東方帽子屋   作:納豆チーズV

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八a.どうか虚像の真実を見抜いて

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Satori Komeiji □ □ □

 

 

 

 

 

 ――心を読むという行為は、他人の考えることや感じたことの隅々までを盗み見ることそのものだ。

 この世に生まれ落ちた瞬間から(サトリ)として『心を読む程度の能力』を備えていた私は、ありとあらゆる人々の心を垣間見て育ってきた。

 私と妹にとってはそれが当然のことだった。相手が発する言葉など関係なしに、他者の表層意識を読み取ることで思想や意図の全部を理解できる。いや、理解させられる。

 好奇心、無関心、恐怖、憐憫、哀愁。この目を通して見ゆる感情にはさまざまなものがあったけれど、ただ一つだけ共通していることがあった。

 私が第三の目で見つめている時間が長くなるごとに、私がなにかの言葉を発するたびに、相手の心に『嫌悪感』という一番目にしたくない心の働きが増幅していくのだ。ただ私がそばにいるだけで、私はなにもしていないのに、皆私を避けるようになる。

 サトリとは心を読むことで人間を驚かすことを生業にする妖怪らしいのだが、あいにくと私と妹はそんなことをして生きていけるほどに精神ができてはいなかった。

 読みたくもないくせに他者のすべてを暴いてしまい、嫌われたくないのに嫌われて、ただただ孤独に日々を過ごす。

 すべての生命は他者がいなければ決して生きてはいけない。

 そんな中、心の通じ合える、すべてをさらけ出すことができていた一人の肉親だった妹が、ついに自分のすべてに嫌気が差して、心を閉ざしてしまった。果てしない孤独の中で唯一の温もりだった彼女は、ただ無意識に従って放浪するだけの『小石』になってしまった。

 私はそれが本当に嫌だった。心の底から認めたくなかった。私がこれまで他人の嫌悪感を我慢して生きてこられたのは、ただ一人私を受け入れてくれる大切な存在がいたからだったのに。

 それでも、だからこそ私には、心を閉ざしたいと願った彼女の気持ちが痛いほどに理解できてもいた。それはいけないことだと、それは悲しいことだと指摘することもできずに、一切の口出しをせず、私はただ無為に他人からの接触がほとんどない屋敷に引きこもっている。

 私はいったいなにをやっているのだろう、もっとやるべきことがたくさんあるだろう。ふとそう思うことがあると同時に、私ではどうしようもできないという考えにも至ってしまう。妹の気持ちを理解できている私だからこそ手の打ちようがわからないと思い込んでしまう。そもそも、他者との接触を意識的にも無意識的にも避けてしまうような臆病者にはなにも為せやしないのだと。

 待っていたところで、なにも変化なんて訪れるはずがないのに――――。

 

「なかった、はずなんですが……」

 

 はぁ、と小さくため息を吐いて、一旦手元の本を閉じてタイトルを見やった。

 すなわち『ストーカーの安全な撃退法』。普通に生活していく上でならば読まなくてもいいというか、決して読まないような書物だ。

 読書は、いつもは普通の本、心情描写が豊かな小説を好んで読むようにしている。それがなぜ今はこんなものを読んでいるのかと言えば、妹の現状に深く関わっていた。

 最近、頻繁に家に帰ってくるようになったこいし(大切な妹)が、とても楽しそうな様子で『変態でストーカーの友達』について話してくるのである。

 

「……えぇと、まず前提として、万が一に備えて防犯ブザーを常に身につけておくことが重要、と……近いうちに準備してこいしに渡しておこうかしら」

 

 再度開いた本の内容を吟味して、知識として頭の中に叩き込んでいく。こいしは友達と言っていたし、ずいぶんと楽しそうにしているようだったから、きっと変態やらストーカーやらは正しく相手のことを表現していない……と思うのだけれど、やっぱりそんな不名誉なあだ名がつけられた相手となると警戒せざるを得ない。それに、もしも本当に本物の変態のストーカーだったら大変だ。そうなった時は騙されている妹に代わって、心の読める私が物理的にも心理的にもその変態ストーカーを排除しなければならない。

 そんな風に気合いを入れ直して、パラパラとページを捲っていく。タイトルは撃退法と銘を打ってはいるが、前半は付き纏われないための対策がほとんどだった。そこに書いてあるのだから、どうせならとそこもきちんと読み込んでおく。

 

「本当に、悪い人ではないとは思うのだけど」

 

 こいしは心と第三の目を閉ざすことで『無意識を操る程度の能力』という、呪いにも似た強大な力を備えていた。およそ生命ではありえないほどに存在感が希薄であり、こいし自身も己の行動に無頓着だから、彼女には誰もが無関心以上の感情を抱かない――抱けない。たとえ万が一出会って話をすることに成功したとしても、よほど強くその心に彼女の存在を刻み込んでいなければすぐに忘れてしまう。こいしもまた、すべてを忘れてしまう。

 そのはずなのに、最近の彼女は毎日のように『知ってほしい』とばかりに私へ新しい友達ができたことを語ってくるのだ。そんなことが起こり得るはずがないのに、ろくに彼女を知らぬ者には無関心以外の感情を抱くことができるはずがないのに。

 それに、あんなに嬉しそうにしている妹の顔は、これまで生きてきた中で初めて見た気がしたのだ。

 

「この数か月で、いったいなにがあったことやら……」

 

 私には想像もつかないとんでもないことが起こっていたのか、そんなことはなくすべてがほんの些細なことだったのか。

 なんにせよ、私はその『変態でストーカーの友達』を警戒をすると同時に、どこか期待にも似た感情を抱いていたことは否定できない。

 

「……ふむ」

 

 その後は極々普通に、静かに本を読み進めていた。中庭を見下ろすことができる二階のバルコニー。いつもなら怨霊が漂っているだろうすべての場所は、私が来れば途端に静かなものへと変わる。

 この屋敷で騒がしい場所と言えば、動物たちが過ごしている区画だろうか。動物たちからは言葉を介す生き物ほどには嫌われないから、比較的安心して付き合っていける仲だった。

 パラ、パラ、パラ。紙が擦れる音だけが、広い空間で静かに響き渡る。

 ストーカーの撃退でもっとも有効的なことは証拠を取り押さえて法的機関へとそれを提出すること……残念ながら、地底にそんなものは存在していない。地上も同様だろう。これは外の世界の本を誰にでも読めるようにアレンジしたものなので、役に立たない情報がかなり存在している。

 幼稚園という謎の施設に通う女の子をストーキングするストーカーの挿絵があまりにも絵に描いたようなデザインというか、一目見ただけで怪しいと判断してしまうような服装をしていたので、思わず口の端に笑みが浮かぶ。

 そんな時、ふいと二人分の足音が私の耳に届いた。

 本から顔を上げて、胸元の第三の目と一緒にバルコニーの入り口の方へと視線を向ける。そこにいたのは見慣れた妹である古明地こいしと、銀の髪に金のそれが混ざっている変わった髪色をした幼い風貌の人間であった。

 

「こいし、帰っていたんですね」

 

 妹の隣にいる少女、つまりは見知らぬ客人への挨拶よりも先に、まずは妹の帰還を迎えてみた。とりあえずこうすればこいしの隣の彼女の心に多少は動きが出るだろうから、ジャブを繰り出すようにそれを確認しようとしてみる。ちなみにジャブとは、外の世界で牽制や様子見のような意味を持っているらしい。

 

「ただいまって言ったよ」

「そうなんですか?」

 

 動きがあった。読める心の範囲は、なにも考えている言葉だけではない。表層意識であれば対象が浮かべている景色、すなわち心象も見通すことができる。

 こいしと手を繋いで地霊殿に入る時の光景。確かにこいしは「ただいま」と言い、私に心を読まれた本人も「おじゃまします」と言っていた。

 

「あら、本当みたいね。ごめんなさいね、反応してあげられなくて」

 

 こいしと手を繋いでいること、きちんと認識できているらしいことに少々驚く。それに彼女はわざわざここを訪れるだけあって私に心を読まれるということをあらかじめ覚悟してやってきたようだ。

 私の微笑みに、彼女は私が心象を盗み見たことに気づき、同時に、少々奇妙な感覚をその心の中に見つけた。

 私の名前、それから私がこいしの心だけは読めないこと。これだけならばいいのだが、どうやらこれはこいしから聞いたのではなく、元々彼女が知っていた情報のようで……。

 疑惑が顔に出てしまっていたか、人間の少女が途端に慌てた表情をする。またしても不可思議な知識が私の第三の目を通して垣間見えた。

 原作知識、世界の秘密にも等しい異端の記憶――。

 この時点で私は、目の前の少女が決して普通の存在という枠に当てはまる存在ではないことを確信した。

 

「考えちゃいけないことを考えちゃいけないと考えられても、私には読むことしかできないのですが……」

「あ、いえ、私が考えてることは全部嘘ですからっ。気にしないでください」

 

 私? 彼女の心の中での一人称は『俺』だ。その割にはほとんど違和感を覚えないというか、彼女自身がそれを疑問に思っていない……表面上の態度と表層意識とが一致していない? 珍しいどころか、こんなのは初めて見た。

 

「『嘘嘘嘘嘘嘘。いや、本当だけど……って違う、嘘です』なんて考えられてもねぇ……その思考もバレバレですから」

 

 とは言え、それ以外の思考回路は普通の妖怪と大差ないようだ。覚悟してきたにしてはつたない想像に、思わず呆れて大きく息を吐いてしまう。

 どうやら私と会うに当たって『開き直る』という対策を立ててきたみたいだが、完全に失敗していることは彼女自身も自覚しているようだ。

 ここらで自己紹介をしておこうと思い、私はすっと自身の胸に手を置く。

 

「私は古明地さとりと申します。とは言え、あなたはその名前をすでにご存じのようですが……こいしから聞いたのではないみたいですね。原作知識、とやらから手に入れた情報ですか」

 

 さきほど思考を読んだ時にもこいしから聞いたわけではないことをわかっていたが、「ご存じのようですが」のところで、より顕著にそれに関する情報が現れた。

 

「うぐぐぐ……私は、レーツェル・スカーレットです。吸血鬼……じゃなくて、人間をやっています」

「『今は人間に変装してるから人間で通さないと。いや、前世では本当に人間だったけど』、ですか。ずいぶんと不思議な記憶をお持ちのようです」

 

 前世の記憶持ちとなれば、いろいろと奇妙な知識を備えているところにも納得できる部分がある。閻魔や死神がそういうことが起きないように管理や監視をしているはずなのだが……不具合や例外があってもおかしくはないか。

 前世、と私が口にしたからか、一瞬だけ彼女の心に前世らしき場所の光景が垣間見えた。見たことがない細長い鉄の建物が乱立する、広大で無機質な都であった。たとえ地上であろうと、こんな光景は広がっていないはずだ。

 

「もう、お姉ちゃん。あんまりレーチェルをからかわないでよ」

 

 と、こいしが珍しく私を窘めるものだから、一瞬思考が止まってしまった。

 

「こいし……? えっと、ごめんなさいね。やっぱりいつものクセで……」

 

 いつもは私の言うことには素直に聞くような姿勢を取っているのに、今日に限ってこうまでハッキリと自分の感情を吐露している。もしかしたらレーツェルとやらの影響だろうかと、改めてそちらに三つの目を向けた。

 察しが悪いことに、そこまで至ってふと、ようやっと彼女がどういう存在なのかに見当がついた。

 

「こいし、もしかしてこの人があなたの言っていた」

「地上でできた初めての友達、だよ」

 

 事前に『変態でストーカーの友達』と聞いていたものだから、もっと見た目変人な感じを予想していた。モヒカンだったり、アホ面だったり、マスクとサングラスとニット帽をかぶっていたり。なんというか、思っていたよりはるかにまともだった。

 いや、見た目はそこまでおかしくないけれど、よくよく考えてみれば思考や記憶に関してだけはそれと同等くらいにおかしいのか。そう思い直し、でもやっぱり……と、期待外れと安堵が混じり合ったような奇妙な気持ちになった。

 

「よかったですね。レーツェルさんも、こいしを深く信頼してるようです」

 

 レーツェルの中に、こいしの口から出た友達という単語を嬉しく思う気持ちが第三の目を通して見えた。悪い人ではないことは確かのようなので、とりあえずは信頼しておこう。

 そこで不意に、彼女の心中に見過ごすわけにはいかない、私にとって不名誉な思考がよぎった。私が百面相をしていること、心を読めなければ変人にしか見えないだろうという感想。百面相をしているのはレーツェルがおかしすぎるからであり、断じて私のせいではない。ちょっとだけムッときて、そっちがその気ならと口を開いた。

 

「変人とは失礼ね。こいしから聞いていますよ。あなたは私の妹を追い回す変態のストーカーだと」

「え」

「初めて聞いた時から、こいしが変な輩に騙されてないかとずっと不安でした。私の想像していた変とは全然違いましたが……どこか頭がおかしいことには変わりないようね。誤解、ですって? ええ、まぁ、あなたはこいしを友達として見ているようですし、変態やストーカーという評価はこいしが飛躍してつけたものの可能性はあります」

「あるっていうか、たぶんその通りです」

「『一応本当に追い回したりはしたけど』ですか。それならこいしの評価もあながち間違ってはいませんね、変態のストーカーさん」

 

 これだけキツめに言われたから、さすがにレーツェルも私が変人扱いされて憤っていることに気がついたようである。とりあえず謝らなければ、という思考が見えたので「『とりあえず謝らなければ』ですか」と笑顔を作って首を傾げてみると、彼女の全身がぶるりと震えた。

 ……半分くらい冗談なのにそんなに怖がられると、ちょっと落ち込む。

 

「……ごめんなさい」

 

 反省して、本気で謝ってくれていることが第三の目を通して理解できた。こうまで素直に対応してくれるものとは、レーツェルという人物はどうやら私の予想をはるかに超えた良識人であるようだ。

 

「はい。本気で謝ってくれていただけたようでなによりです。私もすみません。なにぶんこいしが誰かを連れてくるなんて初めてのことでしたから、必要以上に警戒してしまいました。でも、どうやら悪い妖怪ではないみたいですね」

 

 私には心が読む力があるため、そこに危険な思想が潜んでいない限りはそもそも警戒する必要がない。だからこの言葉は安心させるための嘘なのだけれど、彼女はその真実の一歩手前まで想像がついているようだった。すなわち、私が彼女の心を落ちつかせようとしていること。

 私の経験上、普通の人間や妖怪ならば、心を読まれた上でその方向性が操られようとしていることに気づいた場合には、一瞬にして私への嫌悪感が最高の位まで駆け上がる。そうして不機嫌になって私を遠ざけようとするか、私の近くから去ろうとするのだ。レーツェルにそんな感情を抱かれてしまえば、私だけでなくこいしとの関係に影響が出るかも……と、心が見えるゆえにそれを操作しようとしてしまうクセを後悔していたのだが、やはりレーツェルは相当に変わった妖怪らしい。

 ――俺を安心させるために柔らかい言葉をかけてくれたのだとすればそれはたぶん、いや、きっといいことなのだ。

 鬼のように正直でいることが重要なのだと、信じられないようなことを彼女は思っていた。

 

「……そこまで私に理解を示そうとしてくれた方は、たとえ鬼でも一人もいませんでしたけどね」

 

 鬼でさえも地霊殿には誰一人さえ訪れない、訪れようとしない。鬼が正直であると言っても、やはり言葉を介することができる生き物である限り、サトリの私を極限まで嫌うようにできているのだ。

 

「理解、って。大したこと思ってませんけど」

「普通の方かたなら、数回心を読んだだけでもうんざりして私を遠ざけようとするものです。言葉を介する種ならば特に。こいしが連れてくるだけあって、あなたは普通とは違うみたいですが」

 

 心を操られようとしていることを受け入れるレーツェルの思考を見て、さっきからずっと不思議に感じていた違和感の正体にようやく気がついた。

 さきほどからずっと私と話しているのに、彼女は一切私を嫌わない、嫌おうとしない。今に至るまで私は幾度となく心を読んでみせ、それを使ってからかっているというのに、一切の嫌悪感がレーツェルの内心に窺えないのだ。

 こんなことは初めてだった。心優しいとか、懐が広いとか、そういうものではない。彼女はただ単に、私という存在そのものを受け入れている。いや、むしろ……望んでいる?

 さすがにそれはないか、と首を横に振って私の思考を掻き消した。心を読まれたい存在なんて、動物のように言葉を用いない生物以外にあるはずがない。そうして、気分転換ならぬ思考転換にチラリとこいしの方を見やって、そういえば本来ならば気づくことさえもできないだろうこいしと友達になったのはどういう経緯によるものだろうと、そんな疑問が今更ながらに再度湧き上がってきた。

 

「そうですね……よければ、私にこいしと出会った時の話をしていただけませんか? よければ、ですが」

 

 レーツェルとこいしが顔を見合わせる。反射的にそうしてしまうくらいには、信頼関係が築かれているようだった。

 

「私は構いませんよ。こいしはどうです?」

「レーチェルがいいなら、別にいいよ」

「レーツェルです」

 

 そんな二人がテーブルの近くに座ろうとして、イスが一つ足りないことに気がついた。

 

「あ、すみません。イスが一つ足りませんね」

「大丈夫ですよ」

 

 急に空間が割かれ、レーツェルがそこに手を突っ込んだかと思えば、そこそこ座り心地がよさそうな洋風のチェアが飛び出てきた。どうやら自分で作り出した空間を開く倉庫魔法というものらしく、そこには一通りの生活用品くらいは揃えているとのこと。

 こいしとレーツェルが丸テーブルを囲んで座る。話を聞く上で本を持っていては失礼だと思い、後で読もうとテーブルに積んであった本の上に『ストーカーの安全な撃退法』を置く。レーツェルがそのタイトルを見て、言葉にできないいたたまれない感情を持ってして私を見てくるものだから、さっと視線を逸らしてしまった。

 

「……まぁ、いいです。さて、なにから話しましょうか……」

「レーチェルが私をストーカーしてきた日のことからじゃないの?」

「ええ、まぁ、そこからなんですけど」

 

 いい加減変態のストーカー扱いされるのは不本意だ、という思いが見える。しかしそのすぐ後に『こいしは本気で言ってるわけじゃないし、さとりもからかうネタにしているだけだろうから、別にいいんだけどさ』と真反対のことを考えるものだから、ちょっと面白くなって、それを復唱して「よかったですねこいし、公認ですよ」なんて言ってしまった。

 

「わーい」

「むぐぐぐぐ……」

 

 こんなことまでして、どうして彼女は私に欠片も嫌悪感を覚えないのだろう。本当に不思議だ。

 

「あの日の前日は、咲夜と……うちの住み込みの人間のメイドさんと一緒に買い物に出かけたんです。こいしが横を通りすぎた時、なにか不思議な感覚を覚えまして、次の日にはどうしてかこいしを探してました」

「『変態的感覚がビビっときたわけじゃないから』ですか。いえ、別にそんなこと欠片も思ってませんでしたけど……」

「むぐぅ」

 

 さすがに『思考が読めるならさとりが言うより早く先手を打ってやる』というのは無理がある。心の機敏に関しては私の方が何枚も上手だ。

 

「まぁそんなこんなで、ぼーっとしてたらこいしを見つけて、追いかけました。それで出会ったんです。はい、出会い終わり」

「一緒に蕎麦屋に行ったりしたよねぇ。茸蕎麦美味しかったなぁ……って、あれ? なんで私、こんなことまだ覚えてるのかな。いつもはなんでもかんでもすぐ忘れちゃうのに」

「別にいいじゃないですか。私は覚えていてくれて嬉しいですよ」

「んー、そっか。じゃあ別にいっかー。なんだかレーチェルに関わった時のことって、全然忘れないみたい」

 

 これは、いったいどういうことなのだろう。首を傾げる。能力のせいで物事をすぐに忘れてしまう性質であるはずのこいしが、数か月も前の、それも蕎麦屋に行ったなんてほんの些細なことを覚えているなんて、普通ではありえないことだった。

 レーツェルと出会ってこいしに変化が起こった……というよりも、こいしはレーツェルに関わった時のことだけを鮮明に覚えているようだから、レーツェル自身に原因があると考えるのが妥当だ。前世の記憶、原作という謎の情報元から仕入れられた知識、こいしに与える謎の影響。まったくもってレーツェルは変な特徴ばかり備えている。変態という表現もあながち間違っていないのかもしれない。

 

「それでその後もちょくちょく会って……そうそう、私の家で夜空の観賞会なんてやった時に初めてこいしはフランと会ったんですよね。フランっていうのは私の妹で、とっても可愛い子なんです」

「ええ、あなたのイメージがよく伝わってきますよ。色とりどりの宝石を備えた美しい翼と、天真爛漫な振る舞いをする金髪の女の子の姿が」

 

 相当大切に思っているようで、家族愛やそれに類する感情が溢れんばかりに伝わってくる。しかしほんの一瞬、それと一緒に、ほんのわずかに歪な情感が混じり合っているようにも見えた。

 好意に隠れ、あまりに小さく複雑すぎて判別がつかない。すでにその刹那の思いはなくなってしまっていて、見間違いだったのかなと首を傾げた。

 

「『そういえば原作でも、主人公の頭の中にある弾幕を再現したりしていた』って、本当に変なことばかり考えますね」

「あ、その、えっと」

 

 代わりにまたしてもおかしなことを考えているようなので、口に出して動揺を誘ってみる。

 原作……派生作品の基盤、オリジナルの作品のことをそう呼ぶのだったか。原作の知識から私を知っている、原作では主人公の頭の中にある弾幕の再現……ここが物語の世界だとでも言うつもりなのだろうか。いや、正史? わざわざ原作なんて言葉を用いる以上、彼女の中ですでにここは原作とされるであろうオリジナルの歴史をたどっているわけではないことは確かだ。

 彼女は自身がアカシックレコードを覗き見ることが可能だとでも言うつもりだろうか。それともなにかをキッカケに未来を覗き見ることに成功した? いや――これ以上はやめよう。飛躍しすぎた想像は妄想にしかならない。この世界が本当は物語の世界だとか、外史だとか、すぐには信じられないどころか頭がおかしくなったんじゃないかと疑うくらいおかしな話だった。

 

「まぁ、今は追及しないでおきますよ。せっかくこいしの連れて来たお客さまに粗相を働くわけにはいかないので」

 

 もしかしたら本当はすべてに気づいているのでは、とレーツェルが疑惑を抱いているのが窺える。あいにくと、この程度の会話で全部を察せられるほど器用で便利な能力ではない。

 

「……それより続きを話してください。こいしがそのフランさんと会って、どうしたんですか?」

「ん。えーっと……次の日から、三人で一緒に遊ぶようになったんです。とは言っても、最初はいろいろと大変だったんですけどね」

 

 大変と言いつつ、彼女の頭の中には三人で仲良く遊んでいる風景しか映っていない。そのことを言及してみると、「大変だったんですけどね」と念押しをされる。ちょっとだけおかしくなって、口元を抑えた。

 

「それである日、霊夢と魔理沙、霖之助……えっと、最近付き合いの多い人間のお三方をこいしに紹介して、コーラを飲んで帰ってる途中に、地霊殿に来ないかって誘われたんです」

「その時は断ったみたいですね」

「……まぁ」

 

 条約があったから断らざるを得なかったみたいだが、その時のこいしの反応が相当心に響いたようだ。彼女を通してその際の心象が窺えるのだけれど、確かにこいしは心なしか悲しそうにしているように見える。

 こいしが負の感情をほんの少しでも表に出していたことに、私は一瞬言葉を失ってしまった。いつもなにを考えているのかわからないような無邪気そうな笑顔を浮かべて、マイナス方面に位置する感情なんて一切吐露しようとしない。そんな彼女がほぼ無表情だったと言えど、一ミリほどに小さく短くとも、それを解放したのだ。

 こいしにとってレーツェルとの出会いはそれだけ重要で大切なものだったのだと、ここにもって真に正しい意味で理解する。

 

「条約のことを霖之助に聞かされたばかりでしたから。あの後に紫を……ちょっとばかりインチキくさい知り合いの妖怪を探して、この狐の仮面に、一定の条件を満たした上でかぶっていたら周りから人間に見えるカラクリをしかけてもらったんです」

「ここに来る途中、こいしに気配を消してもらうなら、それもいらなかったんじゃないかと思ったみたいですね」

「ちょっとトラブルがあったせいで、前言……前思撤回しましたけど」

「知り合いの鬼に絡まれたんですか。よく無事でしたね……」

 

 心を読みながらの会話に、レーツェルの内心を覗くことができないこいしが目を瞬かせていた。レーツェルもそれに気づいたようだ。

 

「あ、ごめんなさい。えぇっと、そういうわけで、この地霊殿までたどりついたんです。実質的にはこいしとは、数か月程度の付き合いですね」

「ふむ……」

 

 嘘は言っていない。それに、こいしが私に『変態でストーカーの友達』について語り始めたのも数か月前からだ。たったそれだけの付き合いで、こいしにとってのレーツェルという存在の立ち位置はいったいどれほどまでに……。

 この思いは嫉妬だろうか。それとも、なにもできない自分に対するもどかしさだろうか。私は、他人が妹をよい方向へと変えていくことを、私の手ではないことをどこか不安に思っているのか。

 レーツェルが倉庫魔法で取り出した急須からお茶を注ぎ、私とこいしにその湯呑みを渡してくれる。本が近くにあると濡れちゃうかも、というレーツェルの心配の感情が窺えたので、遠慮せず、本を一時彼女の倉庫にしまってくれるようにと頼んだ。

 

「レーチェル、おかわりっ!」

「わかりました。あとレーツェルです」

「こいし。レーツェルさんはさっきからずっと訂正してるみたいですが、『なんだか親しみが感じられるからレーチェル呼びでもいいか』って思ってますよ」

「ほんと?」

 

 レーツェルがほんの少し困った風に頷く。こいしが満面の笑みを浮かべるものだから、なんだかやるせない気持ちになっているレーツェルの心情が理解できて、小さく噴き出した。

 その時にまた彼女が失礼なことを考える。『心を読めると知っていなかったら幻覚でも見えるんじゃないかと疑っていることだろうと思う。もしくは周りから心配されてもしかたがないレベルの妄想癖があるとか』なんて。一度目にそのことを思った時と同じ笑みを浮かべて対応すると、慌ててレーツェルは頭を下げた。

 

「ごめんなさい……」

「よろしい」

 

 ――ふと、そこで、なんとはなしに自身の頬に手を添えた。そうして気づく。

 さっきからずっと私はとても自然に、楽しげに笑っているのだ。他人とこうして会話を交わして、こうまで愉快な気持ちでいられたことなんて、今までで一度も経験したことがないような気がする。

 ……ああ、そうだ。中庭を見やり、第三の目を逸らすことで余分な情報を遮断して、ほんの少しだけ思考にふける。

 いつもいつも私の周りには大切な妹と、私を嫌う誰かしかいなかった。心を読まれて、それでもなお受け入れてくれる常識外れの存在になんて出会ったことがなかった。

 楽しげに、ではない。楽しいのだ。私はレーツェルとこうして軽口を叩き合うという行為自体が、この短時間で好きになってしまっていた。

 

「レーチェル、おかわりー」

「って、さっきもおかわりしたばっかりじゃないですか。あとレーツェルです」

「えへへー」

 

 それを理解した今なら、こいしがいつもと比べて格段に幸せそうにしている理由もわかることができる気がした。

 安心――安らぎ――落ちつき――安息――日常――。

 レーツェルが空になりかけていた私の湯呑みにお茶を注いでくれる。そこでふと我に返って、なんとなく「ありがとうございます」とお礼を口にした。それは緑茶を入れたことに対するものでもあるし、別のなにかに対するものでもあったような気がする。

 

「ところで、レーツェルさん」

「なんですか?」

「いつもこいしが世話になっているようで、ありがとうございます。今後とも迷惑をかけることがあると思いますが、よろしくお願いしますね」

 

 レーツェル・スカーレット。この少女になら妹を任せられると、ついさきほどとは打って変わって、どこか穏やかな心持ちで口にした。

 彼女はこれを断りはしないだろう。たとえ心が読めなくなったとしても、それだけは言い切れる自信がある。

 

「あ、いえ、こちらこそお世話になってますよ。それに……」

「それに?」

 

 ――せっかくこうしてさとりとも顔を合わせて話したのだから、できるのなら仲良くしていきたい。

 目を見開いてレーツェルを見つめ、ああ、と思う。そして、どうして、と。このレーツェルという少女は、なぜそんな気持ちを本気で抱くことができるのだろう、と。

 どんなに優しい心を持っていても、たとえ聖母のような存在であろうとも、心を読むという相手に一切の嫌悪感を抱くことがないなどありえない。心を読む妖怪であり、ありとあらゆる者たちの心を見てきた私だからこそ、それは絶対に間違いがないのだということを知っている。そのはずなのにどうしてこの目の前の少女は。

 わからない。なにもわからなかった。だけどなんらかの理由があるのだと、どこか私は確信を抱いていた。

 初めてレーツェルという少女の心をこの目(第三の瞳)で見つめた時から、ずっとそこに『それ』がある。果てしなく深層意識に近いゆえに正確には読み取れない、けれどもギリギリ表層に存在する、今にも消えてしまいそうな小さくも強い思い――渇望。きっとそれが私を嫌わない理由の根幹を担っているのだと、それもまた私は信じて疑わなかった。

 知らなければいけないと思った。私は私の意思で、それを知りたいのだと願う。

 こんなにも楽しく誰かと話せた覚えがなかったから。そして、こいしにとってそうであったように、私にとってもレーツェルが初めての友達だったから。

 

「ふふ、ふふふっ……そうですね。いろいろとご迷惑をおかけしますが、私のこともどうかよろしくお願いします」

「もちろんです」

 

 そこから私は、私自身のことを話した。この地霊殿は灼熱地獄の上に建てられていて、そこから溢れてくる怨霊を抑える役割を閻魔さまから任されていること。それは怨霊にさえ嫌われるサトリである私だからこそできるのだということ。とは言え、実は灼熱地獄や怨霊の管理は、普段は人型化できるようになったペットに任せていること。

 途中でニートなどという不本意な単語がレーツェルの頭の中に浮かんで問い詰めたりはしたものの、私は、これまでの人生――妖怪生でも可――の中で一番たくさん笑った日なのではないかというくらい、楽しい時間をすごすことができた。

 気づけば結構な時間になっていたようで、別れの時が来てしまう。なんだか恥ずかしくて表面上は隠していたが、こいしが名残惜しそうにしていたように、私も実は同様の気持ちであった。

 彼女はまたきっと、この地霊殿に訪れるだろう。

 奇妙な感覚ながら、聞くまでもなく、なぜだか私は最初からそうであると知っていた。わかっていた。

 次はどんな話をしよう。どんな話を聞かせてもらおう。差し支えないなら、前世の記憶や原作知識に関して問い詰めたりしてみたい。

 そうして想像を膨らませることがなんだかとても心地よくて、自然と口元に笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


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