夏の終わり、満天の星空を観賞したあの日から一ヶ月の時が過ぎていた。なにがキッカケか、こいしと遊ぶ機会が格段に増え、紅魔館でのんびりしているところにふらっと彼女が訪れてくることも少なくない。
フランもまたこいしと本格的に交友関係を築き始めた。最初のうちはフランはほとんどこいしを認識することはできず、こいしもフランのことをあまり覚えていない風であったが、三人で行動する回数が増すごとに二人とも互いを把握し、覚えることができるようになった。
「おはようございます」
「人形は手を動かすのに、手に繋がれた……って、ああ、いらっしゃい」
そして今日は、こいしを連れて香霖堂へと足を運んでいた。フランはパチュリーと魔法の研究の約束があるということで、今回は来ていない。
香霖堂に来た理由は主には暇でやることがなかったからだけれど、紅魔館、博麗神社、香霖堂に人間の里――基本的にその四つが今の俺の行動範囲なため、こいしに三つ目の場所を教えたいという魂胆もあった。
ごちゃごちゃと拾い物で溢れた店内はあいかわらずと言ったところだ。こいしの「埃くさいなぁ」という感想には、まったくもってその通りだとしか言い返せない。
「よう、こんな時間に出歩いていていいのか? 子どもはさっさと家に帰る時間帯だぜ」
「夕方は、本来なら吸血鬼が起床し始める頃ですよ」
扉の近くには魔理沙が立っていた。もしかしたら、とちょっと奥の方を覗いてみると、なにやらデスクトップパソコンを前にしてうんうんと唸っている霊夢が見受けられる。
あのパソコンもどうせ霖之助が無縁塚かどこかで拾ってきたのだろう。コンセントが繋がっていないのだからつくはずもないのだが。
それにしても三人もいるとは、ちょうどいい。こいしの方に手を向けて、「紹介します」と言って注目を集めた。
「最近仲良くなった地底から来た妖怪で、古明地こいしと言います。よろしくしてあげてください」
「んー、よろしくねぇ」
すでに店の中に入っていたのに霖之助も霊夢も魔理沙もこいしの存在には気づいていなかったようで、自己紹介をして、ようやく三人の視線が彼女の方へ向く。
こいしについてわかったことは、彼女が『そこにいる』とわかっていなければ、誰もその姿も声も認識できないということだ。今回は俺が間接的に『レーツェルと仲がいいという妖怪がそこにいる』ことを証明したために他人にも存在を認められるようになったが、普段は誰になにを話しかけても反応してくれないとのことだから、『無意識を操る程度の能力』とは能力というよりももはや呪いに近いものなのかもしれない。
「よろしくって、私は巫女よ。退治する側なんだから、よろしくなんてしないわよ」
「いつも妖怪とつるんでるやつがよく言うぜ」
「つるんでなんかないわよ! あいつらが勝手に絡んでくるの!」
でもお茶を出したりとかしてるじゃないか。と反論する魔理沙に、「ぐっ」と霊夢が言葉に詰まる。そういえば、俺への対応もずいぶんと甘くなってきた。出会って間もない頃は悪魔がどうだとか神社の評判がどうだとかいろいろ言われたものだが、最近では買い出しの際の留守番を任されるくらいには信用してもらえている。あまり事件を起こさないことやらコタツやらの件等が関係しているのかもしれない。
なんにせよ、誰かに頼られることが嬉しいことは確かだ。
「地底から……そうか、条約は地上の妖怪が行くことを禁じているだけだから、逆はいいのか……」
「……? 霖之助、それってどういうことですか?」
「知らないのかい? 地上と地底の妖怪の間では一つの条約を結ばれているんだ。地底に住んでいる妖怪は他人嫌い、もしくは他人から嫌われるようなやつらばかりでね、まず地上側の譲歩として『地上の妖怪は地底には立ち入らない』と約束している。わざわざ地底に引きこもっておきながら地上に出てくる物好きなんて滅多にいないから、逆のことは考えたことがなかったんだけど……」
「不可侵……ですか」
「ちなみに、地底側の譲歩は怨霊を地上に出さないように管理をすることだよ。地底とは単なる通称で、本来は旧地獄……つまりそこには、かつて裁かれて地獄に落ちた数多くの怨霊がいるんだ」
原作知識にも断片的な情報はあったが、霖之助が語ったことすべては知らなかった。大まかな登場人物の情報、異変の大体の流れくらいしか把握していないから、俺が知り得ているこの世の仕組みなんてたかが知れている。
ただ、怨霊がどれだけ危険なのかは妖怪として重々承知しているつもりだ。
怨霊とは、悪意に満ちていたり強い怨みを抱いていたりしていた人間の幽霊のうち、輪廻転生の輪から外れ、未来永劫幽霊のままとなってしまった存在を指す。実質的な力は幽霊には及ばないくらいの弱い力ではあるけれど、真に恐ろしい怨霊の特徴はそんなものではなく、生者に取り憑くことができるという部分にある。
人間に取り憑けば悪意が乗り移り、殺伐とした疑心暗鬼の心が連鎖して生まれてしまう。妖怪に取り憑けば性格が変わり、その精神を怨霊に乗っ取られてしまう。
特に後者の現象を多くの妖怪は恐れていた。妖怪は肉体が人間と比べ物にならないほどに強い代わりに、精神が非常に脆くできている。鬼や天狗などの圧倒的力を持った存在が英雄とされる人間に退治される話があるのも、その妖怪の弱点を突かれるようななにかをされたからだ。
たとえ怨霊が取るに足らぬ力しか備えておらずとも、気を抜けばいつ憑かれてしまうかわかったものではない。それを地底で抑えてくれているとなれば是非もなく、地上から侵出しないなどお安い御用という思いが条約の内容から透けて見える。
「こいしは、地底に住んでいるんですよね。その、大丈夫なんですか? 怨霊に憑かれたりとか」
「大丈夫だよ。怨霊なんて、誰も私が隣にいても気づきもしないもん」
そこらを闊歩しているだけの怨霊にはこいしを『そこにいる』とは証明できないから、気にするまでもないということか。
「それじゃあ、こいしの姉の方は……」
「お姉ちゃん? お姉ちゃんも平気なんじゃないかな。そもそも私のこの目が開いてた頃も怨霊なんて近づいてこなかったしー」
こいしがぐにぐにと自らの閉じた第三の瞳の膜をいじる。それが開いていた時に近くに来なかったということは、怨霊もまた自らの心を読まれたくないと感じていることに他ならない。悪意や憎悪を他人に植えつけることを好むくせに、それを見透かされることは嫌うなんて、よくわからないやつらだな、なんて思う。
もしかしたら地底の妖怪なんてのは、こいしやその姉のように怨霊からの影響を受けにくいような輩が多いのかもしれない。でなければ住み続けることなんてできやしない。
「私がわからない話はそこまでにしてくれ。それより香霖、さっさと教えてくれよ。なんで式神と人形は異なるものなんだ?」
俺やこいし、霖之助の旧地獄トークを遮って、魔理沙が問いかけた。俺とこいしが香霖堂に入ってきた時、霖之助がなにやら言いかけていた記憶がある。魔理沙はその続きが聞きたいのだろう。
急に割って入って話題を転換させてしまったことを申しわけなく思いつつ、これ以上は口出ししまいと、こいしを連れて店の奥の方へと足を運ぶ。すでにパソコンの操作を諦めていた霊夢は湯呑みにお茶を注ぎ、俺とこいしにそれを差し出してくれたので、ありがたく受け取って、霊夢の隣に腰をかけた。
魔理沙と霖之助の会話の内容は、魔理沙が口にしていた通り、式神と人形の違いについてだった。アリスの人形と、式神――たとえば紫の式神である藍。人形はいちいち一つ一つの行動を操らなければならないが、式神は命令を下すだけでそれを行ってくれる。人形と会話をすることは完璧な一人芝居だが、式神と会話することはそうではない。そういうところを、霖之助は魔理沙に懇切丁寧に説明していた。
「ところで、どうしてこんな話になったんですか?」
魔理沙と霖之助の邪魔にならないよう、霊夢に小声で問いかける。
「んー。これが外の世界の式神だってことはあんたもわかるでしょ。魔理沙がこれを単なる人形と同一視したから、霖之助さんがわざわざ熱弁してるみたい」
これ、という部分で霊夢はさきほどまでいじくっていたデスクトップパソコンを指差した。
吸血鬼は吸血能力の延長で眷属を作ることができるので、あいにくと式神にはあまり縁がない。だから詳しくは知らないのだけれど……霊夢や霖之助がこれを式神だと言うのなら、似たような存在なのかもしれない。計算式とかたくさん解くし。
「それにしても、パソコンですか……電気があれば動きそうですけど、回線がないからほとんど意味がないんですよねぇ。ネットに繋げないパソコンなんて録画のできないビデオデッキみたいなものですし」
俺の部屋にあるアナログテレビも電波がないせいで単なる置物と化している。紅霧異変の際に紫の境界を操る力で映像を飛ばしてもらった時以外、一度も役に立っていなかった。
隅に置かれたビデオデッキに目をやる。これを持ちかえれば、あのテレビも多少の役には立ってくれるだろうか。ビデオデッキが幻想郷に流れついているのならカセットテープがあってもおかしくないし、電力さえどうにかできれば活用ができるはずだ。
思い立ったが吉日、霖之助の名前を呼んで、ビデオデッキに指を向けて「これ欲しい」と伝える。「それはビデオテープレコーダーと言って、あらゆる過去を再現する道具だよ。正直に言うとあらゆる過去を再現という表現がどういうことなのかはまだ理解できてないけど……それもコンピューターに次いで在庫が多い。だから、まぁ、こんなものかな」。提示された金額は思っていたよりも安かったので、手持ちで払えそうだ。
「それ、どうするつもり?」
霊夢が「どうせ使い方わかってるんでしょ」というニュアンスで俺の顔を覗き込んできた。俺が外の世界の道具にある程度詳しいことを霊夢も魔理沙も知っている。
「私の部屋に飾るだけですよ。これ、見た目いいじゃないですか」
「えぇ? 私にはちっちゃい窓があるだけの四角い灰色の箱に見えるわよ」
「私にもそう見えます」
「じゃあどこもよくないじゃない」
「無機物萌えとでも言いましょうか。こういう無機質な感じが好きな人、外の世界にはなかなか多いんですよ」
「はあ? 私にはまったく理解できない世界だわ」
大丈夫、俺も理解できてない。適当に返答しただけで、別に俺は無機物に興奮するような度を越した変態ではない。
「無機物萌えってなに?」と無邪気に首を傾げるこいしには、「こいしは純粋なままでいてください」とすでに手遅れっぽいことを言って誤魔化しておく。
「要するにあれだな。香霖の言いたいことをまとめると、つまりコンピューターを使役するのに必要なものはわからないってことか」
「だから長いものに巻かれることだと言ってるじゃないか」
魔理沙と霖之助の会話も一段落したようだった。魔理沙が霊夢の方に目配せをすると、霊夢は湯呑みのお茶を飲み切って、その場を立ち上がる。
「もう遅いし、私はそろそろ帰らせてもらうわね。あんたはどうする?」
「そうですね。こいしに香霖堂や霖之助を紹介したかっただけですし、私たちも帰りましょうか。こいしもそれでいいですか?」
「うん。それで、無機物萌えって結局なんなの?」
「ごめんなさい。謝りますから、もうそれに突っ込まないでください」
購入したビデオデッキを倉庫魔法で自身の空間にしまい、霊夢に続いて席を立った。こいしの手を引いて、一緒に出口へ向かう。
「暗くなってきたしそろそろ帰るぜ? コンピューターの動かし方はわからなかったし」
「そうそう、拾い物はあまり口に入れないようにね」
魔理沙と霊夢が霖之助にそう告げた。拾い物とはなんのことかと聞いてみれば、どうやら先日の霖之助はそこらに落ちていた外の世界の飲み物――コーラなる怪しげな液体を飲んでいたという。
「四人ともちょっと待って。帰る前に一つサービスをしてあげるよ」
去りかけた俺たちを呼び止めた霖之助が、勝手の方に小走りで行ってはなにやら探しているようだった。一分も経たずに戻ってきた彼の手には黒い液体が入った四つの細いビン、コーラが握られている。
得意げな顔で差し出してくる霖之助に、「消費期限とか大丈夫かな……」とか思いつつ、一応お礼を言って受け取った。即座に錬金術で成分の解明を行い、妙なものや毒やらが紛れ込んでいないことを確認する。とりあえずは大丈夫のようだ。
香霖堂を出た後はすぐに霊夢と魔理沙の二人と別れ、こちらはこちらで、こいしを連れて紅魔館への飛行を始めた。
しばらくして、俺もこいしもコーラを飲み切った辺りで、改めて切り出す。
「紅魔館、人間の里、香霖堂……次に会った時は、一緒に博麗神社にお邪魔しましょう。そうすれば私が普段行くような場所は網羅できます。幻想郷では通信手段が限られてきますから、その人がよく訪れる場所を知っていた方が便利ですからね」
「私の行動は全部無意識からのものだから、意識的にどこかへ行くことはできないよ?」
「でも、こいしはよく私のところに来るじゃないですか」
「なんでだろうねぇ。不思議だねー」
「だから知っていた方がいいと思ったんです。たとえ無意識でも、私に会いに来たのに取り越し苦労で見つからないままじゃ、なんだか申しわけないですから」
そういえば、少し前に河童のバザーで電話機をいくつか買った覚えがある。こいしにそれを一つ上げて、地底の家の方に置いてもらって、遊びに来る際はそのことを教えてくれれば入れ違いになることもなくなるだろう。幻想郷では遠くからの連絡手段が限られてくるが、俺の前世ではメールか電話でアポを取ってからということが普通だった。
でもこいしの行動は無意識によるものだから、いちいちそんな意識的な行動を起こしたりはしなさそうだ。それなら、やっぱり大体の俺の行動範囲を知っておいてもらった方が断然いい。
そんな思考を広げていて、ふいと、隣にこいしがいないことに気がつく。振り返ってみると、彼女は数メートル後ろでぼーっとして空中に留まっていた。
どうかしたのかと近づく俺を、じっと見つめてくる。
「……ねぇ、レーチェル」
「レーツェルです。なんですか?」
笑顔と無表情以外のこいしの顔は、初めて見た気がした。
「地底にある私の家に――――地霊殿に、来てみる気はない?」