夏も終わりに近づいてきた頃、レミリアの提案で新月の夜にパーティを開くことになった。
こういうことは今に始まったことではない。当日の昼に発案、夜に実行などということもこれまで数多くあり、すでに慣れた紅魔館の住民たちにパーティ開催による驚きはほとんどなかった。
まったくではなくほとんどという表現を用いたのは、なぜ満月に象徴される吸血鬼が、わざわざ妖怪が大人しくなる新月の日をパーティに選んだのかと疑問に抱く者もいたからだ。それに関してのレミリアの回答は至って簡単で、「星の光は月の光がない方がよく見えるから」。
満月はその気になれば毎月楽しむことができる。しかし夏における満天の星空は一年に楽しめる回数がとても限られていた。
「……眠そうね」
「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと徹夜で……徹昼? そんな感じで魔法の研究をしてただけですから」
ちょうど一年前の辺りから、錬金術を使った新しい研究に乗り出していた。成果は上々と言ったところで、あと数年も経てばそれも完全な仕上がりになるだろう。
今日はちょうどそこそこ大変な部分の実験をしていたので、気づいたら結構な時間が経ってしまっていた。錬金術の研究は大がかりな仕掛けが必要なことも多く、基本的に魔法で作った空間の中で行うから、普段は体感で判断して「これくらいでいいかな」というところでやめている。今回は時間をほぼ無視して徹夜、その後も朝から昼をすべて使って、結果的に二日も起きていてしまっているので、すぐに寝ようと空間から出てきたところに、パーティ開催の知らせが来た。
せっかくのイベントを休むわけにはいかない。そもそも俺は吸血鬼だから、たかが一日二日寝ないくらいじゃ気分は悪くならないはずだ。
「調子が悪いなら、今日は早めに切り上げた方がいいわよ」
「お気遣いありがとうございます。でも、体調の方は全然大丈夫ですよ」
大きなあくびが出たので、口元を覆う。肉体的には全然平気でも、毎日寝ていることもあって精神は「寝たい」と思っているらしい。
パーティが始まって、とりあえず近くにいたパチュリーに会いに来たのだが、いつもはこちらが心配する側なのに今日は逆に心配されてばかりだ。
それにしても俺は無表情なはずなのに、なぜ眠そう等のことが察せられるのだろう。雰囲気か、目線か、仕草か。いや、眠気くらいなら表情関係なしにわかるのかもしれない。なんにせよ、紅魔館の住民には見破られることが多い気がする。
「あなたが大丈夫だと思っていても、今日はパーティが終わるより早く部屋に戻って横になった方がいいわ。それに人に教えるのなら自分がまず姿勢を正すべきとも言うし……レーツェルはいつも私にちょっとでも気分が悪かったら無理をしないようにって言ってくるんだから、あなたも同じようにしないとダメよ」
「わかりました。ちょっとでも体調を崩したり、あまりにも眠気がひどかったらすぐに戻ります」
霖之助が燃料を欲した結果として、霊夢が結界を緩めた時。六〇年周期で起きる異変によって、博麗大結界に歪みが生じた時。吸血鬼でありながらも最近は体調を崩すことが多かったから、周りから気を遣われることが増えてきた。いつも通りに妖精たちの仕事を影の魔法で手伝おうとしたら「今日は休んでください!」と言われたり。
嬉しくはあるけれど、同時に迷惑をかけてしまうことを心苦しく感じてしまう。今回に限っては本当にただ眠いだけで取り越し苦労なのに。
「……ごめんなさい」
今謝ったのは俺ではない。パチュリーの唐突な謝罪に、なんのことかと首を傾げた。
「なんだかちょっと、文句を言ったみたいになっちゃったわ。私が本当に言いたいのは、そうじゃなくて」
「パチェが純粋に私を心配してくれてるのはわかってますよ。何十年一緒に過ごしてると思ってるんですか」
「それはそれで恥ずかしいというか、誤解にしたい気分だけど。まぁ……レーテになら、いちいち訂正しようとする必要もなかったわね」
と、そこでパチュリーが俺に背を向ける。
「このまま一緒にいたらあなたの体調のことばかり気にしてしまって、あなたが楽しい気分になれないだろうから、私は別の誰かと過ごすことにしましょうか」
「私は別に気にしませんよ」
「私が気にするのよ。さ、私はもう行くけど、もしちょっとでも調子が悪くなったらちゃんと安静に……って、また言っちゃってる」
ふらふらと離れていくパチュリーを見送って、ふと、空を見上げた。
いて座、てんびん座、白鳥座。そこまで数えて、しかしすぐにその行動が無意味であることに気がつく。
前世ではどれだけ長く生きていようと決して見ることがなかっただろう、空を埋め尽くす満天の星空を前にして、いちいち星座なんかで区別するのはもったいない。多くの星々が必死に輝くさまを仰ぎ見て、そのすべてをそのままのものとして受け止めるのだ。
必死に自己主張をする数え切れないほど大量な光。一つ浮かんでいるだけではあまりにも心もとないであろうそれも、たくさんの仲間と集うことで巨大の一つを作り上げ、夏の中でも有数の美しい風景へと様変わりをする。どんなにがんばったところで一人では絶対に生み出せないそれの内側には、もしかしたら真理よりも大切ななにかが潜んでいるのかもしれない。
「レーチェルー、はろー」
「レーツェルです。って、こいしですか。夏の星空観賞会へようこそ、です」
「綺麗だよねぇ」
チラリと左に視線を送ると、無邪気な笑みをたたえた一人の少女の姿がある。星々が照らす夜空を見上げるその目は、どこか輝いているようにも見えた。
「地底には空がないの。だから、なんだかこういうのはいいなーって」
「楽しんでもらえてるみたいでなによりです。って、よく考えたらこいしって紅魔館でパーティを開くことどころか、ここの場所すら知らないはずじゃ……」
「なんかねー、インテューイションが私をここに呼んでる気がしたの。体が勝手に動いて、で、気づいたらここにいたわ」
「つまり、無意識に従っていたらいつの間にか、ってことですか」
無意識に人の集まっている場所に行こうとしたのかもしれないし、どこかで聞いていた紅魔館の場所が知らず知らずのうちに記憶に残っていて、無意識から紅魔館に行きたいという風になったのかもしれない。あるいは、可能性は低いものの、俺という同種の存在を近くに察知して紅魔館にまでやって来たか。
「まぁ、なんで来たのかなんてどうでもいいですね。せっかくの星空観賞会なんですから、こいしも楽しんでいってください」
「うん、楽しむ。レーチェルは楽しんでるー?」
「もちろんですよ。あとレーツェルです」
辺りを見渡せば、大勢の妖精メイドたちがグラスを片手に空を見上げているのが窺える。白いテーブルクロスを敷いたテーブルが点在し、いくらか料理も乗っかっていた。
こいしがその匂いに釣られたかのようにすーっと動き出すので、俺もそれについて行く。案の定、彼女は料理を食べ始めた。
「あ、これ美味しい」
「うちには優秀なメイドがたくさんいますから」
「いいなぁ。こっちにはペットくらいしかいないから」
試しにこいしが美味しいと言った、チーズのかかったチキンを口の中に運んでみる。舌の上にチーズの感触や甘味が広がり、それがチキンの歯ごたえと合わさって絶妙な美味しさを奏でていた。
「ペット、ですか。五〇〇年近く生きてますが、そういえばそういうのは飼ったことありませんでしたね。ケルベロスでも召喚して飼ってみましょうか……や、中途半端な気持ちで飼うのはいけないってよく聞きますし、やっぱりやめておきましょう」
「そんなに大変じゃないと思うよ? お姉ちゃんもペットの世話なんて基本放任主義だし。放任主義って言うか引きこもりなだけだけど」
「それでも、大変だっていう心持ちとそれを受け入れようとする覚悟は必要だと思うんです」
「うーん、そうなの? よくわかんない」
たとえ飼う動物が橙のようにある程度の知能を有し、言葉を介することが可能なのだとしても、それを最後まで育てる意志は育てようとする前から備えていなければならない。
そうでなければ生き物を飼う資格はないと俺は考えている。遊び半分に命を扱う行為が忌避されることは、前世の経験以前に、良心を知るこの世のすべての生命が無意識に理解していることだ。こいしは首を傾げていたけれど、本能的にはそのことを理解しているだろうと思う。
「それにしても、お姉ちゃん、ですか。私にも尊敬できる姉がいるので気になるんですが、こいしから見てあなたの姉はどんな人なんですか?」
「えー、お姉ちゃん? そうだなぁ……お姉ちゃんはねぇ、私と違って第三の瞳が開いてるんだよ。ちゃんと心を読むことができるの」
「ほほう」
「って言っても、お姉ちゃんも自分の能力が好きってわけでもないんだけどね。むしろ嫌いみたい」
料理を食べる手を止めて、時折「んー」と考え込む仕草を見せながら、こいしは姉の特徴と印象を教えてくれる。
「そんなこんなで心を読みたくないお姉ちゃんは、基本引きこもりで家から一歩も出ようとしないんだー。あ、こういうのなんて言うんだっけ? ニート?」
「こいしってナチュラルにひどいこと言う時ありますよね。家業って言葉もありますし、一概にニートだとは言い切れませんよ」
「そうなんだ、残念。あとはー、家に帰ったら私にいろいろ教えてくれたりするんだ。お姉ちゃんは家からは出ないけど、そこそこ博識だから、私の知らないこともいっぱい知ってる。変態とかストーカーって言葉もお姉ちゃんから教えてもらったんだよ」
……まだ見ぬこいしの姉への信用度が若干下がった。いや、原作知識で多少の予備知識はあるのだけど、やはり会わないとわからないことも当然ある。こいしの語ってくれている部分はおそらくそういう裏の顔とでも言うべきものだ。
「もしかして、ニート、もですか?」
「働いてない人はニートって言うんですよ、ってお姉ちゃんが。それじゃあお姉ちゃんはニートなのかなって思ってたけど、違ったんだねぇ」
「……まぁ、はい。たぶん違うと思います」
こいしの無邪気に容赦ない部分は、もしかしたら姉からの影響を受けたせいなのかもしれない。いや、正面からズバズバ告げてくるところは、おそらく元々か。こいしの姉は、そこにいくつかのバリエーションを与えたにすぎないだろう。
「そういえばレーチェルのお姉ちゃんはどんな人なのー? やっぱりレーチェルと同じ変態のストーカーさん?」
「お姉さまは変態じゃないですっ! あと私はレーツェルです」
ここまで来ると、すでにこいしは自分の姉について語る気はないようで、食事の方を再開した。枝豆を次々にパクパクと食しながら、とても幸せそうな笑顔を浮かべている。
「お姉さまは、そうですね。とっても身内思いです。いつもメイドたちの健康状態に気を配ってますし、誰かが体調を崩したとなれば無理矢理にでも休暇を取らせます。ちょっと前に私が寝込んでしまった時なんて、お姉さまはすっごく心配した顔してて……申しわけないって思うより先に、やっぱりそういうのは嬉しく思っちゃいます」
「ふぅん。仲がいいんだね」
「血の繋がった家族ですから。お姉さまが私を支えてくれるように、私もいつかお姉さまの役に立てればと考えています。まだ、いろいろなことをお姉さまに任せ切りなので……」
他にも語りたいことはたくさんあったが、妙にこいしの反応が薄いと感じる。つまらなかったのかな、と顔を覗き込んで見ると、その表情はどこか熟考しているような雰囲気を放っていた。いつの間にか食事の手も止め、ふと上がった視線が俺のそれと自然と合う。
数秒間、ただ見つめ合っていた。その間に考えていたことと言えば「やっぱりこいしは負の感情を絶対に表情にはしない」という感想だけだった。
「……ねぇ、レーチェ――」
「お姉さま?」
なにか語りかけようとしてきていたこいしを遮って、後ろの方から聞き慣れた声が響いた。振り返ってみると、そこにはいつも通りの赤い服に身を包んだ、無垢な笑顔を浮かべた妹の姿がある。
「やっと見つけたわ。ずっと探してたんだけど、暗くて全然見つかんなくて」
「むむ、すみません、苦労をかけました」
「気にしないでよ。私が勝手に探してただけだもん」
妖怪は別に暗闇の中で目が見えるというわけではない。月の光が人間の何倍も明るく捉えられるというだけなのだ。だから密室に入れられれば普通になにもわからないし、今日のような新月の日には人間と同様に大人しくせざるを得ない。
俺を発見したからか、フランの翼がパタパタと動いて喜びを表していた。なんだか犬か猫みたいだ。
「お姉さまは一人で空を見てたの?」
「いえ、二人ですよ。紹介します、こちらは……って」
気づいたらもうテーブルの前に立っていなかった。どこに行ったかと視線を巡らせてみれば、すぐに見つかる。フランの斜め前に立って、彼女の俺よりも不可思議な形をした宝石の翼を見つめているようだった。
「……こちらは古明地こいし。ちょっと前にできた私の友達です」
わかりやすいようにこいしの手を取って説明すると、そこで初めて彼女の存在に気づいたかのようにフランの目が大きく見開かれた。
慧音や阿求も同様の反応をしていた。やはり本来はこいしを認識できないことが普通なのだろう。
「友達?」
「え、違うんですか?」
こいしが首を傾げて不思議そうに言うので、もしかしてそういう関係だと思われるのは嫌だったのではないかと、少し不安になった。
しかしこいしはパチパチと目を瞬かせた後、これまでにないくらいに気持ちのよさそうな満面の笑みを浮かべて、自身の手を握る俺の手をぎゅっと握り返してきた。
「わーい、友達一号ー!」
俺を巻き込んで、こいしが高らかと万歳をする。なんだかバカっぽい反応だったけれど、これくらい大げさにはしゃいでくれる方が喜ばしく思ってくれていることが容易にわかって、やはり嬉しい。
「……私もお姉さまと、手、繋ぐ」
唐突にそう言い出したフランが、こいしとは逆の方の俺の手を掴んで隣に並んだ。両手に花、とはこのことだろうか。残念ながら今世は男性ではないので複雑な心持ちというか、そもそも片方は妹なのだけれど。
でも、こういうのもいいか。
空を仰ぎ、夏の夜空を再び眺めてみる。田舎だからこそ見ゆる満天の星空はいつまでも見ていたくなるくらい美しく、綺麗で、取り込まれそうな気分にもなれた。幻想郷の住民はそういうものが大好きだ。でなければ『美しさ』を重視するスペルカードルールなんて流行りようがないし、夏の星空観賞会なんて開こうとすら考えなかっただろう。
フランやこいしもまた俺が星を眺望していることに気づいて、同じように天を見上げた。フランは地下室、こいしは地底――最近までそれぞれ空を見たことすらなかっただろう二人が、こうして俺の隣で、こんなにも美麗で巨大な一輪の華を一望している。
声も出ずにただただ空に飲み込まれてしまっている二人を見て、それはきっと素晴らしいことなのだと、小さな確信を抱く。
次の季節もまた秋の星空観賞会でも開くよう、レミリアに相談でもしようかな。
そんなことを考えながら、もう一度、夏の夜空を大きく仰いだ。