだが、これは嬉しい誤算であった。

 今度、博麗神社や阿求の家にも電話機を持って行きたいと思っている。そのためには電話機の数が足りないので、また河童のバザーに顔を出しに行かなければならない。

 

『ミカンはどんなイメージですか?』

「リンゴの親友です。時には戦友として、時にはライバルとして互いを高め合うような熱い関係ですね」

『ふふっ、なるほど。ではレモンなんてどうでしょう。リンゴやミカンと違って酸っぱい果物ですよ』

「敵の勢力、四天王の一人ですね。最初に主人公にやられて、他の四天王から『レモンがやられたようだな……』『ククク、やつは四天王の中でも最弱』『リンゴごときに負けるとは、四天王の面汚しよ』とか言われちゃうんです」

『厳しい評価ですね……』

「でもですね。他の四天王からはそんな風に貶されはしますが、リンゴと激闘を繰り広げた後、その誠実さに自分の卑怯さを恥じて、改心してリンゴに手を貸すようになるんです。そうして自分の力をどううまく使っていくかを模索して、誰かを守りたいという強い意志を持つようになります。最初はリンゴの仲間から敬遠されてたんですが、その一生懸命さに徐々に周りからも認められていくんです」

『あら、かっこいいじゃないですか。私は好きですよ、そういうの』

「いずれは四天王のナンバー(スリー)に対抗できるくらいの力を手に入れたりしてですね……愛される人にはとことん愛される人物でしょうか」

 

 受話器の向こうでさとりが笑っているのが、見えなくても把握できた。楽しんでくれているのだとわかると、段々とこちらの熱も上がってくる。

 

『ナンバー三はどの果実なんですか?』

「んー……パイナップルですね。一時は同じ四天王であるはずのレモンとのあまりの力の差に皆が絶望しちゃって、戦おうという気が著しく失われるんです。そんな皆を元々パイナップルの力を知っていたレモンが励ますんですが、その時点では認められてない彼は、仲間たちの行き場のない負の感情の矛先が向いてしまって……」

『それは……辛い、ですね』

「それでもレモンは皆を励まそうとがんばるんです。リンゴはそんなレモンを見て、自分の未熟さや至らなさを見つめ直し、『レモンの言う通りだ』って立ち上がります。仲間をなんとか説得した後、レモンに『ありがとな。お前のおかげでまた立ち向かえる』、レモンは『俺がやりたいことを、俺が勝手にやっただけだよ』って」

『レモンさん……それで、その後は』

「修行を重ねて、来たるべき再戦で仲間と力を合わせて立ち向かうんですよ。パイナップルは以前と明らかに違うリンゴたちに苦戦するんですが、やっぱりパイナップルの方がちょっと強くて、でもそんな時、レモンがパイナップルの能力の弱点を利用して隙を作ってくれるんです。そこをリンゴがトドメで、なんとか倒すんです」

『レモンさんならやってくれると思ってましたよ』

 

 満足そうに頷いているさとりの様子が頭に浮かぶ。彼女の中ではレモンの評価がうなぎのぼりのようだ。

 俺が個人的にレモンが好きであることもあって、結構設定に熱が入ってしまった。

 

『ナンバー(ツー)はどうなるんですか?』

「ブドウです。力はパイナップルよりちょっと上ですが、パイナップルとの戦闘やその後の修行で強くなっているリンゴたちの力を合わせれば難なく撃破できる程度なんです。けどブドウは真性の外道なので、子どもを人質に取ったり果肉を腐らせる毒を使ったりする作戦でリンゴたちを追い詰めます」

 

 ブドウの皮は黒に近い色をしているし、食べるとたまに種が入っていて食べにくいから、評価はこんなところだ。そんなことを言ったらミカンにも種が入っているが、あれは中が透けて見えるから問題ない。俺はブドウを皮を剥かずに食べるので、その時に種が口の中で転がるとなんとも言えない気分になってしまう。

 

「そうしてそのあまりの外道さに激昂したミカンが突っ込んで、でもパイナップルよりも強いブドウにはミカン一人だけの力じゃ及ばないんです。それでも全力で戦って、隙を作り出して、ブドウを真正面から戦って倒せる舞台に引きずりおろすんです。あとはリンゴ側のメンバーで一番強いリンゴと因縁があるレモンの二人で協力して、ブドウを倒します」

『ミカンさんは陽気で熱い性格ですね。いつも笑顔で周りに元気を振りまいていそうです』

「ミカンは明るい色ですし、きっとそうでしょう。この頃になるとレモンとミカンが互いに互いを認め合うようになります。友情が芽生えたりしてですね……それから四天王最後の一人が……」

 

 どの果物がふさわしいかと思考を巡らせる。バナナ……は第三勢力のボスっぽいイメージだからボツ。モモはイチゴという正当ヒロインの友達的な立ち位置だ。四天王の頂点というと果実の中でも存在が際立っているような感じがするから……。

 

「ドリアン、ですね」

『ドリアン……私は食べたことがありませんね。おいしいんでしょうか』

「や、私も食べたことはありません。ただ、とてつもなく臭いがキツイ代わりにかなりおいしいとよく聞きますね。リンゴというもっとも知れ渡っている果実と、ドリアンという果物の王様とまでされる果実。最後はその二人が一騎打ちで勝負して、互いが互いを認め合う……」

『ふふっ、本でも書けそうですね』

「それなら今度実際に書いてみましょうか。最近は外の世界から紙がたくさん流れてきたおかげで紙の価値が下がってきていますから、ちょうどいいかもしれません」

『あ、私も本を書いたりはしていますよ。サトリとしての能力で心が読めてしまうので、書いてある文字でしか人の心がわからない本という存在は、とてもいい刺激になるんです』

「ほほう。あ、そういえばずっと気になってたんですけど、電話越しで心は読めるんですか?」

 

 これまでの会話からして心が読まれていないことはほぼ確信していたが、一応の確認をしておく。さとりからは『読めません』と返ってきた。

 

『ですからかなり新鮮です。会話はこうやって、相手の次の言葉がどんなものかと楽しみにして待つものなんですね。初めて知りました』

「……やっぱり、心を読むことができるっていうのは、嫌なことなんですか?」

『いえ……心が読めることが嫌というより、心を読むことで嫌われることが……ふふっ、元より地底の誰よりも嫌われてるみたいですけどね。そんな嫌悪感にまみれた心を見ると、なんだか気落ちしてしまいますから』

 

 反射的になぐさめの言葉をかけようと口を開いたが、なにを言っていいのかわからず、パクパクと動かすだけだった。生まれた時から自身の能力に悩み続けてきた相手に対し、いったいどんな口上が彼女の心の安らぎに繋がるというのだろう。

 なにを言っても薄っぺらい、単なる文字の羅列にしかならない。そもそも口先だけでなにかを語ってもしかたがないのだ。さとりを救いたいと願うのなら、実際になんらかの行動を起こすしかない。

 

『すみません。空気を悪くしてしまいましたね。今日はもう電話を切りましょうか』

「……私はさとりのこと、嫌ってないですよ。また今度、そっちに行きますから」

『ありがとうございます。待っていますよ。それでは、また』

 

 ブツリと通話が途切れ、ツーツーと電子音が耳元で木霊する。受話器を電話機に戻し、小さく息を吐いた。

 さとりもこいしも、心を読む能力なんて欲しくもなかった。たとえ生まれ持った能力なのだとしても、それを受け入れられるか否かは別なのだ。

 これは俺にどうにかできる問題だろうか、と自問自答する。俺になにが為せるというのだろう、俺に誰が救えるというのだろう。『答え』をなくしてしまった俺でも、親しい誰かを少しでもいい方向へと導くことくらいはできるのだろうか。

 関わったからには考えろ。たとえどんなに億劫でも、未来について考えることを決して忌避してはいけない。逃げていては見えているはずの大切ななにかを失い続けるだけだ。

 ――さとりもまた、こいしのように自身の心とともに第三の目を閉じてしまうかもしれない。だから。

 

「……私の能力なら」

 

 一、『妖怪サトリが第三の瞳によって心を読むという答えをなくす』。二、『妖怪サトリの第三の瞳によって心を読まれるという答えをなくす』。前者はさとりに左右し、後者は周囲の生命すべてに対応させなければならない。俺の能力は他人に適応させる場合、その対象に触れていなければならないので、どう考えても後者は不可能だ。前者にしても俺と一緒にいる時でしか発動できないし、周りに『さとりが心を読めなくなっている』ことを信じてもらわなければ、彼女が嫌われる現状をどうにかすることはできない。

 変革をもたらすべきは周りからか? それとも、さとりの能力からか? まずはそこから思索しないと――。

 目を閉じて、思考に意識を集中させ、さとりの心の暗雲をどう取り払うかを幾度となく模索する。この方法ならどうかと、このやり方では意味がないと。たかが半月の付き合いと言えど、それがこの熟考をやめる理由にはならなかった。

 あんなくだらない会話を純粋に楽しいなんて評価してくれる彼女に、『答え』を失うなどという、あんなどうしようもないむなしさを味わわせたくない。

 

「――お姉さま」

「え」

 

 その声はとても近く、すぐ目の前から聞こえた。瞼を開ければ、どこか不満そうな顔をしたフランが目に入る。

 扉を開く音や足音が耳に届いてこなかったことに驚いて、もしかしたら音を消す魔法を使っていたのかもしれないと思ったが、それを先読みしていたかのように「私はなにもしてないわ」とフランが釘をさしてくる。

 

「お姉さま、なんだかすっごく真剣に悩んでたんだもん。私は普通に歩いてきたのに、お姉さま気づかないし」

「えっと、その、すみません。フランの言う通り、ちょっと考えごとをしていまして……」

 

 あいかわらず不満顔ながら「別にいい」と、フランが俺の隣に落ちるようにして座った。ベッドが弾み、少しだけ俺の体も持ち上がる。

 

「……やっぱりお姉さま、幻想郷に来てから変わったわ」

「変わった……? 私が、ですか?」

「うん。前までは、なんだかいつもつまらなそうにしてた気がする。その時はそう感じなかったけど、最近のお姉さまを見てると『ああ、きっとあの時のお姉さま、本当は楽しくなかったのかも』って。それくらい、幻想郷に来てからのお姉さまは生き生きしてる」

 

 自然と片手が自身の頬に向かった。そこには変わらず無表情が張りついていて、嬉しさや楽しさを表す笑顔などあろうはずがない。それなのにどうしてわかるのかと首を傾げると、「だって」とフランが続ける。

 

「お姉さまとは生まれた時から一緒なんだもの。今の私ならそんなの、目を瞑ってたってすぐわかるわ」

「……そうなんですか」

 

 つまらない。楽しい。そんな感情、俺自身のものを俺ですら疑わしく思っているというのに。

 頬に触れる。いつまで経っても、その表情は変わらない。嬉しさや楽しさも、苦しみや悲しさも。なにもかもを表さない空虚だ。

 フランに『生き生きしてる』と言われて、ふと自分で自分がわからなくなった。俺は楽しんでいるのだろうか。幻想郷での生活に案外満足しているのだろうか。霊夢や魔理沙、紫や幽々子。いろんな人間や妖怪と出会って交流を重ねることに喜びを見出しているのか。

 ――頬が、目玉の破片がこびりついているかのように生温かかった。部屋中に二人分の血が飛び散った、小さな海が広がっているような気がした。

 胸が痛む。息が詰まった錯覚を覚え、半ば反射的に大きく息を吸った。フランはそんな俺を、不思議そうに見つめている。

 

「フラン、は」

「なに? お姉さま」

「……そんな私のことを、不満に思っていますか?」

 

 そう問いかけると、フランはパチパチと目を瞬かせた後、くつくつと意地悪そうに口の端を吊り上げた。

 

「そりゃあお姉さまを独占できなくなったことは正直不服だわ。でも、霊夢や魔理沙、ルーミアとか紫とかと遊んでるお姉さまを見てると、そんなのもなんだかちっちゃなことだって思えてくるの」

「どうして」

「そんなお姉さまと一緒にいるのが一番楽しいから。お姉さまが幸せなことがわかって、私もちょっとおんなじような気分になれるから」

 

 こてん、とフランが頭を俺の肩に預けてくる。

 

「それに夜はいつでもいつも私のお姉さまだもん。だから、昼間は皆に貸してあげるの。今のこの時間は、レミリアお姉さまにだって渡さないわ」

「……そんなこと言われると照れちゃいます」

「じゃあもっと言っちゃおうかしら」

 

 さきほどまでの不満顔はどこへやら、フランはごろごろと猫のように擦り寄ってきた。適度にその相手をしながら、少しだけ思考に意識を傾ける。

 フランがこのままでいいと言ってくれるのなら、今のまま、無理に変わらなくてもいいか。たとえ他人から楽しそうにしているとか生き生きとしているとか称されても、どうせ俺には自分がなにを感じているのか、それが正しいのかどうかさえわからない。

 狂わないと先に進めなかった。だから、俺はいつも狂っていると自分に言い聞かせてここまで来た。そうしてようやく本当に狂い出してきてしまった。ただそれだけのこと。

 

「今日は一緒に寝ましょう」

「あれ? 疑問形じゃないのね。お姉さまから言い出す時はいっつも『今日は一緒に寝ましょうか?』なのに」

「そういう気分なんです。ダメでしょうか?」

「ううん、私もそうしたかったから」

 

 フランの頭を帽子越しに撫でると、彼女の目が気持ちよさげに細まった。いつまで経ってもこの反応は変わらないなと思いながら、ゆっくりと手を動かし続ける。

 明日は久しぶりにフランと一緒に一日中を過ごすことにしよう。明後日以降は行ける日に地霊殿に行って、今度はさとりやこいしに地霊殿をしっかりと案内してもらって……。

 すでに胸の痛みは消えていた。ひどく明るいフランの微笑みが、湧き上がってきた恐れを消してくれるようだった。


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